月別アーカイブ: 2014年9月

2014年9月7日年間第23主日[鳥栖]

《集会祈願》わたしたちを呼び集められた神よ、あなたはすべての人が兄弟姉妹として生き、一つの民となることを望んでおられます。キリストの名のもとに集うわたしたちが、互いの成長を願い、ともに歩み続けることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

《教皇フランシスコの「お告げの祈り」でのことば》2014.8.31.より

…したがって、わたしたちは福音から力を得て、自分自身を絶えず新しくしなければなりません。どうすれば、それを具体的に行うことができるのでしょうか。何よりもまず、毎日、福音書を読んで黙想し、イエスのことばが自分の生活の中にいつもあるようにしましょう。忘れないでください。福音書のポケット版をポケットやカバンに入れて持ち歩き、一日の間にその一節を読むことは、皆さんの助けになります。しかし、必ず福音書を読んでください。なぜなら、そこにはイエスのことばが記されており、わたしたちはそれを読むことができるからです。さらに、主日のミサにあずかること。ミサにおいて、わたしたちは共同体のうちに主を見いだし、みことばに耳を傾け、わたしたちをイエスと隣人と一つにするご聖体をいただきます。また、黙想会や霊操も霊的刷新のためにとても重要です。福音書とミサと祈り。忘れないでください。福音書とミサと祈りです。主からいただいたこれらの贈り物のおかげで、わたしたちはこの世にではなくキリストに従い、キリストの道をキリストに従って歩むことができます。この道は、いのちを見つけるために「自分のいのちを失う」(マタイ16・25)道です。「いのちを失う」というのは、愛のために、愛のうちに、十字架にいたるほどの犠牲を伴いながら、いのちを差し出し、ささげるという意味です。それによって、わたしたちは清められたいのち、利己主義や死の負債から解放されたいのち、永遠のいのちを再び受けることができるのです。…[全文はカトリック中央協議会ホームページ または主任司祭ブログ「ひかりの道:8月31日のアンジェルス」参照]

《教皇フランシスコの一般謁見演説》2014.8.27.より

…しかし、わたしたちは、一致を阻む多くの罪があることを自らの体験から把握しています。そして、教会の分裂だけでなく、自分の共同体の中の多くの日常的な過ち、「小教区特有の」罪、小教区の中で起こっている罪のことも考えます。わたしたちの小教区では、実際、分かち合いと交わりを行うことが求められていますが、残念ながら嫉妬やねたみや憎しみがしばしば見られます。そして、そうしたうわさがすべての人に広まっています。小教区にどれほどうわさがはびこっていることでしょうか。それではいけません。たとえば、もしある人が教会委員長に選ばれたなら、その人に対するうわさが流れるでしょう。また、別の人が信仰養成の責任者に選ばれたなら、その人に対するうわさも流れるでしょう。これは教会ではありません。そのようなことをしてはいけません。わたしたちはそのようなことを避けなければなりません。このようなことをしない恵みを主に願い求める必要があります。それは人間の行いですが、キリスト者の行いではありません。このようなことが起こるのは、わたしたちが一番上に立ちたいときであり、また、自分の野望をもって自己中心的にものごとを見て他者を評価するとき、他者の能力よりもむしろ失敗に目を向けるとき、さらには、わたしたちを結びつけるものより分裂させるものを優先させるときです。

以前、わたしが任された教区で、興味深く、素晴らしいうわさを耳にしました。それは、小教区で生涯、働き続けたある高齢の女性についてのうわさです。そのかたをよく知っている人が言っていました。「彼女は決して悪口は言わず、うわさ話もせず、いつもほほえんでいました」。そのようなかたは、明日にでも列聖されてもおかしくありません。このかたがよい模範です。教会の歴史に目を向ければ、いかに多くの分裂がわたしたちキリスト者の間に生じてきたことでしょう。今でも、わたしたちは分裂しています。これまでの歴史においても、わたしたちキリスト者は神学的相違により戦争を起こしてきました。30年戦争のことを思い起こしましょう。あの戦争は、キリスト教信仰に基づいたものではありません。わたしたちは、すべてのキリスト者の一致のために働き、イエスが祈り求めた一致への道を歩まなければなりません。

3. こうしたすべてのことを前にして、わたしたちは良心を深く糾明しなければなりません。キリスト教共同体において、分裂はもっとも重い罪の一つです。なぜなら、それは神のわざではなく、悪魔のしるしだからです。悪魔は、分裂させる者、結びつきを断つ者、先入観を吹き込む者として定義づけられます。そうではなく、神は、わたしたちが交わりと愛であるかたにさらに近づくために、互いに受け入れ、ゆるし、愛し合う力をもって成長することを望んでおられます。教会は自らが神の似姿であり、神のいつくしみと恵みに満たされていることを認識しています。教会の聖性はそのことのうちにあるのです。…[全文はカトリック中央協議会ホームページ または主任司祭ブログ「ひかりの道:フランシスコ教皇の一般謁見演説」参照]

2014年8月31日年間第22主日

《本日の集会祈願》

父である神よ、あなたはひとり子イエスをとおして、神に従う者の道をお示しになりました。ここに集うわたしたちが、主のことばに希望を見いだし、主とともに歩む恵みに満たされますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

《本日の福音朗読箇所》[マタイ16・21〜27]

[そのとき、]イエスは、ご自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエス・キリストをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエス・キリストは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」[新共同訳]