[鳥栖]年間第25主日ミサ説教(2018.9.23.)

《年間第25主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの説教[10分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】[愛する皆さん、]ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあ[ります。]上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブの手紙第3章)

【福音】[そのとき、イエスで弟子たちは]ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉がわからなかったが、怖くて尋ねられなかった。一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエス・キリストが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ福音書8章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第25主日ミサ説教(2018.9.23.)

《年間第25主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[16分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】[愛する皆さん、]ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあ[ります。]上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブの手紙第3章)

【福音】[そのとき、イエスで弟子たちは]ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉がわからなかったが、怖くて尋ねられなかった。一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエス・キリストが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ福音書8章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第25主日前晩ミサ説教(2018.9.22.)

《年間第25主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[7分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】[愛する皆さん、]ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあ[ります。]上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。(ヤコブの手紙第3章)

【福音】[そのとき、イエスで弟子たちは]ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。弟子たちはこの言葉がわからなかったが、怖くて尋ねられなかった。一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエス・キリストが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ福音書8章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.9.22.〜2018.10.7.)

★鳥栖教会の新しい駐車場は使用できるようになりました。駐車場の利用方法については鳥栖教会のホームページをご覧ください。幼稚園駐車場は日曜日7時〜14時までは一部使えます。*駐車の際は警備員に一言お願いします。

★10月〜12月の主日(日曜日)のミサは鳥栖教会8時30分〜、小郡教会11時からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分からです。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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[クララ]神のいつくしみは罪を超える[2018.9.21.オミリア]

《年間第24金曜日:聖マタイ使徒福音記者》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】(エフェソ4章1-7、11-13)この箇所も読んでいただきたいです。

【福音】[そのとき、イエスは、]通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ福音書9章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「親の欠点をも含めて、父母を敬うことが大切」

2018年9月19日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「親の欠点をも含めて、父母を敬うことが大切」

教皇フランシスコは、一般謁見の中で、父母を敬うことについて話された。

教皇フランシスコは、バチカンで9月12日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日、教皇は謁見中の「十戒」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で、第4戒、「あなたの父母を敬え」(出エジプト20,12、申命記5,16)を考察された。

父母を敬うとは

教皇は、聖書において、神を敬うとは、神をありのままに受け入れ、その存在を尊重し、典礼でそれを表すだけでなく、人生において神に重きを置くことを意味するように、父母を敬うとは、献身や、愛情、孝行などを表す具体的な行いをも含めて、父母の存在の重要さをを認めること、と話された。

しかし、これだけではなく、「十戒」の第4戒の特徴は、「あなたの父母を敬え、あなたの神、主が命じられたとおりに」という命に続き、「そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生き、幸いを得る」(申命記5,16)と、この戒を守ることでもたらされる「結果」が示されていることである、と教皇は指摘。

第4戒は、父母を敬うことは、長く幸せな人生をもたらすと言っており、「十戒」の中で「幸せ」と言う言葉が見られるのは、両親との関係をめぐるこの戒だけであると語られた。

子の側の態度が重要

幼児期の体験はその人の一生に影響することは、知られているとおりだが、この戒は、必ずしも両親の優しさや、完璧さを要求するものではない、と教皇は注意。

この戒は、両親の価値の如何に関わらず、子の側の態度を言っている、と強調された。

教皇は、たとえ親が良い親でなくても、幼少期が平穏でなくても、

すべての子らは、誰が自分をこの世にもたらしてくれたのかを正しく認めることで、満たされた、幸せな人生に到達することができると述べられた。

そして、教皇は、来月列聖式が行われる福者ヌンツィオ・スルプリツィオや、聖カミロ・レリス、聖ジュゼッピーナ・バキータ、福者カルロ・ニョッキ、また聖ヨハネ・パウロ2世のように、早くに親を失ったり、苦難に満ちた幼少期を経験しつつも、イエス・キリストにおいて人生と和解し、光に満ちた人生を歩んだ人々を思い起こされた。

神からいただいた使命・人生

人は誰でも、その人生のストーリーに関わらず、キリストに導くものとして、この戒を受け取ることができると教皇は述べ、なぜなら、キリストにおいて、わたしたちに新たな生をくださる真の御父を見出すことができるからであると話された。

「わたしたちの人生の謎は、わたしたちが神を見出した時に晴らされる」、「神はわたしたちにいつも、神の子らとしての人生を準備してくださり、そこですべての行いは、神からいただいた使命となる。そして、人生はすべて貴重で、建設的なものとなる」と、説かれた。

教皇は、こうしてわたしたちは、成熟した子として、いつくしみをもって、親たちの限界を受け入れながらも、自分の父母を敬うことができるだろう、と話された。

新福者ヴェロニカ・アンタル(1935-1958)

この日、教皇は巡礼者への挨拶で、9月22日(土)、ルーマニアで、ヴェロニカ・アンタル(1935-1958 信徒・在世フランシスコ会)の列福式がとり行われることを紹介。

信仰に対する憎悪のために殺害されたヴェロニカ・アンタルの、自らの命の犠牲をもって神と人々への真の愛を証しした、その勇気ある生涯を神に感謝された。

19 9月 2018, 16:13
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神の民への奉仕としてのシノドス、教皇、使徒憲章発表

2018年9月18日バチカン放送日本語課の記事より。

神の民への奉仕としてのシノドス、教皇、使徒憲章発表

*この文書に関するホームページ「カトリック・あい」のコメント
教皇フランシスコは、シノドスをめぐる使徒憲章「エピスコパリス・コムニオ」を発表された。

9月18日、教皇フランシスコのシノドスをめぐる使徒憲章、「エピスコパリス・コムニオ(司教の一致、の意)」が公布された。

この使徒憲章は、「若者、信仰、そして召命の識別」をテーマにしたシノドス(世界代表司教会議)第15回通常総会(2018年10月3日~28日)の開催を間近に控えて発表された。

「司教の一致、ペトロと共に、またペトロのもとにあるその一致は、パウロ6世が、第2バチカン公会議の最も貴重な遺産として、1965年9月15日に創設したシノドスの中に特別な形で表される」

この一文で始まる同憲章は、前半の10段落からなる考察・説明部分と、後半の27条からなる規約部分から構成される。

この文書で教皇は、「教会が『福音宣教の新しい段階』に入った歴史的な時において、『地上のすべての地域で恒久的ミッションの状態』を形成することが求められている。シノドスは、他のすべての教会の組織と同様、『自己保存よりも、今日の世界の福音宣教のために適した手段』によりいっそうなるよう招かれている」と記している。

教皇は、シノドス設立後の歩みとその発展を思い起こしながら、シノドスに関する規約の改定は、2006年にベネディクト16世によるものが最後であることに言及している。

近年、教会の司牧者たちの迅速で一致した介入を必要とする諸問題に対し、シノドスの働きの効果が認知される中で、シノドスがさらに全教会のための司教たちの請願の特別な表現、具体化に役立つものとなって欲しいとの願いが大きくなった、と教皇は述べている。

そして、シノドスがますます神の民に耳を傾けるための特別な手段となっていくことを希望されている。

シノドス準備の助言を求める段階で、教会の善に関する事項において、司牧者や信者の意見を知ることが大切であることを過去の経験から汲み取ると共に、教皇はすべての地方教会の意見にも特別な関心を払うよう勧めている。

第2バチカン公会議がすでにそうであったように、シノドスにも、司教に属さない人々が招かれることが可能であるとし、その人の役割は毎回教皇が定めるとしている。

これに関し、教皇は特に修道会に属する人々の寄与を特別に考慮すべきと述べている。

教皇は、司教たちの間におけるローマ教皇の役割の重要性を説き、司教らとの交わりの関係はもとより、ペトロの後継者としてシノドスへの完全な参加を強調している。

さらに、教皇は、シノドスの活動が、主の願いに従って、すべてのキリスト者間の一致に貢献することに、期待を表されている。

18 9月 2018, 19:03
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[クララ]あなたの信仰が…[2018.9.20.オミリア]

《年間第24木曜日:聖アンデレ金と同志殉教者》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】(1コリント15章1-11)この箇所も読んでいただきたいです。

【福音】[そのとき、]あるファリサイ派の人が、一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏(せっこう)の壷を持って来て、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向かって、「シモン、あなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生、おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。一人は五百デナリオン(250万円)、もう一人は五十デナリオン(25万円)である。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにしてやった。二人のうち、どちらが多くその金貸しを愛するだろうか。」シモンは、「帳消しにしてもらった額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしがあなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは女に、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われた。(ルカ福音書7章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第24主日ミサ説教(2018.9.16.)

《年間第24主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。*途中から祭壇の前で説教しているため、音声が小さくなっています。

 

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。(ヤコブの手紙第2章)

【福音】[そのとき、]イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと(マルコ福音書8章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第24主日ミサ説教(2018.9.16.)

《年間第24主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[10分]を聴くことができます。*途中から祭壇の前で説教しているため、音声が小さくなっています。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。しかし、「あなたには信仰があり、わたしには行いがある」と言う人がいるかもしれません。行いの伴わないあなたの信仰を見せなさい。そうすれば、わたしは行いによって、自分の信仰を見せましょう。(ヤコブの手紙第2章)

【福音】[そのとき、]イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと(マルコ福音書8章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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