[鳥栖]復活節第6主日[2019.5.26.]

《復活節第6主日》鳥栖教会で8時30分から行われた典礼における説教[15分]を聴くことができます。*子どもとともにささげるミサ

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]復活節第6主日[2019.5.26.]

《復活節第6主日小郡教会で11時から行われた典礼における説教[10分]を聴くことができます。*子どもとともにささげるミサ

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]復活節第6主日前晩[2019.5.25.]

《復活節第6主日前晩》小郡教会で19時30分から行われた典礼における説教[3分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2019.5.25.〜2019.6.9.)

6月一杯までの主日ミサ時間

★鳥栖教会8時30分〜  ★小郡教会11時〜

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。★6月からは大切な祭日が続きます。2日:主の昇天/9日:聖霊降臨の主日/16日:三位一体の主日/23日:キリストの聖体

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

 

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教皇「スポーツを友情の分かち合いの機会に」

2019年5月24日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「スポーツを友情の分かち合いの機会に」

教皇フランシスコは、イタリア全国のサッカーを愛する少年少女たちとお会いになった。

教皇フランシスコは、5月24日、イタリア全国のサッカーを愛する少年少女たち、またプロのサッカー選手、監督らとお会いになった。

この日、バチカンのパウロ6世ホールには、イタリア中部ラツィオ州、アブルッツォ州を中心に、全国から集った生徒たちの歓声が響いた。

これらの生徒たちは、授業やサークルでサッカーに親しむ小学生から大学生までのおよそ5千人。

イタリアのスポーツ新聞「ガゼッタ・デロ・スポルト」主催のこのイベント「わたしたちが愛するサッカー」には、往年のプロサッカー選手、監督らも参加、青少年教育にサッカーが果たす役割について語った。

集いの後半、教皇を会場に迎え、参加者らは大きな喜びに包まれた。

ステージに上がられた教皇は、「皆さんの歓声を聞いた時、まるで自分がゴールを決めたかのように感じました」と語りかけられた。

教皇は、青少年の父、聖ヨハネ・ボスコが教育者たちに「子どもたちを集めたいですか。ボールを投げてごらんなさい。それが地面につく前に、どれだけの子どもたちが寄ってくることでしょう」と言った言葉を紹介された。

「転がるボールの後ろには、いつも必ず一人の子どもが、夢や希望、自分の体と心をもって、それを追っています。スポーツ活動の中には、子どもの筋肉だけでなく、彼の人間性全体が関わっています」と教皇は話された。

教皇は、スポーツは努力して自分のベストを尽くすことを学ぶだけでなく、何よりも「一人ではできない」ことを学ぶ大きな機会であると指摘。

今日の新しい技術は人間を孤立化させながら、多くのバーチャルな関係を生み出したが、ボールで遊ぶことの楽しさは、他の人たちとチームを作りながら、プレーを編み出し、学んでいくことにあり、ボールは現実の人々との友情を分かち合い、一つの場所で顔と顔を合わせながら、そこで自分の才能を試すための招きの道具となる、と語られた。

教皇は、「サッカーはチームでプレーするものです。一人では楽しめません。こうした体験は、自分中心であることが最高の原則であるかのような社会において、本当に頭と心のためになるものです」と強調された。

また、教皇はサッカー選手やスポーツ界の人々に、教育的責任を自覚し、言動一致の生活と、貧しい人々への連帯を通して、若い人たちに人生のチャンピオンになるようにとの励ましを与えて欲しいと願われた。

24 5月 2019, 17:06
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「歩む教会」を強調、教皇、国際カリタス総会参加者とミサ

2019年5月23日バチカン放送日本語課の記事より。

「歩む教会」を強調、教皇、国際カリタス総会参加者とミサ

教皇フランシスコは、国際カリタスの関係者とミサを捧げられた。

教皇フランシスコは、5月23日夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、国際カリタスの関係者とミサを捧げられた。

このミサはローマで行われた、国際カリタス第21回総会(テーマ:「唯一の人類家族、唯一の共通の家」)の開会を記念して行われた。

ミサの説教で教皇は、イエスは完璧な模型のような教会は望んでおられない、イエスの生き方は「歩み」の中にあり、人生の衝撃をも恐れないものであった、と述べられた。

教皇は、福音こそがわたしたちの人生のプログラムであり、そこにすべてがある、と強調。

福音はわたしたちに、諸問題は既成の対策で間に合わせるものではない、信仰とは行動予定表ではなく、「道」であることを教えてくれる、と説かれた。

教皇はこのような「歩む教会」に必要な要素として、「耳を傾ける謙遜」、「様々なカリスマの集まり」、「捨てることの勇気」の3つを挙げられた。

教皇は、「使徒言行録」に見られる初期キリスト共同体は、宗教的な伝統とアイデンティティーを大切にしながらも、主を告げるということに最も主眼を置いていたと指摘。

神と真の信仰は、わたしたちをこだわりから清める力を持っている。主に従って歩むには、余計なものを捨て、身軽になる必要がある、と話された。

また、他人への関心が育つとき、自分自身への執着が減る、他人に耳を傾けることで、人は謙遜になる、と語られた。

さらに、教皇は、一人ひとりがイエスの教会の一員として、それぞれのカリスマをもって集まり、画一性ではなく、交わりを創り出していくことの重要性を示された。

23 5月 2019, 19:43
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[基山]教会も信者も「世」の中に[2019.5.25.オミリア]

《復活節第5土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「世があなたがたを憎(にく)むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。『僕(しもべ)は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣(つか)わしになった方を知らないからである。」(ヨハネ福音書15章)

*本田哲郎訳:[イエスは言った。]「世があなたたちを憎むなら、あなたたちより前にわたしを憎んでいるのだと知りなさい。もし、あなたたちが世に属するのであれば、世は自分の身内(みうち)として大事にするはずだ。しかし、あなたたちは世に属してはいない。わたしがあなたたちを世から取り分けた。それで、世はあなたたちを憎むのだ。わたしが身をもってあなたたちに語ったこと、『しもべは主人よりすぐれてはいない』ということを 肝(きも)に銘(めい)じておきなさい。人々がわたしを弾圧(だんあつ)したのなら、あなたたちをも弾圧するし、わたしが身をもって示したことをかれらが守ったのなら、あなたたちが身をもって示すことも守るということだ。しかし、あなたたちがわたしを身に帯(お)びているということで、人々はそういうことをみな、あなたたちにする。わたしをつかわした方を分かっていないのだ。」

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]不思議:どうして教皇メッセージを聴かない[2019.5.24.オミリア]

《復活節第5金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣(はけん)することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。使徒たちは、次の手紙を彼らに託(たく)した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人(いほうじん)の兄弟たちに挨拶(あいさつ)いたします。聞くところによると、わたしたちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒(さわ)がせ動揺(どうよう)させたとのことです。それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像(ぐうぞう)に捧げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎(つつし)めばよいのです。健康を祈ります。」さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。彼らはそれを読み、励(はげ)ましに満ちた決定を知って喜んだ。(使徒言行録15章)

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ福音書15章)

*本田哲郎訳 「わたしがあなたたちを大切にしたように、あなたたちが互いに大切にしあうこと、これこそ、わたしの掟である。心にかける者たち(友)のために自分を投げ出す、これにまさる大切に思う心はない。わたしが掟として与えたことを、あなたたちが実行するなら、あなたたちこそわたしが心にかける者(友)である。わたしはもう、あなたたちがしもべであるとは、言わない。しもべは主人が何をするか知らないものだ。わたしはあなたたちを、心にかける者(友)と言った。わたしは父から聞かされたことをすべて、あなたたちに知らせたからだ。あなたたちがわたしを選んだのではない。わたしがあなたたちを選んだ。あなたたちが出て行って実りをもたらし、その実りがつづくように、また、あなたたちがわたしを身に帯びて 父に願うことはなんでも、父がかなえてくださるように、わたしがあなたたちにその役割を与えたのだ。あなたたちが互いに大切にしあうこと、わたしが掟としてあなたたちに与えるのは、これである」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「兄弟的対話の推進者に」教皇、駐バチカン新大使らに

2019年5月23日バチカン放送日本語課の記事より。

「兄弟的対話の推進者に」教皇、駐バチカン新大使らに

教皇フランシスコは、信任状提出のためバチカンを公式訪問した新大使らに挨拶をおくられた。

教皇フランシスコは、5月23日、9か国の新任大使らに挨拶をおくられた。

この日、信任状提出のため、バチカンを公式訪問したのは、タイ、ノルウェー、ニュージーランド、シェラレオネ、ギニア、ギニアビサウ、ルクセンブルグ、モザンビーク、エチオピアの、9か国の新大使。

各大使から信任状を受け取られた教皇は、これら9大使に向けた言葉で、複雑化するグローバル情勢の中で、平等で平和的な共存を保証するために、兄弟愛の重要性を改めて強調。

人民間・国家間の普遍の願望である兄弟愛を脅かす存在として、暴力や武力紛争を挙げられた。

紛争解決と和解は、一致は分裂より強く、兄弟愛は憎しみに勝ることのしるしである、と述べた教皇は、武力紛争を克服し、平和への道を開き、兄弟的対話を推進する、国際社会の役割と外交活動の努力に励ましを与えられた。

23 5月 2019, 15:58
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「キリスト者はあらゆる状況で祈ることができる」教皇一般謁見

2019年5月22日バチカン放送日本語課の記事より。

「キリスト者はあらゆる状況で祈ることができる」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、「主の祈り」をめぐる一連の考察をまとめられた。

教皇フランシスコは、バチカンで5月22日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はこれまで続けられた「主の祈り」をめぐる一連の考察をまとめられた。

教皇は、キリスト教の祈りは、神を「父」という名のもとに大胆に呼ぶことから生まれる、と強調。

それは、単なる形式に留まらず、神の恵みによって得た、子としての親密さを表している、と話された。

イエスは御父を啓示し、わたしたちを神との親しさに導く方、と述べた教皇は、福音書の中に、イエスが御父に向かって祈る様々な場面や言葉を見ることができ、それらの表現の多くは、「主の祈り」とも関連していると説明。

一例として、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14,36)と、苦悩と恐れの中にあっても「アッバ、父よ」と信頼をもって神に向かい、その御旨が果たされることを願うイエスのこの祈りに、「主の祈り」と同じ心を見出された。

また、教皇は、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マタイ27,46)というイエスの十字架上の叫びを観想。

一見「主の祈り」とは遠いように思われる苦悩の叫びにおいても、「わが神、わが神」の「わが=わたしの」というこの言葉が、神との絆の「中核」をなすと共に、信仰と祈りの「中心」にもなっている点に、「主の祈り」と共通するものを指摘された。

「キリスト者は、あらゆる状況において祈ることができる」と述べた教皇は、キリスト者は聖書の言葉や長い歴史の中で人々の心に湧いた表現をもって、慰めと愛を必要とする兄弟姉妹たちのことを、これからも御父に語り続けるだろう、と話された。

22 5月 2019, 17:28
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