一般謁見:教皇「神は主人ではなく、父である」

2018年6月20日バチカン放送日本語課の記事より。

一般謁見:教皇「神は主人ではなく、父である」

教皇フランシスコは、バチカンで6月20日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

6月下旬を迎えたローマは、好天に恵まれ、気温の高い日々が続いている。

この日の一般謁見は、メイン会場の聖ペトロ広場と、屋内会場であるパウロ6世ホールの、2か所で行われた。教皇は謁見のはじめにパウロ6世ホールを訪れ、お年寄りや病者らに挨拶と祝福をおくられた。

謁見中、教皇は先週から始まった「十戒」をテーマとするカテケーシス(教会の教えの解説)で、掟を与える神と、掟を受け取る人間との関係を考察された。

聖書において、掟は独立した存在ではなく、一つの関わりにおいて存在するものである。その関わりとは、神と神の民との契約の関係であると教皇は話された。

「出エジプト記」の「神はすべての言葉を告げられた」(20章1節)という箇所に注目された教皇は、ここになぜ「すべての掟」ではなく、「すべての言葉」と記されているのかを考えられた。

ユダヤ教の伝統では、「十戒」は「十の言葉」と呼ばれていると教皇は解説。

「掟・命令」と「言葉」との違いを問いながら、前者が対話を必要としないのに対し、後者は対話的な関係に不可欠なものであると述べられた。

また、教皇は「言葉」の重要性を示す上で、父なる神は言葉を通して創造の業を行われたこと、御子イエスは人となられた御言葉であることなどを挙げられた。

「創世記」で、男と女が誘惑にそそのかされて、神から食べてはいけないと言われた木の果実を食べてしまったエピソードを思い起こされた教皇は、それを食べるなと神が言われたのは、神が人間に与えた最初の規則であったといえると指摘。

神のように善悪を知るものになるという、その木の実を食べることを神が禁じたのは、独裁者の押しつけではなく、人間を自己破壊から守るための、父親が小さな子に接するような、神の配慮であったにもかかわらず、蛇にだまされた男女は、神の愛の言葉を、神の嫉妬と独占欲による命令と解釈し、その実を食べることになってしまったと、語られた。

「神はわたしに何かを押し付けようとしているのか」、それとも「神はわたしを大切に心にかけているのか」、人間はこの分かれ道に立たされていると教皇は述べ、それは、「戒律は単なる掟なのか、それともわたしをいたわる言葉なのか」、「神は主人なのか、それとも父なのか」という問いでもあると話された。

「聖霊は子たちの霊であり、イエスの霊である。奴隷たちの霊であるならば、掟を抑圧としてしか受け取らざるを得ない。それがもたらす結果は、義務と権利だけでできた生活、あるいは激しい拒絶反応である。」

「キリスト教のすべては、文字で書かれた掟から、命を与える霊への移行である(参照:2コリント3,6-17)。イエスは御父の御言葉であり、御父の裁きではない。」

「十戒はわたしたちを解放する御父の言葉であるがゆえに、それは解放に向けての歩みである。世が必要とするのは、戒律主義ではなく、子の心を持ったキリスト者たちである。」

教皇はこのように話された。

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「若者」テーマのシノドス、討議要綱発表

2018年6月19日バチカン放送日本語課の記事より。

「若者」テーマのシノドス、討議要綱発表

今年10月、バチカンで開催される、「若者」をめぐるシノドスのための「討議要綱」が発表された。

 世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会は、「若者、信仰、そして召命の識別」をテーマに、2018年10月3日から28日まで開かれる。

同シノドス開催に先立ち発表された討議要綱は、「序文」に続き、「認める」「判断する」「選択する」の3つのアクションを伴う全3部と、「結び」からなる。

討議要綱の構成は以下のとおり。

・序文

・第一部 認める:現実に耳を傾ける教会
  第1章:今日、若者であるということ 
  第2章:経験と表現
  第3章:切り捨ての文化の中で
  第4章:人間学的・文化的挑戦
  第5章:若者に耳を傾ける

・第二部 判断する:信仰と召命の識別
  第1章:若さの祝福
  第2章:信仰の光に照らされた召命
  第3章:召命識別のダイナミズム
  第4章:共にいて見守る技術

・第三部 選択する:司牧的・宣教的回心の歩み
  第1章:統合的な展望
  第2章:日常生活に深く分け入る
  第3章:福音化された、福音宣教する共同体
  第4章:司牧の活性化と組織化

・結び

同討議要綱は、インターネットを通した質問書に対するおよそ10万人の青少年の回答や、シノドス準備会議の結果など、多くの資料を基に起草され、若者たちの現実を読み解くための鍵を提供している。

その中では特に、「今日の若者たちは何を望んでいるのか」「教会に何を求めているのか」ということが注目される。

若者たちは第一に、模範となり、権威ある、文化的に堅固な「真の教会」を求めていることがわかる。

また、若い人たちは、教会が「透明性を持ち、受容的で、誠実、魅力的で、コミュニケーション能力があり、近づきやすく、喜びに満ち、双方向的」であることを望んでいる。

その一方で、教会に何も期待しない、あるいは教会の対話者としての役割を重要視しない、さらには、教会の存在をわずらわしいと感じる若者たちもいる。

こうした背景として、教会の様々なスキャンダル、青少年司牧における司祭たちの養成不足、現代社会において教会の教えと道徳的立場を説明するのに困難が伴うことなどが、指摘される。

討議要綱には、青少年司牧を考える上でのいくつかのキーワードが浮かび上がる。

それらは、「聞く」「寄り添い」「回心」「識別」「挑戦」「召命」「聖性」などの言葉である。

「聞く」:若者たちは自分が置かれた状況を深い理解をもって聞いてもらい、彼らの日常の体験を分かち合いたいと思っている。また、教会の中で自分の意見が尊重され、教会の一員として認められることを望んでいる。

「寄り添い」:若者たちに、霊的・心理的・教育的に、また家庭司牧・召命司牧の立場から寄り添うことは、教会にとって本質的な義務であり、若い人たちにとっては権利である。

「回心」:討議要綱は様々な意味での「回心」に言及している。それは、キリスト教徒が少数派である場所で、暴力をもって「回心(改宗)」を迫られる若者たちの悲劇であったり、教会において若者たちの統合的な養成・教育を目指す上での「組織的回心」や、また教会の勇気ある「文化的回心」を望む声であったりする。

「識別」:この要綱において、「識別」とは、若者たちの必要に応えて「外に向かう教会のスタイル」であり、「神の御旨を具体的に知り、受け入れるための霊的活力」「神の時・神の招き」を知り、それを無駄にしないための「道具」として認識されている。

「挑戦」:宗教的差別、人種差別、就業の不安定、貧困、薬物・アルコール中毒、いじめ、搾取、孤独などに対する挑戦の必要が示される。

「召命」:「召命」という言葉に対し、若者たちは偏見や先入観を持っており、この言葉を司祭や修道者への召命に限定せず、青少年司牧の中でさらに広い意味で使う必要に言及。厳密な司祭召命という意味では、召し出しの減少を真剣に捉え、魅力ある召命司牧の模索を望んでいる。

「聖性」:討議要綱は「聖性」というテーマをもって締めくくられる。「若さとは聖性のための時」であるとし、聖性をすべての若者たちが到達できるものとして示している。

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[クララ]完全な者となる[2018.6.19.オミリア]

《年間第11火曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。(マタイ福音書5章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「信仰をもって神のご計画を受け入れる」教皇、日曜正午の集いで

2018年6月18日バチカン放送日本語課の記事より。

「信仰をもって神のご計画を受け入れる」教皇、日曜正午の集いで

教皇フランシスコは、バチカンで6月17日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、イエスが神の国を「成長する種」や「からし種」にたとえて説明するエピソード(マルコ4,26-34)を取り上げられた。

このエピソードで、イエスは神の国をまず「成長する種」にたとえる。

土に蒔かれた種は、人には計り知れない神秘で、芽を出して成長し、穂を豊かに実らせ、実の成熟と共に収穫の時を迎える。

教皇はこのたとえに、イエスの言葉と行いを介して告げられた神の国は、世界という畑に種のように入り込み、人間では理解できない力と法則をもって、自ら育ち成長する、というメッセージを読み取られた。

そして、神の国が歴史の中で成長するのは、人間の業によるものではなく、何よりも神の力と寛大さによるものであると話された。

すべての子らに正義と兄弟愛と平和を望まれる神の御旨に逆行するような出来事が、歴史においてしばしばあったとしても、わたしたちは神の救いに信頼し、この時期を試練と希望の時、収穫を心して待つ季節として生きるべきと教皇は語られた。

次にイエスは神の国を「からし種」にたとえる。からし種は非常に小さいものであるが、蒔くと、畑の中で一番大きいものとなる。

教皇は、からし種の驚きに満ちたその成長は、予想できない神の計らいを表すものであり、主はわたしたちが自分の計画や計算、見通しを超越させる信仰の態度をもって、神のご計画を寛大に受け入れるよう励ましていると述べられた。

教会の真のミッションとは、成功や結果を認められることにあるのではなく、勇気と、信頼、謙遜をもって前進することにある、と教皇は強調。

小さく弱い道具であっても、神の御手の中で、その恵みによって、大きな技を成し遂げ、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」(ローマ14,17)である、神の国を発展させることができると説かれた。

集いの中で教皇は、前日6月16日、ベネズエラのカラカスで、マザー・マリア・カルメン・レンディレス・マルティネス(1903-1977)の列福式がとり行われたことを報告。

前世紀、カラカスにおいて「ベネズエラのイエスの侍女会」を創立し、姉妹たちと共に愛をもって小教区や学校で奉仕し、貧しい人々に寄り添ったその生涯を紹介された。

教皇は、イエスの忠実な弟子として生きた同福者を与えてくださった神に感謝し、福者の取り次ぎをもってベネズエラ国民のために祈られた。

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教皇、イエメンの和平のための努力を呼びかけ

2018年6月18日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、イエメンの和平のための努力を呼びかけ

教皇フランシスコは、イエメンの和平のため、国際社会に努力を呼びかけられた。

6月17日、教皇はバチカンで行われた日曜正午の祈りの集いで、長引く紛争のために厳しい試練を生きるイエメンの人々に思いを寄せられた。

イエメンでは、内戦の激化と共に、食糧不足による飢餓をはじめ、人道的状況がいっそう深刻化している。

教皇は国際社会に対し、この人道的悲劇を悪化させないために、紛争の当事者らを一刻も早く和平の対話につかせるあらゆる努力を惜しまないようアピールされた。

教皇はイエメンの人々ために聖母の取り次ぎをもって祈られた。

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教皇、「世界難民の日」に向けてアピール

2018年6月18日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、「世界難民の日」に向けてアピール

教皇フランシスコは、「世界難民の日」に向けて、難民への関心をアピールされた。

6月17日(日)、教皇はバチカンでの正午の祈りの集いで、今月20日(水)に記念される国連の「世界難民の日」に触れられた。

教皇は、これを機会に、紛争や迫害のために故郷から逃げざるを得ない人々の大きな不安と苦しみに注意を向けるよう願われた。

今年の「世界難民の日」は、安全で秩序ある統制のとれた移民政策のために、年内に移民に関する国際合意を策定するための協議が政府間で行われている時に記念されることを教皇は指摘。

このプロセスに関わる国々が、責任と人間性をもって、自国を強制的に追われた人々の支援と保護を保証するための合意に至ることを希望された。

また、難民の人々が受け入れ先の社会により溶け込めるように、わたしたちそれぞれが難民らに寄り添い、出会いの機会を見つけ、彼らの貢献を知ることができるようにと望まれた。

教皇は、この出会いと相互理解と支援の中にこそ、多くの問題の解決を見つけることができるだろうと話された。

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[小郡]「年間第11主日」前晩ミサ説教(2018.6.16.)

《年間第11主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[9分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは人々に言われた。]「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。(マルコによる福音書4章)

カトリック新聞6月17日号の一面の目次をご覧ください。

■教皇の一般謁見講話 悪口と陰口は聖霊のたまものを壊す【バチカン6月6日CNS】との見出しで記事が掲載されています。この日のバチカン放送。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇フランシスコ:「 受け入れ、知り、理解しあうために、他者に向かって歩むことが大切」

2018年6月14日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇フランシスコ:「 受け入れ、知り、理解しあうために、他者に向かって歩むことが大切」

バチカン聖座とメキシコ間の外交関係締結25周年を記念して、国際的移民問題についての懇談会がバチカンとメキシコの間で開催された。聖座は社会から見放された貧しい人々のための働きを続行するために両国の絆をますます強めていくためのよい機会だとさらなる両国の協力を強く訴えた。

教皇フランシスコはそのメッセージの中で「今日、各自のメンタリティーを根本的に変革する必要があります。異なる人々や他人を自分たちの安全を脅かすものだという考え方から、かれらの異なる人生経験や別世界の人々の持つ様々な価値観が自分たちの既成社会により豊かな富をもたらすものなのだという考え方に変えていく必要があります。ですからここで一人一人が真剣に考え、受け取るべき姿勢は何よりも他者を知り理解するために、排除するのではなくかえって積極的に受け入れていこうとする態度です」と開かれた心とメンタリティーの必要性を強調している。

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.6.16.〜2018.7.1.)

★★★鳥栖カトリック幼稚園外構工事のため6月一杯は佐賀銀行の職員駐車場をご利用ください。幼稚園駐車場はまだ完成していませんが、日曜日7時〜14時までは使えます。*警備員に一言お願いします。

★4月〜6月の日曜日のミサは小郡教会11時〜、鳥栖教会8時30分からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

★7月〜9月の日曜日のミサは小郡教会8時30分〜、鳥栖教会11時からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

★★★6月17日(日)小郡教会での11時のミサはありません。

★★6月18日(月)朝9時から修道院でパウロ神父司式のミサがあります。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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[クララ]思いと行い[2018.6.15.オミリア]

《年間第10金曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[12分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。(マタイ福音書5章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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