「核兵器のない世界の推進に協力を」教皇、科学者らに

2018年11月12日バチカン放送日本語課の記事より。

「核兵器のない世界の推進に協力を」教皇、科学者らに

教皇フランシスコは、教皇庁立科学アカデミーの定例総会参加者に挨拶をおくられた。

教皇フランシスコは、11月12日教皇庁立科学アカデミーの関係者ら、およそ80名とお会いになった。

同アカデミーは、この日から同月14日まで、バチカンで定例総会を開催している。

教皇は総会参加者への挨拶で、「親愛なる科学者の皆さん、そして科学の友である皆さんに、知識の鍵は託されています」と語りかけ、科学者たちの研究が、特に食料・医療・教育・通信・健康な生活・平和の面において、人類の広大な知識の恩恵を十分に享受していない人々のために役立つことを願われた。

人類の統合的で持続可能な発展には、まだ多くの道を歩まなければならないと述べた教皇は、この目標に到達するには、回勅「ラウダート・シ」にも記したように、人々の生活スタイルの変革なしでは不可能であると語られた。

また、この目標のためには、非武装と戦争の終結、新しいエネルギーへの移行、すべての人への水・食料・健康の保証、租税回避地にあり活用されていない巨大な資本の共通善の為への投資などを進める政治的意志が欠如していると指摘された。

教皇は、気候変動は人間の活動により多く影響されていると述べ、地球と人々の健康を守るための有効な解答が必要と話された。

さらに、核の脅威に触れた教皇は、核兵器のない世界の推進に努力することの本質的重要性を強調。

人類と地球に与える修復不可能な被害のために、核武装理論は受け入れがたいことを治世者たちに説得できるよう、その協力を科学界関係者に望まれた。

12 11月 2018, 18:38
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[クララ]しただけ。[2018.11.13.オミリア]

《年間第32火曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕(しもべ)がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の準備をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足らない僕です。しなければならないにことをしただけです』と言いなさい。」(ルカ福音書17章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「貧しいやもめの献金」のエピソードを観想、教皇、日曜正午の集い

2018年11月11日バチカン放送日本語課の記事より。

「貧しいやもめの献金」のエピソードを観想、教皇、日曜正午の集い

教皇フランシスコは、お告げの祈りの説教で、神と兄弟たちに自分自身を謙虚に寛大に捧げるよう招かれた。

教皇フランシスコは、バチカンで11月11日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りの前に、教皇はこの日の福音朗読箇所、イエスが律法学者を非難する一方、献金する貧しいやもめの姿を示すエピソード(マルコ12,38-44)を取り上げ、説教を行われた。

ここでは、律法学者とやもめが対比的に描かれる。教皇は、律法学者は裕福で影響力のある人々を、やもめは最も貧しく弱い立場の人々を代表している、と説明。

しかし、ここでイエスが律法学者をめぐり問題としているのは、そのカテゴリーではなく、自分の優位をひけらかし、虚栄を張り、重要でない人や、経済的に恵まれない人々を見下すその態度である、と話された。

イエスは、律法学者が宗教的立場を利用して弱い人々を食い物にする、その偽善のメカニズムをあばき、この教えを弟子たちの心にはっきりと刻むために、対照的な模範として、彼らに貧しいやもめの姿を示した、と教皇は語られた。

教皇は、やもめは、その権利を守ってくれる夫を亡くし、高利貸しなどの犠牲になりやすい、社会でも弱い取るに足らない立場にあると指摘。

このやもめは賽銭箱に、自分が持つすべてである、銅貨2枚を入れたが、まさにこの謙虚で、大きな宗教的精神を持つ犠牲の態度が、イエスの目に留まることになった、と話された。

イエスの教えは、わたしたちの人生における本質を思い出させ、神との絆を具体的な形で日常的に強めることを助けてくれる、と教皇は語った。

「主の天秤は、わたしたちのものとは違う」と教皇は述べ、「主は人とその態度を異なる方法で量られ、量ではなく質を見、心を探り、その意図の純粋さをご覧になる」と話した。

そして、これは、わたしたちが祈りを通し神に捧げる態度、愛徳の業を通して隣人に捧げる行為が、形式主義や計算を超えた、無償の表現でなくてはならないことを意味している、と説かれた。

イエスがあの貧しくも寛大なやもめを、キリスト教的生活の模範として指したのはこうしたわけであり、わたしたちはこのやもめの名を知らなくとも、神の御心にかなったその心を知っている、と教皇は話された。

わたしたちが神と兄弟たちに、自分の何かではなく、自分そのものを謙虚に寛大に捧げることができるよう、教皇は、自らを神にあまねく捧げた貧しいおとめマリアに、その支えを祈られた。

11 11月 2018, 15:28
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[小郡]年間第32主日ミサ説教(2018.11.11.)

《年間第32主日》小郡教会聖堂で11時から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコ福音書12章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第32主日ミサ説教(2018.11.11.)

《年間第32主日》鳥栖教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコ福音書12章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第32主日前晩ミサ説教(2018.11.10.)

《年間第32主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[5分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスは教えの中でこう言われた。「律法学者に気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ることや、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを望み、また、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコ福音書12章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.11.10.〜2018.11.25.)

★10月〜12月の主日(日曜日)のミサは鳥栖教会8時30分〜、小郡教会11時からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分からです。

★12月9日(日)小郡での11時のミサは幼稚園のクリスマス会のため行われません。前晩19時30分〜のミサ、または9日(日)鳥栖教会での8時30分からのミサにご参加ください。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

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[鳥栖納骨堂]死者のために祈る[2018.11.10.オミリア]

《死者の日》鳥栖教会納骨堂内で8時30分から行われたミサの説教[5分]を聴くことができます。この日の典礼は11月2日の「死者の日」典礼で行われました。*オミリア中、納骨堂でのミサは年一回と言ってますが、実際は8月と11月の二回です。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[鳥栖教会納骨堂]ここをクリックして聴くことができます。

*第一朗読は、知恵の書またはローマの信徒への手紙のどちらかを用いる

【第一朗読】神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映り、この世からの旅立ちは災い、自分たちからの離別は破滅に見えた。ところが彼らは平和のうちにいる。人間の目には懲らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある。わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。神が彼らを試し、御自分にふさわしい者と判断されたからである。るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた。主に依り頼む人は真理を悟り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。主に清められた人々には恵みと憐れみがあり、主に選ばれた人は主の訪れを受けるからである。(知恵3章)

【または】[皆さん、]もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子さえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。(ローマ8章)

【福音】[そのとき、イエスは人々に言われた。]「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心(みこころ)を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6章)

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[クララ]壊れた教会[2018.11.9.オミリア]

《[祝]ラテラン教会の献堂》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

*コンスタンチヌス帝によってローマのラテランに建てられた大聖堂の記念は、十二世紀からこの日に行われたと伝えられている。初めこの祝日は、ローマ司教区だけで祝われていたが、「ローマと世界のすべての教会堂の母であり頭」と呼ばれたこのラテラン大聖堂をたたえるために、全世界のローマ典礼の教会で祝われるようになった。この祝日は、ペトロの座に対する一致と親愛のしるしである。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

*第一朗読は、エゼキエル書またはコリントの信徒への手紙一のどちらかを用いる

【第一朗読】[その日、主の使いは]わたしを神殿の入り口に連れ戻した。すると見よ、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、東の方へ流れていた。神殿の正面は東に向いていた。水は祭壇の南側から出て神殿の南壁の下を流れていた。彼はわたしを北の門から外へ回らせ、東に向かう外の門に導いた。見よ、水は南側から流れていた。彼はわたしに言った。「これらの水は東の地域へ流れ、アラバに下り、海、すなわち汚れた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。川が流れて行く所ではどこでも、群がるすべての生き物は生き返り、魚も非常に多くなる。この水が流れる所では、水がきれいになるからである。この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。川のほとり、その岸には、こちら側にもあちら側にも、あらゆる果樹が大きくなり、葉は枯れず、果実は絶えることなく、月ごとに実をつける。水が聖所から流れ出るからである。その果実は食用となり、葉は薬用となる。」(エゼキエル47章)

【または】[皆さん、]あなたがたは神の建物なのです。わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもはかの土台を据えることはできません。あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。(1コリ3章)

【福音】ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(ヨハネ福音書2章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「飲料水へのアクセスは、人間の尊厳から発する権利」

2018年11月8日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「飲料水へのアクセスは、人間の尊厳から発する権利」

教皇フランシスコは、水をテーマとした会議にメッセージをおくられた。

11月8日、ローマの教皇庁立ウルバノ大学で、「公益の管理:飲料水へのアクセスをすべての人に」をテーマとする国際会議が開催された。

この会議は、教皇庁の人間開発のための部署(長官 ピーター・タークソン枢機卿)の主催で行われた。

教皇フランシスコは同会議の参加者に宛てたメッセージで、飲料水へのアクセスは、人間の尊厳に直結する権利として認識されるべき、とアピールされた。

「水は生命にとって本質的なもの」と述べた教皇は、世界の多くの地域において、衛生的な水へのアクセスがないために、人々が尊厳ある生活をおくることができない状況を注視。

中でも衛生的な水を得ることができない人々が、非衛生的な水が原因で病気になったり、しばしば亡くなっていることは、21世紀の人類にとって恥ずべきことと述べられた。

残念なことに、飲用水を安定して得られない多くの国々では、武器や軍用品の供給には事欠かないために、状況は悪化するばかりであり、また、収賄や経済的利害が、水へのアクセスを保証するための連帯精神に基づく努力を妨げている、と教皇は指摘。

行政・教育・技術・経済のすべての組織が一体となり、強い意志をもってこの水問題に取り組むべき、と訴えられた。

回勅「ラウダート・シ」で述べた、真のエコロジーのための責任と連帯ある生活スタイルを提示する教皇は、「飲料水へのアクセスは人間の尊厳から発する権利であり、水を単なる商品と見なす概念とは相いれない」と説かれた。

教皇は、人類家族の公益をすべての人が享受できるよう、福音的な教えとその精神は、そのための具体的な取り組みを励ましていると強調。

「お前たちは、(わたしが)のどが渇いたときに飲ませてくれなかった」(マタイ25,42)という、福音書の言葉を引用しつつ、信仰の眼差しをもって、すべての渇いた人の中に、神ご自身の姿を見つめるよう、呼びかけられた。

08 11月 2018, 17:09
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