バチカン福音宣教省が”新求道共同体の道”神学院の東京設立計画の見直し決定

バチカン福音宣教省が”新求道共同体の道”神学院の東京設立計画の見直し決定

(2019.7.17  カトリック・あい)

 カトリック東京大司教区の菊地大司教がこのほど、大司教区の信徒あてのお知らせで、バチカンの福音宣教省のフィローニ長官から、同省による「Redemptoris Mater」神学院設立計画について見直しを決めた、との通知を受けたことを明らかにした。

 「お知らせ」によると、アジアにおける福音宣教を目的として「新求道共同体の道(ネオカテクーメナート)の信徒を司祭として養成(同神学院規約3項)」するために、「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」を東京を本拠地として設立し、福音宣教省の直轄運営とするーと同省が昨年夏決定、通知を受けていたが、フィローニ長官から菊地大司教に宛てた6月17日付の書簡で、「教皇様ならびに新求道共同体の道の代表と協議の結果、同計画を見直すことを決定した」との通知を受けた。

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 (「カトリック・あい」解説)

 今回の福音宣教省長官からの”計画見直し”の決定は、同計画の事実上の白紙撤回を意味するとみられる。

 福音宣教省は昨年夏、日本の司教団との事前協議なしに「新求道共同体の道(ネオカテクーメナート)」の司祭を養成する神学院の東京への設置を一方的に通告、さらに神学院の名称を「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」とし、院長、副院長を任命するなど具体的な準備を進めるに至って、日本の司教団の間に大きな物議を醸していた。

 ネオカテクーメナートは1964年にスペイン人信徒、キコ・アルグエイオによって始まった運動。キコは、ジプシーやマドリッドの社会から疎外された人々を対象に、片手にギター、片手に聖書をもって福音宣教を開始。多くの司祭や修道者たちの賛同を得て「共同体」として発展、現在は1万を越える「共同体」が世界各地に存在すると言われる。だが、典礼その他で創始者や共同体の方針、指導を優先する傾向もみられ、英ランカスター教区でそのミサ典礼に規制をかける動きなども出ている。

 日本では、ネオカテクーメナートの神学院が高松教区に設立されていたが、小教区に派遣されたネオカテクーメナート共同体の司祭たちが、独自の司牧を展開し、信徒たちの間に深刻な分裂をもたらした結果、日本の司教団が閉鎖を求め、2009年に閉鎖された。

 閉鎖を求めた理由として当時説明されたのは「現地の司教と東京にいる上長の双方に従属することが、大きな問題」「彼らは、活動している教区の司教に従いたいとは言うものの、それを全く実行していない。とにかく十分でも正当な方法でもない」「権威に関することだけでなく、行なわれるミサの方法にもある。共同体の司祭は、ミサで日本語を使うが聖歌などは異なる。彼らは全てキコ創設者の霊性に従うが、それは私たちの文化は心情からは全くかけ離れている」ということだった、と報道されている。

 さらに、日本の司教団は、ネオカテクーメナートの責任者に対し、活動を5年間停止して、その期間を「日本における活動を反省するためのもの」とし、「5年経過した後に、司教側はネオカテクーメナートと問題の議論を始めたい。私たちは、彼らに立ち去って、二度と戻るな、と言いたいのでは決してない。望ましい形で活動して欲しい。日本語と特に日本文化を学んでほしいのだ」としていた。

 だが、このような求めに対して、当事者であるネオカテクーメナートの責任者やバチカンの福音宣教省から、誠意のある説明が日本の司教団にあった、あるいは突っ込んだ話し合いがされた、とは伝えられていない。そうした中での、一方的ともいえる神学院の再設置は、自身がこの共同体のメンバーと言われる、福音宣教省長官の一方的な”強行”と見られてもしかたがない、との見方も出ていた。

 日本の司教団は今年2月、これまで全国一本だった司祭養成の体制を、東京、福岡2キャンパスからなる一つの「日本カトリック神学院」によるものから、「東京、福岡の二つ東京、大阪両教会管区11教区、長崎教会管区5教区)諸教区共立神学校」という別々の二つの司祭養成の体制に変更することを決め、司祭養成は事実上の「分裂」状態になろうとしている。その中での、バチカン福音宣教省直轄の神学院設立という今回の事態で、小さな日本のカトリック教会共同体は、司祭養成という極めて重要な分野で、三つの体制が乱立し、「日本の一つの教会」の理想からかけ離れ、さらなる危機を迎える可能性がでていたが、少なくとも、新求道共同体の道の神学院設立問題は当面、消えたとみといいだろう。

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日本の若者自殺深刻 -2018年の未成年自殺死亡率最悪

日本の若者自殺深刻 -2018年の未成年自殺死亡率最悪

「カトリック・あい」HPより

(2019.7.16 カトリック・あい)
政府は16日の閣議で2019年版「自殺対策白書」を決定した。2018年の全世代の自殺者総数は、前年より481人少ない2万840人で、9年連続の減少。人口10万人当たりの自殺者数を示す「自殺死亡率」も減少している。だが、19歳以下の自殺者は前年比32人増の599人に上り、自殺死亡率は統計を取り始めた1978年以降で最悪の人口10万人当たり2.8を記録した。

 白書は「我が国における若い世代の自殺は深刻な状況にあり、15~39歳の各年代の死因の第1位は自殺。こうした状況は国際的にみても深刻であり、15~34歳の若い世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本のみで、その死亡率も他の国に比べて高い」「若者の状況を把握するとともに、対策の効果検証を行い、見直していくことが必要」と指摘。白書を決定した16日の閣議の後の記者会見で、根本匠厚生労働相は「関係省庁と連携しながら、誰も自殺に追い込まれることのない社会の実現を目指し、取り組みを進める」と述べた。

 10代の自殺で特定できた原因・動機のうち最も多かったのは「学校問題」。10~19歳の自殺者のうち遺書などから特定できた原因・動機を1人につき3つまで計上した結果、延べ568人中、学校に関する問題が188人(33%)と最多を占め、健康問題の119人(21%)、家庭問題の116人(20%)が続いた。

 学校問題の内訳をみると、学業不振の57人が最も多く、進路の悩み(46人)、学友との不和(27人)の順番だった。

 小学生は男子・女子ともに家庭問題に起因する理由が多かったが、中学生以上になると、男子は学業不振が最多を占めた。女子は中学生では「親子関係の不和」が多かったが、高校生以上になると、うつ病が最多となった。

 厚労省は、主に若者を対象にした自殺対策としてSNS(交流サイト)の相談事業を実施。18年度の相談件数は延べ2万2725件で、相談者は19 歳以下の未成年が最も多く、20 代、30代と続いた。相談内容は「メンタル不調」「自殺念慮」「家族」などが多かった。

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世界の飢餓と戦うために連帯と善意が必要、とバチカン訴え

世界の飢餓と戦うために連帯と善意が必要、とバチカン訴え

(2019.7.17 Vatican-news Robin Gomes

「カトリック・あい」HPより

 世界の飢餓人口が2018年に推計8億2000万人に上ったとの国連報告が発表されたのを受けて、バチカンのフェルナンド・チカ・アレラノFAO担当大使がコメントを発表。「人類は、最も貧しい兄弟たちへに義務を十分果たしていない… 飢餓は増え続けており、その数字は極めて危機的だ」と訴えた。

 また、発表された数字は、飢餓の酷さだけでなく、一方で肥満が問題になっていることを示している、とし、世界の成人の6億7200万人、全成人の8人に1人が肥満になっており、栄養不足で苦しむ人が増える一方で、”栄養過多”が増えている問題を指摘。

 こうした現状を変えていくために、国際社会はなすべきことがまだ多くあるにもかかわらず、紛争、経済危機、気候変動などを含む人為的な原因解消に取り組む意思が欠如している、と批判した。

 さらに、大使は、教皇フランシスコがかねて言われているように、世界の飢餓解消のために一人一人の取り組みが求められており、「まず第一に食料を無駄にしないこと、そして、福音書のサマリア人のたとえ話に出てくるラビやレビ人のように、助けを必要としている人々を前に目を閉じ、飢えに苦しむ声を聴こうとせずに、通り過ぎないこと… 小教区、NGO、その他の場で積極的に取り組みがされているが、もっとできることがある」と述べた。

 また大使は、教皇が先月にバチカンでのFAOの会議出席者たちとの会見で「飢餓は、一人の苦しみが皆の苦しみであるがゆえに、どの人にも関わる問題です」と言われたこと、また、世界には食料が過剰な国とアフリカのように不足している国がある現状を踏まえて、水の活用、食料の生産と公正な配分を訴えられたことを取り上げ、「こうした不平等は、本当に残酷なことです」と語った。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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世界の飢餓人口8億2000万人、一方で肥満者増加続く-国連報告、バチカン対応訴え

世界の飢餓人口8億2000万人、一方で肥満者増加続く-国連報告、バチカン対応訴え

「カトリック・あい」HPより

 2019年7月15日、ニューヨーク – 最新の「世界の食料安全保障と栄養の現状」報告書によると、2018年は推計8億2000万人が十分な食料を得ることができませんでした。これは、2017年推計の8億1100万人から上昇し、世界の飢餓人口は3年連続で増加しています。報告書はこのような状況は、「持続可能な開発目標(SDGs)」の2030年までに「飢餓をゼロに(ゼロハンガー)」を達成するための大きな課題となっていると指摘しています。

 報告書はまた、発育阻害の子どもの数を半減させ、低出生体重児を減らすという目標への歩みは非常に遅く、SDG2の栄養関連ターゲットの達成がさらに危うくなっていると述べています。 同時にこれらの課題に加え、過体重と肥満は世界の全地域で増加しており、特に学齢期の子どもと大人に著しいとしています。 いずれの大陸においても、食料不安に陥る可能性は男性よりも女性のほうが高く、ラテンアメリカでその差が最も顕著です。

 「困難を伴う現在の傾向に対処していくために、私たちは大規模で多様なセクター間の連携をより大胆に行っていく必要があります」と国際連合食糧農業機関(FAO)、国際農業開発基金(IFAD)、国連児童基金(UNICEF)、国連世界食糧計画(国連WFP)、世界保健機関(WHO)の各代表は報告書の共同序文で呼びかけています。 飢餓は、経済成長が遅れている多くの国々で増加していて、特に、中所得国と一次産品貿易に大きく依存する国で顕著です。報告書はまた、飢餓人口が増加している多くの国々では所得格差が拡大していて、貧しく脆弱で社会から疎外されている人々にとって、景気の低迷や悪化に対処することが一層困難な状況となっています。

 国連各機関の代表は、「私たちは、貧しい人々に対して包括的な構造変革を実施する必要があります。それは、経済の脆弱性を低減し、飢餓と食料不安、そしてあらゆる形態の栄養不良に終止符を打つための軌道から外れないよう、人々に焦点をあて、コミュニティを中心に据えたものであるべきです」と述べました。

*アフリカとアジアで遅れる進展

 状況がもっとも厳しいのはアフリカであり、飢餓蔓延率が世界で最も高いです。また、アフリカのどの地域でも飢餓蔓延率がゆっくりと着実に上昇しています。特に東アフリカでは、人口の3分の1に近い人々(30.8%)が栄養不足に苦しんでいます。気候や紛争といった要因に加えて、経済の低迷と景気の悪化が飢餓の増加を助長しています。2011年以降、経済の低迷や停滞によって飢餓が増加している国のうち、半数近くがアフリカ諸国です。

 飢餓人口の最も多い地域はアジア(5億万人以上)、その多くが南アジア諸国に住んでいます。あらゆる形態の栄養不良について、アフリカとアジアの両地域が絶対的な割合を占めており、世界の発育阻害の子ども10人中9人が、消耗症の子ども10人中9人がこの二つの地域に集中しています。南アジアとサハラ以南のアフリカ地域では3人に1人の子どもが発育阻害です。 発育阻害と消耗症の問題に加え、アジアとアフリカは、世界の子どもの肥満人口の75%近くが住んでいる地域でもあります。この原因は、主に不健康な食生活によるものです。

*飢餓を超え

 今年の報告書は新しい指標を導入し、食料不安を複数の要因の重大度によって測定て、中程度および深刻な食料不安の蔓延に関するSDG2の進展をモニタリングしています。この指標は、過去12ヶ月の食料へのアクセスについて直接人々から集めたデータに基づき、「食料不安の体験の尺度(Food Insecurity Experience Scale: FIES)」を用いています。中程度の食料不安を体験している人々は、食料を入手出来る可能性の不確実性に直面しており、摂取する食料の質や量の妥協を強いられています。 同報告書は、20億人以上の人々(大半が低・中所得国に住んでいる)が、安全で栄養のある十分な量の食料への定期的なアクセスが出来ないと推定しています。しかし、食料へのアクセスは高所得国においても問題となっており、北米と欧州に暮らす人々の8%が、安全で栄養のある十分な量の食料への定期的なアクセスが出来ません。 増加し続ける世界人口に対し、持続可能な生産によって健康的な食料を提供するため、フードシステムの大きな変革が求められています。

*主要な数

 2018年の*世界の飢餓人口:8億2160万人(9人に1人)- アジア:5億1390万人- アフリカ:2億5610万人- ラテンアメリカ・カリブ海地域:4250万人 *中程度および深刻な食料不安の人口:20億人(26.4%)*低出生体重児:2050万人(7人に1人)*発育阻害(低身長)の5歳未満児:1億4890万人(21.9%)*消耗症(低体重)の5歳未満児:4950万人(7.3%)*過体重の5歳未満児:4000万人(5.9%)*過体重の学齢期の子ども・若者:3億3800万人*大人の肥満:6億7200万人(13%、大人の8人に1人)

 この報告書は、飢餓の撲滅、食料安全保障の促進、あらゆる形態の栄養不良の根絶を目指している「持続可能な開発目標 (SDGs)」のゴール2、ゼロハンガーへの進捗状況を確認するものでもあります。  2017年版の報告書は、飢餓増加の3つの主要因として紛争、気候、経済停滞を指摘しました。今回出された2018年版の報告書は、食料安全保障と栄養における経済停滞と景気悪化の役割に焦点を当てています。 栄養不足の蔓延率については、以前の報告書との比較は避けるように願います。なぜなら、毎年の報告書発行に際し、遡及修正も含め、データ全体一式が見直され、修正されているからです。このような方法により最新の報告書では、前回の報告書発出以降に入手された新たな情報が反映されています。

 報告書概要はこちらから(英語) http://www.fao.org/state-of-food-security-nutrition/en/  

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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[クララ]わたしが求めるのは憐れみ[2019.7.19.オミリア]

《年間第15金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】そのころ、ある安息日(あんそくび)にイエス・キリストは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘(つ)んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエス・キリストに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」(マタイ福音書12章)

本田哲郎訳:あるとき、安息日(あんそくび)に、イエス・キリストは麦畑のあいだを通っていった。弟子たちは腹をすかせており、麦の穂をつんで食べだした。これを見て、ファリサイ派の人たちはイエスに言った。「見なさい。おまえの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」。するとイエスは言った。「ダビデが、自分も仲間たちも腹をすかせていたときに、何をしたか、あなたたちは分かっていない。ダビデは神の家に入り、祭司以外、ダビデもその仲間たちも食べてはならない、供えもののパンを食べたではないか。安息日に、聖所(せいじょ)にいる祭司は、安息日に違反(いはん)しても道をふみはずしたことにはならないと、律法に示されているのを知らないのか。あなたたちに言っておく。聖所より偉大な者が、ここにいる。あなたたちが、『わたしが求めるのは、人の痛みを分かることであって、いけにえではない』(ホセア6・6)とは、どういう意味か分かっていたなら、罪もない人たちをとがめるようなことはしなかったであろう。じつに、人の子は、安息日(あんそくび)の主(あるじ)である」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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バチカン人事:新広報局長にマテオ・ブルーニ氏

2019年7月18日バチカン放送日本語課の記事より。

バチカン人事:新広報局長にマテオ・ブルーニ氏

教皇フランシスコは、バチカンの新しい広報局長に、広報局のメディア・オペレーション責任者、マテオ・ブルーニ氏を任命された。

教皇フランシスコは、7月18日、バチカンの新しい広報局長として、マテオ・ブルーニ氏を任命された。

ブルーニ氏は、1976年、英国に生まれた。ローマ大学ラ・サピエンツァ文学部卒業後、2009年より、バチカン広報局勤務。登録担当課のコーディネーターを務める。2013年より、教皇の海外司牧訪問における、報道関係者のためのオーガナイザーおよび引率責任者。2016年、メディア・オペレーションおよび登録担当課責任者。長年にわたり、カトリック教会系の人道援助や高齢者支援の活動に携わってきた。

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また、教皇フランシスコは、同日、アレッサンドロ・ジソッティ氏(45)と、セルジョ・チェントファンティ氏(59)を広報省編集局の副編集長に任命した。

ジソッティ氏は、ローマの国連組織の広報に携わった後、2000年、バチカン放送局の編集者となり、2011年より副編集長を務めた。バチカンのメディアの組織改革後、2017年、広報省のソーシャルメディアのコーディネーター、2018年12月からは、グレッグ・ブルク前局長辞職に伴い、暫定広報局長の任にあった。

チェントファンティ氏は、ジャーナリストとしてカトリック系の新聞・雑誌等で活動後、1986年より、バチカン放送局の報道番組に従事、様々なニュース番組の副責任者、責任者を歴任した。2017年から、広報省のマルチメディア編集センターでラジオ番組および「バチカン・ニュース」のコーディネーターを務めていた。

18 7月 2019, 14:58
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[クララ]イエスに学ぶ[2019.7.18.オミリア]

《年間第15木曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【集会祈願】「全能永遠の神よ、あなたの恵みは限りなく、人の思いをはるかに越えて世界の上に注がれます。わたしたちを罪の重荷から解放し、まことの自由に導いてください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【第一朗読】「わたしはある。」出エジプト記3章13-20節

【福音】[そのとき、イエス・キリストは言われた。]「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜(けんそん)な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛(くびき)は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ福音書11章)

本田哲郎訳: 「労働で疲れ果てた者、重荷を背負う者は、だれでもわたしのところに来なさい。わたしが安らぎを与えよう。わたしのくびきをつけ、わたしを見ならいなさい。わたしは、抑圧(よくあつ)にめげない者、心底身分の低い者、それで、あなたたち自身安らぎを得るだろう。わたちのくびきはむりがなく、わたしの荷は軽いからである」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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バチカン市国:「プラスチック・フリー」を目指して

2019年7月17日バチカン放送日本語課の記事より。

バチカン市国:「プラスチック・フリー」を目指して

バチカンは、市国内で使い捨てプラスチックをなくす目標を設定した。

バチカン市国は、領域内における使い捨てプラスチックの消費を段階的に減らし、

「プラスチック・フリー」を目指す計画を設定した。

バチカンは、環境保全への世界各国の取り組みに足並みを合わせると共に、教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」が説く統合的エコロジーと環境的回心への招きに従い、市国内での資源回収やリサイクルなど、エコロジー問題に対する関心の向上と実際の行動に努めている。

このたび、バチカン市国で庭園整備と美化・清掃を担当する造園・清掃課は、市国内での使い捨てプラスチック製品の販売を段階的に停止するよう関係局に通達した。

市国内で使い捨てプラスチック製品の在庫が終了するのは、今年末とみられる。

バチカンでは、近年、ごみの分別とリサイクルが進められ、2016年には市国内に特殊ごみ、粗大ごみ専用の収集センターが設けられ、2018年にはセンターの強化により、EUの廃棄物分類に沿った扱いが可能になった。

造園・清掃課の責任者によれば、最もごみの分別回収が難しいのは、大勢の巡礼者であふれる聖ペトロ広場である。幸い、プラスチックに関しては、広場の柱廊に置かれた専用のごみ箱がよく機能しており、そこから毎日およそ10㎏のプラスチックが回収されるという。

また、市国内の生ごみ、バチカン庭園およびカステルガンドルフォ離宮の庭園の剪定や除草作業で発生する枝木や草葉は、堆肥化により、再利用のサイクルができているという。

17 7月 2019, 17:09
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[クララ]神との距離はない[2019.7.17.オミリア]

《年間第15水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】「柴の箇所」出エジプト記3章

【福音】そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢(かしこ)い者には隠(かく)して、幼子(おさなご)のような者にお示しになりました。そうです、父よこれは御心(みこころ)に適(かな)うことでした。すべてのことは、父からわたしに任(まか)せられています。父のほかに子を知るものはなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」(マタイ福音書11章)

本田哲郎訳: ある時、イエスはこう言った。「父よ、天地の主よ、あなたをほめたたえます。あなたはこのことを、知恵者や賢者(けんじゃ)にはかくして、不器用(ぶきよう)な者たちに示してくださったからです。そうです、父よ。このようにして、御心(みこころ)に適(かな)うことが、あなたのみ前で実現したのです。じつに、すべてのことは父からわたしに任(まか)せられたのだ。父のほかに子をよく知る者はなく、子と、子が示そうときめた者のほかには、父をよく知る者はいないのだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]悔い改めるとは[2019.7.16.オミリア]

《年間第15火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】*出エジプト記2章1節〜15a節:モーセの人生の始まり

【福音】[そのとき、]イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱(しか)り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡(きせき)が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布(あらぬの)をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済(す)む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」(マタイ福音書11章)

本田哲郎訳: イエスは、自分の力あるわざがいちばん多くなされた町々について、低みに立って見なおすに至(いた)らなかったことを非難しだした。「コラジンよ、おまえにとってなげかわしいことだ。ベトサイダよ、おまえにとってなげかわしいことだ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ティルスやシドンで行われていれば、人々はとうのむかしに、粗布(あらぬの)と灰をかぶって、低みに立って見なおしたにちがいない。言っておくが、裁きの日には、おまえたちにくらべたら、ティルスやシドンの方がまだましだったということになる。また、カファルナウムよ、『おまえが天まで高く上げられるはずがないだろう。地獄(じごく)までおとされるのだ』(イザヤ14・13-15)。おまえの間で行われた力あるわざが、ソドムで行われていれば、あの町は今日までのこったにちがいない。言っておくが、裁きの日には、おまえにくらべたら、ソドムの方がまだましだったということになる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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