[鳥栖]「四旬節第3主日」ミサ説教(2019.3.24.)

《四旬節第3主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの説教[13分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[そのころ、]モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使(みつか)いが現われた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」/主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物(はきもの)を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆(おお)った。/主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地へ彼らを導き上る。」/モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣(つか)わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」/神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣(つか)わされのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。/「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣(つか)わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。」(出エジプト3章)

【答唱詩編】心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。/神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。神はその道をモーセに示し、そのわざをイスラエルの子らに告げられた。/神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒(いか)るにおそくいつくしみ深い。父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩編103)

【第二朗読】兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授(さず)けられ、皆、同じ霊的な食物(しょくもつ)を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心(みこころ)に適(かな)わず、荒野で滅(ほろ)ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒(いまし)める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告(けいこく)するためなのです。だから、立っていると思う者は、倒(たお)れないように気をつけ[なさい。](1コリ10章)

【詠唱】「神に立ちもどりなさい。神の国は来ている」と主はおおせになる。(マタイ福音書4章)

【福音】ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混(ま)ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭(あ)ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔(く)い改(あらた)めなければ、皆同じように滅(ほろ)びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁(えんてい)に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁(えんてい)は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周(まわ)りを掘って、肥(こ)やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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[小郡]「四旬節第3主日」ミサ説教(2019.3.24.)

《四旬節第3主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[そのころ、]モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使(みつか)いが現われた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」/主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物(はきもの)を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆(おお)った。/主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地へ彼らを導き上る。」/モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣(つか)わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」/神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣(つか)わされのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。/「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣(つか)わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。」(出エジプト3章)

【答唱詩編】心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。/神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。神はその道をモーセに示し、そのわざをイスラエルの子らに告げられた。/神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒(いか)るにおそくいつくしみ深い。父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩編103)

【第二朗読】兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授(さず)けられ、皆、同じ霊的な食物(しょくもつ)を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心(みこころ)に適(かな)わず、荒野で滅(ほろ)ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒(いまし)める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告(けいこく)するためなのです。だから、立っていると思う者は、倒(たお)れないように気をつけ[なさい。](1コリ10章)

【詠唱】「神に立ちもどりなさい。神の国は来ている」と主はおおせになる。(マタイ福音書4章)

【福音】ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混(ま)ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭(あ)ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔(く)い改(あらた)めなければ、皆同じように滅(ほろ)びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁(えんてい)に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁(えんてい)は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周(まわ)りを掘って、肥(こ)やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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[小郡]「四旬節第3主日」前晩ミサ説教(2019.3.23.)

《四旬節第3主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[15分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[そのころ、]モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使(みつか)いが現われた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」/主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物(はきもの)を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆(おお)った。/主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地へ彼らを導き上る。」/モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣(つか)わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」/神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣(つか)わされのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。/「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣(つか)わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。」(出エジプト3章)

【答唱詩編】心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。/神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。神はその道をモーセに示し、そのわざをイスラエルの子らに告げられた。/神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒(いか)るにおそくいつくしみ深い。父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩編103)

【第二朗読】兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授(さず)けられ、皆、同じ霊的な食物(しょくもつ)を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心(みこころ)に適(かな)わず、荒野で滅(ほろ)ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒(いまし)める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告(けいこく)するためなのです。だから、立っていると思う者は、倒(たお)れないように気をつけ[なさい。](1コリ10章)

【詠唱】「神に立ちもどりなさい。神の国は来ている」と主はおおせになる。(マタイ福音書4章)

【福音】ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混(ま)ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭(あ)ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔(く)い改(あらた)めなければ、皆同じように滅(ほろ)びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁(えんてい)に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁(えんてい)は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周(まわ)りを掘って、肥(こ)やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2019.3.23.〜2019.4.7.)

★4月7日(日)から6月一杯までミサ時間が以下のように変わります。

★鳥栖教会8時30分〜(*4月の子どもとともにささげるミサはなし)

★小郡教会11時〜

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

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[基山]いつくしみ深い父(アッバ)[2019.3.23.オミリア]

《四旬節第2土曜日》基山教会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

 

【福音】[そのとき、]徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。そこで、イエスは次のたとえを話された。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂(いただ)くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩(ほうとう)の限りを尽くして、財産を無駄遣(むだづか)いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉(ききん)が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇(やと)い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐(あわ)れに思い走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対してもまたお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕(しもべ)たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足の履物(はきもの)を履(は)かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠(ほふ)りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕(しもべ)の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠(ほふ)られたのです。』兄は怒(おこ)って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背(そむ)いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦(しょうふ)どもと一緒にあなたの身上(しんしょう)を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠(ほふ)っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカ福音書15章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]邪魔者は消す[2019.3.22.オミリア]

《四旬節第2金曜日:性虐待被害者のための祈りと償いの日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

 

 

 

 

【第一朗読】イスラエルは、ヨセフが年寄り子であったので、どの息子よりもかわいがり、彼には裾(すそ)の長い晴れ着を作ってやった。兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎(にく)み、穏(おだ)やかに話すこともできなかった。兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣(やじゅう)に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」ルベンは続けて言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾(すそ)の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空(から)で水はなかった。彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬(もつやく)を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆(おお)っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。(創世記37章)

【福音】[そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。]「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾(しぼ)り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕(しもべ)たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕(つか)まえ、一人を袋だだきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭(あ)わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕(つか)まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」祭司長たちやファリサイ派の人々はこのたとえを聞いて、イエスが自分たちのことを言っておられると気づき、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者だと思っていたからである。(マタイ福音書21章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇フランシスコ:「神のみむねが行われますようにとの祈りは、神を父と確信する人々の勇敢な祈り」

2019年3月20日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇フランシスコ:「神のみむねが行われますようにとの祈りは、神を父と確信する人々の勇敢な祈り」

教皇フランシスコは、一般謁見のカテケーシスで、「主の祈り」にある「みむねがおこなわれますように」という言葉を取り上げられた。

教皇フランシスコは、バチカンで3月20日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日の一般謁見は聖ペトロ広場で開かれた。

謁見中の「主の祈り」をテーマにしたカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「主の祈りの中」の第三の祈願「みむねがおこなわれますように」という部分を考察され次のように話された。

「「主の祈り」において、信者は「み名が聖とされますように」と、神のみ名の聖化を願い、続けて、「み国が来ますように」と、神の王国の到来を待ち望む気持ちを表した後、「みむねがおこなわれますように」と、神の救いのみ業の実現へのゆるぎない信頼を表明します。

神は全人類をいっぱひとからげではなく、一人ひとりの救いを望まれるのです。子どもたち一人ひとりに、その思いをかける父のように。ですからこの祈りは奴隷の祈りではなく、父に向けられる子どもたちの祈りです。

神のみむねが行われますようにと言うためには、人類と世界のことを、いつも心にかけておられる神への全幅の信頼、信仰が前提とされます。

神はわたしたちが神を探すより前に、わたしたちを探しに来られます。福音書の中の回心した徴税者ザケオのエピソードが示す通り、イエスはザケオに「人の子は失われたものを探し救うために、この世に来たのである」と言います。

皆さんは神ご自身が、わたしを探しに来られるということの意味を考えたことがありますか。「神がわたしを、そしてあなたを探しておらるのです」と、わたしたち一人ひとりに言うことが出来るのです。

この日の一般謁見会場には日本から、東日本大震災と原発事故の被災者をサポートする「きらきら星ネット」のメンバー8人も来場していて、謁見後、教皇はかれらのところまで歩を進め、親しく言葉をかけられた。

メンバー代表として教皇自身に英語で挨拶をした高校生、鴨下全生君に教皇も、にこやかに言葉をかけられメンバー一同を特別に祝福された。

20 3月 2019, 17:41
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[クララ]病んでいる今[2019.3.21.オミリア]

《四旬節第2木曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】主はこう言われる。 呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし その心が主を離れ去っている人は。 彼は荒れ地の裸の木。 恵みの雨を見ることなく 人の住めない不毛の地 炎暑の荒れ野を住まいとする。 祝福されよ、主に信頼する人は。  主がその人のよりどころとなられる。 彼は水のほとりに植えられた木。 水路のほとりに根を張り 暑さが襲うのを見ることなく その葉は青々としている。 干ばつの年にも憂いがなく 実を結ぶことをやめない。/人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。 誰がそれを知りえようか。 心を探り、そのはらわたを究(きわ)めるのは 主なるわたしである。 それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。(エレミヤ17章)

【答唱詩編】流れのほとりの木のように、神に従う人は実を結ぶ。

しあわせな人、罪人の道を歩むことなく、神のおきてを喜びとし、昼も夜も教えを心に留める人。/流れのほとりに植えられた木が、季節になると豊かに実り、葉もしおれることのないように、この人の行いも実を結ぶ。

【福音】[そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。]「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や柔らかい麻布(あさぬの)を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。この金持ちの門前に、ラザロというできものだらけの貧しい人が横たわり、その食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思っていた。犬もやって来ては、そのできものをなめた。やがて、この貧しい人は死んで、天使たちによって宴席にいるアブラハムのすぐそばに連れて行かれた。金持ちも死んで葬(ほうむ)られた。そして、金持ちは陰府(よみ)でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、はるかかなたに見えた。そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、わたしを憐(あわ)れんでください。ラザロをよこして、指先をその水に浸(ひた)し、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰(なぐさ)められ、お前はもだえ苦しむのだ。そればかりか、わたしたちとお前たちの間には大きな淵(ふち)があって、ここからお前たちの方へ渡ろうとしてもできないし、そこからわたしたちの方に越えて来ることもできない。』金持ちは言った。『父よ、ではお願いです。わたしの父親の家にラザロを遣(つか)わしてください。わたしには兄弟が五人います。あの者たちまで、こんな苦しい場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』しかし、アブラハムは言った。『お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。』金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ、もし、死んだ者の中からだれかが兄弟のところに行ってやれば、悔い改めるでしょう。』アブラハムは言った。『もし、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。』」(ルカ福音書16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]子どもとともにささげるミサ[2019.3.17.]

鳥栖教会の黙想会は17日(日)9時から行われましたが、大人が聖堂で黙想している間、集会室では子どもたちの黙想会が行われました。主任司祭と先日、祭壇奉仕者に選任された鄭 元喆(ヂョン・ウォンチョル)神学生と一緒に中学生にサポートしてもらいながらミサについての黙想と11時30分から始まるミサの準備をしました。今回はカホンの楽器が加わり、急遽小学生が叩いて(演奏して)くれました。子どもとともにささげるミサの様子です。近くの公園にも行って仲良く遊びました。

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[鳥栖]四旬節の黙想会[2019.3.17.]

小郡教会では3月9日(土)と10日(日)に、鳥栖教会では3月17日(日)に今年の四旬節の黙想会が行われました。テーマは「イエスの福音」。黙想指導はルイ・ベリオン神父[パリ外国宣教会:北九州支部]。信仰の一番基本的な本質的なところを示してくださいました。鳥栖での説教とその要旨を掲載します。*指導司祭の了承を得ています。

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