[鳥栖]年間第15主日ミサ説教(2018.7.15.)

《年間第15主日》鳥栖教会聖堂で11時から行われたミサの説教[9分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは]十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃(ほこり)を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗っておおくの病人をいやした。[マルコ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第15主日ミサ説教(2018.7.15.)

《年間第15主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[7分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは]十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃(ほこり)を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗っておおくの病人をいやした。[マルコ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「イエスを中心に据えた、清貧の中の宣教」教皇、日曜の集いで

2018年7月15日バチカン放送日本語課の記事より。

「イエスを中心に据えた、清貧の中の宣教」教皇、日曜の集いで

教皇フランシスコは、バチカンで7月15日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、マルコ福音書のイエスが十二人を派遣するエピソード(6,7-13)を取り上げられた。

イエスは「自分のそばに置くため」、「悪霊を追い出す権能を持たせるため」(マルコ3,14)に、十二人を一人ひとり選ばれ、そして、今、「二人ずつ組にして遣わす」ために再び彼らを呼ばれた(同6,7)。

教皇は、この派遣は、主の復活後、聖霊の力によって彼らが呼ばれる時のための、いわば「実習」のようなものであったと説明。

福音書はここで宣教者のあり方について述べているが、それは「中心を持つ」と同時に「何も持たない」という2つの点に集約される、と指摘された。

キリストの弟子である宣教者は、何よりもまして「イエス」という中心を持っている。

教皇は、十二人の派遣とその宣教活動は、イエスという存在と業を中心に、そこから輝き出るように見えるものであり、使徒たちの使命は、自分自身を語り、示すのではなく、遣わされた者として、イエスのメッセージを伝えることである、と話された。

「自分」の福音を告げるキリスト者はいないと述べた教皇は、わたしたちの宣教もまた、イエスという普遍の中心から出発し、イエスから使命を委ねられた教会の派遣を通してこそ、真の宣教となる、と説かれた。

次に、教皇は宣教者の第2の特徴として、「何も持たない」という、「宣教方法における清貧」を挙げられた。

実際、十二人は「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、帯の中に金も持たず」(同6, 8)に行くよう命じられている。

こうして、師イエスは、弟子たちが自由で、身軽で、頼る先も、助けてくれる者もなく、ただ彼らを派遣するイエスの愛と、告げるべく託されたイエスの言葉だけに力づけられることを望まれた、と教皇は語った。

この「何も持たないこと」には、また彼らが迎え入れられなかったり、耳を傾けてもらえなかったり(参照:同6, 11)することも含まれており、この失敗の経験も一つの清貧なのである、と話された。

教皇は、死に、復活したイエスに一致してのみ、わたしたちは福音宣教のための勇気を得ることができると強調された。

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[小郡]年間第15主日前晩ミサ説教(2018.7.14.)

《年間第15主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[12分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは]十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃(ほこり)を払い落としなさい。」十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗っておおくの病人をいやした。[マルコ福音書6章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[基山]恐れるな[2018.7.14.オミリア]

《年間第14土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「弟子は師にまさるものではなく、僕(しもべ)は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼベルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知らせずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。(マタイ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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ニカラグア:対話仲介役の司教や教皇大使らに暴力

2018年7月10日バチカン放送日本語課の記事より。

ニカラグア:対話仲介役の司教や教皇大使らに暴力

政権と反政府派による衝突と混乱が続くニカラグアで、対話の仲介役を務める司教らが、民兵からの暴力を受けた。

ニカラグアでは、現政権およびその政策に反対する市民の抗議運動が続き、これに対し、政権側は激しい弾圧を行ってきた。米州人権委員会の発表によれば、これらの衝突で死亡した人は、今年4月からすでに200人以上にのぼる。

こうした中、ニカラグアの司教協議会は、政権と反政府派を仲介し、国内対話の促進を模索していた。

司教らは、対話と歩み寄りのプロセスとして、反対派が望んでいる、2021年予定の次期大統領選挙の前倒しをオルテガ大統領に提案。しかし、同大統領は、7月7日、これを受け入れない姿勢を表している。

マナグア大司教のレオポルド・ブレネス枢機卿と、シルヴィオ・バエス補佐司教、そして、駐ニカラグア教皇大使のスタニスラウ・ワルドマー・サマータグ大司教からなる使節は、9日、暴力による多くの犠牲者を出した、同国南西カラソ県・ディリアンバを司牧訪問。

一行は聖体顕示台を掲げ、平和の行進をしている時に、政権派の民兵らの雑言を受けた。

司教らはそれに動ぜず、聖セバスティアノ教会に向かった。同教会には反対派の負傷者らを助けたという理由で非難されている地元の修道者たちがおり、司教らは、これらの修道者に連帯を伝えるために教会を訪れる必要があった。

同教会の前で、民兵らは一行と修道者らを攻撃し、バエス司教は腕を、共にいたミゲル・マンティカ師は首を負傷。また、居合わせたジャーナリストたちは、携帯電話を奪われ、カメラを壊されたという。

ニカラグア司教協議会は、物理的また言葉による暴力を厳しく非難すると共に、司教らによる使節は、警察と民兵による暴力の犠牲となった地域の司祭と信者を司牧訪問することで、苦しむ人々に寄り添うという、イエス・キリストから託された使命を果たした、と声明した。

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教皇、日本の豪雨犠牲者のために祈る

2018年7月9日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、日本の豪雨犠牲者のために祈る

教皇フランシスコは、西日本を襲った豪雨の犠牲者のために祈られた。

教皇は、バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿を通し発表したメッセージの中で、日本の豪雨被害による犠牲者と負傷者のために、深い悲しみを述べられた。

そして、教皇はこの悲劇的災害に見舞われたすべての人々に心からの連帯を表明された。

教皇は、特に亡くなった方々の冥福と、負傷された方々、悲しみの中にあるすべての方々に慰めを祈ると共に、被災者の救助・支援に尽くす関係機関とすべての人々を力づけられた。

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「船員の日」:教皇「海で働く人々の生活に関心を」

2018年7月9日バチカン放送日本語課の記事より。

「船員の日」:教皇「海で働く人々の生活に関心を」

教皇フランシスコは、「船員の日」に、海で働く人々の生活に関心を呼びかけられた。

教皇は、7月8日、バチカンで行われた日曜正午の祈りの集いで、この日、カトリック教会の「船員の日」が記念されたことに言及された。

毎年7月の第2日曜日に記念される「船員の日」は、船員たちのために祈ると共に、海で働く人々と、船上生活の様々な困難、これらの人々を対象とした司牧活動に関心を持つよう、全教会に招いている。

教皇は「船員の日」にあたり、船上で仕事をする人々や漁業関係者ら、また船員らの家族、さらに船員司牧に従事する司祭とボランティアの人々のために祈られた。

この中で教皇は、不当な条件のもと海で働く人々や、海を汚染から守るために努力する人々を、特に心に留められた。

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「キリスト者の一致のしるし」教皇、バーリ訪問を振り返る

2018年7月9日バチカン放送日本語課の記事より。

「キリスト者の一致のしるし」教皇、バーリ訪問を振り返る

*メッセージの要約はこちらから ←

教皇フランシスコは、7月8日の日曜正午の集いで、前日、南イタリア・バーリで行われた、「中東平和のためのエキュメニカルな祈り」について報告された。

教皇は、7日にバーリで開催されたこの出会いを通し、中東のキリスト教諸教会の総主教や指導者らと共に、同地域の平和をめぐり、祈りと考察の特別な一日を過ごしたと述べられた。

キリスト者の一致を示す一つのしるしとなったこの出会いと、そこに参加した信者たちの熱心さを、教皇は神に感謝された。

教皇は、集いに参加した総主教や代表者らの態度とその信仰の証しに、大きな感銘を受けたと語り、感謝の意を新たにされた。

また、教皇は、現地の教会関係者と信者たちの、祈りによる支えと喜びに満ちた参加にお礼を述べられた。

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[クララ]収穫のために働く[2018.7.10.オミリア]

《年間第14火曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]悪霊に取りつかれて口の利けない人が、イエスのところに連れられて来た。悪霊が追い出されると、口の聞けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆(きょうたん)し、「こんなことは、今までイスラエルで起こったためしがないと言った。しかし、ファリサイ派の人々は、「あの男は悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言った。イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国(みくに)の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(マタイ福音書9章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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