作成者別アーカイブ: yamamotomakoto

[クララ]パンを食べても[2018.4.26.オミリア]

《復活節第4木曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[イエスは弟子たちの足をお洗いになった後、こう言われた。]「はっきり言っておく。僕(しもべ)は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(ヨハネによる福音書第13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇、韓国と北朝鮮の首脳会談に向けてアピール

2018年4月25日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、韓国と北朝鮮の首脳会談に向けてアピール

教皇フランシスコは、韓国と北朝鮮による南北首脳会談を前に、この会談を機に和解と平和が推進されるようアピールされた。

4月25日、教皇はバチカンで行われた一般謁見の席で、4月27日(金)に板門店で開催される韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談に言及。

この会談が、朝鮮半島と全世界に平和を保証するための、透明性ある対話と、和解と兄弟愛を再び構築するための具体的プロセス開始のまたとない機会となるようにと期待された。

教皇は、平和を熱望する朝鮮半島の人々に、ご自身の祈りと、カトリック教会全体の精神的一致を約束された。そして、人民間の出会いと友好を目指し、より良い未来を築くあらゆる有益で誠実な取り組みを支え励ます、教皇庁の姿勢を示された。

教皇は、直接的政治責任を負う人々に向けて、平和を作り出す人として、希望の勇気を持ち、すべての人の善を目指す歩みを信頼をもって進むよう励まされた。

「神はすべての人の父、平和の父である」と述べた教皇は、朝鮮半島の人々のために、「主の祈り」を信者と共に唱えられた。

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[クララ]信じるということ[2018.4.25.オミリア]

《復活節第4水曜日:聖マルコ福音記者》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは十一人の弟子に現われて、]言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。(マルコによる福音書第16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]キリスト者と呼ばれる[2018.4.24.オミリア]

《復活節第4火曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリアの内容です。*今日はレコーダーを忘れました。

 わたしたちはお互いに「信者」と呼び合ったりしています。「キリスト教の信者…」というように。そして他の宗教の人たちも「信者」と呼んでいます。これが宗教に属する人の一般的な呼び方でしょう。今日の「使徒言行録」では、最初の弟子たちはアンティオキアで初めて「キリスト者」と呼ばれるようになった、と伝えています。日本のカトリックの中では「クリスチャン:キリスト者」という呼び方はあまり定着していないようですが、イエスを主キリストと信じている人たちは「キリスト者」と呼ばれます。イエスの言葉を聞いて生きる力をいただき、イエスの呼びかけに応えてイエスと共に人生を歩みます。教皇フランシスコは先日の日曜日、「イエスと生きた関係をきずきましょう」と呼びかけられました。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

【第一朗読】[その日、]ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰に満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。[使徒言行録第11章]

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「良い羊飼い、イエスとの生きた関係を築こう」

2018年4月23日バチカン放送日本語課の記事より

教皇「良い羊飼い、イエスとの生きた関係を築こう」

教皇フランシスコは、バチカンで4月22日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

「良い牧者の主日」といわれ、「世界召命祈願日」を記念する復活節第4主日、教皇はこの日の聖書朗読箇所を取り上げながら、「復活の主の弟子たち」としてのキリスト者のアイデンティティーを考察された。

使徒言行録(4,8-12)で、ペトロは足の不自由な人に癒しを行なったが、その人が癒されたのはイエス・キリストの名によるものであり、「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」と宣言する。

癒されたこの人は、わたしたち一人ひとりの中に、またわたしたちの共同体の中にいると教皇は述べ、復活された主の手に信頼をもって自分を委ねるならば、誰もが、野心・怠惰・高慢などの、様々な形の霊的な弱さから癒されることができると語られた。

では、その癒してくださるキリストとは誰なのか。教皇はその答えを「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(ヨハネ10,11)というイエスの言葉の中に示された。

イエスは羊のために命を捨てる羊飼いであり、「あなたの命はわたしにとってこれほどにも大切であるために、あなたを救うためにわたしのすべてを与えよう」とわたしたち一人ひとりに言い、ご自分の命を与えてくださる方であると教皇は説かれた。

次に、キリストに癒されるための条件とは何なのか。これについて教皇は「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである」(ヨハネ10,14-15)というイエスの言葉を引用。

御父とイエスとの親密な愛に満ちた絆を反映する、イエスとわたしたちとの個人的な生きた関係を築く必要を指摘された。

わたしたちは、イエスに自分の心を深く知ってもらうと同時に、自分たちもイエスと出会い、イエスを知るように招かれていると述べた教皇は、その出会いによってわたしたちは自分のことだけしか考えない態度を捨て、キリストに従い、広い世界に開いた新しい道を歩むようになると話された。

「世界召命祈願日」を記念したこの日、教皇は午前中バチカンで司祭の叙階式を行われた。この正午の祈りの集いで、教皇は叙階された新司祭の代表4人と共に、バチカン宮殿の窓から、信者らに祝福をおくられた。

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「常にいつくしみ深くあれ」教皇、司祭叙階式で

2018年4月22日バチカン放送日本語課の記事より

「常にいつくしみ深くあれ」教皇、司祭叙階式で

教皇フランシスコは、バチカンで司祭の叙階式をとり行われた。

復活節第4主日、カトリック教会の「世界召命祈願日」を記念した4月22日、教皇は聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、この中でローマ教区の11人をはじめとする計16人の助祭を司祭に叙階された。

儀式に先立つ説教で教皇は、新しい司祭たちが、師・司祭・牧者であるキリストに協力し、キリストのからだ、神の民、聖霊の神殿である教会を、共に築いていくことを願われた。

そして、その教えと、自身の生き方の証しを通して、信者たちの支え、喜びとなって欲しいと話された。

教皇は新司祭たちに、常にいつくしみ深くあるようにと強調。自分の罪を思い、イエスに赦された自身の惨めさを思い出すことで、いつくしみ深い者となりなさい、と説かれた。

皆さんが司祭として選ばれたのは、神に仕え、キリストの司祭職を喜びと愛をもって行なうためと述べた教皇は、司祭であるのは、自分の利益のためでなく、ただ神と神の民のためであることを忘れないように促された。

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[小郡]「復活節第4主日」ミサ説教(2018.4.22.)

《復活節第4主日:世界召命祈願の日》小郡教会聖堂で11時から行われたミサの説教[10分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。—狼は羊を奪い、また追い散らす。—彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(ヨハネ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]「復活節第4主日」ミサ説教(2018.4.22.)

《復活節第4主日:世界召命祈願の日》鳥栖教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。—狼は羊を奪い、また追い散らす。—彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(ヨハネ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.4.21.〜2018.5.6.)

★★★鳥栖カトリック幼稚園外構工事のため4月一杯は佐賀銀行の職員駐車場をご利用ください。幼稚園駐車場はまだ完成していませんが、日曜日7時〜14時までは使えます。*警備員に一言お願いします。

★4月〜6月は小郡教会11時〜、鳥栖教会8時30分からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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「立ち上がり、外に出よう」教皇、モルフェッタでミサ、ベッロ司教を追憶

2018年4月20日バチカン放送日本語課の記事より

「立ち上がり、外に出よう」教皇、モルフェッタでミサ、ベッロ司教を追憶

教皇フランシスコは、4月20日、南イタリア・モルフェッタでミサを捧げ、帰天から25年を迎えたトニーノ・ベッロ司教を思い起こされた。

神のしもべ・トニーノ・ベッロ司教(1935-1993)は、プーリア州アレッサーノに生まれ、司祭叙階後、ウジェント=サンタ・マリア・ディ・レウカ教区で司牧。後、モルフェッタ=ルーヴォ=ジョヴィナッツォ=テルリッツィ教区の司教となった。福音のために自らを捧げ切ったベッロ司教は、58歳で同州モルフェッタで没した。

ベッロ司教が帰天した1993年4月20日からちょうど25年目のこの日、教皇はプーリア州を訪問。最初に同司教の生誕の地、レッチェ県・アレッサーノに赴き、同司教の墓前で祈られた。

続いて、教皇は、ベッロ師の司教としての司牧の拠点となったバーリ県・モルフェッタへと向かわれた。

モルフェッタを中心とするこの地域では、「ドン・トニーノ(トニーノ神父)」として親しまれたベッロ司教の証しや思い出が、今も人々の間に息づいている。

市内の沿岸部で行われたベッロ司教帰天25年を記念する教皇ミサには、およそ4万人が参加した。

教皇はミサの中で「パン」と「みことば」をテーマに説教を行われた。

教皇は、パンは生きるために本質的な食べ物であるが、イエスはわたしたちのためにご自身を「いのちのパン」として与えられたと強調。

いのちのパンであるイエスなしでは、教会のすべての努力は虚しいと述べた教皇は、「慈善事業を行なうだけでは足りない。業には愛がなくてはならない。聖体という源泉、出発点を持たない司牧活動は気まぐれなものにすぎない」というベッロ司教の言葉を引用。

「聖体に養われた者はイエスと似た者となる」、「わたしたちのために『裂かれたパン』であるイエスを受けた者は、自分も『裂かれたパン』となり、イエスのように他の人々に自分を与える者となる」と話された。

皆の「司教=しもべ」「人民の司牧者」となり、聖櫃の前で、他の人々に自分を与え食べさせることを学んだトニーノ神父は、イエスに飢え、あらゆる世俗の虚栄を拒む教会、「貧しさ、苦しみ、孤独という、不都合な聖櫃の中に、イエスの体を見分けることができる」教会を夢見ていた、と教皇は語った。

そして、「聖体はずっと座っていることを赦さない」、食卓から立ち上がらないならば「その秘跡は未完成である」と言うトニーノ神父の言葉を紹介された。

「いのちのパン」は「平和のパン」でもあると教皇は述べ、この一致と平和のパンを分かち合いながら、わたしたちもトニーノ神父のように、いつでも、いかなる場所でも、平和の構築者となるように呼ばれていると話された。

次に、「パン」と同様に重要な「みことば」について教皇は、「福音でどうやってこの世の問題を解決できるのか」と考えがちな現代のわたしたちのように、当時イエスの言葉を聞いた人たちも、その言葉によって人生の変革を受け入れるより、座ったままでそれについてあれこれ議論しているだけだったと指摘。

トニーノ神父はこうした態度に対して、何度も「立ち上がりなさい」、「復活の主の前では、立ち上がらなくてならない」と言っていたと述べながら、復活の主と出会った者は、ぐずぐず留まっていないで、すべての問題や不確かさにも関わらず外に出て、復活の希望を伝える者、「希望のメッセンジャー」とならなくてはならないと話された。

ミサでいただく「パン」と「みことば」に常に養われながら、トニーノ神父のように、わたしたちもまた、喜びと平和の源泉となれるようにと、教皇は祈られた。

トニーノ・ベッロ司教の足跡をたどる訪問を終えられた教皇は、同日夕方、バチカンに戻られた。

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