作成者別アーカイブ: yamamotomakoto

[クララ]神に似せて造られた[2019.10.15.オミリア]

《年間第28火曜日:聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

聖テレジア(イエスの):一五一五年、スペインのアビラに生まれる。カルメル会に入会して優れた完徳の道を歩み、多くの神秘体験を得た。同会の改革に着手し、多くの苦難を味わったが、不屈の精神でそれを克服した。自らの霊的体験にもとづく優れた教えを収めた書物を著した。一五八二年にアルバで死去。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは話しておられたが、]ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を作られた神は、内側もお造りになったではないか。ただ、器(うつわ)の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:〈「清め」にこだわるな—痛みの共感から行動を起こせ〉イエスが話していると、一人のファリサイ派の人がイエスに、自分の家で食事をするようにたのんだ。それで、イエスはそこへ行って、食卓についた。ファリサイ派の人は、イエスが食事の前に水に身をひたさないのを見て、いぶかしく思った。それで、主はその人に言った。「いまどき、あなたがたファリサイ派の人たちは、コップや盆のうわべは清めるが、自分たちの内側は搾取(さくしゅ)と抑圧にみちたままだ。感性のにぶい人たち、外側を造った方は内側も造ったのではないのか。あなたがたは、人の痛みを感じるままに、中身を差しだせはいいのだ。そうすれば、あなたがたにとってすべてが清いものとなる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

ニューマン枢機卿ら5人の列聖式、バチカンで

10月13日バチカン放送日本語課の記事より。

ニューマン枢機卿ら5人の列聖式、バチカンで

バチカンでとり行われた列聖式で、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿をはじめとする5人が新たに聖人として宣言された。

教皇フランシスコは、10月13日、バチカンでミサを司式、この中でとり行われた列聖式で、5人の福者を新たに聖人として宣言した。

この式で列聖されたのは、

ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(英国1801-1890、英国におけるオラトリオ会・創立者)、

ジュゼッピナ・ヴァンニーニ修道女(イタリア1859-1911、聖カミロ修道女会・共同創立者)、

マリア・テレザ・チラメル・マンキディヤン修道女(インド1876-1926、聖家族修道女会・創立者)、

ドゥルス・ロペス・ポンテス修道女(ブラジル1914-1992、神の母の無原罪宣教女会・修道女)、

マルグリット・ベイズ(スイス1815-1879、在世フランシスコ会・会員)。

ミサ会場の聖ペトロ広場には、この列聖式のために、新聖人たちにゆかりある世界各地や、修道会などから、巡礼者およそ5万人が詰めかけ、教皇はもとより「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」のためにローマを訪れている司教らと喜びを共にした。

ミサの説教で教皇は、福音朗読箇所、ルカ福音書(17,11-19)の、イエスが重い皮膚病を患っている人々を癒すエピソードを観想。

「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17, 19)という、イエスが癒したサマリア人に向けた言葉を、「信仰の歩み」のゴールを表す言葉として示された。

教皇は、信仰の歩みを進む上で必要な、祈る、歩む、感謝するという3つのステップを、この福音のエピソードの中に見出された。

そして、祈りは心の薬、信仰とは皆と歩む姿勢、感謝は神の心を動かすと共に自分自身を生かす態度、と話された。

教皇は5人の聖人たちの、多くの試練を経ながらも、熱心に祈り、助けを必要とする人々に献身し、イエスという真理を求め続けた、その歩みを振り返られた。

教皇は、3人の聖なる修道女たちの「世の辺境の疎外された人々へと向かう愛の歩み」を、また聖マルグリット・ベイズの単純で力強い祈りと沈黙の献身と忍耐を称えられた。

そして、キリスト者の生活における聖性、深く静かな平和について語った聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿を思い起こされた。

教皇は、ミサの後半、正午の祈りを巡礼者らと共に唱えられた。

13 10月 2019, 17:44
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇、シリアとエクアドルの危機に平和をアピール

10月13日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、シリアとエクアドルの危機に平和をアピール

教皇フランシスコは、緊張するシリアとエクアドルの情勢に、平和への努力を呼びかけられた。

教皇フランシスコは、10月13日、バチカンでとり行われた列聖ミサの後半、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この席で教皇は、この日列聖された聖人たちを祝うために世界各国から訪れた参加者らに感謝を述べられた。特にイタリアのマッタレッラ大統領、英国のチャールズ皇太子、英国国教会の関係者らをはじめ、聖人たちの出身国を代表して訪れた使節に挨拶をおくられた。

教皇は、シリアの北東部で起きている軍事行動のために、キリスト教徒たちを含む多くの住民たちが避難せざるを得ない悲劇が、再び繰り返されていることに深い憂慮を表された。

この状況に対し、教皇は、有効な解決策を追求するための誠実で透明な対話の努力を、関係当局および国際社会に訴えられた。

また、教皇は現在エクアドルで起きている抗議行動と、それに対する治安部隊の衝突など、同国の社会・政情不安に言及。

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」の参加司教らと共に、この混乱の犠牲者と負傷者、行方不明者らに心を寄せると同時に、社会平和構築への取り組みと、弱い立場にある人々の人権擁護への関心をアピールされた。

13 10月 2019, 19:01
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

アマゾン特別シノドス:全体会議3日目

10月10日バチカン放送日本語課の記事より。

アマゾン特別シノドス:全体会議3日目

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」は、3日目の全体会議が行われた。

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」は、10月9日、バチカンのシノドスホールで、3日目の全体会議を行った。

9日午前に行われた第5回全体会議の発表・討議では、アマゾン地域で起きている、資本主義的発展モデルによる自然破壊や、森林火事、社会腐敗、違法な栽培などについて、懸念が示された。

また、アマゾンの孤立先住民を保護し、人権を守るために、教会による国際的な組織を設ける必要が提案された。

アマゾン住民の必要に教会が応えるために、地元の文化や言語を尊重した典礼、既婚者の司祭叙階、信徒の最大の活用などについて、これらの提案を頭から除外することなく、司教らによる注意深い識別が行われることが希望された。

こうした中、多くの神学生らは独身性や貞潔の価値を再発見したいと望んでいる、という意見もあった。教会はこうした神学生たちの望みに対して沈黙することなく、教会の宝である、彼らの心に訴える神学を施し、育成に力を注いで欲しい、との願いが上がった。

女性をテーマにした発表もあり、アマゾンで女性への暴力が広がっていることが報告された。教会生活に女性たちがより参与するよう、宣教に従事する女性信徒の役職を制定してはどうかという意見もあった。

先住民の道徳価値と神学の関係についても発表があり、カトリックの本質的な普遍的価値を先住民的な鍵で再読する必要が指摘された。

同日午後の6回全体会議では、アマゾン地域における麻薬売買の悲劇とその人的・環境的影響などが伝えられた。

また、水力発電所建設による森林破壊や、自然秩序の崩壊の危険などについても報告があった。

司牧問題については、信者たちの信心業の伝統や習慣を大切にすること、宗教的植民地主義から離れた信頼を育む宗教対話やエキュメニズムの必要なども言及された。

10 10月 2019, 19:30
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]年間第28主日[2019.10.13.]

《年間第28主日》小郡教会で11時から行われたミサ典礼における説教[16分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[鳥栖]年間第28主日[2019.10.13.]

《年間第28主日》鳥栖教会で8時30分から行われたミサ典礼における説教[16分]を聴くことができます。

 

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]年間第28主日前晩[2019.10.12.]

《年間第28主日前晩》小郡教会で19時30分から行われたミサ典礼における説教[8分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2019.10.12.〜2019.10.27.)

★10月から12月までの主日ミサ時間は以下のとおりです。前晩(土曜日の夜)の主日ミサは毎週、小郡教会19時30分からです。

鳥栖教会:8時30分〜 小郡教会:11時〜

教皇フランシスコの来日が正式に発表されました。来日のテーマは《すべてのいのちを守るため:PROTECT ALL LIFE》です。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[基山]神の言葉を行う[2019.10.12.オミリア]

《年間第27土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎(たい)、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:〈血縁や世間的なむすびつきをもって、神の国につながっていると錯覚するな〉 イエスがこういうことを話していたときのこと、民衆の中から一人の女性が声を上げて、イエスに言った。「あなたをやどした腹、あなたが吸った乳房は、神からの力があることでしょう」。すると、イエスは、「いや、むしろ、神の告げるできごとを聞いて、それを生きる人たちこそ、神からの力があるのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[クララ]聖霊と悪霊[2019.10.11.オミリア]

《年間第27金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の]中には、「あの男は悪霊の頭(かしら)ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装(ぶそう)して自分の屋敷(やしき)を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲(おそ)って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。汚(けが)れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:[イエスは悪霊を追い出していたが、それは口をきかない霊だった。悪霊が追い出されると、口のきけなかった人がものが言えるようになり、民衆は感銘(かんめい)をうけた。]しかし、人々の中には、「悪霊の頭(かしら)ベルゼブルが取りついて悪霊を追い出している」という者たちがいた。また、ほかに、イエスを試そうとして、天からの奇跡を求める者たちもいた。しかし、イエスはかれらの思いを見ぬいて、こう言った。「どんな国でも内輪もめで分裂したら、荒れすたれ、家はかさなりあってたおれてしまう。もし、サタンが内輪もめで分裂したら、どうしてサタンの国が立ちゆくだろうか。それなのに、あなたたちは、わたしがベルゼブルに取りつかれて悪霊を追い出していると言う。もし、わたしがベルゼブルに取りつかれて悪霊を追い出しているのであれば、あなたたちの仲間は、何に取りつかれて、追い出しているのか。だから、あなたたち自身が自分たちを裁くことになってしまうのだ。しかし、もし、わたしが『神の指』で悪霊を追い出しているのであれば、それはとりもなおさず、神の国があなたたちの目前まで来ているということだ。力を持つ者が武装して自分の屋敷をまもっているあいだは、財産はぶじだろう。しかし、もっと力のつよい者がやって来れば、その人が勝ちをおさめ、たのみにしていた武器をうばい、財産を取りあげて、みなで山分けにするのだ。わたしの側に立たない者は、わたしに敵対しているのであり、わたしの側に立って人々を集めない者は、追い散らしているのだ」。「けがれた霊は人から出ると、渇ききった地をうろついて休息の場所を求めるが、見つからない。そこで、『出てきたわが家にもどろう』と言って、来てみると、掃除をしてととのえられている。それで、その霊は行って、自分よりさらに威圧的な七つの霊をつれてきて、そこに住みつくのだ。そのため、その人のあとの状態は、前よりもひどくなる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]