作成者別アーカイブ: yamamotomakoto

[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.10.13.〜2018.10.28.)

★10月〜12月の主日(日曜日)のミサは鳥栖教会8時30分〜、小郡教会11時からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分からです。

★10月14日(日)は小郡教会の11時ミサは、幼稚園の運動会のためありません。(13日前晩のミサは19:30からあります)鳥栖教会の8時30分のミサはピアッツィニ神父が司式します。

10月21日(日)8:30鳥栖教会では「子どもとともにささげるミサ」で教会バザーがあります。幼稚園もバザーがありますので幼稚園の駐車場は使用できません。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。今週は教区司祭黙想会のため、平日のミサは15日(月)6:30と20日(土)6:30のみになります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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[鳥栖]聖霊を信じる[2018.10.12.オミリア]

《年間第27金曜日》鳥栖教会聖堂で10時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の]中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼベルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(ルカ福音書11章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]聖霊で満たす[2018.10.12.オミリア]

《年間第27金曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の]中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼベルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(ルカ福音書11章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「神が愛するすべての命を、軽視してはならない」一般謁見

2018年10月10日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「神が愛するすべての命を、軽視してはならない」一般謁見

教皇フランシスコは、十戒の「殺してはならない」という掟に、神の愛といのちの価値を示された。

教皇フランシスコは、バチカンで10月10日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇はモーセの「十戒」の考察に戻りながら、第5戒「殺してはならない」(出エジプト20,13、申命記5,17)を考察された。

「殺してはならない」は、命の価値を守る掟

教皇の講話の前には、「命を愛される主よ、すべてはあなたのもの、あなたはすべてをいとおしまれる」という「知恵の書」(11, 24-26) の言葉が朗読された。

「殺してはならない」というこの第5の戒から、「十戒」の中でも、神との関係をめぐる前半の部分に対し、隣人との関係をめぐる後半の部分に入ったことを、教皇は指摘。

この簡潔で絶対的な掟は、人間関係における基本価値、すなわち命の価値を守る城壁としてそびえていると話された。

すべての悪は「命に対する侮べつ」

この世で行われるすべての悪は、「命に対する侮べつ」という言葉に要約できると教皇は述べ、戦争や、人を搾取する組織、投機目的の自然破壊、切り捨ての文化、利益のために人を服従させるシステム、人間の尊厳にふさわしくない生活をする数多くの人々の存在など、命の軽視の結果である様々な状況を挙げられた。

教皇は、母親の胎内における人命に対し、別の権利の名のもとに、その中絶を認めることは、矛盾したアプローチであると強調。

花開こうとしている、つぼみのような無垢で無防備な命を殺す行為が、どうして臨床上、社会的・人間的行為と言えるのか。一つの問題の解決のために、一人の人間の命を亡き者にすることが、正義にかなっているのか。それはまるで、問題をなくすために、刺客を雇うのと同じではないのか、と教皇は問いかけられた。

恐れから来る命の拒絶

命に対するこのような拒絶は、どこから発するのか、何を原因としているのか。教皇は、それは「恐れ」から生じると話された。

実際、他の存在を受け入れることは、個人主義に対する挑戦である、と教皇は述べ、例えば、生まれてくる子どもが重い障害を背負っている場合を考えられた。

このような場合、両親の苦しみは大変なものであると、教皇はその不安に理解を示された。

両親たちは、恐れを乗り越え、現実に立ち向かうために、真の寄り添いと、真の連帯を必要としているにも関わらず、多くの場合、妊娠を中絶するようにとの性急なアドバイスを受けることになる、と話された。

人生の真の物差しは「愛」の中にある

病気の子どもは、お年寄りや貧しい人のような、社会で助けを必要とするすべての人々と同様に、一つの「問題」として提起されるが、それは実際には、わたしたちを自己中心主義から外に引きずり出し、愛の中に成長させる、神の「恵み」であると教皇は説かれた。

人を命の拒絶に至らせるもの、それはお金や、権力、成功といった、この世の偶像、人生を測るための「間違った物差し」であると述べた教皇は、人生の「真の物差し」は、すべての命を愛される神と同じ「愛」の中にあると話された。

そして、教皇は、「殺してはならない」という戒に、「知恵の書」にあるごとく、神は「すべてをいとおしまれる」方であるという、ポジティブな意味を示された。

わたしたちを愛の喜びに開くキリスト

人となられた神の御子は、人間の拒絶された状態や、弱さ、貧しさ、苦しみを、ご自分の十字架の上に引き寄せられた。病気の子どもや、体力の衰えたお年寄り、絶望した移民、すべてのはかない脅かされた命の中で、キリストはわたしたちを探し、わたしたちの心を愛の喜びに開こうとしてくださる、と説かれた。

教皇は、すべての命を受け入れることには価値がある、なぜなら、すべての人はキリストの尊い血に値する(参照:1ペトロ1,18-19)からであると述べ、「神がこれほどまで愛された命を、侮べつすることはできない」と呼びかけられた。

また、教皇は、「殺してはならない」という掟は、自分たちの命にもあてはまることを指摘。若い人たちに「自分の命を軽んじてはいけない。神の業を拒んではならない。あなたは神の作品なのだ」と伝えなくてはならないと話された。

10 10月 2018, 16:36
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[クララ]聖霊が与えられる[2018.10.11.オミリア]

《年間第27木曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは]弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ福音書11章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「主を愛するキリスト者の生活とは」

2018年10月9日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「主を愛するキリスト者の生活とは」

教皇フランシスコは、朝のミサで、マルタとマリアのエピソードをめぐり、説教を行われた。

教皇フランシスコは、10月9日、バチカンのサンタ・マルタ館でミサを捧げられた。

説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、ルカ福音書の、マルタとマリアのエピソード(10,38-42)を取り上げられた。

この箇所では、イエスを家に迎えた、マルタとマリアという姉妹の対比が描かれる。

イエスがこの姉妹の家に迎えられた時、マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。もてなしのためにせわしなく立ち働いていたマルタは、イエスに、マリアに手伝うように言ってほしいと頼んだ。これに対し、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアはよい方を選んだ。それを取り上げてはならない」と答えられた。

教皇は、マルタとマリアのエピソードは、それぞれの行動を通して、主を深く愛するキリスト者の生活とは、どのようなものであるべきかを教えてくれると話された。

マルタを「強い女性」として認識される教皇は、マルタがこのエピソードでも、また兄弟ラザロの死(ヨハネ11章)においても、イエスに積極的に話しかけ、自分の思いを言い、率先して動く、勇気ある女性であることを指摘。しかし、マルタは、観想することに時間を費やすことができなかった、と話された。

教皇は、マルタのように忙しく暮らす、今日のキリスト者たちに目を向け、日曜日のミサには行くが、それ以外は、子どもたちと遊ぶ時間もないほど多忙で、常に時間に追われている信者たちに、「立ち止まり、主を見つめ、聖書を手に取って御言葉に耳を傾け、心を開くように」と呼びかけられた。

いつも忙しく動き回り、良いことをしていても、それは人間的な善であって、キリスト教的善ではない、そこには観想と心の平和が欠けていると、教皇は注意された。

これに対して、マリアは主の話しに聞き入っていたが、それは何もしていなかったわけではない。マリアは主を見つめ、主の言葉に触れ、そこから、後にすべき仕事のための霊的な力を汲み取っていたと述べた教皇は、その姿を、「祈り、そして働け」というベネディクト会の修道者たちの精神と重ねられた。

また、教皇は、たとえば夫を愛する妻は、家事のためにどれほど忙しく動き回っていたとしても、夫と一緒にいる時間を作り出すだろう、と話し、わたしたちも主のために時間を捧げることで、他の人に奉仕する力を得ることができると話された。

毎日の生活の中で、イエスの神秘を観想しているか、そして信仰と福音にふさわしい形で仕事をしているかを、それぞれが自問するようにと、教皇は皆に勧められた。

09 10月 2018, 16:07
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韓国大統領、今月バチカン訪問、教皇に北朝鮮の金委員長のメッセージ伝える意向

2018年10月9日バチカン放送日本語課の記事より。

韓国大統領、今月バチカン訪問、教皇に北朝鮮の金委員長のメッセージ伝える意向

教皇フランシスコは、10月18日、韓国大統領の訪問を受けられる。

バチカンのグレッグ・ブルク広報局長によれば、教皇フランシスコは、10月18日(木)、バチカン宮殿で、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領とお会いになる。

これに先立つ10月17日(水)、バチカンの聖ペトロ大聖堂において、バチカンの国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿司式による、朝鮮半島の平和を願うミサがとり行われる。文大統領はこのミサに出席を予定している。

国際的通信社によれば、10月9日、韓国大統領府の報道官は、文在寅大統領が10月17日と18日にバチカンを公式訪問することを発表した。

文大統領は、教皇フランシスコとの会見において、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長からの、教皇の訪朝を招請し、実現の際は「熱烈に歓迎する」との意を示すメッセージを伝える意向という。

09 10月 2018, 17:13
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[クララ]「主の祈り」に付け加えるものが…[2018.10.10.オミリア]

《年間第27水曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。わたしたちに必要な糧(かて)を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭(あ)わせないでください。』」(ルカ福音書11章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「神の贈り物である、夫婦の絆」教皇、日曜正午の集いで

2018年10月7日バチカン放送日本語課の記事より。

「神の贈り物である、夫婦の絆」教皇、日曜正午の集いで

教皇フランシスコは、日曜正午の集いの説教で、結婚をめぐるイエスの教えを示された。

教皇フランシスコは、バチカンで10月7日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

祈りの前に教皇は、この日曜日の福音朗読箇所(マルコ10,2-16)から、結婚をめぐるイエスの教えを取り上げて説教された。

この箇所で、イエスはファリサイ派の人々から「夫が妻を離縁することは、律法にかなっているでしょうか」と尋ねられる(同10,2)。イエスは、モーセは何と命じたかと問い返すと、彼らは「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った(同10,3-4)。

イエスはモーセのこの掟について「あなたたちの心が頑固なので、このような掟を書いたのだ」(同10,5)と答えた。

教皇は、イエスは御父から来る叡智と権威をもって、モーセのこの掟は、わたしたちの利己主義が生んだ過ちに対し、必要上講じた一つの譲歩であって、創造主の本来の意図に合致しない、ということを言っている、と説明。

「天地創造の初めから、神は人を男と女にお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(同10,6-8)と、イエスは「創世記」にさかのぼって、創造主の本来のご計画を示しつつ、「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(同10,9)と説いている。イエスはこれを通して、男女は結婚において、互いに認め合い、補い合い、助け合うよう招かれていることを教えている、と教皇は話された。

イエスのこの教えは大変明確で、忠実を必要とする愛の絆としての、結婚の尊厳を保護するもの、と教皇は強調。

結婚において、夫婦が一致を保つことを可能にするのは、キリストの恵みに支えられて、互いに与え合う愛であり、これに対し、自分の満足のために、個人の利害を優先させる時、夫婦の一致は保てなくなる、と語られた。

教皇は、この日の福音は、愛を共に生きるように召された男女が、結婚を痛ましくも危機に陥らせるような態度を取る可能性があることを、大きなリアリズムをもって思い出させていると指摘。

イエスは夫婦関係を挫折に至らせるすべてを容認しないことで、人間関係の力と美しさが際立つ、結婚という神のご計画を確認しようとしている、と述べられた。

教会は、聖書と伝承からもたらされた家庭の素晴らしさを、飽くことなく確認する一方で、壊れた関係を体験する人々や、苦労のうちに関係を維持している人々に、母として具体的に寄り添う努力をしていると、教皇は話された。

傷ついた愛は、いつくしみと赦しを通して、神によって癒される。それゆえ、教会はこの状況において、すぐに裁くことなく、傷を受けた心を神に再び導くために、愛といつくしみを伝える存在となるよう召されていると説かれた。

教皇は、夫婦たちが、神の贈り物としての絆を生き、それを常に新たにしていくことができるようにと、聖母の取り次ぎを祈られた。

07 10月 2018, 16:10
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シノドス:教皇「自分を発見するには、行動することが大切」と若者たちの集いで

2018年10月6日バチカン放送日本語課の記事より。

シノドス:教皇「自分を発見するには、行動することが大切」と若者たちの集いで

教皇フランシスコは、シノドスのイベントとして、若者たちとの集いを持たれた。

教皇フランシスコは、10月6日、バチカンで行われた若者たちの祝祭に参加された。

この集いは、バチカンで開かれている、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマにしたシノドス(世界代表司教会議)のイベントの一環として、シノドス事務局と教皇庁教育省の協力で催された。

シノドス4日目の午後、会場のパウロ6世ホールには、7千人の青少年が集った。参加者らは、音楽や踊り、写真やビデオ映像、そして証言などを通して、教皇やシノドスの司教らに、今日の若者たちが置かれた環境や、直面する問題などを、様々な角度から伝えた。

代表の若者たちの証言では、少年院での生活を終えて学業に復帰した青年、イラクから難民としてフランスに渡った学生、家庭の愛情に飢えて道を誤ったが現在は教会の活動に励む女性、施設でアルコール依存症から立ち直りつつある青年、修道者の召命を歩む女性、駆け出しの看護師として病者と接する女性らが、自己の過去と現在を紹介しながら、人生における信仰との出会いを語った。

次いで、青年たちから、自分や他人の存在の価値をどうしたら発見できるのか、心の空洞をどうしたら埋めることができるのか、仕事やチャンスがないのにどうして夢を実現できるのかなどの問いが続いた。

またこの中には、パキスタンの青年からの、自分の国ではキリスト教徒が迫害されているが、教会はそうした国の若い信者に何をしてくれるのか、などの質問もあった。

教皇は、若者たちに、用意された原稿を用いずに話しかけられ、こうした皆さんの質問に答えることが、シノドス司教らの課題であると述べられた。

教皇は、若者たちそれぞれが自分の道を切り開くようにと励まされた。

「自分を発見するには、鏡を見るのではなく、行動することが大切」と教皇は強調。善と真理と美を発見しに行く歩みの中で、自分自身を見出すことができるだろうと話された。

キリスト教的価値観を失わずに政治をすることは可能か、という若者たちの問いに、教皇は、「イエスがわたしたちに教えられたように、真の権力とは奉仕です。さもなくば、それは、他人を貶め、成長を妨げ、支配する、エゴイズムになってしまう」と語られた。

また、教皇は、「若い皆さんの価値は計り知れません。皆さんは競売される商品ではありません」と、イデオロギーや市場の原理の犠牲にならないようにと忠告。人を隷属させ、依存させるイデオロギーに買われたり、誘惑されないようにと助言された。

06 10月 2018, 20:15
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