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[聖クララ修道院]「十字架称賛」のオミリア(2015.9.14.)

9月14日《十字架称賛の祝日》

クララ会修道院でのミサのオミリア(短い説教)[18分]2015.9.14. The Exaltation of the Holy Cross (B)←をクリックして聴くことができます。

スクリーンショット 2015-09-14 6.25.34

http://www.todayszaman.com/op-ed_who-killed-aylan-kurdi_398438.html

 《今日の第一朗読》フィリピ2・6-11 本田哲郎訳「パウロの獄中書簡」

 キリスト・イエスは、神としての在り方がありながら、神と同じ在り方にこだわろうとはせず、自分を空け渡して奉仕人の生き方を取られた。イエスは見たところ他の人たちと同じであった。すなわち、姿はひとりの人にすぎないイエスが、自分を低みに置き、神の従属者として立たれた。それも死を、十字架の死を引き受けるまでに。だからこそ、神はキリストをたたえ上げ、あらゆる名に優る名をお与えになった。こうして、天上のもの、地上のもの、地の下のものがすべて、イエスという方を身に帯びて膝を折り、「イエス・キリストは、『主』(神)である」と口をそろえて告白して、父である神を輝かし出す。

《答唱詩編》詩編78・1-4、32-35 新共同訳

答:神のわざを思い起こそう、力ある不思議なわざ。

 民よ、わたしの教えを聞け。わたしの語ることばに耳をかたむけよ。わたしは口を開いてたとえをかたり、過去のできごとの神秘を告げ知らせよう。耳で聞いたこと知ったこと、先祖がわたしたちに伝えたこと、神の誉れと力、その行われた不思議なわざを、わたしは子孫に隠さず、次の世代に語り告げよう。/それでも、彼らは罪をおかし、不思議なわざを信じようとしなかった。彼らの日々は吹き消され、そのいのちはにわかに絶えた。死が襲いはじめると、彼らは悔い改めて神をさがし求め、神がよりどころであることをおもい出した、すべてを越える神が あがない主であることを。

《今日の福音》ヨハネ3・13-17 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」

 [イエスはニコデモに言われた。]天からおりてきた「人の子」以外に、天に上ったことのある人はだれもいない。モーセが荒れ野でへびを高くかかげたように、人の子も高くかかげられるのだ。人の子に信頼をもってあゆみを起こす人がみな、永遠のいのちを得るようになるためである。このように神はこの世を大切に思い、ひとり子を差し出した。ひとり子に信頼をもってあゆみを起こす人がみな、滅びることなく、永遠のいのちを得るようになるためである。神が子をこの世につかわしたのは、世を裁くためではなく、子によって世が救われるためである。

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朝日新聞デジタル特集「核といのちを考える」

朝日新聞大阪本社写真部員だった故・宮武甫(はじめ)氏が原爆投下4日後の1945年8月10日、爆心地から約1・2キロにあった3階建ての旧広島東警察署=広島市下柳町〈現・中区銀山町〉=屋上から撮影した11枚の画像の合成です。

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マララさん、ガザの学校再建を支援:朝日新聞

10月30日の朝日新聞夕刊の記事です。NPO「地球のステージ」を通して支援している小郡教会にとってもうれしいニュースです。できれば、また支援をしたいものです。桑山さんが小郡に来てくださればいいのですが…。幼稚園でも運動会のDVD販売の一部収益をガザに送るようにしています。

マララ記事ガザ支援

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