カテゴリー別アーカイブ: 他教会での説教

[糸島]「年間第3主日」ミサ説教(2017.1.22.)

糸島教会9時からの「年間第3主日」の説教[17分]←ここから聞けます。

[糸島]2017.1.22.←をクリックして聴くことができます。

今日は鳥栖教会の「家族の日」として46人で糸島教会を尋ね、一緒に主日のミサをしました。「聖家族」に捧げられた教会で一緒にしたミサはとても家庭的な雰囲気に包まれたものとなりました。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[大名町]復活節第6主日説教(2016.5.1.)音声

大名町教会での9時30分からの復活節第6主日ミサ説教。[8分][大名町]2016.5.1.をクリックして聴くことができます。

《集会祈願》 主イエスの父である神よ、あなたはみことばと聖霊によってわたしたちの内に来られ、いつもともにいてくださいます。ここに集うわたしたちの心をキリストが与えてくださる平和と喜びで満たしてください。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

《福音朗読》ヨハネ14・23-29 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

イエスとともに低みから立たない者には、イエスは見えない

 [そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう。また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。

低みに立つ者こそ、「平和」のにない手

「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならな。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである」。

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[大名町]「年間第4主日」説教(2016.1.31.)動画

福岡市の大名町教会(カテドラル)での9時30分からの「年間第4主日前晩」の説教。  エクレシア九州TVの動画Blog「こころのヒント!」で視聴することができます。

 《第二朗読》1コリント12・31〜13・13 本田哲郎訳「コリントの人々への手紙」 新世社

求めるべきは、「人を大切にする」(愛)というカリスマ

 あなたたちは、もっとも偉大なカリスマを、熱く求めてください。最高の道として、それをあなたたちに示します。/たとえわたしが、異なることば(異言)で話し、み使いのことばで話せたとしても、人を大切にしないなら、わたしは音を立てるドラ、けたたましいシンバルです。たとえわたしが、預言する力をもち、神秘のすべて、あらゆる知識に通じていて、絶対の信頼をもってあゆみを起こし、山を移すことができたとしても、人を大切にしないなら、わたしの存在は無意味です。たとえわたしが、全財産を炊き出しに注ぎ込み、わが身を投げ出して、それを誇りに思ったとしても、人を大切にしないなら、わたしに益するところはありません。/人を大切にするとは、忍耐づよく相手をすること。人を大切にするとは、思いやりをもって接すること。人を大切にするとは、ねたまず、うぬぼれず、思い上がらず、めざわりなことをせず、自分の利を求めず、いらだたず、人の意地悪を根に持たず、人を不正に抑圧して喜ばず、ともに真実を喜ぶこと。人を大切にするとは、すべてを包み込み、なにごとも信頼してあゆみを起こし(信仰)、すべて確かなことに心を向け(希望)、どんなことにもめがずに立ちつづけることです。

「人と大切にする」こと(愛)こそ、すべてを集約する

「人を大切にする」ということは、けっして途絶えることはありません。いずれ預言のことばは出なくなり、異言はやみ、知識への傾きもなくなります。わたしたちは役割に応じて意味を知り、役割に応じて預言のことばを話すものだからです。しかし、この完全なものが登場するとき、役割としてのものは消え去ります。/わたしが乳飲み子のときは、乳飲み子らしく話し、乳飲み子らしい感性をもち、乳飲み子らしく考えたものです。それがおとなになると、乳飲み子のふるまいは消え去っています。/今、わたしっちに見えているのは鏡ごしのぼんやりしたものです。しかし、そのときがきたら、くまなくはっきりと見えるようになるはずです。今のわたしたちは役割に応じて知識があるというだけですが、そのときには、自分が神に知られているとおりに、自分をはっきりと知るようになるのです。/ところで、永続するもの、それは「信頼してあゆみを起こす」こと(信仰)、「確かさに心を向ける」こと(希望)、「人を大切にする」こと(愛)の三つです。このうちもっとも偉大なものは、「人を大切にする」ということです。

《福音》ルカ4・21-30 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

立場をはっきりさせたイエスを、郷里の人たちが町から追い出す(マタイ13・55-58、マルコ6・3-6)

 [そのとき、ナザレの会堂で預言者イザヤの書を読まれた]イエスは、「ここに書かれていることは、きょう、あなたたちが耳にしたとき、実現した」と話しはじめた。/みんなはイエスに心を動かしながらも、その口から出るゆたかなことばをいぶかしく思い、口々に、「この人は、ヨセフのせがれではないか」と言った。イエスは言った。「おそらくあなたたちは、『医者よ、自分自身を手当てせよ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろやったと聞いたが、自分の郷里のここでもやれ』と言うだろう」。/そして、こう言った。「はっきり言っておく。預言者は、自分の郷里では歓迎されないものだ。正直に言おう。エリヤの時代、イスラエルにはおおぜいのやもめがいたが、三年六ヵ月の間天が閉ざされて、全土に大飢饉が起きたとき、エリヤはそのうちのだれのところにもつかわされず、シドンのサレプタのやもめ(列上17・8-24)のところにつかわされただけだった。また、預言者エリシャの時代、イスラエルにはおおぜいのらい病の人がいたが、そのうちのだれも清められず、シリアのナアマン(列下5・1-14)が清められただけだった」。/これを聞いた会堂内の人々はみな憤慨し、立ち上がってイエスを町の外まで追い出し、町が建っている山の崖っぷちに引いていって、つき落とそうとした。しかし、イエスはその人たちのあいだをとおって、立ち去った。

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