カテゴリー別アーカイブ: オミリアと説教

[クララ][2019.4.24.オミリア]

《復活の水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内(けいだい)に入る人に施(ほどこ)しを乞(こ)うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍(おど)り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。(使徒言行録3章)

【福音】ちょうどこの日[は週の初めの日であったが、]二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮(さえぎ)られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長や議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚(おどろ)かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体(いたい)をみつけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍(にぶ)く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行(いっこう)は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾(かたむ)いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現われたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカ福音書24章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]「わたしは主を見た」[2019.4.23.オミリア]

《復活の火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[五旬祭(ごじゅんさい)の日にペトロはユダヤ人たちに言った。]イスラエルの全家(ぜんか)は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物(たまもの)として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪(じゃあく)なこの時代から救われなさい」と勧(すす)めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。(使徒言行録2章)

【福音】[そのとき、]マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体(いたい)の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしにはわかりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜(さが)しているのか。」マリアは、園丁(えんてい)だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(ヨハネ福音書20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]主の復活[2019.4.21.]

《主の復活》小郡教会で11時から行われた典礼における説教[13分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロは口を開きこう言った。「あなたがたは[このことを]ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後(のち)に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊(せいれい)と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡(めぐ)り歩いて人々を助け、悪魔(あくま)に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後(あと)、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者(しんぱんしゃ)として神から定められた者であることを、民に宣(の)べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦(ゆる)しが受けられる、と証ししています。」(使徒言行録10章)

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留(と)め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠(かく)されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包(つつ)まれて現われるでしょう。(コロサイ3章)

【福音】週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓(はか)に言った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布(あまぬの)が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆(おお)いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(ヨハネによる福音20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]主の復活[2019.4.21.]

《主の復活》鳥栖教会で8時30分から行われた典礼における説教[9分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロは口を開きこう言った。「あなたがたは[このことを]ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後(のち)に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊(せいれい)と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡(めぐ)り歩いて人々を助け、悪魔(あくま)に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後(あと)、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者(しんぱんしゃ)として神から定められた者であることを、民に宣(の)べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦(ゆる)しが受けられる、と証ししています。」(使徒言行録10章)

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留(と)め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠(かく)されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包(つつ)まれて現われるでしょう。(コロサイ3章)

【福音】週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓(はか)に言った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布(あまぬの)が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆(おお)いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(ヨハネによる福音20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]聖金曜日:主の受難[2019.4.19.]

《聖金曜日:主の受難》小郡教会聖堂で19時30分から行われた典礼における説教[6分]を聴くことができます。

*本日の聖書の言葉をじっくり読んでいただきたい。

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【福音】ヨハネによる主イエス・キリストの受難(ヨハネ18章)

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[小郡]「主の晩さんの夕べのミサ」説教(2019.4.18.)

《主の晩さんの夕べのミサ》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[8分]を聴くことができます。

*本日の聖書の言葉をじっくり読んでいただきたい。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。(ヨハネ13章節)

ローマ法王、靴にキス 南スーダンの和平願い

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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[クララ]小さな火が大きな火に[2019.4.17.オミリア]

《受難の水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾(いく)らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。除酵祭(じょこうさい)の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越(すぎこし)の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢(はち)に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」(マタイ福音書26章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]他人(ひと)のせいにしておく[2019.4.16.オミリア]

《受難の火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、]心を騒(さわ)がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸(むな)もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸(ひた)して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。ある者は、ユダが金入れを預っていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施(ほどこ)すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。」シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏(にわとり)が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。(ヨハネ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]「受難(枝)の主日」ミサ説教(2019.4.14.)

《受難(枝)の主日》鳥栖教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[7分]を聴くことができます。

*本日の聖書の言葉をじっくり読んでいただきたい。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【集会祈願】全能永遠の神よ、あなたは人類にへりくだりを教えるために、救い主が人となり、十字架をになうようにお定めになりました。わたしたちが、主とともに苦しみを耐えることによって、復活の喜びをともにすることができますように。聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子(おんこ)、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

【第一朗読】主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え 疲れた人を励(はげ)ますように 言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし 弟子として聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ ひげを抜こうとする者には頬(ほお)をまかせた。顔を隠(かく)さずに、嘲(あざけ)りと唾(つば)を受けた。主なる神が助けてくださるから わたしはそれを嘲(あざけ)りとは思わない。わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている わたしが辱(はずかし)められることはない、と。(イザヤ50章)

【答唱詩編】交唱:わたしの神 わたしの神 どうしてわたしを見捨てられるのか。

わたしを見る者はみなあざ笑い、わたしをののしって言う。「彼は神を頼みとした。神が救いに来ればよい。神が彼を心にかけているのなら、救い出せばよい。」/犬がわたしを取り囲み、悪を行う者の群れが迫(せま)り、わたしの手足を引き裂いた。わたしはさらしものにされ、彼らはわたしを見つめる。/彼らはわたしの衣を分け合い、着物をくじ引きにした。神よ、わたしから遠くはなれず、急いで助けに来てください。/わたしはあなたの名を兄弟に告げ、そのつどいの中であなたをたたえる。神をおそれる者は神をたたえ、ヤコブの子孫はみな神をほめよ。イスラエルの子孫はみな神をおそれよ。(詩編22)

【第二朗読】[イエス・]キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(こしつ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕(しもべ)の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名(みな)にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公(おおやけ)に宣(の)べて、父である神をたたえるのです。(フィリピ2章)

*本田哲郎訳  キリスト・イエスは、神としての在り方がありながら 神と同じ在り方にこだわろうとはせず、自分を空け渡して奉仕人の生き方を取られた。イエスは見たところ他の人たちと同じであった。すなわち、姿はひとりの人にすぎないイエスが、自分を低みに置き、神の従属者(じゅうぞくしゃ)として立たれた。それも死を、十字架の死を引き受けるまでに。だからこそ、神はキリストをたたえ上げ、あらゆる名に優(まさ)る名をお与えになった。こうして、天上のもの、地上のもの、地の下のものがすべて、イエスという方を身に帯びて膝(ひざ)を折り、「イエス・キリストは『主』(神)である」と口をそろえて告白して、父である神を輝かし出す。

【福音】ルカによる主イエス・キリストの受難(ルカ23章1-49節) …「わたしはこの男に何の罪も見いだせない。」…「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を煽動(せんどう)しているのです。」…それで、いろいろと尋問(じんもん)したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱(ぶじょく)したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑(まど)わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭(むち)で懲(こ)らしめて釈放(しゃくほう)しよう。」しかし、人々は一斉に叫んだ。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ。」…ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし、人々は叫び続けた。「十字架につけろ、十字架につけろ。」ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたというのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭(むち)で懲(こ)らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。…そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦(ゆる)しください。自分が何をしているのか知らないのです。」…民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸(す)いぶどう酒を突きつけならが侮辱(ぶじょく)して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲(かか)げてあった。十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、言った。「イエスよ、あなたの御国(みくに)においでになるときには、わたしを思い出してください。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」既(すで)に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手(みて)にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。…。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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