カテゴリー別アーカイブ: オミリアと説教

[クララ]神に似せて造られた[2019.10.15.オミリア]

《年間第28火曜日:聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

聖テレジア(イエスの):一五一五年、スペインのアビラに生まれる。カルメル会に入会して優れた完徳の道を歩み、多くの神秘体験を得た。同会の改革に着手し、多くの苦難を味わったが、不屈の精神でそれを克服した。自らの霊的体験にもとづく優れた教えを収めた書物を著した。一五八二年にアルバで死去。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは話しておられたが、]ファリサイ派の人から食事の招待を受けたので、その家に入って食事の席に着かれた。ところがその人は、イエスが食事の前にまず身を清められなかったのを見て、不審に思った。主は言われた。「実に、あなたたちファリサイ派の人々は、杯や皿の外側はきれいにするが、自分の内側は強欲と悪意に満ちている。愚かな者たち、外側を作られた神は、内側もお造りになったではないか。ただ、器(うつわ)の中にある物を人に施せ。そうすれば、あなたたちにはすべてのものが清くなる。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:〈「清め」にこだわるな—痛みの共感から行動を起こせ〉イエスが話していると、一人のファリサイ派の人がイエスに、自分の家で食事をするようにたのんだ。それで、イエスはそこへ行って、食卓についた。ファリサイ派の人は、イエスが食事の前に水に身をひたさないのを見て、いぶかしく思った。それで、主はその人に言った。「いまどき、あなたがたファリサイ派の人たちは、コップや盆のうわべは清めるが、自分たちの内側は搾取(さくしゅ)と抑圧にみちたままだ。感性のにぶい人たち、外側を造った方は内側も造ったのではないのか。あなたがたは、人の痛みを感じるままに、中身を差しだせはいいのだ。そうすれば、あなたがたにとってすべてが清いものとなる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第28主日[2019.10.13.]

《年間第28主日》小郡教会で11時から行われたミサ典礼における説教[16分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第28主日[2019.10.13.]

《年間第28主日》鳥栖教会で8時30分から行われたミサ典礼における説教[16分]を聴くことができます。

 

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第28主日前晩[2019.10.12.]

《年間第28主日前晩》小郡教会で19時30分から行われたミサ典礼における説教[8分]を聴くことができます。

 

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患(わずら)っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐(あわ)れんでください」と言った。イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:一行がエルサレムに向かっていたときのことである。イエスはサマリアとガリラヤの境に来ていた。イエスが、とある村に入ろうとしたとき、十人のらい病の人たちと出会った。その人たちは遠くに立って、声をあげ、「イエス、先生、われわれの苦しみを分かってください」と言った。イエスはその人たちに目をむけると、「あなたたちは自分のありのままを、祭司たちにしっかり見せにいきなさい」と言った。かれらは行く途中で清められた。そのうちの一人は、自分がいやされたのに気づいて、大声で神をたたえながらもどってきて、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。その人はサマリア人だった。それを見てイエスは言った。「清められたのは十人ではなかったのか。あとの九人はどこにいるのか。民族のちがうこの人のほかには、神をたたえるためにもどってきた者はいないのか」。そして、その人に、「勇気を出して行きなさい。あなたが信頼をもってあゆみを起こしたことが、あなたを救ったのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[基山]神の言葉を行う[2019.10.12.オミリア]

《年間第27土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

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【福音】[そのとき、]イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎(たい)、あなたが吸った乳房は。」しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:〈血縁や世間的なむすびつきをもって、神の国につながっていると錯覚するな〉 イエスがこういうことを話していたときのこと、民衆の中から一人の女性が声を上げて、イエスに言った。「あなたをやどした腹、あなたが吸った乳房は、神からの力があることでしょう」。すると、イエスは、「いや、むしろ、神の告げるできごとを聞いて、それを生きる人たちこそ、神からの力があるのだ」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]聖霊と悪霊[2019.10.11.オミリア]

《年間第27金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは悪霊どもを追い出しておられたが、人々の]中には、「あの男は悪霊の頭(かしら)ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。強い人が武装(ぶそう)して自分の屋敷(やしき)を守っているときには、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲(おそ)って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。汚(けが)れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入り込んで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:[イエスは悪霊を追い出していたが、それは口をきかない霊だった。悪霊が追い出されると、口のきけなかった人がものが言えるようになり、民衆は感銘(かんめい)をうけた。]しかし、人々の中には、「悪霊の頭(かしら)ベルゼブルが取りついて悪霊を追い出している」という者たちがいた。また、ほかに、イエスを試そうとして、天からの奇跡を求める者たちもいた。しかし、イエスはかれらの思いを見ぬいて、こう言った。「どんな国でも内輪もめで分裂したら、荒れすたれ、家はかさなりあってたおれてしまう。もし、サタンが内輪もめで分裂したら、どうしてサタンの国が立ちゆくだろうか。それなのに、あなたたちは、わたしがベルゼブルに取りつかれて悪霊を追い出していると言う。もし、わたしがベルゼブルに取りつかれて悪霊を追い出しているのであれば、あなたたちの仲間は、何に取りつかれて、追い出しているのか。だから、あなたたち自身が自分たちを裁くことになってしまうのだ。しかし、もし、わたしが『神の指』で悪霊を追い出しているのであれば、それはとりもなおさず、神の国があなたたちの目前まで来ているということだ。力を持つ者が武装して自分の屋敷をまもっているあいだは、財産はぶじだろう。しかし、もっと力のつよい者がやって来れば、その人が勝ちをおさめ、たのみにしていた武器をうばい、財産を取りあげて、みなで山分けにするのだ。わたしの側に立たない者は、わたしに敵対しているのであり、わたしの側に立って人々を集めない者は、追い散らしているのだ」。「けがれた霊は人から出ると、渇ききった地をうろついて休息の場所を求めるが、見つからない。そこで、『出てきたわが家にもどろう』と言って、来てみると、掃除をしてととのえられている。それで、その霊は行って、自分よりさらに威圧的な七つの霊をつれてきて、そこに住みつくのだ。そのため、その人のあとの状態は、前よりもひどくなる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]聖霊が与えられる[2019.10.10.オミリア]

《年間第27木曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは]弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒(めんどう)をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇(へび)を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ福音書11章)

*本田哲郎訳:「『わる』であるあなたたちでも、自分の子どもには良いものを与えることを知っている。それならなおさら、天の父は、願いつづける人に聖霊を与えてくださるはずだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]取り上げてはならない[2019.10.8.オミリア]

《年間第27火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ福音書10章)

*本田哲郎訳:一行が道を行くかたわら、イエスはとある村に立ちよった。マルタという名の一人の女性がイエスを家に迎え入れた。マルタにはアリアという妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話しに聞き入っていた。マルタはあれこれもてなしのためにいそがしくしていたが、そばに来て言った。「主よ、妹がわたしだけにもてなしをさせているのを、あなたは気になりませんか。わたしを手伝うように言ってやってください」。すると、主はマルタに言った。「マルタ、マルタ、あなたはあれこれ気づかい、心配してくれている。必要なことは、人それぞれだよ。マリアは自分にいいほうを選んだのだ。それを取り上げてはならない」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第27主日[2019.10.6.]

《年間第27主日》小郡教会で11時から行われたミサ典礼における説教[8分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[愛する者よ、]わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物(たまもの)を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別(しりょふんべつ)の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。(2テモテ1章)

【福音】使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕(たがや)すか羊を飼うかする僕(しもべ)がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕(しもべ)に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕(しもべ)です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:〈信じるなら、あゆみを起こせ〉「派遣される者」たちは主に、「わたしたちに、あゆみを起こせるほどの信頼を増してください」と言った。すると、主はこう言った。「もしあなたたちに、からし種ほどの信頼があって行動を起こすなら、このくわの木に、『おまえを引きぬいて湖に植える』と言ったとしても、そのとおりになるのだ」。〈「けがれ」を分け合う福音の働きをしたからといって、特別なことと思うな〉「あなたたちのだれかに、畑をたがやしたり羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野良しごとから帰ってきたとき、『ほかのことは置いて、すぐ食卓につけ』というだろうか。むしろ、『わたしの食事のしたくをしなさい。腰に帯をしめ、わたしが飲み食いするあいだ給仕をしなさし。そのあとでおまえも飲み食いしたらいい』と言うのではないのか。与えられたつとめをしもべが果たしたからといって、そのしもべに好意を示すというようなことはしないだろう。同じようにあなたたちも、与えられたつとめをすべて果たしたとき、『自分はとるにたりないしもべだ。なすべきことをしただけだ』と言いなさい」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第27主日[2019.10.6.]

《年間第27主日》鳥栖教会で8時30分から行われたミサ典礼における説教[14分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[愛する者よ、]わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物(たまもの)を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別(しりょふんべつ)の霊をわたしたちにくださったのです。だから、わたしたちの主を証しすることも、わたしが主の囚人であることも恥じてはなりません。むしろ、神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。(2テモテ1章)

【福音】使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。あなたがたのうちだれかに、畑を耕(たがや)すか羊を飼うかする僕(しもべ)がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。命じられたことを果たしたからといって、主人は僕(しもべ)に感謝するだろうか。あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕(しもべ)です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」(ルカによる福音17章)

*本田哲郎訳:〈信じるなら、あゆみを起こせ〉「派遣される者」たちは主に、「わたしたちに、あゆみを起こせるほどの信頼を増してください」と言った。すると、主はこう言った。「もしあなたたちに、からし種ほどの信頼があって行動を起こすなら、このくわの木に、『おまえを引きぬいて湖に植える』と言ったとしても、そのとおりになるのだ」。〈「けがれ」を分け合う福音の働きをしたからといって、特別なことと思うな〉「あなたたちのだれかに、畑をたがやしたり羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野良しごとから帰ってきたとき、『ほかのことは置いて、すぐ食卓につけ』というだろうか。むしろ、『わたしの食事のしたくをしなさい。腰に帯をしめ、わたしが飲み食いするあいだ給仕をしなさし。そのあとでおまえも飲み食いしたらいい』と言うのではないのか。与えられたつとめをしもべが果たしたからといって、そのしもべに好意を示すというようなことはしないだろう。同じようにあなたたちも、与えられたつとめをすべて果たしたとき、『自分はとるにたりないしもべだ。なすべきことをしただけだ』と言いなさい」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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