カテゴリー別アーカイブ: [鳥栖]主任司祭から

2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年度の復活祭に当たり、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けメッセージと祝福をおくられた。

カトリック教会の典礼暦は、4月21日、2019年度の復活祭を迎えた。

4月20日夜、復活徹夜祭をバチカンの大聖堂でとり行われた教皇フランシスコは、明けた21日午前、復活の主日のミサを聖ペトロ広場で捧げられた。

これに続いて、教皇は、同日正午、大聖堂の中央バルコニーから、復活祭メッセージと、ローマと全世界に向けた教皇祝福、ウルビ・エト・オルビをおくられた。

教皇フランシスコの2019年度の復活祭メッセージは以下のとおり。

**********

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます。

今日、教会は、最初の弟子たちが告げた言葉を新たにします。「イエスは復活されました!」そして、「アレルヤ…アレルヤ!」と神の賛美への招きが、口から口へ、心から心へと伝わって行きます。教会と全人類の永遠の若さである、主の復活の朝を迎え、わたしは皆さん一人ひとりに、最近発表された、特に若者に向けた「使徒的勧告」の冒頭の言葉をおくりたいと思います。

「キリストは生きておられます。キリストはわたしたちの希望であり、この世界の最も美しい若さです。キリストが触れるすべてのものは、若返り、新たにされ、いのちで満たされます。それゆえに、一人ひとりの若者、キリスト者に、わたしは最初にこう言いたいのです。キリストは生きておられ、あなたが生きることを望まれると!キリストはあなたの中に、あなたと共におられ、決して離れることはありません。たとえ、あなたが離れていっても、あなたのそばには復活したキリストが、新たにやり直すために、あなたを呼び、あなたを待っておられます。あなたが悲しみや、恨み、恐れ、疑い、失敗などのために、年老いたように感じても、キリストはあなたに力と希望を再び与えられるのです」(「クリストゥス・ヴィヴィト」1-2)。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、このメッセージは、同時に皆さんすべてと世界に向けられています。キリストの復活は、すべての人の新しい人生の基礎です。なぜなら、真の刷新は、常に心から、意識から始まるからです。また、キリストの復活は、罪と死の隷属から解放された、新しい世界の始まりでもあります。ようやく世界に神の王国、愛と平和と兄弟愛の王国が開けたのです。

キリストは生きておられ、わたしたちと一緒に留まります。キリストは復活された御顔の光を見せられ、試練や、苦しみ、悲嘆の中にある人々を見捨てることはありません。生きておられるキリストが、愛するシリアの人々の希望となりますように。長引く紛争の犠牲者であるシリアの人たちの状況に対し、わたしたちは諦めや無関心にさえ陥る危険があります。これに対して、今こそ自由と正義と平和への渇望に応える、政治的解決への努力を新たにすべきです。人道危機に立ち向かい、レバノンやヨルダンをはじめとする近隣国に逃れた、避難民の安全な帰還を促さなければなりません。

主の復活が、わたしたちの眼差しを、絶え間ない分裂と緊張に引き裂かれた中東に注がせますように。同地域のキリスト者たちが、深い忍耐をもって、主の復活と、死に対するいのちの勝利を証しすることができますように。イエメンの飢えと戦争に苦しむ人々、特に子どもたちに思いをはせます。主の復活の光が、イスラエルとパレスチナをはじめとする、中東のすべての治世者と国民を照らし、多くの苦しみを和らげ、平和で安定した未来の構築を励ましますように。

リビアの流血の武力闘争が停止されますように。同国ではここ数週間、無防備な人々が再び犠牲になり、多くの家族が避難せざるを得ない状況です。当事者双方に、暴力ではなく対話を選び、十年近くにわたる紛争と政治的不安定の傷を再び開くことがないよう呼びかけたいと思います。

生きておられるキリストが、ご自身の平和を、愛するアフリカ大陸全土に与えてくださいますように。ブルキナファソ、マリ、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンなどの国々では、いまだ社会的緊張や、紛争、暴力的原理主義が、治安の不安定と、破壊、死をもたらしています。わたしの思いはスーダンにも向かいます。政治不安の中にある同国で、すべての嘆願が声を持ち、長く切望される同国の自由と発展と幸福のために、皆が働くことができるよう願います。

復活の主が、数日前バチカンで黙想を行った、南スーダンの政治・宗教指導者らの努力を見守ってくださいますように。政治・社会・宗教界のすべての人々が、共通善と国内の和解のために積極的に取り組み、同国の歴史に新たなページを開くことができますように。

この復活祭において、現在も続く闘争に苦しむウクライナ東部の人々が、慰めを得ることができますように。主が人道支援と、恒久平和への道を励ましてくださいますように。

復活祭の喜びが、困難な政治・経済状況の影響を受けているアメリカ大陸の人々の心を満たしますように。特にベネズエラの人々を思います。同国では、長引き、深刻化する危機のために、多くの人が尊厳ある安全な生活を営むための最低限の条件にさえ事欠いています。主が政治責任者たちに、社会的不正、悪用、暴力を停止し、分裂を回復し、国民に必要な援助を与えるための、具体的なステップを踏む力を与えてくださいますように。

復活の主が、ニカラグアで行われている、すべての国民のための、一刻も早い平和的解決と和平への努力を照らしてくださいますように。

いのちの主が、今日の多くの苦しみを前に、冷たく無関心なわたしたちの姿をご覧になることがありませんように。わたしたちを、壁でなく、橋を築く者としてください。ご自身の平和を与えられる主よ、わたしたちの町はもとより、紛争地において、武器の響きを止めてください。特に、経済的により発展した国々において、武装への歩み、武力の拡大を止める努力を、国の指導者たちに促してください。

墓の扉を開け放った復活の主よ、わたしたちの心を、助けを必要とする人、弱い立場の人、貧しい人、仕事のない人、疎外された人、パンや身を寄せる場所を求め、尊厳を認めてもらうことを願って、わたしたちの扉をたたく人々に向けて開いてください。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、キリストは生きておられます!キリストは、わたしたち一人ひとりのため、そして全世界のための、希望と若さです。キリストにわたしたちを新たにしていただきましょう。主のご復活、おめでとうございます!

21 4月 2019, 12:47
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スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

教皇フランシスコは、スリランカで起きた連続爆発の犠牲者と負傷者のために祈り、現地のキリスト教共同体に連帯を示された。

教皇フランシスコは、4月21日、バチカンで行われた「復活の主日」のメッセージと祝福の後、同日スリランカで起きた連続爆発のニュースに悲しみと苦悩を表明された。

教皇は、まさに復活祭の日にスリランカの教会や人々の集まる場所において起きたこれらの爆発が、死と苦しみを引き起こしたことを、深く悲しまれた。

祈りのために集う中、攻撃を受けたキリスト教共同体と、これほどにも残忍な暴力の犠牲になったすべての人々に、教皇は心から寄り添われた。

教皇は、この悲劇の犠牲者、負傷者、またこの事件によって苦しむすべての人々を神に託して祈られた。

21 4月 2019, 14:51
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聖金曜日:コロッセオで十字架の道行、キリストの受難に人々の苦しみ重ねる

2019年4月20日バチカン放送日本語課の記事より。

聖金曜日:コロッセオで十字架の道行、キリストの受難に人々の苦しみ重ねる

教皇フランシスコは、「聖金曜日」の夜、ローマ市内のコロッセオで「十字架の道行」をとり行われた。

典礼暦で、復活祭を前にした「聖金曜日」には、イエス・キリストの受難と死を記念する。

「聖金曜日」、4月19日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」を行った教皇フランシスコは、夜からローマ市内のコロッセオで、信者たちと共に「十字架の道行」をとり行われた。

「十字架の道行」は、キリストの受難を黙想しつつ行う信心業。イエスが死刑宣告を受けてから、十字架上で息を引き取り、墓に葬られるまでを、14の場面(留)に分け、各留ごとを黙想し、祈る。

教皇と共に行う十字架の道行には、毎年、参加者の黙想を助けるテキストが用意される。今年は、慰めの聖母宣教女会のSr.エウジェニア・ボネッティによって、「キリストと共に十字架の道をたどる女性たちと一緒に」をテーマに、黙想が書き下ろされた。14留において、キリストの受難に、人身取引の犠牲となった女性や子どもたち、移民たちの苦しみが重ねられた。

ここ数日のローマは晴れて気温も上がり、「十字架の道行」が行われた「聖金曜日」は、穏やかな夜を迎えた。会場となった遺跡地区には、人々の手にするろうそくの火が広がり、静粛の中に祈りが響いた。

コロッセオの中から出発した「十字架の道行」は、各場面の朗読と黙想を続けながら、教皇が待つパラティーノ遺跡側へと向かった。

教皇は、十字架の道行終了後の説教で、「主イエスよ、あなたの十字架の中に、世界の様々な十字架を見つめることができるよう助けてください」と祈った。

そして、教皇は、食べ物や愛に飢えた人々、見捨てられた人々、正義と平和を求める人々、信仰の慰めを持たない人々、孤独なお年寄りたち、扉を閉ざされた移民たち、傷つけられた子どもたち、絆を失った家族たちの十字架を見つめられた。

また、キリストの光をもたらすために尽くしながらも拒絶され嘲笑される奉献者たち、福音に忠実に生きながらも世間から疎外される信者たち、キリストの愛を伝えることに困難を経験し、内外から絶え間なく攻撃される教会の十字架を示すと共に、人々の利己主義や強欲、権力によって疲弊させられた「わたしたちの共通の家」である地球が抱える十字架のためにも祈られた。

20 4月 2019, 12:08
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聖金曜日:イエスの受難と死を観想し、十字架を崇敬する儀式、バチカンで

2019年4月18日バチカン放送日本語課の記事より。

聖金曜日:イエスの受難と死を観想し、十字架を崇敬する儀式、バチカンで

「聖金曜日」、教皇フランシスコはバチカンで「主の受難の儀式」をとり行われた。

4月19日、教皇フランシスコは、イエス・キリストの受難と死を記念する「聖金曜日」の儀式をとり行われた。

この日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた「主の受難の儀式」では、ことばの典礼に続き、十字架の崇敬と、聖体拝領が行われた。

儀式は、祭壇前の床に伏した教皇の長い沈黙の祈りから始まった。

ことばの典礼では、主の僕の苦難と死についての預言が語られる「イザヤ書」(52,13-53,12)、罪の贖いのためにご自分を捧げ、救いの源となった偉大な大祭司イエスについて述べる「ヘブライ 人への手紙」(4,14-16; 5,7-9)に続き、イエスの受難と死が「ヨハネ福音書」(18,1-19,42)から朗読された。

教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ神父は、説教で、「軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負った」と「イザヤ書」(53,3)にある「この人」とは、ナザレのイエスであると述べ、イエスを、世界のすべての疎外された人々、侮べつされ傷つけられた全人類の代表として観想。

全歴史の中で最も偉大な人がわたしたちと同じ仲間であると、わたしたちは民族・宗教を超えて叫ぶことができる、と語った。

しかし、イエスは単に世界の疎外された人々の仲間であるということに留まらない、とカンタラメッサ神父は指摘。

「イエスは十字架につけられ、死に、復活した!イエスにおいて、完全な覆しが起こり、敗者は勝者になり、裁かれた者は裁く者となった」

「イエスは世界の疎外された人々に、尊厳だけではなく、希望を取り戻させた。復活祭は神によって計画され、キリストを通して実現された逆転の祭り、貧しい人や、見捨てられた人々の祭りである」

カンタラメッサ神父はこのように説いた。

説教に続いて、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられた。

十字架の崇敬では、十字架を手に助祭が入場。祭壇に向かいながら、三度歩を止め、そのたびに十字架を顕示し、「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見つめよ」と、人々を招いた。

本廊脇で教皇は十字架を迎え、十字架上のイエスに接吻された。

この後、十字架は祭壇前にもたらされ、助祭、枢機卿、司教、司祭、修道者、信徒代表らによる崇敬が続いた。

最後に、教皇は祭壇上から十字架を会衆に示された。

聖体拝領式の後、会衆は沈黙のうちに解散した。

19 4月 2019, 19:28
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聖香油のミサ:「人に塗油することで、自分も塗油される」教皇、司祭らに

2019年4月18日バチカン放送日本語課の記事より。

聖香油のミサ:「人に塗油することで、自分も塗油される」教皇、司祭らに

教皇フランシスコは、「聖木曜日」の午前、ローマ教区の司祭らと「聖香油のミサ」をとり行われた。

カトリック教会の典礼暦は、復活祭を間近に控えた「聖週間」の歩みの中にある。

復活祭直前の木曜日、「聖木曜日」を迎えた4月18日、午前中の儀式として「聖香油のミサ」が、教皇フランシスコとローマ教区の司祭らによりバチカンで捧げられた。

「聖香油のミサ」は、「聖週間」中の「聖木曜日」に、各教区の司教座聖堂において司教と司祭の共同司式によってとり行われるもので、このミサ中、「司祭叙階時の約束の更新」と、司教による「聖油の祝別」が行われる。

この日、聖ペトロ大聖堂の中央祭壇の周りには、ローマ司教である教皇を中心に、司祭たちの白い祭服が広がった。

ミサの説教で教皇は、福音書の中で貧しい人々や、病者、疎外された人々が、イエスから癒しを施されることで、人間としてのアイデンティティー、尊厳を取り戻したことを思い起こされた。

教皇は、主の癒しによって立ち上がり元気を得た人々、群衆の中で具体的な顔を持ったこれら一人ひとりの存在を、わたしたちも忘れてはならないと、司祭らに呼びかけた。

そして、わたしたちは人に「塗油するために、塗油された」者であり、これらの貧しい人々こそが、聖霊のわたしたちの心への塗油を完全で真なるものとしてくれる、と話された。

「人に塗油することで、自分も新たに塗油される」

「わたしたちは瓶に入った油の供給者ではなく、自分という存在を、また自分の召命と心を分け与えながら、人に油塗る者である」

「わたしたちは、人々の傷や、罪、苦しみに触れ、自ら手を汚しながら油を塗り、人々の信仰や、希望、忠実さ、寛大さに触れ、自分もその香りを受けながら油を塗るのである」

教皇はこのように話された。

この後、「聖なる教会は、主キリストが使徒とわたしたちにご自身の司祭職を伝えられたこの日を今年も記念します。叙階の日に皆さんが司教と聖なる神の民の前で行った約束を新たにすることを望みますか」という教皇の言葉に「はい」と答えながら、司祭らは叙階時の約束を更新した。

聖油の祝別の儀式では、病者用聖油、洗礼志願者用聖油、そして堅信等に用いられる聖香油の、三種の聖油が、助祭たちによって祭壇前に運ばれた。

教皇はアンフォラ(二つの持ち手がついた縦長の壺)に入ったそれぞれの香油を、祈りと共に祝別された。

「聖木曜日」に各教区のカテドラルで祝別されたこれらの聖油は、教区内の教会に分配される。

「聖木曜日」の午後から、教会の典礼は一年間の頂点である「聖なる過ぎ越しの三日間」に入る。

教皇フランシスコは、この日の夕方、ローマ近郊、カステッリ・ロマーニ地方ヴェレットリの刑務所で、「主の晩餐のミサ」を司式された。

18 4月 2019, 17:37
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教皇:「 試練の時に神への信頼をイエスから学ぼう」一般謁見

2019年4月17日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇:「 試練の時に神への信頼をイエスから学ぼう」一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、イエスの御父への全幅の信頼について話された。

教皇フランシスコは、バチカンで4月17日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この謁見で、教皇は、ご受難に入る前のイエスが、最大の試練の中にあって、どれ深く御父なる神に信頼していたかを語り、苦しみの中にあってこそ、神への全幅の信頼の必要なことを強調し、次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん明日の聖木曜日からわたしたちは主のご復活、過越を準備する聖なる三日間に入ります。福音史家たちはこの聖主のご受難を、イエスの「栄光の時」として記しています。この間にイエスが御父から受けられる栄光は、この世の栄光とは全く異なります。正反対と言っていいでしょう。

ご受難に入られる直前、イエスはゲツセマニの園で、血の汗を流すほどの極度の苦しみ恐怖を体験します。まじかに控えた、親しい者たちからの裏切り、軽蔑、侮辱、苦しみ、挫折の前で恐れ、そして、苦悩し始めます。

この苦悩の淵にあって、イエスは父なる神にこの上なく甘美な呼びかけ「アッバ」お父さんという言葉で祈ります。「アッバ」という言葉は普段子供たちが自分の父親を親しさを籠めて呼ぶときの言葉です。イエスはこうして子供が困難に会う時、だれよりもまず自分の父親にしがみつくように、わたしたちも試練に出会う時、何よりもまず神なる御父に助けを求め信頼するよう教えてくれます。

なぜなら神に対する祈りの中にこそ、苦しみの中でも前進できる力があるからです。

イエスは皆から見放された時でも、決して一人ぼっちではありませんでした。いかなるときにも、常に御父と一緒でした。

 わたしたちは、かえって自分のゲッサマニ、すなわち試練の時にあって、しばしばイエスとは異なり、イエスのように、わたしたちの本当の唯一の善である御父のみ旨に信頼し委託するよりも、孤独の中に自分一人になることを選んでしまいがちです。

 苦しみの時、試練の時に自分自身の中に閉じこもることは、出口のないトンネルの中に自分自身を閉じ込めるようなものです。,自分自身にしか向かわないこの方向性には何の救いの可能性もありません。

 最大の問題は、苦しみそのものではなく、その苦しみにどのように対処するかが問題なのです。

 自分の中に閉じこもる孤独は、何の出口も開いてはくれません。しかし、他者とのかかわりであり、信頼、委託である祈りはそうではありません。自分自身の中に閉じこもるのではなく、祈ること、すなわち、外に向かい、自分自身を開いていくことによって解決の道も開かれるのです」。

17 4月 2019, 18:04
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受難の主日:教皇、バチカンで宗教行列とミサ

2019年4月14日バチカン放送日本語課の記事より。

受難の主日:教皇、バチカンで宗教行列とミサ

教皇フランシスコは、「受難の主日」のミサをとり行われた。

4月14日、「受難の主日」を迎え、カトリック教会の典礼暦は、復活祭直前の一週間で、キリストの受難を記念する「聖週間」に入った。

「聖週間」の初日、「受難の主日」は、イエスのエルサレム入城と共に、十字架の受難へと向かうその歩みを観想する。

この「受難の主日」は、カトリック教会の「世界青年の日」(教区レベル)でもある。

同日、バチカンの広場でとり行われた教皇フランシスコによるミサには、ローマ教区をはじめ、世界各国からの若い信者たちの姿が多く見られた。

「枝の主日」とも呼ばれるこの日は、ろばの子に乗りエルサレムに入るイエスに、群衆が自分の服や葉のついた枝を道に敷き歓呼したことを思い起こし、ミサの前にオリーブや棕櫚の枝を掲げ、宗教行列が行われる。

ミサに先立ち、教皇は聖ペトロ広場のオベリスク前で、参加者が持つ枝々を聖水をもって祝別された。

こうして、枢機卿、司教、司祭、修道者、信者たち、そして教皇は、聖歌が歌われる中、枝を掲げ、行列をつくり、祭壇の設けられた大聖堂前へと向かった。

ミサ中、ルカ福音書のイエスの受難(22,14-23,56)の朗読が行われ、人々はイエスの最後の晩餐、オリーブ山での祈り、逮捕、死刑判決、十字架上での死、埋葬にいたるまで、深く耳を傾けた。

教皇は説教で、イエスはご自身の「へりくだり」をもって、わたしたちに「信仰の道」を開かれた、と述べられた。

毎年「聖週間」の始まりを特徴づける二つの神秘、すなわち、人々の熱狂に包まれたイエスのエルサレム入城、そしてイエスが人々から受ける侮辱という、「歓喜の叫びと、残酷な憎悪」の対比を教皇は観想。

そのコントラストを、この日の儀式の、枝を掲げての宗教行列と、その後の「主の受難」の朗読に見つめられた。

このミサでは、日本語を含む、様々な言語で共同祈願が行われた。

14 4月 2019, 15:07
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