カテゴリー別アーカイブ: [鳥栖]主任司祭から

米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

2018年8月17日バチカン放送日本語課の記事より。

米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

米国ペンシルベニア州における、カトリック教会の聖職者による未成年者の性的虐待を調査した文書が同州大陪審から発表されたことを受け、教皇庁は、この「恐ろしい犯罪」を恥じ、悲しんでいると声明した。

バチカンのグレッグ・ブルク広報局長は、米ペンシルベニア州の司法当局が8月14日に公表した、同州のカトリック聖職者による未成年者性的虐待の調査レポートについて、声明を発表した。

この文書は、同州の大陪審が2年かけてまとめた、およそ900ページに及ぶもので、過去70年間にペンシルベニア州のカトリック教会の聖職者によって起こされた未成年者への性的虐待を体系的に調査している。新しい件についての報告はない。

この調査によって明らかになった被害者数は1000人にのぼり、全体的にはさらに多くの被害者の存在が推測されている。

同文書は、米国の司法当局が、聖職者の未成年者性的虐待事件を体系的かつ徹底して調査したという点から、これまでにないものとなった。

報告書は、事件に関与した者の名前を記すと共に、カトリック教会がこれらの事件を組織的に隠ぺいしてきたことを指摘している。

バチカンの広報局長は、8月17日発表した声明で、「ペンシルベニアで発表された文書を前に、この恐ろしい犯罪に対して言える言葉は二つ、恥と、悲しみである」と述べた。

そして、「教皇庁は、同州大陪審の長い調査活動と、それにより作成された報告書を、真摯に深く受け止め、未成年者に対する性的搾取をはっきりと非難する」と述べている。

声明は、報告書に記された虐待を、法的にも倫理的にも非難すべきものとし、こうした行為は被害者の信頼を裏切り、彼らの尊厳と信仰を傷つけたと強調。

教会は過去の厳しい経験から学ばなくてはならず、虐待を行った者も、それが起きる状況を容認した者もその責任を負うべきである、としている。

報告書の内容の大部分は2000年より前に起きたケースを扱い、2002年以降のケースはほとんど見つかっていないことを指摘しつつ、大陪審の過去の調査の結果は、米国のカトリック教会によって行われた改革が聖職者の未成年虐待の件数を大幅に減らしたことを裏付けるもの、と述べている。

教皇庁は未成年者と弱い立場にある成人の保護を保証するために、カトリック教会のあらゆるレベルの改革と監督を励ますと共に、未成年者への虐待を通告することはもとより、法律を順守する必要を強調していると、声明は伝えた。

バチカンの広報局長は、教皇は、これらの犯罪が信者らの信仰と精神を揺るがすものであることを十分理解しておられ、教会内と社会全体において、未成年者と弱い立場にある成人にとって安全な環境を創り出すために、あらゆる努力を惜しまないように呼びかけておられる、と伝えた。

そして、教皇が彼らの側に立ち、被害に苦しんだ人々を最優先にしておられること、また、無実の人々の人生を破壊するこの悲惨なおぞましい出来事を撲滅するために、教会は被害者に耳を傾けることを望んでいることを知って欲しいと、被害者らに呼びかけた。

17 8月 2018, 18:24
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聖母の被昇天:教皇、イエスとの完全な一致を生きたマリアを観想

2018年8月15日バチカン放送日本語課の記事より。

聖母の被昇天:教皇、イエスとの完全な一致を生きたマリアを観想

教皇フランシスコは、8月15日「聖母の被昇天」の祭日、バチカンで正午の祈りの集いを行われた。

カトリック教会の典礼暦は、8月15日、「聖母の被昇天」の祭日を記念し、神の恵みによって、その存在の最初の瞬間から原罪をまぬがれたマリアが、地上の生涯を終えた後、原罪の結果としての死の腐敗をまぬがれ、肉体と霊魂と共に天に上げられたことを祝う。

教皇は、この日バチカンで行われた正午の「お告げの祈り」の説教で、被昇天は、イエスとの特別な一致を生きた神の御母に対する、神から与えられた一つの特典であったと説明。

そのイエスとの一致とは、受胎告知から始まり、御子の神秘に唯一特別な形で参与することを通して、マリアの全生涯において熟していった、肉体的かつ霊的な一致であった、と話された。

聖母の生活は、当時の一般の女性のように、祈り、家族の世話や家事をし、礼拝に行くというものであったが、聖母はその日常の行動の一つひとつをイエスとの完全な一致のうちに行っていたと教皇は強調。

カルワリオにおいて、愛とあわれみと心の苦しみを通し、聖母の御子との一致はその頂点に達し、それゆえに、神はイエスの復活に対しても聖母を完全な形で与らせた、と話された。

「聖母の被昇天」の祭日、「神は人間の全体、すなわち魂と体を救おうと望まれる」という神秘を教会は観想する、と教皇は教えられた。

「イエスはマリアから受け取った体と共に復活し、そしてその変容した人性をもって昇天された」、「マリアという人間の被昇天は、わたしたちにも栄光ある未来を確信させてくれる」と述べた教皇は、この「体の復活」という要素を、まさにキリスト教的啓示、わたしたちの信仰の要として示された。

そして、マリアの被昇天の素晴らしい出来事は、魂と体という人間の一体性を示し確認させると同時に、わたしたちが、魂も体も、自分の存在のすべてをもって神に仕え、神に栄光を帰すように召されていることを思い出させてくれる、と語られた。

教皇は、わたしたちが希望をもって毎日を歩み、いつの日か、すべての諸聖人とわたしたちの愛する人々と天国で再会できるよう、聖母の取り次ぎと助けを祈られた。

           

15 8月 2018, 19:05
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「夢を実現させる努力を」教皇、イタリアの青年たちに

2018年8月11日バチカン放送日本語課の記事より。

「夢を実現させる努力を」教皇、イタリアの青年たちに

教皇フランシスコは、ローマを巡礼したイタリアの若者、およそ7万人と、チルコ・マッシモでお会いになった。

2018年8月11日、ローマの古代競技場遺跡、チルコ・マッシモは、イタリア全土の教区から訪れた約7万人のカトリック青年たちの熱気であふれた。

青年たちのローマ巡礼は、今年10月3日から28日までバチカンで開催される「若者、信仰、そして召命の識別」をテーマとしたシノドス(世界代表司教会議)に対する若者たち自身の関心を高め、同シノドスの実りを皆で祈るために、イタリア司教協議会によって企画されたもの。

司教や司祭らに率いられて各教区を出発した若者たちは、徒歩での巡礼や、ミサと祈り、カテケーシス、他教区の人々との交流などを経験しながら、12日のバチカンにおけるミサと、教皇との出会いを目指して進んだ。

11日、チルコ・マッシモで行われた前夜の祈りで、教皇フランシスコは広大な会場を特別車・パパモービルで一巡。出身地の旗を振り、歓声で応える若者たちに祝福を与えられた。

この集いでは、若者たちと教皇との質疑応答が行われた。

教皇は、未来への不安によって人生の重要な決定をためらう若者たちに、夢を持ち、それを実現させようと努力することの大切さを説かれた。

夢はわたしたちの眼差しを広げ、日常生活の一つひとつの行動に希望を与えるものであり、特に大きな夢は、自分を人と関わらせ、外に向かわせ、分かち合わせ、その希望の源に神を必要とするものと教皇は語られた。

そして、若者たちのすべきことは、勇気をもって、今日の夢を未来の現実に変えることと話された。

「この専攻では食べていけないから、別のものを選びなさい」「この計画は良いが、これと、これは、あきらめなさい」と人の意見を聞いているうちに、最後には何も残らなくなってしまう、と教皇は注意を促され、困難や抵抗を前にしても、勇気をもって、自分の夢がかき消されないように、あらゆる努力をすべきと励まされた。

かつてイタリアにも大きな夢を見る一人の青年がいたと、教皇は語り、その青年は父親の説得にも負けず、自分の夢を守るために司教館に駆け込み、その歩みを続けるために、服までも脱いで父親にすべて返した。この13世紀の一青年は、その名をフランチェスコといい、イタリアの歴史を変えることになったと、「アッシジの聖フランシスコ」の生涯を若者たちに思い出させた。

「悲観主義者で、何か良いことを成し遂げたという人をわたしは知らない」という聖ヨハネ23世の言葉を、教皇は若者たちに紹介。

「恐れが人を悲観的にしてしまう。リスクがあっても、夢を持ち、前進するように」と皆を勇気づけられた。

この土曜日、夜間も、チルコ・マッシモとバチカンの間にある多くの教会が開かれた。

教皇との前夜の集いを終えた若者たちは、翌日の聖ペトロ大聖堂巡礼とミサに備え、祈りや告解などを行った。

11 8月 2018, 17:33
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「悪を退け、善に忠実に」教皇、若者たちと日曜正午の祈り

2018年8月12日バチカン放送日本語課の記事より。

「悪を退け、善に忠実に」教皇、若者たちと日曜正午の祈り

教皇フランシスコは、8月12日、日曜正午の祈りを、巡礼のためローマを訪れたイタリアの若者たちと唱えられた。

この日、バチカンの聖ペトロ広場には、イタリア全土の教区からローマを目指して巡礼した若者たち、およそ7万人が詰めかけた。

これらの若者たちは、前日、8月11日、ローマ市内の古代競技場跡、チルコ・マッシモで、教皇フランシスコとの祈りの前夜祭に参加。そして、この朝、バチカンで、イタリア司教協議会議長、グアルティエロ・バッセッティ枢機卿司式のミサに与った。

教皇は、若者たちを前に行った正午の祈りの説教で、この日のミサの第2朗読「エフェソの信徒への手紙」(4,30-5,2)を取り上げながら、「神の聖霊を悲しませてはいけません」(同4,30)という使徒聖パウロの招きを考察。

「神の聖霊を悲しませる」とはどういうことだろうかと問いかけられた。

わたしたちは皆、洗礼と堅信において聖霊を受け取ったが、聖霊を悲しませないためには、洗礼で約束し、堅信で新たにしたことを、言動一致で生きることが必要と教皇は指摘。

その約束とは、「悪を退け、善に忠実であること」と強調された。

教皇は、「悪を退ける」とは、誘惑や、罪、悪に「ノー」と言うことであり、より具体的に言えば、偽りや、ごまかし、不正義、他人に対する軽蔑など、現実から偽の幸せに逃避させる「死の文化」に「ノー」と言うことと話された。

そして、聖霊を源とし、洗礼を通してわたしたちに与えられた新しい命は、分裂や不和の感情に支配された振る舞いを拒否するがために、使徒聖パウロは、それぞれの心から、聖霊の喜びを乱す、「無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪と一緒に捨てなさい」(同4,31)と説いていると語られた。

しかし、同時に教皇は、悪を行わないというだけでは、キリスト者として十分でなく、「善に忠実に、善を行うこと」が必要と注意を促され、「互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい」と言う聖パウロの善の勧めを示された。

「自分は誰にも悪いことをしていない」という人は、一方で善いことはしているのだろうか、と教皇は問いつつ、いったいどれだけの人が、悪いことはしないとしても、善いこともせず、無関心と無気力、なまぬるさの中に生きていることか、と話された。

「善は、悪をもたらさず、悪は、善をもたらさない」という、聖アルベルト・ウルタドの言葉を引用しながら、教皇は若者たちに「善の主役」となるように励ました。

「善の主役」となるためには、悪を行わないだけで満足してはいけないと教皇は述べ、憎まないだけでなく、赦すこと、恨まないだけでなく、その人のために祈ること、分裂の原因とならないだけでなく、平和のないところに平和をもたらすことが必要と教えられた。

教皇は、ローマ巡礼の若者たちに、愛のうちに歩み、次回の若者をテーマにしたシノドスを目指して一緒に進んでいきましょう、と呼びかけられた。

12 8月 2018, 17:00
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「わたしたちの弱さは、神との出会いの場所」教皇、一般謁見で

2018年8月8日バチカン放送日本語課の記事より。

「わたしたちの弱さは、神との出会いの場所」教皇、一般謁見で

教皇フランシスコは、一般謁見の席で、「出エジプト記」の「金の子牛」のエピソードを取り上げ、偶像崇拝について考えられた。

教皇フランシスコは、8月8日、バチカンのパウロ6世ホールで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

教皇は謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、「十戒」の最初の掟、「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20,3)の考察を継続。

この日は特に、「出エジプト記」の「金の子牛」のエピソード(32,1-8)に、偶像崇拝の背景や様相を見つめられた。

教皇は、出エジプト記の中で、民が「金の子牛」の鋳像を造った背景として、モーセが神から掟を授かるために山に登って行ったまま、なかなか降りて来ず、人々は荒れ野で長く待たされていたことを指摘。

荒れ野とは何か、それは不安定と不確かさに支配された場所であり、それは不安で一切の保証がない状態に置かれた人間の生活のイメージであると話された。

このような荒れ野に置かれながら、信頼する指導者、モーセの下山が遅れていたことが、人々の偶像崇拝につながったと教皇は話された。

モーセの消息がわからない人々は、目に見える神を望み、「我々に先立って進む神々を造ってください」と、モーセの兄アロンに言った。

教皇は、民のこのような態度について、「人間の本性は、不安定な状態から逃れるために、自作の宗教を求め、神が目に見えないのならば、自分たちで思い通りの神を創作しようとする」、「こうしたことからも、偶像とは、自ら作り出したものを崇拝しながら、現実の中心に自分自身を置こうとするための、一つの口実である」と話された。

アロンは人々の願いに抗することができず、「金の子牛」の鋳像を造った。

教皇は、「金の子牛」は、古代オリエントの影響下において、豊穣や豊かさ、また活力や強さを意味するだけでなく、何よりも金であることから、繁栄や、成功、権力、富などを象徴するものであったと説明。

すなわち、「金の子牛」とは、自由の幻想を与えるすべての欲望のシンボルであり、実際には自由の代わりに、人を隷属させるものであったと述べられた。

しかしながら、人々が金の子牛を造らせた一番の原因は、神に信頼し、神の中に安全を求め、神に心の奥底にある真の願いを託すことができなかったことにあると、教皇は強調。

神を第一にしないならば、人は簡単に偶像崇拝に陥り、そこでわずかな安心感を得るのみであると話された。

「豊かであったのに、わたしたちのために貧しくなられた」(参照:2コリント8,9)イエス・キリストの神を受け入れる時、人は自分の弱さは人生の不幸ではなく、真に強いお方に自分を開くための条件であることを理解する、と述べた教皇は、真の神を唯一の主として受け入れることで、人は自由になり、自分の弱さを認め、心の中の偶像を拒否することができると語られた。

「わたしたちキリスト者は、十字架につけられたキリストを見つめ、その中に真の神の御顔と、愛の栄光の啓示を見出す」、「キリストにおいて、わたしたちの弱さは、もう災いではなく、御父との出会いの場所、天から与えられる新しい力の源となる」と、教皇はこのように説かれた。

08 8月 2018, 17:34
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教皇「命のパンであるイエスとの関係を深めよう」

2018年8月5日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「命のパンであるイエスとの関係を深めよう」

教皇フランシスコは、日曜日のお告げの祈りで、「命のパン」であるイエスと愛と信頼の関係を築くよう説かれた。

教皇フランシスコは、8月5日(日)、正午の祈りを、バチカンを訪れた巡礼者らと共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、ヨハネ福音書中の、イエスがご自分を「命のパン」であると宣言するエピソード(6,24-35)を取り上げられた。

教皇は、先週の日曜日に「イエスが5千人に食べ物を与える奇跡」を考察した際、人々の差し迫った必要に関心を寄せるイエスのいつくしみあふれる姿を観想したことを振り返りつつ、

イエスのパンと魚の奇跡によって空腹を満たした群衆は、再びイエスを追い求めていったが、しかし、ここでイエスが人々に対し、ただご自身を求めるだけでは十分でなく、ご自身について知ることを望まれている点に教皇は注目。

イエスを求め、イエスと出会うことが、単なる物的充足を超越したもの、食べる物や着る物などの日常の心配を超えた、もっと広い世界にわたしたちの人生を開くものであることを、イエスは人々に示そうとされていると述べられた。

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」(ヨハネ6,26)と言うことで、イエスは、ご自分が行った奇跡の恩恵にただ与るだけでなく、その意味を理解するよう人々を刺激している、と教皇は話された。

真の「命のパン」(同6, 35)であるイエスは、人々の体だけでなく、魂の飢えを癒すことを望まれるがゆえに、「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働くように」(参照:同6,26)と群衆を招いた。

その永遠の命に至る食べ物とは、イエスが毎日わたしたちに与えられるもの、すなわち御言葉と、御からだ、御血であったと教皇は説かれた。

人々が「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と問うと、イエスは「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」と言われた(参照:同 6,28-29)。

教皇は、神を喜ばせるには何をすべきかを知ろうとする群衆に対し、イエスは神の業は「する」ことよりも、神がお遣わしになった者を「信じること」にあると言っている、と強調。

イエスとの愛と信頼の関係においてこそ、わたしたちは福音の香り漂う良い業を兄弟たちのために行うことができるだろうと語られた。

教皇は、パンを心配する必要があるならば、わたしたちの真理と正義と愛に対する飢えを満たすために来られた「命のパン」、イエスとの関係をより深め、イエスにおける信仰をいっそう強めることが大切と説かれた。

05 8月 2018, 17:18
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九十九太一 平和チェロコンサート 8月5日(日)

毎年、小郡教会と鳥栖教会で行なわれている「平和コンサート」。今年は8月5日(日)16時から鳥栖教会で行なわれます。参加費は無料ですが、「きれいな水が飲めない子どもたちのために」募金を行います。これは鳥栖教会の中学生会の活動を支援するためです。皆さまのご協力をお願いいたします。酷暑の中ですが、静かに音楽を聴きながら平和について考え、祈りたいと思います。ぜひご参加ください。

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