カテゴリー別アーカイブ: [鳥栖]主任司祭から

「人生のチャンピオンに」教皇、MotoGP関係者らと

2018年9月5日バチカン放送日本語課の記事より。

「人生のチャンピオンに」教皇、MotoGP関係者らと

教皇フランシスコは、オートバイのロードレース世界選手権関係者らとお会いになった。

教皇フランシスコは、9月5日、バチカンのパウロ6世ホールの応接室に、オートバイのロードレース世界選手権(MotoGP)の関係者ら、およそ30名を迎えられた。

関係者らは、サンマリノ&リビエラ・ディ・リミニGPの開催を前にローマを訪れた。

教皇は、主催関係者、選手、エンジニアたちを前に、スポーツに関わる人々が、より正義と連帯に満ちた社会を目指し、人道的価値、キリスト教的精神を推進することを願われた。

また、言語・民族・宗教・イデオロギーを超えた「共通言語」としてのスポーツの、人々を一致させ、対話と受容を育む役割を強調された。

教皇は、同席したイタリア・オリンピック委員会(CONI)のジョヴァンニ・マラゴ会長が挨拶で述べた、「情熱」そして「チャンピオン」という2つの言葉を取り上げながら、「情熱をもって生き、スポーツのチャンピオンになるだけでなく、人生のチャンピオンとなること」が大切であると話された。

05 9月 2018, 17:37
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「弱い人々に寄り添い、神の優しさを伝えて」教皇、寡婦奉献者らに

2018年9月6日バチカン放送日本語課の記事より。

「弱い人々に寄り添い、神の優しさを伝えて」教皇、寡婦奉献者らに

教皇フランシスコは、寡婦の奉献者たちとお会いになった。

教皇フランシスコは、9月6日、奉献された寡婦たちのための国際会議参加者とお会いになった。

寡婦として生きることの困難さに理解を示された教皇は、配偶者を亡くした後で、主の呼びかけに応え、キリストに従う者として貞潔・従順・清貧の生き方を選び取ったこれらの奉献者たちを力づけられた。

そして、彼女たちが、神の恵みと教会のメンバーの支えによって、家庭や仕事、社会におけるそれぞれの役割を果たしながら、奉献生活を福音の精神に沿って生きることができるよう願われた。

困難と思われる状況の中でも、神は働かれるように、寡婦の奉献者らは神の愛を伝え、世のパン種、闇の中を歩く人々の光となるように召されていると教皇は強調。

兄弟愛に満ちたその生き方を通し、また人生で知った自分自身の脆さの経験をもって、小さき人々、弱い人々に寄り添い、神の優しさと愛を伝えて欲しいと、奉献者らを励まされた。

06 9月 2018, 16:47
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ペトロのイエスの弟子としての最初の一歩とは

2018年9月6日バチカン放送日本語課の記事より。

ペトロのイエスの弟子としての最初の一歩とは

教皇フランシスコのサンタ・マルタ館の朝ミサから …… 2018年9月6日

9月6日、教皇フランシスコは、バチカンのサンタ・マルタ館の礼拝堂で司式されたミサで、ルカ福音書の、イエスがシモン・ペトロら、漁師を弟子にする場面(ルカ5,1-11)をめぐり、説教を行われた。

このエピソードで、イエスはゲネサレト湖畔で、網を洗っていた漁師たちの一人、シモンの船に乗り、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言うが、シモンは、『夜通し苦労して何も取れませんでしたが、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう』と答えた。

そのとおりにすると、大量の魚がかかり、網が破れそうになった。驚いたシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏し、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。

教皇は、このエピソードと併せて、イエスがその復活後に再び弟子たちの前で行った奇跡の大漁を思い起こしつつ、どちらの奇跡においても、イエスはペトロに「あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5,10)、「わたしの羊の世話をしなさい」(ヨハネ21,16)と、司牧者としての任務を託していることを指摘された。

また、教皇は、イエスはシモンをペトロと呼ばれたが、ペトロは名前を変えたことは、使命を与えられたということと理解していた、とも話された。

「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」というペトロの言葉は、イエスの弟子としての歩みの第一歩であったと教皇は述べ、イエスに仕え、イエスに従うためには、自分の罪深さを知らなくてはならないと説かれた。

わたしたちは「自分は人間です」「わたしはイタリア人です」というように、「わたしは罪びとです」と、当たり前のように言うことに慣れてはならないと教皇は注意。

自分を批判するには、神の前で自分の惨めさを知ることが必要であり、ペトロがイエスに「わたしから離れてください」と言った時、彼は本当に自分を罪深く感じていたと話された。

そして、ペトロは罪びとであると自覚していたからこそ、イエスに救われたと感じることができたと語られた。

神の存在に驚き、自分を罪びとと自覚し、ペトロのように「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言える恵みを願うよう、教皇はミサ参列者らに招かれた。

06 9月 2018, 16:35
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9月の教皇の祈りの意向:アフリカの若者たちのために

2018年9月4日バチカン放送日本語課の記事より。

9月の教皇の祈りの意向:アフリカの若者たちのために

教皇フランシスコは、9月の祈りの意向をめぐり、ビデオメッセージをおくられた。

カトリック教会は、毎月「教皇の祈りの意向」を示し、全教会が日々の祈りの中で、その意向に沿って祈るように招いている。

2018年9月は、「アフリカの若者たち」のために、以下のように祈る。

「アフリカの若者たちが、自国で教育を受け、自国で働く機会を得ることができますように。」

今月の祈りの意向について、教皇はビデオを通じて次のように語られた。

「アフリカは豊かな大陸です。その最も大きく、最も貴重な豊かさは、若者たちです。

彼らは、困難に負けたままでいるのか、あるいは困難をチャンスに変えるのかを、選ぶことができるはずです。

彼らのこの選択を助けるために、最も効果的な方法は、教育に投資することです。

もしある若者が教育を受けられないとすれば、将来、彼には何ができるでしょうか。

祈りましょう。アフリカ大陸の若者たちが、自国で教育を受け、自国で働く機会を得ることができますように。」

04 9月 2018, 12:51
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教皇「霊的闘いに勝つために、日々、良心の糾明を」

2018年9月4日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「霊的闘いに勝つために、日々、良心の糾明を」

教皇フランシスコのサンタ・マルタ館の朝ミサから …… 2018年9月4日

9月4日、教皇フランシスコは、朝のミサで、日々、自分の良心を問うことで、心の誘惑にうち勝たなければならないと話された。

この日の説教で、教皇は、使徒聖パウロの「コリントの信徒への手紙 一」(2,10b-16)を取り上げた。

この箇所で聖パウロは、「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです」(同2,12)と語っている。

教皇は、聖パウロはここで、コリントの信徒たちに、キリストの思いを知るための道として、神からの霊に自分を委ねるようにと教えている、と話された。

ただし、人間の心には、戦場のように、2つの異なる霊が争っていると教皇は述べ、それはわたしたちを良き行いと、慈愛、兄弟愛へと導く神の霊と、わたしたちを虚栄やうぬぼれに押しやる世の霊の戦いであると説明。

キリスト教的生活の中で、わたしたちは心から世の霊を追い出し、神の霊に場を譲るよう、戦う必要があると述べられた。

そのためにも、わたしたちは日々、良心の糾明を行い、心の中で神の思いとは反対に働く力を見分け、誘惑にうち勝たなければならないと教皇は強調。

神からの霊という大きな恵みをいただく一方で、弱く、罪深い存在であるわたしたちは、世の霊の誘惑にもさらされているが、この霊的闘いにおいてイエスのように勝利しなくてはならないと、信者らを励まされた。

04 9月 2018, 13:39
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ビデオ:マザー・テレサの列聖から2年

2018年9月4日バチカン放送日本語課の記事より。

ビデオ:マザー・テレサの列聖から2年

マザー・テレサの列聖が行われてから、2年目を迎えた。

最も貧しい人々に尽くした「神のいつくしみの証し人」、コルカタのマザー・テレサ(1910-1997)の列聖式がバチカンでとり行われたのは、今から2年前の、2016年9月4日。

「いつくしみの特別聖年」の中で行われたこの列聖式で、教皇フランシスコは、マザー・テレサを聖人として宣言。

すべての人に神のいつくしみを示したマザー・テレサの生涯を振り返り、あらゆるイデオロギーや制約から自由な、民族や宗教の違いを超えたその無償の愛と、苦しむ人々に喜びと希望を与えるその微笑に倣うよう、信者らを励まされた。

教皇はミサの説教の中でこう述べている。

「マザー・テレサは、その生涯のあらゆる点において、神のいつくしみを寛大に人々にもたらした人でした。

おそらく、わたしたちはマザー・テレサを聖テレサと呼ぶことに、少し慣れないかもしれません。親しみある、優しい、豊かなその霊性ゆえに、わたしたちは自然な形で、マザー・テレサと呼び続けることでしょう。」

04 9月 2018, 13:12
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教皇、「沈黙と祈り」の大切さを説く

2018年9月3日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、「沈黙と祈り」の大切さを説く

教皇フランシスコのサンタ・マルタ館の朝ミサから …… 2018年9月3日

教皇フランシスコは、サンタ・マルタ館の礼拝堂における朝のミサで、スキャンダルや分裂への誘惑に、沈黙と祈りをもって応じる必要を説かれた。

この日の説教で、教皇は、イエスが故郷ナザレの会堂で説教した時のエピソード(ルカ4, 16-30)を観想された。

イエスはご自分が育ったナザレに来て、会堂で預言者イザヤの巻物を朗読し、説教を始められた。人々はその恵み深い言葉に驚き、「この人はヨセフの子ではないか」と言い合った。

イエスは人々の好奇心や疑いを見抜き、「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」と言い、かつて偉大な預言者たちが故郷では業を行わなかったことを思い出させると、憤慨した人々はイエスを町の外に追い出し、山の崖から突き落とそうとしたが、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。

教皇は、ナザレの会堂で人々がイエスの上に熱い視線を注ぎ、イエスが他の場所でもした偉大な業をここでも期待している様子を思い描かれた。

しかし、神の御子は、ただ「神の御言葉」だけを説かれたと教皇は強調。

イエスのこの謙遜さは、言葉を通して橋を架けるものであり、言葉をもって疑いやつまずきを与えるものではないと指摘された。

イエスを理解することなく、叫び、イエスを崖から突き落とそうとした町の人たちに対し、間を通り抜けて去って行ったイエスの沈黙に尊厳を見出された教皇は、イエスは沈黙をもって、野犬のように怒り狂う人々に勝たれたと話された。

「真理は柔和で、静かなものです」と教皇は述べ、スキャンダルや分裂だけを望む人々に対し、取るべき唯一の態度は、「沈黙と祈り」であると説かれた。

03 9月 2018, 17:30
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「信仰を偽善から守る、神と隣人への愛」教皇、日曜の集い

2018年9月2日バチカン放送日本語課の記事より。

「信仰を偽善から守る、神と隣人への愛」教皇、日曜の集い

教皇フランシスコは、日曜の集いで、内容よりも形式にこだわる信仰生活のあり方に注意を促された。

教皇フランシスコは、9月2日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りの前の説教で、教皇は、この日の福音朗読箇所、イエスがファリサイ派の人々の「神の掟を捨てて、人間の言い伝えを固く守っている」その偽善を指摘するエピソード(マルコ7,1-8.14-15.21-23)を取り上げられた。

このエピソードで、ファリサイ派の人々と律法学者たちは、イエスの弟子たちの中に昔の人の言い伝えに従わない者たちがいると非難。こうして、イエスの師としての信頼性と権威を崩そうとした。

これに対し、イエスは、「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。…『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている』」(マルコ7,6-7)と答えられた。

イエスが厳しい態度をとったのは、そこに、神と人との関係に横たわる真理の問題、また真の信仰生活のあり方がかかっていたからであると、教皇は話された。

「今日も主は、わたしたちが内容よりも形式に重要性を置く危険に陥らないようにと招いておられる」と述べた教皇は、信仰体験の真の中心である神への愛と、隣人への愛は、律法主義、形式主義の偽善から信仰を守ってくれると語られた。

教皇は、主日のミサで聞く神の御言葉をわたしたちはどのように受け入れているのか、うわべだけで聞いているのか、ぼんやりと聞いているだけであるのか、これらを自問するようにと招かれた。

「神の御言葉は、肥沃な土壌にそれが溶け込み、生活を通してそれが実りをもたらすように、開いた精神と心をもって受け入れなければならない」と教皇は述べ、こうすることで御言葉は心と行い、わたしたちの神と隣人との関係を清め、わたしたちを偽善から解放してくれるだろうと説かれた。

また、この集いで教皇は、前日9月1日、スロバキアでアンナ・コレサロヴァ(おとめ殉教者、1928-1944)の列福式がとり行われたことを紹介。

イタリアの聖マリア・ゴレッティ(1890-1902)のように、尊厳と貞潔を守るために抵抗し、殺害された、この勇気あるおとめ殉教者の生涯を振り返った教皇は、若い信者たちが、今日の風潮に逆らい、犠牲を払う必要がある時にも、福音の教えに忠実に留まることができるよう、新福者の助けを祈られた。

02 9月 2018, 14:27
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「水」をテーマに「環境保護のための世界祈願日」

2018年8月30日バチカン放送日本語課の記事より。

「水」をテーマに「環境保護のための世界祈願日」

9月1日、「水」をテーマに、カトリック教会の「第4回環境保護のための世界祈願日」が、行われる。

9月1日に記念される「環境保護のための世界祈願日」は、教皇フランシスコの環境をテーマにした回勅「ラウダート・シ」が発表された2015年6月から2か月後の、同年8月、教皇ご自身によって制定された。

正教会のコンスタンティノポリ総主教庁は、以前から同日に同様の記念日を行っており、こうして、毎年9月1日は、環境問題への関心を深めつつ、正教会をはじめ他のキリスト教教会の兄弟姉妹たちと一致して祈る機会となっている。

「水問題」をテーマに

教皇フランシスコは、8月29日の一般謁見で、今年の「環境保護のための世界祈願日」のテーマとして、「水の問題」を提示。人間が生きる上で不可欠な「水」が、皆にいきわたるよう願われている。

教皇の「水問題」への関心は高く、これまでしばしば水資源の保護などを訴えて来られた。

特に回勅「ラウダート・シ」で、教皇は「水」について論じるスペースを割いている。

飲用水は最優先課題

ここで教皇は、飲用可能なきれいな水は、人々の生活とエコシステムにとって最優先課題であるが、多くの場所で、水に対する需要がその供給可能な量を上回っていることを指摘している。

水問題が深刻なのは、特にアフリカや一般的に最も貧しい地域で、ここでは水を原因とする病気が人々の間に広がっている。

深刻な水不足を懸念

また、教皇は、帯水層の汚染問題、また、飲用水へのアクセスは人間の本質的権利であるが、ある地域では帯水層が私物化され、水は取り引きの商品となっていることなどに触れている。

さらに教皇は水の無駄遣い問題にも言及。いくつかの研究が警告するように将来深刻な水不足が起こる可能性を憂慮している。

教皇は、環境破壊が多くの人々の生活を襲う一方で、世界的な大企業が水を占有することも予測されるとし、水が今世紀の紛争の源となることを懸念されている。

30 8月 2018, 17:59
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米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

2018年8月17日バチカン放送日本語課の記事より。

米国の聖職者による未成年者虐待:教皇庁「恐ろしい犯罪を、恥じ、悲しむ」

米国ペンシルベニア州における、カトリック教会の聖職者による未成年者の性的虐待を調査した文書が同州大陪審から発表されたことを受け、教皇庁は、この「恐ろしい犯罪」を恥じ、悲しんでいると声明した。

バチカンのグレッグ・ブルク広報局長は、米ペンシルベニア州の司法当局が8月14日に公表した、同州のカトリック聖職者による未成年者性的虐待の調査レポートについて、声明を発表した。

この文書は、同州の大陪審が2年かけてまとめた、およそ900ページに及ぶもので、過去70年間にペンシルベニア州のカトリック教会の聖職者によって起こされた未成年者への性的虐待を体系的に調査している。新しい件についての報告はない。

この調査によって明らかになった被害者数は1000人にのぼり、全体的にはさらに多くの被害者の存在が推測されている。

同文書は、米国の司法当局が、聖職者の未成年者性的虐待事件を体系的かつ徹底して調査したという点から、これまでにないものとなった。

報告書は、事件に関与した者の名前を記すと共に、カトリック教会がこれらの事件を組織的に隠ぺいしてきたことを指摘している。

バチカンの広報局長は、8月17日発表した声明で、「ペンシルベニアで発表された文書を前に、この恐ろしい犯罪に対して言える言葉は二つ、恥と、悲しみである」と述べた。

そして、「教皇庁は、同州大陪審の長い調査活動と、それにより作成された報告書を、真摯に深く受け止め、未成年者に対する性的搾取をはっきりと非難する」と述べている。

声明は、報告書に記された虐待を、法的にも倫理的にも非難すべきものとし、こうした行為は被害者の信頼を裏切り、彼らの尊厳と信仰を傷つけたと強調。

教会は過去の厳しい経験から学ばなくてはならず、虐待を行った者も、それが起きる状況を容認した者もその責任を負うべきである、としている。

報告書の内容の大部分は2000年より前に起きたケースを扱い、2002年以降のケースはほとんど見つかっていないことを指摘しつつ、大陪審の過去の調査の結果は、米国のカトリック教会によって行われた改革が聖職者の未成年虐待の件数を大幅に減らしたことを裏付けるもの、と述べている。

教皇庁は未成年者と弱い立場にある成人の保護を保証するために、カトリック教会のあらゆるレベルの改革と監督を励ますと共に、未成年者への虐待を通告することはもとより、法律を順守する必要を強調していると、声明は伝えた。

バチカンの広報局長は、教皇は、これらの犯罪が信者らの信仰と精神を揺るがすものであることを十分理解しておられ、教会内と社会全体において、未成年者と弱い立場にある成人にとって安全な環境を創り出すために、あらゆる努力を惜しまないように呼びかけておられる、と伝えた。

そして、教皇が彼らの側に立ち、被害に苦しんだ人々を最優先にしておられること、また、無実の人々の人生を破壊するこの悲惨なおぞましい出来事を撲滅するために、教会は被害者に耳を傾けることを望んでいることを知って欲しいと、被害者らに呼びかけた。

17 8月 2018, 18:24
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