カテゴリー別アーカイブ: フランシスコ教皇

教皇、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪問

2017年11月3日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪問

教皇フランシスコは、11月2日、ローマ南部郊外のフォッセ・アルデアティーネを訪問された。

フォッセ・アルデアティーネは、1944年3月24日、ナチス・ドイツの占領下にあったローマで、前日3月23日にローマ市内で起きたドイツ軍部隊への爆弾攻撃に対する報復行為として、政治犯や抵抗運動家らを中心とする受刑者、ユダヤ系市民、その他の市民ら、335人がドイツ軍によって連行され、虐殺、遺棄された場所として知られる。

戦後すぐに、フォッセ・アルデアティーネは、虐殺された犠牲者の冥福を祈り、平和への思いを新たにする記憶の場として保存され、追悼施設となった。

典礼暦で「死者の日」を記念したこの日の午後、教皇はローマ南方、ネットゥーノの米軍戦没者墓地でミサを司式され、次いで、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪れた。

ローマ教皇のフォッセ・アルデアティーネ訪問は、1965年のパウロ6世、1982年の聖ヨハネ・パウロ2世、2011年のベネディクト16世に続いて、現教皇で4度目となる。

日没後のフォッセ・アルデアティーネで、教皇はローマの主席ラビ、リカルド・セーニ師をはじめとするユダヤ教共同体関係者や、73年前の虐殺の犠牲者の遺族たちに迎えられた。

教皇は沈黙と闇に覆われた霊廟の中を歩かれ、虐殺が行われた場所を示す門の前で長く祈られた。

続いて教皇は、犠牲者らの名が記された石棺が並ぶ霊廟内の中心部に入られ、いくつかの棺の上に、一本一本と、花を置かれた。

教皇は、セーニ師に続いて捧げられた祈りにおいて、すべての犠牲者を思い起こしながら、335人中、身元の不明な12人の存在にも触れ、神の前では誰一人無名ではないと述べられた。

人間との契約を結ばれる神の、苦しむすべての人と民と交わされた永遠に忠実な、いつくしみ、憐れみに溢れた愛の契約、死よりも強く、復活を保証するその契約に、教皇は祈りの中で信頼を寄せられた。

最後に、教皇は訪問の記帳に、「戦争のもたらすもの、それは憎しみ、死、復讐です」と言葉を残された。

ネットゥーノの米軍戦没者墓地、ローマのフォッセ・アルデアティーネを訪問後、バチカンに戻られた教皇は、聖ペトロ大聖堂地下の歴代教皇の墓前で祈りの時を持たれた。

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教皇、ローマの「スコラス・オクレンテス」事務局を訪問

2017年10月27日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、ローマの「スコラス・オクレンテス」事務局を訪問

教皇フランシスコは、ローマの「スコラス・オクレンテス」事務局を訪問された。

「出会いの学校」を意味する「スコラス・オクレンテス」は、教皇がアルゼンチンでブエノスアイレス大司教を務めていた時から推進してきた教育ネットワーク。

すべての青少年に教育の機会を提供し、出会いと、対話、異なる存在への尊重を推進することを目的に、公立・私立、宗教の違いを超えた様々な教育機関が協力し合っている。

「スコラス・オクレンテス」は、2013年8月に教皇庁立基金としての形を整え、その活動を充実させてきた。今年6月には、ローマのトラステベレ地区にあるサン・カリスト館に事務局が開設された。

教皇は、10月26日夕方、このローマ事務局を訪れ、パレスチナ、イスラエル、イタリア、スペインを中心に、各地から集った多くの学生たち、ボランティアや関係者に迎えられた。

この集いで、教皇は、メキシコ、パラグアイ、アルゼンチン、プエルトリコ、米国テキサスからの中継を通し、それぞれの若者たちが置かれた困難な状況や、スコラス・オクレンテスの支援について語る声に耳を傾けられた。

教皇は特に今年9月のハリケーンで大きな被害を受けたプエルトリコの若者たちに連帯を示された。

移民とその受け入れについて、教皇は、常に新・旧の大陸を相互に豊かにする源であると強調。

よりよい未来の希望に賭ける移民たちを助けて欲しいと教皇はすべての人々に願うと共に、一方で、移民たちが受入れ国の法律を遵守し、市民たちが守られる必要を説かれた。

また、教皇はこの日、中央・南アメリカのいくつかの国々の「スコラス・オクレンテス」の活動拠点の誕生を喜ばれた。

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インドネシアで、第7回アジアン・ユース・デー

2017年7月27日バチカン放送日本語課の記事より。

インドネシアで、第7回アジアン・ユース・デー

インドネシアで、第7回アジアン・ユース・デーが開催される。

アジアン・ユース・デー(AYD)は、アジア諸国からカトリックの若者たちの代表が参加し、典礼や祈りを共にし、互いに学び、交流しながら、信仰と連帯を深める大会。

アジアン・ユース・デーは、数年毎に開催国を変えながら行なわれている。1999年、タイで行われた第1回に始まり、2001年に台湾、2003年にインド、2006年に香港、2009年にフィリピンと続き、2014年には教皇フランシスコ参加のもと韓国で開催された。

第7回目に当たる今大会は、「アジアの若者よ、多様性あふれたアジアの文化の中で、福音を喜んで生きなさい」をテーマに、7月30日から8月6日まで、インドネシアのジョグジャカルタで開かれる。

日本の若者たちを含む2千人以上の参加者は、開催国インドネシアの文化や、地元の教会の活動に触れつつ、様々なイベントを通して福音の精神を再発見する。

会期中の前半(7月30日~8月2日)は、「教区デー」として、若者たちはインドネシアの11の教区に分かれ、家庭・社会・地球環境などのテーマについて考え、分ち合いを行なう。

後半(8月2日~6日)は、メイン会場であるジョグジャカルタで「アジアン・ユース・デー」に参加。5日間に渡り、カテケーシス、典礼、各国の参加者らによる交流行事などが行なわれる。

若者たちの大会終了後(8月6日~9日)には、「アジアン・ユース・奉仕者ミーティング」と題し、青年司牧の奉仕者たちのミーティングや育成体験が企画されている。

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教皇、「貧しい人たちの日」を制定

2017年6月13日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、「貧しい人たちの日」を制定

カトリック教会の記念日として、「貧しい人たちの日」が新たに制定された。

教皇フランシスコは、「いつくしみの聖年」の終了後、カトリック教会に「世界貧しい人たちの日」(仮訳)を設け、全世界のキリスト教共同体が、最も貧しく助けを必要とする人たちへのキリストの愛をより具体的に証しすることを願われた。

「貧しい人たちの日」は、カトリックの典礼暦の年間第33主日に記念される。

第1回目にあたる今年2017年度は、11月19日(日)に行なわれる。

教皇はこの日に出会いと友情、連帯や、具体的な支援の機会を多く設けるよう希望されている。

教皇は「貧しい人たちの日」制定にあたり、メッセージをおくられ、貧しい人たちと分かち合うことが福音の最も深い真理の理解につながるよう祈られた。

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教皇フランシスコ・ジェノバ公式訪問 : 「キリスト者は柔和でかつ創造的精神を持つ宣教者であれ」

2017年5月28日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇フランシスコ・ジェノバ公式訪問 : 「キリスト者は柔和でかつ創造的精神を持つ宣教者であれ」

5月27日土曜日、ジェノバ公式訪問中の教皇フランシスコはケネディー広場でジェノバ市民のためにミサを捧げた。ミサ会場になったケネディー広場は文字通りジェノバ市民全員が集まったかのように,立錐の余地もなく教皇ともに祈りをささげようといっぱいになった。参列者の数が膨大だっため、全員が会場に入りきれず、場外に28基の大型スピーカ、および大型スクリーンを設置し全員が教皇とともに祈れるように配慮された。

ミサ中教皇は真のキリスト者の特質について次のように話された。

「キリストはすべての人々のために天と地を結ばれました。キリストが天の御父のもとに上られたとき、私たちの肉体の人間性は天と地を隔てる壁を乗り越えました。神は人間から離れることはもう決してないでしょう。.今キリストは天の御父の傍らにあって毎日私たちのためにとりなしてくださいます。私たちのすべての祈りにおいて、ゆるしの懇願においてキリストはわたしたちのためにともに祈り願ってくれるのです。

ですから祈りとは大切な人や事柄を神に委託するためのすばらしい道、手段だと言えます。この世界も私たち個人個人もこの素晴らしい手段、祈りを必要としています。毎日の生活の苦労に追われ、人は往々にして自分を見失い他人のことを忘れ己れ自身の中に閉じこもりがちです。そして何でもないことのためにしばしば深い不安感に捕らわれがちです。このような状態の時、最も有効な脱出法は、神の中にすべてを託すことです。生活の錨を神の中に深く下すことです。すなわち神に全幅の信頼を寄せることです。

生活のすべての問題や重荷、周りの人々そして状況をもすべてを信頼を込めて神に託すことです。これこそ祈りの力そのものです。天と地とを結ぶことであり、こうして神はわたしたちの時間と空間に入ってこられます。

キリスト教の祈りとは単に心の平安をえるため、何らかの内面的な調和や平穏を取り戻すことではありません。祈りは主が御父のもとでされているように、とりなすことでもあります。ですから祈りには他者に向けられる愛に基づくダイナミックな動きがあります。祈りにはこの世の論理によらない静かな柔和な力があります。それは戦争をも停止させ平和を獲得する力さえあるのです。ですから天の御父の傍らで私たちのためにとりなしてくださるキリストご自身やその弟子たちのようにわたしたちも疲れることなく兄弟姉妹たちのため、この世を天にますます近づけるために祈り続けましょう

キリストの福音はしまい込まれ隠されていることはできません。神の愛、キリストの福音を人々に告げ知らせるためには閉じこもるのではなく自分自身から飛び出す勇気が必要です。主キリストとともにいる人はこの世に安穏と平穏の中にとどまることはできません。主キリストは常に挑戦し続けます。

ですからキリスト者はいつも外に出て行く勇気と覚悟が必要です。何の問題もなくすべてが順調という平穏さに閉じこもり立ち止まっていてはなりません。主とともに常に他者に向かって歩み続ける必要があります。なぜなるキリストは決してひとところに止まることがないからです。

キリスト者は巡礼者、宣教者、走りる続けるマラソン走者です。柔和でありながら、歩み続けることにおいては強い確信を持ち、創造的であるべきです。

神に対する信頼に満ち、同時に活動的であり、だれをも大切にし、開かれた存在です。苦労を惜しまず誰に対しても連帯を示します。余計な無駄話や噂にとらわれることなく真摯にキリストの福音を告げ知らせる必要があります。具体的な共通善と平和のために働きましょう。受けるより与えるほうに大きな喜びがあることを確信し、絶えず前進する勇気を持ちましょう」。

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教皇フランシスコ、アメリカ大統領トランプ氏と会見: 「外交と対話による世界平和実現を」

2017年5月24日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇フランシスコ、アメリカ大統領トランプ氏と会見: 「外交と対話による世界平和実現を」

5月24日水曜日恒例教皇一般謁見の前に教皇フランシスコはバチカン教皇宮殿の私的図書室でアメリカ合衆国国大統領ドナルド・トランプ氏とその家族に会われた。

午前8時20分、アメリカ大統領夫妻を乗せた公用車はバチカンの北西に位置するペルジーノ門から聖ペトロ大聖堂の後方を通り教皇宮殿に向かった。この時間聖ペトロ広場は恒例水曜教皇一般謁見のために巡礼者たちで一杯になっていたが、教皇はまず、アメりカ大統領にお会いになることを希望された。

サン・ダマゾの中庭に到着した大統領一行は、美々しく装ったスイス儀仗兵たちに荘厳に迎えられ、教皇の待つ教皇個人図書室に向かった。図書室の入り口では教皇自らが大統領をにこやかに迎え入れられた。

教皇とアメリカ大統領の出会いは約30分にわたって行われその間両者は真摯な心からの意見の交換をされた。特に生命と宗教の自由及び良心の擁護について共通の使命と努力について話し合われ、意見の一致を見た。これからもバチカンおよびアメリカ合衆国両国の国民全体の健康、教育、福祉の促進に協力していくことを確認し合い、さらに、世界の現状についての意見の交換もなされ、特に世界平和の早期達成について話し合われた。そのためには外交活動と宗教対話に力を入れ、中東におけるキリスト教徒たちの保護についても話し合いが行われた。

私的会見の後トランプ大統領は教皇に夫人と娘夫妻を紹介し、それぞれ記念品の交換をされた。教皇は最近ご自分が書かれた回勅や教書そしてロザリオや記念メダルをそれぞれにプレントされた。

トランプ大統領は教皇との謁見の後、イタリア大統領との会見のためバチカンから直接イタリア大統領官邸クイリナーレ宮に向かった。

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ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ聖人に、教皇による列聖式

2017年5月13日バチカン放送日本語課の記事より。

ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ聖人に、教皇による列聖式

教皇フランシスコは、5月13日、巡礼先のポルトガル・ファティマでミサを捧げ、同地での聖母出現100年を祝うと共に、聖母の出現に会ったフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの、2人の牧童を聖人の列に加えられた。

カトリックの教会暦で「ファティマの聖母」を記念するこの日、ファティマの聖母巡礼地には、地元ポルトガルをはじめ、世界中から熱心な信者らが集い、教皇と共に聖母への崇敬を新たにし、フランシスコとジャシンタ兄妹の列聖の喜びを分かち合った。

1917年5月13日、フランシスコ・マルト(当時9歳)とジャシンタ・マルト(当時7歳)が、従姉妹ルシア・ドスサントス(当時10歳)と、ファティマのコヴァ・ダ・イリアで羊の群れの世話をしていると、突然強い光が差し、ロザリオを手にした輝く婦人が現れ、罪人の回心のために祈るようにと3人の子どもたちに告げた。牧童たちは聖母の出現を計6回にわたって受けた。

これからわずかの間に、フランシスコは1919年に11歳で、ジャシンタはその翌年に10歳で、共に当時世界的に流行したインフルエンザ「スペイン風邪」のために、短くも、信仰と愛と祈りに満ちた人生を閉じた。

ファティマの大聖堂内には、フランシスコとジャシンタ兄妹が、その後修道女となり2005年に亡くなった従姉妹ルシアと並んで葬られている。

教皇はミサの説教で、聖母は神の無い生活、神を冒涜する生活が地獄へとつながる危険を予告し、わたしたちの心に住み、わたしたちを被う神の光を思い出させるために来られたと話した。

教皇は、聖母を通して牧童たちを包んだ神の光を観想しつつ、ファティマはもとより世界のどこにいても、わたしたちが聖母に保護を求め、「御子をわたしたちに示してください」と頼む時、わたしたちはこの光のマントに包まれるだろうと語られた。

「わたしたちには母がいます、母がいるのです」と人々に呼びかけられた教皇は、聖母に子としてすがり、イエスに置かれた希望を生きるよう招かれた。

聖母のマントの下でわたしたちは道を見失うことはなく、聖母の腕からは希望と平和を受け取るだろうと教皇は説きながら、すべての人々、特に、病者や身体の不自由な人々、受刑者、失業者、貧しい人々、見捨てられた人々を、その保護に委ねられた。

そして、聖母の保護の下で、わたしたちが世界において、救い主イエスの真の御顔を観想する「夜明けの見張り人」となり、宣教的、受容的で、自由にして忠実な、貧しくとも愛に豊かな、若く美しい教会の顔を再発見できるようにと祈られた。

2日間に渡るファティマ巡礼を終了された教皇は、同日午後、帰国の途に着かれた。

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教皇、ファティマで聖母に捧げる祈り

2017年5月13日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、ファティマで聖母に捧げる祈り

5月12日、教皇フランシスコは、ポルトガルの聖母巡礼地ファティマで、祈りの時を持たれた。

ローマ教皇のファティマ訪問は、福者パウロ6世が1967年、聖母出現50年を機に行った巡礼に始まる。

聖ヨハネ・パウロ2世は、ご自身の狙撃事件(1981年5月13日)の翌年1982年に行った巡礼に続き、1991年と、そしてファティマの牧童フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの列福式が行われた2000年にも同地を訪問している。

また、ベネディクト16世は、2010年、2人の牧童の列福10年を記念してファティマを巡礼した。

聖母出現100年を記念するこの訪問で、教皇フランシスコはファティマを巡礼した4人目の教皇となった。

同日夕方、ファティマに到着された教皇は、聖域を埋め尽くす大勢の信者らに迎えられた。教皇は特別車「パパ・モービル」で広場を一巡し、人々の熱心な歓迎に応えられた。

ファティマ巡礼地は、ロザリオの聖母に捧げられたネオゴシック様式の大聖堂を中心に、壮大な広場、出現の礼拝堂、至聖三位一体に捧げた新しいバシリカ、黙想の家などによって構成される。

大聖堂の手前にある「出現の礼拝堂」は、1917年5月13日、3人の牧童、ルチア(当時10歳)、フランシスコ(当時9歳)、ジャシンタ(当時7歳)の前に、聖母が現れた場所に建てられたもの。

教皇は「出現の礼拝堂」に赴き、聖母像の前で沈黙の祈りを持たれた。

続いて、教皇はファティマの聖母に特別な祈りを捧げられた。

「サルベ・レジーナ、ファティマの聖母、汚れ無きみ心の聖母よ、あなたは拠り所、神へと導く道です」と教皇は呼びかけ、ご自分は「光と、平和、希望の巡礼者」として、また「皆の足を洗い、同じ食卓に一致するための、預言者・使者」として、この地を訪れたと述べられた。

教皇は光に包まれた「いつくしみの母」「白衣の貴婦人」が、この地で神のいつくしみのご計画を100年にわたりすべての人に示し続けたことを称えながら、聖母の前で、「白い衣の司教」(教皇)として、「洗礼の日の白衣に包まれて、神の中に生きたいと願うすべての信者たち」を心に留めて祈られた。

そして、福者フランシスコ、福者ジャシンタ、また福音のために自らを捧げた人々の模範に倣い、あらゆる地に赴き、壁を打ち崩し、すべての隔てを乗り越えながら、辺境へと向かい、神の正義と平和を伝えに行こうと呼びかけられた。

祈りの後、教皇は銀の花入れに挿した金の薔薇を聖母像の足元に捧げられた。

さらに夜がふけてから、教皇は再び広場に戻り、ろうそくの祝別を行われた。会場は巡礼者たちの手にするろうそくの光で、幻想的に照らされた。

教皇は「いつくしみ」をテーマに、人々の黙想を助ける説教を行われた。

マリアを霊的生活の学び舎、その優しさをもって神の赦しを取り次ぐ方として示された教皇は、誰もがマリアと共に、「常に赦し、すべてを赦される神」のいつくしみのしるしとなれると説かれた。

説教に次いでロザリオの祈りがとり行われた。ろうそくの火が一面に瞬く広場で、教皇と代表の人々の先唱と、巡礼者らの祈りが響いた。

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教皇、ポルトガルのファティマを巡礼

2017年5月12日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、ポルトガルのファティマを巡礼

教皇フランシスコは、5月12日、ポルトガルの聖母巡礼地、ファティマを訪問された。

教皇は、5月12日(金)と13日(土)の両日、ポルトガル中部サンタレン県の町で、欧州有数の聖母巡礼地として知られるファティマに滞在される。

この訪問は、ファティマのコヴァ・ダ・イリアにおける聖母出現から100年を記念するもので、ポルトガル大統領と、同国カトリック司教評議会の招待によって行われた。

これは教皇フランシスコの第19回目の海外訪問(イタリアを除く)となる。一方、ポルトガルは同教皇にとっpapaて28カ国目の訪問国となった。

今回の教皇のポルトガル訪問は、巡礼としての性格から、公式行事は大統領、首相との会見を除いては、宗教行事が中心となる。

ファティマ巡礼初日、12日夕方、教皇は「出現の礼拝堂」で祈り、夜にはろうそくの祝別を行い、ロザリオの祈りを唱えられる。

2日目、ファティマの聖母の祝日である13日、教皇は巡礼地の大聖堂前の広場でミサを捧げ、この中でコヴァ・ダ・イリアで聖母に出会ったフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹の列聖式をとり行われる。

現地時間12日午後、教皇はポルトガル中西部レイリア県のモンテ・リアル空軍基地に到着。マルセロ・レベロ・デ・ソウザ大統領はじめ政府要人、同国のカトリック教会関係者らに迎えられた。

歓迎式に続き、教皇は空港内の施設でソウザ大統領と個人会談を持たれた。

また、空港の敷地内で病者や、お年寄り、子どもたちを祝福された。

この後、空軍基地の礼拝堂を訪問された教皇は、ヘリコプターでファティマへと向かわれた。

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教皇、広報事務局の総会参加者に励まし「現代に対応し歩み続けよう」

2017年5月4日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、広報事務局の総会参加者に励まし「現代に対応し歩み続けよう」

教皇フランシスコは、教皇庁広報事務局の総会参加者とお会いになった。

教皇庁広報事務局(事務局長:ダリオ・ヴィガノ師)は、5月3日より第1回総会を開催。4日、参加者らはバチカン宮殿で教皇との出会いを持った。

同事務局は、教皇フランシスコの2015年6月の自発教令によって、教皇庁の新しい広報システムとして誕生した。

その創設は、メディアのデジタル化をはじめ、今日の広報をとりまく環境に適応するために、バチカンの広報のあり方を再考し、教皇庁内のこれまでの広報関連諸機関を再編成、統合化し、一括した運営を行いつつ、教会の宣教上の必要により良い形で応えていくことを目的としている。

同事務局創設から間もなく2年を迎え、このたび初めての総会を行なった関係者らに、教皇は、改革を恐れず、既存の機関の単なる組み合わせや合併ではない、まったく新しい組織作りに取り組んで欲しいと励まされた。

新聞、書籍、写真、テレビ、ラジオなど、これまでそれぞれ個別の伝達方法を持っていた各メディアが、デジタル化によって一つの基盤に集約されることで、教会の情報によりアクセスしやすくなることに教皇は期待を表された。

現在、バチカン内の既存の各メディア・関係機関は、教皇庁広報事務局創設後、段階的にこの新しいシステムに組み入れられている。

来年からこの新組織に入るバチカンの機関紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」に対し教皇は、新しい方法の模索によって、紙媒体の読者を上回る、さらに多くの人々に親しんでもらえるようにと願われた。

また、すでに新組織下にあり、数年前からポータルシステムを運営しているバチカン放送局についても、最新の技術と今日の人々の必要に合わせた、新しいモデルの追求を励まされた。

一方で、技術的に対応しにくい地域、たとえばアフリカ地域などに対しては、現在も短波放送が続けられており、教皇はその継続を強調された。

さらに、近く教皇庁広報事務局の管轄下に入るバチカン出版局、バチカン印刷局に対しても同様に、新しい大きな共同体の中で調和のもとに製作・出版が行えるよう希望された。

歴史は貴重な遺産であり、未来に向けて進むために力を与えるものであるが、歩み続けるエネルギーと勇気を持たない場合、単なる博物館になってしまうと教皇は注意を促され、新しい組織作りに向けて関係者らを勇気付けられた。

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