カテゴリー別アーカイブ: フランシスコ教皇メッセージ

復活の月曜日:教皇「復活の主はわたしたちのそばを歩まれる」

2019年4月22日バチカン放送日本語課の記事より。

復活の月曜日:教皇「復活の主はわたしたちのそばを歩まれる」

教皇フランシスコは、「復活の月曜日」4月22日、正午の祈りの集いを持たれた。

「天使の月曜日」とも呼ばれる、復活祭翌日の月曜日(イースター・マンデー)、バチカン周辺は、大勢の巡礼者でにぎわった。

この日はあいにくの曇り空となったが、オランダから寄贈の花木で製作された春の庭園が大聖堂前に明るい色彩を添えていた。

祈りに先立つ説教で教皇は、キリストの復活は人類にとって最も驚くべき出来事であり、罪と死に対する神の愛の勝利を表し、わたしたちの人生の希望に岩のごとき確かな礎を与えるもの、と話された。

教皇は、この「天使の月曜日」の福音朗読箇所、マタイ福音書(28,8-15)の、安息日が終わた、週初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアがイエスの墓を見に行ったエピソードを観想された。

墓に行った婦人たちは、天使に「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」言われ、恐れながらも大いに喜び、弟子たちに知らせるために走って行く途中で、イエスと出会った。婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した(参照:マタイ28,9)。イエスは婦人たちに「恐れることはない」と言い、兄弟たちに伝えるよう励ました。

教皇は、すべての福音書は、マグダラのマリアや他の婦人たちのように、イエスの復活の最初の証人となった女性たちの役割に光を当てていると指摘。

これに対して、男性たちは恐れて家の中に閉じこもり、マグダラのマリアから報告を受けたペトロとヨハネも、空になった墓を急いで確認しただけであり、女性たちこそが最初に復活の主と出会い、イエスが生きておられることを告げる役割を果たした、と強調された。

「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに…言いなさい」(28,10)とイエスが婦人たちに向けた言葉は、今日、わたしたちのためにも響いていると述べた教皇は、イエスとの出会いを個人的に体験し、イエスを告げ、証しする者となるよう呼びかけられた。

「復活されたイエスは、わたしたちのそばを歩いておられる。復活の主は、ご自身に祈りと愛を向ける者たちに、ご自分を現される」と説いた教皇は、生活の様々な場面で、またこの復活節に、イエスの現存を霊的に体験することができるようにと願われた。

説教に続き、教皇は復活節の聖母賛歌「レジナ・チェリ」(アレルヤの祈り)を、信者と共に唱えられた。

22 4月 2019, 12:39
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年度の復活祭に当たり、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けメッセージと祝福をおくられた。

カトリック教会の典礼暦は、4月21日、2019年度の復活祭を迎えた。

4月20日夜、復活徹夜祭をバチカンの大聖堂でとり行われた教皇フランシスコは、明けた21日午前、復活の主日のミサを聖ペトロ広場で捧げられた。

これに続いて、教皇は、同日正午、大聖堂の中央バルコニーから、復活祭メッセージと、ローマと全世界に向けた教皇祝福、ウルビ・エト・オルビをおくられた。

教皇フランシスコの2019年度の復活祭メッセージは以下のとおり。

**********

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます。

今日、教会は、最初の弟子たちが告げた言葉を新たにします。「イエスは復活されました!」そして、「アレルヤ…アレルヤ!」と神の賛美への招きが、口から口へ、心から心へと伝わって行きます。教会と全人類の永遠の若さである、主の復活の朝を迎え、わたしは皆さん一人ひとりに、最近発表された、特に若者に向けた「使徒的勧告」の冒頭の言葉をおくりたいと思います。

「キリストは生きておられます。キリストはわたしたちの希望であり、この世界の最も美しい若さです。キリストが触れるすべてのものは、若返り、新たにされ、いのちで満たされます。それゆえに、一人ひとりの若者、キリスト者に、わたしは最初にこう言いたいのです。キリストは生きておられ、あなたが生きることを望まれると!キリストはあなたの中に、あなたと共におられ、決して離れることはありません。たとえ、あなたが離れていっても、あなたのそばには復活したキリストが、新たにやり直すために、あなたを呼び、あなたを待っておられます。あなたが悲しみや、恨み、恐れ、疑い、失敗などのために、年老いたように感じても、キリストはあなたに力と希望を再び与えられるのです」(「クリストゥス・ヴィヴィト」1-2)。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、このメッセージは、同時に皆さんすべてと世界に向けられています。キリストの復活は、すべての人の新しい人生の基礎です。なぜなら、真の刷新は、常に心から、意識から始まるからです。また、キリストの復活は、罪と死の隷属から解放された、新しい世界の始まりでもあります。ようやく世界に神の王国、愛と平和と兄弟愛の王国が開けたのです。

キリストは生きておられ、わたしたちと一緒に留まります。キリストは復活された御顔の光を見せられ、試練や、苦しみ、悲嘆の中にある人々を見捨てることはありません。生きておられるキリストが、愛するシリアの人々の希望となりますように。長引く紛争の犠牲者であるシリアの人たちの状況に対し、わたしたちは諦めや無関心にさえ陥る危険があります。これに対して、今こそ自由と正義と平和への渇望に応える、政治的解決への努力を新たにすべきです。人道危機に立ち向かい、レバノンやヨルダンをはじめとする近隣国に逃れた、避難民の安全な帰還を促さなければなりません。

主の復活が、わたしたちの眼差しを、絶え間ない分裂と緊張に引き裂かれた中東に注がせますように。同地域のキリスト者たちが、深い忍耐をもって、主の復活と、死に対するいのちの勝利を証しすることができますように。イエメンの飢えと戦争に苦しむ人々、特に子どもたちに思いをはせます。主の復活の光が、イスラエルとパレスチナをはじめとする、中東のすべての治世者と国民を照らし、多くの苦しみを和らげ、平和で安定した未来の構築を励ましますように。

リビアの流血の武力闘争が停止されますように。同国ではここ数週間、無防備な人々が再び犠牲になり、多くの家族が避難せざるを得ない状況です。当事者双方に、暴力ではなく対話を選び、十年近くにわたる紛争と政治的不安定の傷を再び開くことがないよう呼びかけたいと思います。

生きておられるキリストが、ご自身の平和を、愛するアフリカ大陸全土に与えてくださいますように。ブルキナファソ、マリ、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンなどの国々では、いまだ社会的緊張や、紛争、暴力的原理主義が、治安の不安定と、破壊、死をもたらしています。わたしの思いはスーダンにも向かいます。政治不安の中にある同国で、すべての嘆願が声を持ち、長く切望される同国の自由と発展と幸福のために、皆が働くことができるよう願います。

復活の主が、数日前バチカンで黙想を行った、南スーダンの政治・宗教指導者らの努力を見守ってくださいますように。政治・社会・宗教界のすべての人々が、共通善と国内の和解のために積極的に取り組み、同国の歴史に新たなページを開くことができますように。

この復活祭において、現在も続く闘争に苦しむウクライナ東部の人々が、慰めを得ることができますように。主が人道支援と、恒久平和への道を励ましてくださいますように。

復活祭の喜びが、困難な政治・経済状況の影響を受けているアメリカ大陸の人々の心を満たしますように。特にベネズエラの人々を思います。同国では、長引き、深刻化する危機のために、多くの人が尊厳ある安全な生活を営むための最低限の条件にさえ事欠いています。主が政治責任者たちに、社会的不正、悪用、暴力を停止し、分裂を回復し、国民に必要な援助を与えるための、具体的なステップを踏む力を与えてくださいますように。

復活の主が、ニカラグアで行われている、すべての国民のための、一刻も早い平和的解決と和平への努力を照らしてくださいますように。

いのちの主が、今日の多くの苦しみを前に、冷たく無関心なわたしたちの姿をご覧になることがありませんように。わたしたちを、壁でなく、橋を築く者としてください。ご自身の平和を与えられる主よ、わたしたちの町はもとより、紛争地において、武器の響きを止めてください。特に、経済的により発展した国々において、武装への歩み、武力の拡大を止める努力を、国の指導者たちに促してください。

墓の扉を開け放った復活の主よ、わたしたちの心を、助けを必要とする人、弱い立場の人、貧しい人、仕事のない人、疎外された人、パンや身を寄せる場所を求め、尊厳を認めてもらうことを願って、わたしたちの扉をたたく人々に向けて開いてください。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、キリストは生きておられます!キリストは、わたしたち一人ひとりのため、そして全世界のための、希望と若さです。キリストにわたしたちを新たにしていただきましょう。主のご復活、おめでとうございます!

21 4月 2019, 12:47
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

教皇フランシスコは、スリランカで起きた連続爆発の犠牲者と負傷者のために祈り、現地のキリスト教共同体に連帯を示された。

教皇フランシスコは、4月21日、バチカンで行われた「復活の主日」のメッセージと祝福の後、同日スリランカで起きた連続爆発のニュースに悲しみと苦悩を表明された。

教皇は、まさに復活祭の日にスリランカの教会や人々の集まる場所において起きたこれらの爆発が、死と苦しみを引き起こしたことを、深く悲しまれた。

祈りのために集う中、攻撃を受けたキリスト教共同体と、これほどにも残忍な暴力の犠牲になったすべての人々に、教皇は心から寄り添われた。

教皇は、この悲劇の犠牲者、負傷者、またこの事件によって苦しむすべての人々を神に託して祈られた。

21 4月 2019, 14:51
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

聖香油のミサ:「人に塗油することで、自分も塗油される」教皇、司祭らに

2019年4月18日バチカン放送日本語課の記事より。

聖香油のミサ:「人に塗油することで、自分も塗油される」教皇、司祭らに

教皇フランシスコは、「聖木曜日」の午前、ローマ教区の司祭らと「聖香油のミサ」をとり行われた。

カトリック教会の典礼暦は、復活祭を間近に控えた「聖週間」の歩みの中にある。

復活祭直前の木曜日、「聖木曜日」を迎えた4月18日、午前中の儀式として「聖香油のミサ」が、教皇フランシスコとローマ教区の司祭らによりバチカンで捧げられた。

「聖香油のミサ」は、「聖週間」中の「聖木曜日」に、各教区の司教座聖堂において司教と司祭の共同司式によってとり行われるもので、このミサ中、「司祭叙階時の約束の更新」と、司教による「聖油の祝別」が行われる。

この日、聖ペトロ大聖堂の中央祭壇の周りには、ローマ司教である教皇を中心に、司祭たちの白い祭服が広がった。

ミサの説教で教皇は、福音書の中で貧しい人々や、病者、疎外された人々が、イエスから癒しを施されることで、人間としてのアイデンティティー、尊厳を取り戻したことを思い起こされた。

教皇は、主の癒しによって立ち上がり元気を得た人々、群衆の中で具体的な顔を持ったこれら一人ひとりの存在を、わたしたちも忘れてはならないと、司祭らに呼びかけた。

そして、わたしたちは人に「塗油するために、塗油された」者であり、これらの貧しい人々こそが、聖霊のわたしたちの心への塗油を完全で真なるものとしてくれる、と話された。

「人に塗油することで、自分も新たに塗油される」

「わたしたちは瓶に入った油の供給者ではなく、自分という存在を、また自分の召命と心を分け与えながら、人に油塗る者である」

「わたしたちは、人々の傷や、罪、苦しみに触れ、自ら手を汚しながら油を塗り、人々の信仰や、希望、忠実さ、寛大さに触れ、自分もその香りを受けながら油を塗るのである」

教皇はこのように話された。

この後、「聖なる教会は、主キリストが使徒とわたしたちにご自身の司祭職を伝えられたこの日を今年も記念します。叙階の日に皆さんが司教と聖なる神の民の前で行った約束を新たにすることを望みますか」という教皇の言葉に「はい」と答えながら、司祭らは叙階時の約束を更新した。

聖油の祝別の儀式では、病者用聖油、洗礼志願者用聖油、そして堅信等に用いられる聖香油の、三種の聖油が、助祭たちによって祭壇前に運ばれた。

教皇はアンフォラ(二つの持ち手がついた縦長の壺)に入ったそれぞれの香油を、祈りと共に祝別された。

「聖木曜日」に各教区のカテドラルで祝別されたこれらの聖油は、教区内の教会に分配される。

「聖木曜日」の午後から、教会の典礼は一年間の頂点である「聖なる過ぎ越しの三日間」に入る。

教皇フランシスコは、この日の夕方、ローマ近郊、カステッリ・ロマーニ地方ヴェレットリの刑務所で、「主の晩餐のミサ」を司式された。

18 4月 2019, 17:37
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇:「 試練の時に神への信頼をイエスから学ぼう」一般謁見

2019年4月17日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇:「 試練の時に神への信頼をイエスから学ぼう」一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、イエスの御父への全幅の信頼について話された。

教皇フランシスコは、バチカンで4月17日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この謁見で、教皇は、ご受難に入る前のイエスが、最大の試練の中にあって、どれ深く御父なる神に信頼していたかを語り、苦しみの中にあってこそ、神への全幅の信頼の必要なことを強調し、次のように話された。

「親愛なる兄弟姉妹の皆さん明日の聖木曜日からわたしたちは主のご復活、過越を準備する聖なる三日間に入ります。福音史家たちはこの聖主のご受難を、イエスの「栄光の時」として記しています。この間にイエスが御父から受けられる栄光は、この世の栄光とは全く異なります。正反対と言っていいでしょう。

ご受難に入られる直前、イエスはゲツセマニの園で、血の汗を流すほどの極度の苦しみ恐怖を体験します。まじかに控えた、親しい者たちからの裏切り、軽蔑、侮辱、苦しみ、挫折の前で恐れ、そして、苦悩し始めます。

この苦悩の淵にあって、イエスは父なる神にこの上なく甘美な呼びかけ「アッバ」お父さんという言葉で祈ります。「アッバ」という言葉は普段子供たちが自分の父親を親しさを籠めて呼ぶときの言葉です。イエスはこうして子供が困難に会う時、だれよりもまず自分の父親にしがみつくように、わたしたちも試練に出会う時、何よりもまず神なる御父に助けを求め信頼するよう教えてくれます。

なぜなら神に対する祈りの中にこそ、苦しみの中でも前進できる力があるからです。

イエスは皆から見放された時でも、決して一人ぼっちではありませんでした。いかなるときにも、常に御父と一緒でした。

 わたしたちは、かえって自分のゲッサマニ、すなわち試練の時にあって、しばしばイエスとは異なり、イエスのように、わたしたちの本当の唯一の善である御父のみ旨に信頼し委託するよりも、孤独の中に自分一人になることを選んでしまいがちです。

 苦しみの時、試練の時に自分自身の中に閉じこもることは、出口のないトンネルの中に自分自身を閉じ込めるようなものです。,自分自身にしか向かわないこの方向性には何の救いの可能性もありません。

 最大の問題は、苦しみそのものではなく、その苦しみにどのように対処するかが問題なのです。

 自分の中に閉じこもる孤独は、何の出口も開いてはくれません。しかし、他者とのかかわりであり、信頼、委託である祈りはそうではありません。自分自身の中に閉じこもるのではなく、祈ること、すなわち、外に向かい、自分自身を開いていくことによって解決の道も開かれるのです」。

17 4月 2019, 18:04
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

受難の主日:教皇、バチカンで宗教行列とミサ

2019年4月14日バチカン放送日本語課の記事より。

受難の主日:教皇、バチカンで宗教行列とミサ

教皇フランシスコは、「受難の主日」のミサをとり行われた。

4月14日、「受難の主日」を迎え、カトリック教会の典礼暦は、復活祭直前の一週間で、キリストの受難を記念する「聖週間」に入った。

「聖週間」の初日、「受難の主日」は、イエスのエルサレム入城と共に、十字架の受難へと向かうその歩みを観想する。

この「受難の主日」は、カトリック教会の「世界青年の日」(教区レベル)でもある。

同日、バチカンの広場でとり行われた教皇フランシスコによるミサには、ローマ教区をはじめ、世界各国からの若い信者たちの姿が多く見られた。

「枝の主日」とも呼ばれるこの日は、ろばの子に乗りエルサレムに入るイエスに、群衆が自分の服や葉のついた枝を道に敷き歓呼したことを思い起こし、ミサの前にオリーブや棕櫚の枝を掲げ、宗教行列が行われる。

ミサに先立ち、教皇は聖ペトロ広場のオベリスク前で、参加者が持つ枝々を聖水をもって祝別された。

こうして、枢機卿、司教、司祭、修道者、信者たち、そして教皇は、聖歌が歌われる中、枝を掲げ、行列をつくり、祭壇の設けられた大聖堂前へと向かった。

ミサ中、ルカ福音書のイエスの受難(22,14-23,56)の朗読が行われ、人々はイエスの最後の晩餐、オリーブ山での祈り、逮捕、死刑判決、十字架上での死、埋葬にいたるまで、深く耳を傾けた。

教皇は説教で、イエスはご自身の「へりくだり」をもって、わたしたちに「信仰の道」を開かれた、と述べられた。

毎年「聖週間」の始まりを特徴づける二つの神秘、すなわち、人々の熱狂に包まれたイエスのエルサレム入城、そしてイエスが人々から受ける侮辱という、「歓喜の叫びと、残酷な憎悪」の対比を教皇は観想。

そのコントラストを、この日の儀式の、枝を掲げての宗教行列と、その後の「主の受難」の朗読に見つめられた。

このミサでは、日本語を含む、様々な言語で共同祈願が行われた。

14 4月 2019, 15:07
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

受難の主日:教皇、若者たちに挨拶「シノドス後の使徒的勧告を生活の指針に」

2019年4月14日バチカン放送日本語課の記事より。

受難の主日:教皇、若者たちに挨拶「シノドス後の使徒的勧告を生活の指針に」

教皇フランシスコは、「受難の主日」のミサの後半、お告げの祈りを唱えられた。

教皇フランシスコは、4月14日、バチカンでとり行われた「受難の主日」のミサの後半、お告げの祈りを、若者たちをはじめとする参加者らと共に唱えられた。

祈りに先立つ言葉で教皇は、この「受難の主日」、教区レベルの「世界青年の日」が記念されたことに触れ、それぞれの司教のもとに集う世界中の若者たちに挨拶をおくられた。

教皇は、昨年秋の若者をテーマにしたシノドスの成果を受けた、使徒的勧告「クリストゥス・ヴィヴィト」を、日常生活の指針とするよう勧められ、これを通し、自分の人生と信仰の歩み、兄弟たちへの奉仕において、豊かなヒントを得て欲しいと希望された。

また、この日、ミサのために聖ペトロ広場を訪れた人々にロザリオが配布されたことを教皇は紹介。

今年1月の「ワールドユースデー・パナマ大会」を機会に聖地のオリーブの木で作ったこのロザリオで、聖地と中東をはじめ、世界の平和のために祈るよう願われた。

14 4月 2019, 13:24
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇、南スーダンの指導者らに平和を願う

2019年4月11日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、南スーダンの指導者らに平和を願う

教皇フランシスコは、バチカンでの黙想会に参加した南スーダンの指導者らに、同国の平和を願われた。

南スーダンの政治リーダーおよびキリスト教諸教会の指導者らは、バチカンのサンタ・マルタ館で、4月10日と11日、2日間の黙想を行った。

この黙想会は、英国国教会のジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大主教による提案と、教皇フランシスコの協力により実現したもので、サルバ・キール・マヤルディ南スーダン大統領と、今年5月12日より就任する5人の副大統領のうち4人、また、同国のエキュメニカル評議会のメンバー8人が参加した。

11日午後、黙想終了に当たり、教皇は南スーダン指導者らに励ましの言葉を述べられた。

教皇は、「恵みの時」としてこの黙想を過ごしたリーダーたちに、戦争の火が永久に消されるよう、また南スーダンが平和と和解のしるしのもとに未来を築けるよう、心からの願いを表明された。

復活したイエスが、弟子たちの中に立って言った「あなたがたに平和があるように」という言葉は、苦悩に満ちた受難の後、死に勝利したイエスが、弟子たちに与えた最初の贈り物であった、と教皇は述べた。

そして、紛争によって大きな苦難に見舞われた南スーダンとその国民もまた、主の言葉に励まされ、この若い国を前進させる力を得ることができるよう、そして、聖霊降臨の火が若いキリスト教共同体に活力を与えたように、新しい希望の光が同国のすべての国民を照らすようにと祈られた。

11 4月 2019, 19:33
https://youtu.be/C7fszb5xxCw
Facebook にシェア
[`evernote` not found]

「人身取引は、人類に対する犯罪」教皇、国際会議参加者と

2019年4月11日バチカン放送日本語課の記事より。

「人身取引は、人類に対する犯罪」教皇、国際会議参加者と

教皇フランシスコは、人身取引をめぐる国際会議の参加者とお会いになった。

教皇フランシスコは、4月11日、人身取引をテーマとした国際会議の参加者に挨拶をおくられた。

この会議は、教皇庁「人間開発のための部署」の移民・難民課の主催で、今月8日よりローマ郊外サクロファーノで行われていた。

会議最終日、バチカンのシノドス・ホールで行われた参加者との集いで、教皇は、人身取引という人類の傷との闘いに対し、いっそうの取り組みを呼びかけられた。

教皇は、他者を物のように扱うことは、神が望まれ創造された人間の本質、すなわち自由と尊厳を、被害者の中で不当に犯すことになる、と述べ、「それゆえ、人身売買は、人類に対する犯罪である」と強調された。

自分たちおよび他者の人間性を、取り戻し、推進するという行為は、イエス・キリストの救いの使命の延長にある、教会のミッションと一致するもの、と教皇は述べられた。

そして、あらゆる形の人身取引と闘い、被害者を保護するという使命は、人類そのものにも良い結果をもたらし、満ち満てる命への道をわたしたちに開くだろう、と語られた。

教皇は、地域の教会・修道会・カトリック組織が、力や経験を合わせ、人身取引の始点から最終目的地までに関わるすべての国々に、この問題への関心を呼びかけていくよう励まされた。

11 4月 2019, 17:35
Facebook にシェア
[`evernote` not found]