カテゴリー別アーカイブ: フランシスコ教皇メッセージ

「出会いを恐れない」教皇、移民司牧の会議参加者に

2019年2月15日バチカン放送日本語課の記事より。

「出会いを恐れない」教皇、移民司牧の会議参加者に

教皇フランシスコは、ローマ郊外で、移民司牧をめぐる会議参加者とミサを捧げられた。

教皇フランシスコは、2月15日、ローマ郊外サクロファーノを訪問、同地で開催の移民司牧をテーマにした会議の参加者らとミサを捧げられた。

サクロファーノの黙想の家「フラテルナ・ドムス」で、ミグランティス基金、カリタス・イタリアなどの共催で、2月15日から17日まで、移民受け入れの現実をテーマにしたミーティング、「恐れから自由に」が行われている。

ミーティング初日、会場を訪れ、参加者らとお会いになった教皇は、黙想の家の礼拝堂でミサを司式された。

ミサの説教で教皇は、わたしたちが抱きやすい、未知の人、移民、外国人に対する恐れの感情を理解しつつも、心の準備ができていない、あるいは文化や経験の違う人たちを理解できないために起きるこの恐れを克服し、出会いに向けて自分自身を開く必要を訴えられた。

他の人々との出会いは、キリストとの出会いでもあると述べた教皇は、飢えている人、渇いている人、旅人、服のない人、病気の人、牢にいる人たちなど、「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25,40)という、キリストご自身の言葉を思い起こされた。

たとえ、わたしたちの信仰が薄く、これらの人々にキリストを認めることができなくても、「安心しなさい、わたしだ。恐れることはない」と言い、わたしたちを救うために手を伸ばしてくださるイエスに信頼し、救いと喜びをもたらす出会いに開いていくよう、関係者らを励まされた。

15 2月 2019, 18:35
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「貧困・飢餓問題への積極的な取り組みを」教皇、IFAD総会開会式に

2019年2月14日バチカン放送日本語課の記事より。

「貧困・飢餓問題への積極的な取り組みを」教皇、IFAD総会開会式に

教皇フランシスコは、ローマの国連食糧農業機関を訪問。国際農業開発基金の総会に出席された。

教皇フランシスコは、2月14日、ローマ市内の国連食糧農業機関(FAO)本部を訪問され、国際農業開発基金(IFAD)第42回総会の開会式に出席された。

教皇フランシスコがFAO本部を訪れるのは、2014年11月、2017年10月に続き、今回で3度目となる。

IFAD総会開会式で講演された教皇は、貧困と飢餓に苦しむ世界の兄弟姉妹たちのために、これらの問題への積極的な取り組みと責任を、国際社会に呼びかけられた。

教皇は、大気や水質の汚染、天然資源の搾取、水不足、医療システムの不備、ふさわしくない住環境など、世界各地で不安定な状況を生きる人々の叫びに耳を傾け、これらの人々の不安に関心を持つ必要を強調。

貧困と闘い、飢餓を現在と未来から消し去るためには、国際共同体と市民社会、資源を所有する人々の協力と、責任を回避し合うことのない、具体的で現実的な解決を求める姿勢が不可欠と述べた。

「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が掲げる17の目標の最初の2つ「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」を遂行する上で、苦しむ人々の必要に具体的に応えるIFADの事業が非常に重要な役割を果たしていることを教皇は評価された。

飢餓に脅かされている人々の大半が、世界の農村地帯に暮らし、食料生産に携わっていることに、教皇は矛盾を見出すと共に、農村から都会への人口流出という世界的傾向も無視できない問題として示された。

教皇は、地域の発展の中で、すべての人、すべての共同体が、それぞれの能力を余すところなく発揮し、人間の尊厳にふさわしい生活を送ることができるよう、また農村地域の人々が自分たちの生産と発展の責任ある主役となれるよう、そのための各国政府や組織の具体的な努力を願われた。

また、「科学を良心をもって用いる」ことの必要を説く教皇は、技術を貧しい人々への真の奉仕に用い、新しいテクノロジーを地域の文化や伝統と対立させることなく、統合的、相乗的な方法で役立てるようにと希望された。

14 2月 2019, 17:52
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「主の祈り:御父と『わたしたち』の対話」教皇一般謁見

2019年2月13日バチカン放送日本語課の記事より。

「主の祈り:御父と『わたしたち』の対話」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で「主の祈り」をめぐるカテケーシスを続けられた。

教皇フランシスコは、バチカンのパウロ6世ホールで2月13日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中、「主の祈り」をテーマにカテケーシス(教会の教えの解説)を続けられた教皇は、この祈りで繰り返される「わたしたち」という言葉に注目。「わたしたち皆の御父」というテーマで講話された。

教皇は、イエスのように祈るためには、偽善的な祈りに陥らないようにと注意。

人に見られるために広場に立って祈ることをせず(参照:マタイ6,5)、「祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め」、神に向かって「父よ」と呼びかけながら祈るようにと説く、イエスの教えを示された。

「イエスは偽善を望まれない。真の祈りとは、良心においてひそかになされるものであり、その心は外からはわからず、神だけがご存じである」

「祈りとは、自分と神の場であり、神は偽善を赦されず、裸の心をご覧になり、神を前に偽りや虚飾は役に立たない」

「神との対話の根底にあるものは、沈黙の対話である。愛する二人が交わす眼差しのように、神と人とが交わす眼差し、それが祈りである」

教皇は、祈りについてこのように語られた。

しかし、一方で、キリスト者の祈りは、神との親密さだけに閉じこもり、世界を扉の外に締め出すものであってはならないとも教皇は述べ、人々や、様々な状況、問題を祈りの中にもたらす必要を述べられた。

教皇は、「主の祈り」の中に、驚くべきことに全く見当たらない言葉、それは一人称単数の「わたし」という言葉である、と指摘。

「主の祈り」の前半で、イエスは「(あなたの)御名が聖とされますように」「(あなたの)御国が来ますように」「(あなたの)御心が天に行われるとおり、地にも行われますように」と、御父に呼びかける。

そして、祈りの後半には、「わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください」「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください」と、一人称複数の「わたしたち」が繰り返される。

こうしたことから、教皇は、「主の祈り」には「わたし」という言葉がなく、「あなた(御父)」と「わたしたち」の対話がそこにあると話された。

では、なぜ神との対話には、個人主義のためのスペースがないのか、と問われた教皇は、「自分の問題だけを世界で唯一の問題のようにひけらかす祈りはなく、神への祈りを自分たちの共同体のためだけの祈りとすることはできない。『わたしたち』は共に祈る民である」と説かれた。

教皇はここで、かつてご自分がある刑務所付司祭と交わした対話を回想。「『わたし』に対する反義語は何だと思いますか」というこの司祭の質問に、「それは『あなた』でしょう」と答えると、司祭から「それが戦争の始まりです。『わたし』の反義語は『わたしたち』です。平和のあるところでは、皆は共にあるのです」と教えられたことを、体験として紹介された。

キリスト者は、祈りの中で自分の周りに生きるすべての人々の困難を思い起こし、神の御前でその日に遭遇した人々の様々な苦しみを語るべき、と述べた教皇は、「もし多くの人の苦しみや貧しい人たちの涙に無関心でいるならば、その人の心は石である」「『同情を感じる』ということは、福音における一つのキーワード的な動詞である」と語られた。

教皇は、自分が祈る時、近くや遠くにいる人の叫びに心を開いているか、それとも祈りを自分を安心させるための一種の麻酔のように考えているのか、わたしたちはそれを自問する必要がある、と話された。

神を求めないように思われる人々に対しても、彼らのために祈るようイエスは招いている、と述べた教皇は、「御父はすべての人を愛される。自分の気に入った人にだけ良くしようとするわたしたちとは異なり、すべての人に対して善い方である神から、わたしたちは学ばなくてはならない」と説かれた。

13 2月 2019, 17:16
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「いつくしみを証しするため、人類の大海に漕ぎ出す」教皇、日曜正午の集い

2019年2月11日バチカン放送日本語課の記事より。

「いつくしみを証しするため、人類の大海に漕ぎ出す」教皇、日曜正午の集い

教皇フランシスコは、日曜正午の集いで、ペトロの召し出しのエピソードを観想された。

教皇フランシスコは、バチカンで2月10日、日曜正午の祈りを唱えられた。

祈りに先立つ説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ルカ福音書中のイエスが漁師シモン・ペトロを弟子にする場面(5,1-11)を取り上げられた。

このエピソードでは、イエスによる大漁の奇跡と、ペトロの召し出しが語られる。

ゲネサレト湖畔で、イエスは網を洗う漁師たちをご覧になった。イエスはシモンの舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すように頼み、そして、舟から岸辺の群集に教えられた。話し終わったイエスは、「沖に漕ぎ出して網をおろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは「夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかしお言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。漁師たちがそうすると、網が破れそうなほどの、おびただしい魚がかかった。

経験豊かな漁師シモン・ペトロは、前の晩に何もとれなかったものを、また漁をしたところで同じだろうと考えたが、イエスの存在とその言葉に動かされ、「お言葉ですから」と網を降ろす、イエスの招きに答えようとする姿勢を持っていた、と教皇は述べた。

そして、主はご自分のすべての弟子たちに、信仰への回答として、主の呼びかけに答えるこの姿勢を求められていると話された。

「ペトロのイエスへの信頼に満ちた従順は、網がやぶれそうなほどの魚をもたらしたが、この奇跡の大漁は、イエスの言葉の力を表すしるしであり、わたしたちが主のために寛大に奉仕する時、主はわたしたちの中で偉大なことを成し遂げられる。」

「主はわたしたちの人生の舟にご自分を迎え入れ、ご自分と共に新たな海に漕ぎ出すよう招かれ、そこで偉大な驚くべきことを見せてくださる。優しさといつくしみを証しするために、今日の人類の大海に出ることは、わたしたちの人生に新しい意味をもたらす。」

教皇はこのように語られた。

「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言ったペトロと同様に、わたしたちも、しばしば神の呼びかけを前に、自分の不適格さを理由にそれを断ろうとする傾向があると教皇は指摘。

しかし、「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」とイエスがペトロを励ましたように、わたしたちが主に信頼を寄せるならば、主はわたしたちを罪から解放し、ご自身の使命に協力するようにと、新しい世界を開いてくださる、と説かれた。

教皇は、イエスが行った奇跡の偉大さは、網を魚で満たしただけでなく、ペトロたちを失望や諦めの罠から助け出したことにあると強調。

イエスは福音と神の御国の証し人になるよう彼らの心を開かれ、それに対する彼らの答えは、「すべてを捨てて、イエスに従う」というものであったと、観想された。

神の御旨に寛大に従ったおとめマリアを模範として示された教皇は、わたしたちも神の御言葉と救いを告げ知らせるために、主の呼びかけに答えることができるよう、聖母の助けを祈られた。

11 2月 2019, 18:58
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教皇、アラブ首長国連邦への訪問を振り返る、一般謁見

2019年2月6日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、アラブ首長国連邦への訪問を振り返る、一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見の席で、アラブ首長国連邦への訪問について語られた。

教皇フランシスコは、バチカンで2月6日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

2月3日(日)から5日(火)まで行われたアラブ首長国連邦への訪問から戻られたばかりの教皇は、短いながらも重要なこの訪問の内容と意義について説明された。

教皇は、2017年、エジプトのアル=アズハル大学を訪問した際、世界平和の推進を目指して、キリスト教とイスラム教間の対話に新たな1ページが記されたことが、今回の訪問につながったと話された。

ローマ教皇がアラビア半島を訪れるのは今回が初めてであると紹介しつつ、神の摂理は、アッシジの聖フランシスコの、スルタン、アル=マリク・アル=カミルへの訪問から800年後に、フランシスコという名の教皇をこの出会いのために望まれた、と教皇は語った。

そして、この訪問中、聖フランシスコを思うことで、心に福音とイエス・キリストの愛を保ち、不正や戦争、貧困の犠牲者をはじめ、神の子らであるすべての人々のために祈り、キリスト教とイスラム教の対話が、今日の世界平和に重要な役割を果たすことができるよう願った、と話された。

教皇は、ムハンマド・アブダビ皇太子をはじめ、アラブ首長国連邦当局の温かいもてなしに感謝を述べ、東西が交わる場所、多民族と多宗教のオアシスであり、出会いの文化の促進に適した、同連邦の印象を語られた。

また、教皇は同地のカトリック共同体にも心からの感謝を表された。

アブダビで行われた諸主教の集いについて、教皇はそのスピーチと、アル=アズハルのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師と共に署名した「人類の兄弟愛をめぐる文書」を通して、神の子として兄弟であるという、すべての人の共通の召命、宗教を理由とする暴力をはじめ、あらゆる形の暴力の否定、世界に真の価値と平和を広める相互の努力を確認した、と述べられた。

今日、キリスト教文明とイスラム教文明が衝突しようとしていると考えたり、宗教を紛争の根源と見なそうとする誘惑は大きい、と教皇は指摘。

しかし、それに対し、文化や伝統の違いにも関わらず、キリスト教とイスラム教は、命や、家族、宗教の意味、お年寄りに対する尊敬、若者の教育など、多くの共通の価値を尊び、守っており、出会いと、尊重、対話は可能であると、はっきり、確固とした形で示すことをわたしたちは望んだ、と話された。

アラブ首長国連邦には、およそ100万人のキリスト教徒が存在し、その多くがアジア諸国出身の労働者たちである、と教皇は述べ、これらの信者たちと、アブダビのカテドラルでの出会いや、ミサを通して交流したことを報告。

ミサの中では平和と正義、とりわけ中東とイエメンのために祈った、と話された。

教皇は、このアラブ首長国連邦訪問は、神の「サプライズ」と言えるものと述べ、神とその摂理を称えながら、この訪問で蒔かれた種が御旨に従って実を結ぶようにと祈られた。

06 2月 2019, 18:37
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「世界平和のための兄弟愛」署名文書の意義を強調、性的虐待対応の前進訴え-教皇、帰国途上会見

「世界平和のための兄弟愛」署名文書の意義を強調、性的虐待対応の前進訴え-教皇、帰国途上会見

(2019.2.6 カトリック・あい

(2019.2.5 VaticanNews Christopher Wells)

 教皇フランシスコは5日、アラブ首長国連邦訪問からの帰途に機上会見に応じ、アブダビでの諸宗教の会議の席上、アル=アズハルのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師と共同署名した「世界平和のための人類の兄弟愛」に関する共同文書について、「第二バチカン公会議の精神を基に生まれ、カトリック教会にとっての前進」と評価された。

 教皇は、この文書を「多くの検討と祈りをもって準備された」としたうえで、今この時点での大きな危機は「私たちの間の破壊、戦争、嫌悪」であり、「もし私たち信じるものをもつ者が手を握り、抱き合い、接吻し、そして祈ることができなければ、私たちの信仰は打ち負かされてしまうでしょう」と語った。そして、この文書はすべての民の父、平和の父である神への信仰から生まれたもの。全ての破壊行為、カインから始まる全てのテロを糾弾するものです」と説明された。また、カトリックの立場から見て、この文書は「第二バチカン公会議よりも1ミリ先を行くものではありません… 公会議の精神を基に作られたもの」とし、イスラム教の間には様々な意見があるが、「彼らにとっても、この文書は一つのプロセスです」とされた。

 また、アブダビでのイスラム教指導者たちとの会合について、教皇が会合から得たキーワードは『叡智』と『誠実』だ、とし、「叡智と誠実の道は私たちを平和の建設へと導きます」と語り、「真の賢者たちの唯中にいる、という印象を持って会合を終えました。とても満足しています」と評価した。

 ベネズエラのマドゥーロ大統領から反対派との対話再開を望む書簡が送られてきたことについて質問が出たが、教皇は「まだ(その手紙を)読んでいません」としつつ、「何ができるか、様子を見ます」と述べ、「対話を助ける意思は、常にある」が、大統領支持派、反対派が共に対話を希望することをその条件に挙げた。

 最後に記者から、修道女に対する性的虐待の問題を問われた教皇は、「過去において、司祭たち、そして司教たちさえも、性的虐待の罪を犯したこと」を認め、さらに「これは今も起きているに違いありません。その問題を認識しただけでは、終わらないのです」とされ、教会は、いくつかのケースへの対応を前進させているが、さらに対応を進める必要があることを強調した。

 関連して、性的虐待が引き起こしている危機への対応で前任のベネディクト16世を讃え、「彼が、この問題について多くの事をする勇気を持っておられたことを強調したい」とし、彼の対応が弱かった、との批判があることに対しては、「まったく、そうではありません。彼は良い方です。一切れのパンも彼より劣る、彼は強い人です」と弁護した。さらに、教会は、祈りと共に、性的虐待への対応で前進することができる、と語り、「私は前進することを希望します」と述べて、実際に対応に進展がみられることを強調した。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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「神は砂漠にさえも道を開く方」教皇、アブダビでのミサで信者らに励まし

2019年2月5日バチカン放送日本語課の記事より。

「神は砂漠にさえも道を開く方」教皇、アブダビでのミサで信者らに励まし

教皇フランシスコは、アラブ首長国連邦の首都アブダビでミサを捧げられた。

2月5日、アラブ首長国連邦訪問の最終日、教皇は首都アブダビの複合競技施設ザイード・スポーツ・シティでミサをとり行われた。

この教皇ミサには、アラブ首長国連邦とその周辺国からカトリック信者が詰めかけた。4万5千人収容の競技場内と、競技場の外の信者を合わせ、その数はおよそ18万人と発表された。

イスラム教徒が大多数を占めるアラビア半島をローマ教皇が初めて訪問し、そこでミサを司式するのは歴史的なこととあり、少数派であるカトリック信者たちの喜びは非常に大きい。

アラブ首長国連邦内のカトリック信者は、およそ10%とされ、その多くが、インド、フィリピンなどのアジア諸国、また他地域から仕事のために移住した人々である。

ラテン典礼で捧げられたこのミサには、東方カトリック教会の豊かな典礼様式をも反映し、カルデア、コプト、メルキト・ギリシャ、マロン、シリア・カトリック、シリア・マラバル、シリア・マランカラなど、様々な典礼の信者たちも参加。

また、4千人のイスラム教徒と、近年創設された寛容担当省の大臣も参列した。

ミサの説教で、イエスの「山上の説教」における「真福八端」(マタイ5,1-12a)を示された教皇は、イエスの教えにおいて、幸いな人々とは、金持ちでも、権力者でも、成功者でもないように、ここでは一般に考えられていることが覆されていると指摘。

イエスにとって幸いな人々とは、貧しく、柔和で、人から良く見られなくても、義を貫き、迫害される人々である、と話された。

また、イエスはご自身の行いを通して、偉大な者とは、所有する者ではなく、与える者であることを教えられた、と述べられた。

教皇は、「キリスト者に要求されるのは、偉大な事業や功績を成し遂げることではない。『真福八端』を生きるための地図としながら、清い心をもって、人々にいつくしみ深く、試練の時も神と一致しながら、わたしたちの人生という、ただ一つの作品を実現させること」と説かれた。

また、教皇は、キリスト者とは、平和の実現のために招かれた者と述べ、その平和への努力をまず自分の置かれた社会・共同体において始めるように呼びかけられた。

祖国を遠く離れて暮らすキリスト教徒の移民たちの、苦しみや未来に対する不安に思いを向けた教皇は、「困難や孤独に苦しむ時も、神は隣を歩いておられ、新しい道を開いてくださる。なぜなら、神は新しいことを得意とされる方であり、砂漠にさえも道を開かれたからである」と述べ、信者らを力強く励まされた。

こうして、アラブ首長国連邦の訪問を終えられた教皇は、同日正午過ぎ、アブダビを後にし、イタリア時間同日夕方、ローマに戻られた。

05 2月 2019, 17:48
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UAE訪問:教皇「紛争の闇の中で宗教が兄弟愛の歩哨となるように」

2019年2月4日バチカン放送日本語課の記事より。

UAE訪問:教皇「紛争の闇の中で宗教が兄弟愛の歩哨となるように」

教皇フランシスコは、訪問先のアラブ首長国連邦で、諸宗教の集いに出席された。
*「諸宗教の集い」を映像で観ることができます。⬇️特に前半の「映像」4:20ー11:50はお勧めです。世界の現状を「平和」の視点から作られています。教皇フランシスコのメッセージは40:00頃から。イタリア語ですが、雰囲気を観るだけでも伝わってくるものがあります。
https://www.youtube.com/watch?v=MGQcpBwRIlo

教皇フランシスコは、アラブ首長国連邦滞在2日目の2月4日、首都アブダビで諸宗教の集いに出席された。

ムスリム長老会議が中心となり推進したこの集いには、様々な宗教の指導者たち、およそ700人が参加した。

夕刻、アブダビ市内の建国者記念碑前に設けられた会場に、教皇は、ムハンマド・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン・アブダビ皇太子と、アル=アズハルのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師に伴われて入場された。

アラブ首長国連邦の宗教の自由を保証するための努力を評価され、こうした取り組みが、暴力やテロリズムなど、宗教の悪用とそのリスクに対する注意にもつながると指摘された。

教皇は、神の名のもとに行われるあらゆる形の暴力を断固として非難しつつ、「兄弟愛を宣言しながら、反対の行動をとることはできない」、「兄弟的共存の基礎は、教育と正義である」と話された。

「戦争は悲惨しか生まず、武力は死しか生まない」と述べた教皇は、長い紛争に苦しむイエメンや、シリア、イラク、リビアに平和を強くアピールすると共に、暴力の拡大を前に諦めることなく、皆で一致した信頼あるメッセージを発することが大切と述べられた。

教皇は、宗教とは社会の最も弱い人たちの声であり、貧しい人たちの側に立つべきもの、と話し、宗教が紛争の闇の中で「兄弟愛の歩哨」となることができるようにと願われた。

集いの終わりには、「世界平和のための人類の兄弟愛」をめぐる共同文書に署名が行われた。

04 2月 2019, 19:13
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「この21世紀の世界でマリアのように『影響を与える者』とは」教皇、夜の集会で若者たちに

(2019.1.27 カトリック・あい

(2019.1.26 Vatican News Seàn-Patrick Lovett)

 パナマ訪問中の教皇フランシスコは26日夜、首都パナマ市のメトロパークで若者たち60万人が参加して行われた集会で、”神に影響を与える方”、マリアに倣うように強く求めた。

  三つの人生、三つの物語、信仰、希望、愛の三つの証し-それが若者たちに対する教皇の深い思いの裏にあるインスピレーションだった。

 人生の物語、愛の物語。教皇はまず、「主は最初に『はい』と言われます。そして、私たちに、ご自分に倣って『はい』と言うように希望なさいます。イエスが私たちに『愛の物語の一部』になるようにお招きになります」としたうえで、マリアを、「はい」と言い「神の愛と約束に信頼」を置く最高の模範として示され、「マリアを『神に影響を与える方』にしたのは、まさに、そのことによるのです」と強調された。

 そして「マリアの『はい』は、すべての世代に響き渡り、広がります」と述べ、ダウン症と診断された後、娘を出産することの困難とリスクに直面する中で、それを証しした若い夫婦を感謝とともに例示し、「主に『はい』と言うことは、これから来る人生を、そのすべての脆弱さとともに、丸ごと受け入れることを意味します」「主が私たちの愛の物語を書きたいを思われるのは、私たちのもろさと傷を通してなのです」とされ、さらに「私たちの不完全さにもかかわらず、丸ごと受け入れてくださる父がおられる、ということを知るのは、何という贈り物でしょうか」と語られた。

 続いて、教皇は、麻薬中毒と闘った自身の経験を語った若者に感謝を宣べるとともに、私たちにとって「自分を支える強い根」-教育、雇用、家族、共同体社会-を持たずに成長することが、いかに不可能か、ということについて話され、「そのような根を持たずに、未来について夢を見ることはできません。なぜなら、未来の夢をみることは、自分が何のために生きているのか、誰のために生きているのか、という問いに答えることだからです」と訴えられた。

 さらに、この21世紀において「影響を与える者」であることは、「根の守り手」であること、自分たちを「互いの一部だ」と感じさせ、「一員である」と感じさせる、「全てのものの守り手」であること、と指摘され、ダウン症、麻薬中毒に続く、三つ目の具体的な証しとして、クラコフで二年前に開かれたWYD大会で信仰を見つけたパレスチナの若い女性の例をあげ、「彼女は、自分を歓迎し、一員であることを実感させた生き生きとして、幸せな共同体を知りました。そして、イエスに見つけられた喜びを生きることができるようになったのです」と語られた。

 このように語られたうえで、教皇は会場の若者たちに「あなた方は『はい』と進んで言いますか?」「マリアのように『影響を与える者』に進んでなりますか?」と問いかけ、「だだ愛だけが、私たちをもっと人間らしく、満たされた者、とするのです」「ですから、イエスに『私は、この世界であなたの愛の物語の一部となりたいのです』と言うことを恐れないように」と諭された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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「あなた方は『明日』ではない、『神の今』だ」教皇、WYD閉幕ミサで

「カトリック・あい」2019.1.28.

(2019.1.27 VaticanNews Seàn-Patrick Lovett)

 「世界青年の日(ワールドユースデー、WYD)」パナマ大会」は27日、最終日を迎え、教皇フランシスコは「ワールドユースデー・パナマ大会」の閉会行事として、パナマ市郊外のカンポ・サン・フアン・パブロIIで約70万人の若者たちと共に、記念ミサを祝われた。ミサの終わりに、次回大会を2022年、ポルトガルの首都リスボンで行うと発表された。

 教皇は閉会の言葉の中で、「マリアと共に、神が私たちの中に蒔かれた夢に、『はい』と言い続けましょう」と呼びかけられた。そして、この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」を取り上げ、「今日」を「今」と解釈されたうえで、「イエスは神の今を明かされました…イエスにおいて、約束された未来が始まり、命が吹き込まれたのです」と語られた。

 しかし、「残念なことに、私たちは神が明確で日常的、近くに実際におられるということを、いつも信じてはいません」、なぜなら「近くにいつもおられる神、友であり兄弟は、私たちが周囲に関心をもつことを求めれおられるからです」。「神は、愛が真実であるがゆえに、真実なのです」と強調された。

 そして、教皇は「待合室で、お呼びがかかるまで待っている」ような生き方の危険に言及され、大人も若者も「自分の『今』はまだ来ていない」、つまり、夢を抱き、未来のために働くにはまだ若すぎる」と考えるリスクを冒している、と注意された。

 さらに昨年10月に開かれた「若者シノドス(全世界代表司教会議)」を取り上げて、「この会議は『自分たちが他の人を必要としている』ということ、『夢を持ち、明日のために働く、それを今日から始めるように、励まさねばならない』というこを、はっきりと知るのを助けてくれました」。そして、教皇は「明日ではなく、今… あなた方には使命があり、愛する、ということをはっきりと知ってください」と若者たちに求められ、「私たちは何でも手にするでしょう。しかし、愛の気持ちがなければ、何も持つことはできないのです」と力を込めて語られた。

 また、イエスにとって”間を置く”ということはなく、「人生に合間や束の間の熱狂はなく、私たちにお任せになる心の広い愛をもって、招いておられます」。だから、全ての若者たちも「恐怖や排除、憶測や心理的な操作によって麻痺させられてはなりません」「イエスの具体的で、側にある、真実の愛をはっきりと知るように」と諭され、主とその使命は「一時的なものではない。私たちの人生そのものです」と強調された。

 ミサの終わりに、教皇は「パナマで世界青年の日の夢が現実になった」ことに貢献した全ての人に感謝の言葉をかけたが、最後の言葉は若者たち自身へのものだった-「私たちは旅の途上にいます… 歩き続け、信仰を生き続け、そして信仰を分ちあってください」、そして「あなた方は『明日』ではなく、『合間』でもない、あなた方は『Now of God(神の今)』なのです」と改めて強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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