カテゴリー別アーカイブ: フランシスコ教皇メッセージ

教皇「天幕のように皆を受け入れる教会」一般謁見で

10月23日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「天幕のように皆を受け入れる教会」一般謁見で

教皇フランシスコは、一般謁見中の「使徒言行録」をめぐるカテケーシスで、パウロとバルナバの宣教旅行と、エルサレムの使徒会議をテーマに話された。

教皇フランシスコは、バチカンで10月23日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

教皇は謁見中、「使徒言行録」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、パウロとバルナバの宣教旅行と、「エルサレムの使徒会議」をテーマに講話された。

サウロ(パウロ)はダマスコ途上での回心の後、バルナバの仲介のおかげでエルサレムの教会に受け入れられた。しかし、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの敵意に会い、故郷タルソスに戻っていた。

一方、エルサレムの教会からアンティオキアに派遣されたバルナバは、タルソスに行き、サウロを探し出し、アンティオキアに連れ帰った。このシリアのアンティオキアに二人は一年間滞在し、教会が根付くように助けた。

教皇は、こうしてアンティオキアが宣教の中心地となり、まさにこの地で弟子たちが初めて「キリスト者」と呼ばれるようになったことを振り返られた。

宣教旅行に出かけたパウロとバルナバは、再びシリアのアンティオキアに戻った時、神が「異邦人に信仰の門を開いてくださった」(使徒言行録14,27)ことを兄弟たちに報告した。

教皇は、「使徒言行録」からは、教会は「城塞」ではなく、「場所を広くとった天幕」(参照:イザヤ54,2)のように皆を受け入れ、「常に扉が開いている御父の家」のようであるべきことが浮かび上がってくる、と述べられた。

一方で、教会の扉が異邦人に開かれたことで論争が起こったが、それは「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ救われない」(同15,1)という、ある人々の教えをめぐるものであった、と教皇は説明された。

この問題を明らかにしようと、パウロとバルナバは使徒や長老たちと話し合うためエルサレムに上ったが、このエルサレムの使徒会議は、教会の歴史上行われた最初の公会議といえるもの、と話された。

教皇は、この使徒会議で話し合われたことは、キリストにおける信仰とモーセの律法の遵守という、神学、霊性、規律の面からいっても大変デリケートなテーマであった、と指摘。

この話し合いで決定的であったのは、初代教会の柱であるペトロとヤコブの意見であり、それは、異邦人に割礼を強制する必要はなく、偶像崇拝的なあらゆる行為を捨てるように命ずるだけでよい、というものであった、と語られた。

教皇は、エルサレムの使徒会議は、意見の相違と向き合い、「愛に根差した真理」(参照:エフェソ4,15)を探求するための重要な光をわたしたちにもたらしてくれる、と話された。

そして、論争の教会的な解決方法の基礎は、注意深さと忍耐をもって耳を傾ける姿勢と、聖霊の光に照らされた識別にある、と強調された。

教皇は、実際、聖霊こそが、わたしたちが真理と善のうちに一致に到達できるよう、閉鎖性と緊張を克服させ、心の中で働きかけるのである、と説かれた。

23 10月 2019, 17:47
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世界宣教の日:教皇「良き知らせをあらゆる場所に」

10月20日バチカン放送日本語課の記事より。

世界宣教の日:教皇「良き知らせをあらゆる場所に」

カトリック教会は「世界宣教の日」を記念した。

教皇フランシスコは、バチカンで10月20日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

10月の終わりから数えて2番目の日曜日であるこの日、カトリック教会は「世界宣教の日」を記念した。

教皇は祈りの前の説教で、同日の聖書朗読箇所、「テモテへの手紙二」(3,14-4,2)から、「御言葉を宣べ伝えなさい。折りが良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(同4,2)という使徒聖パウロの言葉を掲げられた。

そして、この「世界宣教の日」にあたり、すべての信者に、新たな努力をもって、神の御国を告げるために力を合わせるよう、自覚を呼びかけられた。

教皇は、今年その発表から100年を迎えた、ベネディクト15世の使徒的書簡「マキシムム・イッルド」に言及。

全教会の宣教的責任を促す同文書の中で、ベネディクト15世は、あらゆる植民地主義の影響から清められ、政治的制約から解放された、世界における宣教のあり方を、福音に照らして再考する必要を説いていることを紹介された。

教皇は、今日もベネディクト15世のメッセージは、自己本位な閉鎖性や司牧上の悲観主義の誘惑を超え、福音の喜びに自らを開くよう招いている、と話された。

グローバル化が著しい現代、民族間の連帯や互いの違いの尊重が育つべきであるところ、未だにそれが得られず、古い権力闘争が戦争を引き起こし、地球を破壊している、と述べた教皇は、イエスにおいていつくしみは罪に勝利し、希望は恐れに打ち勝つという良き知らせをあらゆる場所にもたらすようにと、信者らを励まされた。

教皇は、充実した宣教を生きるためには、一つの条件、すなわち熱心で絶えることのない祈りが必要、とも述べられた。

教皇は、すべての人々の母、マリアが福音の宣教者たちを毎日見守ってくださるようにと祈られた。          

また、この集いで教皇は、前日10月19日、イタリア北部クレーマで、ミラノ外国宣教会のアルフレド・クレモネージ神父の列福式が行われたことを報告。1953年、ビルマで殉教した同神父の、平和の使徒、福音の証し人としての生涯を思い起こされた。

福者クレモネージ神父の模範によって、わたしたちもあらゆる状況下で、兄弟愛のために働く者、勇気ある宣教者となれるようにと、教皇は祈られた。

20 10月 2019, 16:42
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教皇「福音を告げる者は、神の創造的な御業を妨げてはならない」

10月16日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「福音を告げる者は、神の創造的な御業を妨げてはならない」

教皇フランシスコは、一般謁見で「使徒言行録」をテキストにカテケーシスを行われた。

教皇フランシスコは、バチカンで10月16日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「使徒言行録」中の、使徒ペトロが百人隊長コルネリウスの家で福音を告げたエピソードを考察された。

神は御自分のすべての子らが、あらゆるこだわりや制約を超えて、救いの普遍性を受け入れることを望んでおられる、と述べた教皇は、水と聖霊によって新しい生を受けた者たちは、自分自身を他者に開き、すべての関係を兄弟愛の体験へと変えて行くよう招かれている、と話された。

教皇は、ユダヤ人が異邦人と交際することは律法で禁じられていたにも関わらず、ペトロが異邦人コルネリウスを訪ねたのは、聖霊の促しがペトロのメンタリティーを変え、兄弟愛へと向かわせたからであると話された。

そして、教皇は、コルネリウス訪問の前にペトロが見た幻について言及。

ペトロは、その幻で、中に「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥」が入った大きな布が天から降りてくるのを見、「屠って食べなさい」という声を聞いた。「清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません」とペトロが答えると、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」という声が聞こえた (参照:使徒言行録 10,11-15)。

教皇は、主はこの幻を通して、ペトロに出来事や人物を清いか、そうでないかで判断せずに、それを超えて、人物そのものとその心の意図を見ることを望まれた、と述べられた。

この幻の後、神はペトロを異邦人コルネリウスの家に派遣した。コルネリウスは「『イタリア隊』と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、…神を畏れ」る人であった(参照:同10,1-2)。

この異邦人の家でペトロは、十字架につけられ、死に、復活したキリストを告げ、「イエスを信じる者はだれでもその名によって罪の赦しが受けられる」(同10,43)ことを説いた。ペトロがこれらのことを話しているうちに、コルネリウスと一同の上に聖霊が降った(参照:同10,44)。そして、ペトロは、イエスキリストの名によって彼らに洗礼を授けた(参照:同10,48)。

しかし、この出来事がエルサレムの兄弟たちの耳に入ると、彼らはペトロの行為に驚き、非難した(参照:同11,1-3)

教皇は、ペトロはコルネリウスとの出会いの後、自分自身からより自由になり、神と他者に対してより交わりの状態にあった、と指摘。なぜならペトロは聖霊の働きのもとに、神の御旨を見たからである、と話された。

ペトロのこのエピソードから学ぶべきことは、福音を告げる者は、「すべての人々が救われることを望んでおられる」(参照:1テモテ2,4)神の創造的な御業を妨げてはならず、むしろ主との心の出会いを助けなくてはならないということ、と教皇は説かれた。

16 10月 2019, 17:45
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ニューマン枢機卿ら5人の列聖式、バチカンで

10月13日バチカン放送日本語課の記事より。

ニューマン枢機卿ら5人の列聖式、バチカンで

バチカンでとり行われた列聖式で、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿をはじめとする5人が新たに聖人として宣言された。

教皇フランシスコは、10月13日、バチカンでミサを司式、この中でとり行われた列聖式で、5人の福者を新たに聖人として宣言した。

この式で列聖されたのは、

ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿(英国1801-1890、英国におけるオラトリオ会・創立者)、

ジュゼッピナ・ヴァンニーニ修道女(イタリア1859-1911、聖カミロ修道女会・共同創立者)、

マリア・テレザ・チラメル・マンキディヤン修道女(インド1876-1926、聖家族修道女会・創立者)、

ドゥルス・ロペス・ポンテス修道女(ブラジル1914-1992、神の母の無原罪宣教女会・修道女)、

マルグリット・ベイズ(スイス1815-1879、在世フランシスコ会・会員)。

ミサ会場の聖ペトロ広場には、この列聖式のために、新聖人たちにゆかりある世界各地や、修道会などから、巡礼者およそ5万人が詰めかけ、教皇はもとより「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」のためにローマを訪れている司教らと喜びを共にした。

ミサの説教で教皇は、福音朗読箇所、ルカ福音書(17,11-19)の、イエスが重い皮膚病を患っている人々を癒すエピソードを観想。

「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ17, 19)という、イエスが癒したサマリア人に向けた言葉を、「信仰の歩み」のゴールを表す言葉として示された。

教皇は、信仰の歩みを進む上で必要な、祈る、歩む、感謝するという3つのステップを、この福音のエピソードの中に見出された。

そして、祈りは心の薬、信仰とは皆と歩む姿勢、感謝は神の心を動かすと共に自分自身を生かす態度、と話された。

教皇は5人の聖人たちの、多くの試練を経ながらも、熱心に祈り、助けを必要とする人々に献身し、イエスという真理を求め続けた、その歩みを振り返られた。

教皇は、3人の聖なる修道女たちの「世の辺境の疎外された人々へと向かう愛の歩み」を、また聖マルグリット・ベイズの単純で力強い祈りと沈黙の献身と忍耐を称えられた。

そして、キリスト者の生活における聖性、深く静かな平和について語った聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿を思い起こされた。

教皇は、ミサの後半、正午の祈りを巡礼者らと共に唱えられた。

13 10月 2019, 17:44
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教皇、シリアとエクアドルの危機に平和をアピール

10月13日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、シリアとエクアドルの危機に平和をアピール

教皇フランシスコは、緊張するシリアとエクアドルの情勢に、平和への努力を呼びかけられた。

教皇フランシスコは、10月13日、バチカンでとり行われた列聖ミサの後半、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この席で教皇は、この日列聖された聖人たちを祝うために世界各国から訪れた参加者らに感謝を述べられた。特にイタリアのマッタレッラ大統領、英国のチャールズ皇太子、英国国教会の関係者らをはじめ、聖人たちの出身国を代表して訪れた使節に挨拶をおくられた。

教皇は、シリアの北東部で起きている軍事行動のために、キリスト教徒たちを含む多くの住民たちが避難せざるを得ない悲劇が、再び繰り返されていることに深い憂慮を表された。

この状況に対し、教皇は、有効な解決策を追求するための誠実で透明な対話の努力を、関係当局および国際社会に訴えられた。

また、教皇は現在エクアドルで起きている抗議行動と、それに対する治安部隊の衝突など、同国の社会・政情不安に言及。

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」の参加司教らと共に、この混乱の犠牲者と負傷者、行方不明者らに心を寄せると同時に、社会平和構築への取り組みと、弱い立場にある人々の人権擁護への関心をアピールされた。

13 10月 2019, 19:01
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「サウロの回心」を観想、教皇一般謁見

10月9日バチカン放送日本語課の記事より。

「サウロの回心」を観想、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見の「使徒言行録」をめぐるカテケーシスで、「サウロの回心」のエピソードを観想された。

教皇フランシスコは、バチカンで10月9日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

この日、教皇は「使徒言行録」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)で、「サウロの回心」を取り上げ、教会に対する迫害者であったサウロ(パウロ)を宣教者へと変えた、主との出会いを観想された。

「使徒言行録」における「ステファノの殉教」のエピソードから、「サウロという若者」(使徒言行録7,58)が登場する。

初期のサウロは、ステファノの殺害に賛成し、「教会を荒らす」者として、それに対し、回心後は、諸国の民に福音を告げるための神に選ばれた道具として描かれるようになる。

サウロは大祭司の許可を得て、キリスト教徒たちを見つけ、縛り上げて、連行しようとしていた。

サウロは「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込み」(同9,1)、こうして主の律法に奉仕しようとしたが、このようなサウロの中にあったものは、生の息吹ではなく、死を漂わせる何かであった、と教皇は話された。

教皇は、「使徒言行録」の中で、サウロは自分の政治的・宗教的アイデンティティーを絶対化し、自分と考え方が違う者を受け入れない、一徹な性格の若者として描かれている、と指摘。

サウロは、キリストとの出会いにより回心して初めて、真の戦いは「血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするもの」(エフェソ6,12)、すなわち、人ではなく、人の行動に影響を与える悪と戦うことを、教えるようになった、と語った。

当初、サウロはキリスト教共同体を根こそぎにしようと意図したが、サウロの旅の途中、主は彼の心に触れることで、ご自分に向けて彼を回心させられた。

サウロのダマスコ途上の回心は、「使徒言行録」で3回にもわたり語られている (使徒言行録9,3-19; 22,3-21; 26,4-23)ことを教皇は紹介。

神がご自身を示される際に特有の「光」と「声」を通して、復活の主はサウロに現れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(同9,4)と尋ね、これによって、教会のメンバーを攻撃することは、キリストご自身を攻撃することであると教えた、と話された。

イエスの声は「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」(同9,6)とサウロに言ったが、彼は起き上がって目を開いても何も見えなくなっていた。

教皇はこのサウロの姿について、キリストの眩い光が彼の目を見えなくし、強く、権威をもった彼は、人の助けを必要とする弱い存在としての自分を体験することになった、と語られた。

サウロと復活の主の直接の出会いは、彼個人の、死から命への「過ぎ越し」を体験させた。そのために、サウロはこれまでの栄光を「塵あくた」「損失」と見なすようになり(参照:フィリピ3,7-8)、キリストとキリストにおける命こそを真の得るべきものと考えるようになった、と教皇は強調。

サウロが受けた洗礼は、わたしたちが受けた洗礼と同様に、新しい命の開始をしるし、そして、その歩みは、神と自分自身と人々に対する新しい眼差しを伴い、敵と見なしていた人々は、キリストにおける兄弟となった、と振り返られた。

09 10月 2019, 17:46
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アマゾン特別シノドス:教皇、全体会議で導入の挨拶

10月7日バチカン放送日本語課の記事より。

アマゾン特別シノドス:教皇、全体会議で導入の挨拶

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」の開始にあたり、教皇フランシスコは会議場の司教らに挨拶をおくられた。

10月6日(日)、バチカンでとり行われた教皇フランシスコと参加司教の共同司式のミサによって、「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)」が開幕した。

シノドス2日目にあたる10月7日(月)午前、教皇フランシスコ出席のもと、第一回目の全体会議が、バチカンのシノドスホールで行われた。

会議開始前、教皇は聖ペトロ大聖堂で参加司教らと共に、これから始まるシノドスのために祈られた。

大聖堂では、アマゾン地域を代表する先住民の人々が、伝統の調べに声を合わせ、宗教行列を行った。教皇はこれらの人々に伴われながら、シノドスホールへと向かわれた。

教皇は、第一回目の全体会議の開始にあたり、導入の挨拶をおくられた。

この中で教皇は、アマゾンの人々を理解し、これらの人々に奉仕するために、司牧・文化・社会・エコロジーなどの視点からのアプローチを通して、謙虚さと勇気をもって耳を傾け、考察、対話するよう、司教らを励まされた。

教皇は、アマゾンの民族の歴史や文化、生活様式や感受性を尊重しながら、そっと人々に寄り添って欲しい、と願われた。

この会議は、社会発展や文化保護の計画や、森林破壊や搾取に対するアクションを話し合うことを意図していないと述べた教皇は、世俗から離れて、使徒・宣教者としての眼差しと心を持って、改宗主義に陥ることなく、アマゾンの人々の現実の尊重のもとに討議が行われることを希望された。

07 10月 2019, 17:47
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アマゾン周辺地域のための特別シノドス:教皇と参加司教らによる開会ミサ

2019年10月6日バチカン放送日本語課の記事より。

アマゾン周辺地域のための特別シノドス:教皇と参加司教らによる開会ミサ

「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)」の開会ミサが、バチカンで、教皇フランシスコと参加司教らによってとり行われた。

バチカンで、10月6日、「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)」が始まった。

この司教会議は、「アマゾン、教会と統合的エコロジーのための新たな歩み」をテーマに、10月27日まで、バチカンのシノドスホールで開催される。

会期中、参加司教らは、先に用意された討議要綱に沿って、アマゾンの地域と人々の現実を展望し、統合的エコロジーの視点から同地域が抱える苦しみと希望を見据え、福音宣教、インカルチュレーション、典礼、遠隔地域での司牧などの課題において、教会の新たな歩みを模索する。

この日、教皇フランシスコと参加司教らによって、聖ペトロ大聖堂でとり行われたシノドス開会ミサには、アマゾンの様々な地域から代表者らが参列した。

教皇はミサの説教で、司教たちが神から受けた賜物を観想。司教らは契約書によってではなく、按手によって叙階されたことを思い出させた。

そして、按手を受けた司教らは、その受けた賜物のために、今度は自らの手を主への取り次ぎのために挙げ、兄弟たちを助けるために差し伸べ、自分の命を奉仕のために捧げなくてはならない、と説かれた。

教皇はまた、司教らが受けた賜物は神と兄弟への愛に燃える「炎」であると強調。

炎は何もしないでいると消えて灰の下に埋もれてしまうように、わたしたちもそのままを良しとすることで、受けた賜物を、恐れや現状維持のための心配という灰の下に埋もれさせてしまうことになる、と警告された。

これに対し、教皇は、「教会は常に歩み、外に向かい、決して自分の中に閉じこもることはない」、「イエスは穏やかな夜風をもたらすためではなく、地上に火を投ずるためにやって来られた」と話された。

「神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです」(2テモテ1,7)という、聖パウロの言葉を引用された教皇は、「思慮分別」とは優柔不断や保身的な態度ではない、それをおくびょうさや恐れと混同してはならないと注意。

司牧者の徳は、賢明さと識別、聖霊の知らせを感じ取る力にある、と語られた。

重い十字架を背負い、福音の慰め解放する力、教会の愛を待ち望むアマゾンの人々のため、またアマゾンの人々と共に、自分たちの命を捧げて行こう、と教皇は司教らに呼びかけられた。

06 10月 2019, 18:57
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「謙虚さと信頼を持ち、御旨に従う」教皇、日曜正午の集い

2019年10月6日バチカン放送日本語課の記事より。

「謙虚さと信頼を持ち、御旨に従う」教皇、日曜正午の集い

教皇フランシスコは、「アマゾン周辺地域のための特別シノドス」の開会ミサの後、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

教皇フランシスコは、バチカンで10月6日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

この集いは、「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)」の開会ミサに続いて行われた。

祈りに先立つ説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ルカ福音書(17,5-10)のイエスが弟子たちに信仰について語る場面を取り上げられた。

この場面で、弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください」(同17,5)とイエスに願い、イエスはこれに対し、「からし種」と「忠実な僕」の比喩を通し、信仰とは何かを教えられた。

イエスは、弟子たちに「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下せ』と言っても、言うことを聞くであろう」(同17,6)と話された。

教皇は、桑の木はしっかりと地に根を張り、風にも強い木であると説明。たとえ小さな信仰でも、それがあれば、桑の木に自らを引き抜かせ、海に根を張らせるという、不可能も可能となるということを、イエスは理解させようとしている、と話された。

信仰を持つ人に不可能はない、なぜなら、自分の力ではなく、万能の神に自らを委ねるからである、と教皇は強調。

からし種ほどの小さな信仰は、その謙虚さによって神に対する大きな必要を感じ、その小ささゆえに神に完全な信頼を持って自らを委ねるのである、と話された。

また、教皇は、イエスは信仰の大きさを「奉仕」によって示している、と述べた。

畑から帰って疲れていても、すぐに主人の命に従って夕食を用意し給仕する僕のように、自分に命じられたことを果たしたら、「わたしは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」(同17,10)と言いなさい、とイエスは弟子たちに説いている。

教皇はこれについて、イエスは、計算も要求もなく、全身全霊をもって神の御旨に従う、という信仰の態度を教えている、と語られた。

「わたしは取るに足りない僕です」というへりくだりと献身の表現は、教会と、教会において働く者たちにとって、とてもためになる言葉である、と話された教皇は、弟子たちの足を自ら洗われたイエスのように、謙遜な奉仕をと、人々を励まされた。

           

06 10月 2019, 15:34
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教皇、カメルーンの国内対話のために祈る

2019年10月1日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、カメルーンの国内対話のために祈る

教皇フランシスコは、カメルーン国内の対話と平和構築のために祈られた。

9月29日、カトリック教会の2019年度「世界移民・難民の日」を迎え、教皇フランシスコは、バチカンでミサを捧げられた。

ミサの後半に行われた、正午のお告げの祈りで、教皇はカメルーンで間もなく行われる国内対話に言及、同国に平和を呼びかけられた。

カメルーン国内では、ここ数年、元英国委任統治領で英語を話す地方の分離独立派と中央政府間での緊張が高まり、2017年には、アンバゾニア共和国の名のもとに独立派が独立を宣言、衝突に発展するなど、政治的解決の道筋がつかないまま、内戦の危機にあった。

教皇はこの席で、カメルーンで9月30日から開催される大規模な国内対話に期待を表された。

教皇は、同国民と苦しみと希望を分かち合いつつ、この対話がすべての人のための安定した平和に寄与するものとなるようにと、その実りを聖母に託して祈られた。

01 10月 2019, 15:37
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