カテゴリー別アーカイブ: フランシスコ教皇メッセージ

死者の日:教皇、ローマのラウレンティーノ墓地でミサ

2018年11月2日バチカン放送日本語課の記事より。

死者の日:教皇、ローマのラウレンティーノ墓地でミサ

11月2日、典礼暦の「死者の日」、教皇フランシスコは、ローマのラウレンティーノ墓地を訪問された。

11月2日「死者の日」、カトリック教会の典礼暦は、亡くなったすべての信者たちを思い起こした。

教皇フランシスコは、この日の夕方、ローマ南郊外にあるラウレンティーノ墓地へ赴かれ、墓参りの市民らと共に、ミサを捧げられた。

同墓地に到着された教皇は、最初に、「天使たちの園」と名付けられた、病気や事故で幼くして亡くなった子どもたち、また生まれる前に亡くなった子どもたちのための一角を訪れた。

教皇は、ぬいぐるみや花で飾られた子どもたちのお墓の前で沈黙のうちに祈り、白い花束を捧げられた。また、子どもたちの墓を訪れた何人かの両親たちに言葉と抱擁を与えられた。

この後、教皇は、墓地の他の場所でも祈られた。

教皇は、墓地の礼拝堂前で司式したミサの説教で、「今日は記憶の日です」と述べられた。

自分の人生や家族に起こったことを記憶することは、時に辛いこともあるが、それはルーツに根差しながら、前に進んでいくために必要なことと語られた。

また、これらの記憶は、わたしたちに命を与えてくださった神との出会いの希望、わたしたちを待つ神の愛への希望を与えてくれるもの、と話された。

教皇は、神との出会いに至るために、わたしたちはイエスの説く「真福八端」を光とし、道を誤ることなく進んで行こうと呼びかけられた。

02 11月 2018, 17:49
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諸聖人の祭日:教皇「聖人たちと一致し、至福への道を歩もう」

2018年11月1日バチカン放送日本語課の記事より。

諸聖人の祭日:教皇「聖人たちと一致し、至福への道を歩もう」

カトリック教会の典礼暦は、11月1日、「諸聖人」の祭日を迎えた。

教皇フランシスコは、11月1日、「諸聖人」の祭日、バチカンで正午の祈りを信者らと共に唱えられた。

集いの説教で教皇は、この日の第一朗読「ヨハネの黙示録」(7,2-4、9-14)から、「白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と子羊の前に立って」神を称える、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数えきれないほどの大群衆」(同7,9)を観想された。

教皇は、これらの人々とは、聖人たちであり、彼らは天国で神を賛美しながら、喜びをもって共に歌っていると話された。

これら聖人たちの賛歌を聞くことができるならば、どんなに素晴らしいだろうか、と教皇は述べつつ、実は、わたしたちはミサの中で「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主」と「サンクトゥス」を唱和する時、聖人たちに思いをはせるだけでなく、彼らとよりいっそう一致しているのである、と語られた。

「わたしたちは『すべての聖人たち』と一致している」と教皇は述べ、すべての聖人たちとは、教会暦の著名な聖人たちはもとより、今では天国の大群衆に属している、わたしたちの親しい人々や知り合いたちのことをも指している、と説明。

こうしたことから、今日の諸聖人の祭日は、家族のお祭りとも言える、と話された。

聖人たちは、わたしたちの近くにいる、真の兄弟姉妹であり、わたしたちを理解し、愛し、わたしたちにとって何がためになるかを知り、わたしたちを助け、待っていてくれる存在であると、教皇は説かれた。

「心の貧しい人々は、幸いである…柔和な人々は、幸いである…心の清い人々は、幸いである。」(参照:マタイ5,3-8)

この日の福音朗読箇所、イエスが「真福八端」の教えを説く場面(マタイ5・1-12a)を引用された教皇は、この世では、富む人々や、横暴な人々、狡猾で、享楽的な人々を「幸い」と捉えるのに対し、福音は、心の貧しい人々、柔和な人々、心の清い人々を「幸い」と呼んでいる、これはどういうことだろうかと問われた。

イエスが説くこの幸福と聖性への道は、一見、敗北への道のように思われるが、聖人たちは手に「なつめやしの枝」(参照:黙示録7,9 )、すなわち勝利の印を持っているように、勝利したのはこの世ではなく、彼らなのである、と強調された。

聖人たちは、わたしたちに彼らの方につくように、すなわち聖なる神の側を選ぶように、謙遜、柔和、いつくしみ、清さを選び、この世より天国に情熱を持つようにと励ましている、と教皇は話された。

そして、聖人たちは、福音に耳を傾けるだけでなく、その教えを実行に移し、至福への道を歩むようにと招いている、と述べた教皇は、毎日この道を歩み続けることで、わたしたちは天の家族、天の家へと向かうことができるだろうと説かれた。

01 11月 2018, 17:25
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教皇「シノドスは、慰めと希望の時」正午の祈りで

2018年10月29日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「シノドスは、慰めと希望の時」正午の祈りで

教皇フランシスコは、10月28日(日)の正午の祈りで、この日閉会したシノドスを振り返られた。

教皇フランシスコは、バチカンで10月28日(日)、正午の祈りを唱えられた。

バチカンで開催されていた、「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとした世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会は、この日最終日を迎え、聖ペトロ大聖堂で閉会ミサがとり行われた。

閉会ミサに続き、正午に行われたお告げの祈りで、教皇は1カ月近くにわたるシノドスの歩みを振り返られた。

教皇は、多くの作業を要したシノドスの日々を「慰めと希望の時」「耳を傾ける時間」であったと表現された。

シノドスに費やした努力は、日々慰めへと変容されていったが、それは特に教皇や参加司教らが、活発で刺激に富む若い人たちと共に過ごし、彼らの生き方や、その貢献に接したからであると話された。

シノドス参加司教らの発表によって、若い世代の多様的な現実が、それぞれの大陸や、人間的・社会的に異なる状況を通しながら、会議の中にもたらされた、と教皇は述べた。

教皇は、この会議について、「耳を傾ける」という本質的な態度をもって、今日の時のしるしを読み取るものであったと話した。

神のみ言葉と聖霊の光に照らした、この「共同体的な識別」の作業、すなわち、様々な現実の声や顔を集め、これらの現象の豊かさ・複雑さを考慮した上で、福音の光のもとにそその解釈を試みたことは、主が教会に与えてくださった大きな恵みであった、と話した。

ぶどうの収穫後、樽の中で発酵が始まるように、シノドスの作業の実りもまた、すでに「発酵」を開始していると述べた教皇は、「若者」をテーマとしたこのシノドスは、よい収穫をもらたし、よいぶどう酒を約束するもの、と語られた。

特に、今回の会議の最も重要な収穫は、準備段階から適用を試みたメソッド、その「シノドス的形態」にあると教皇は強調。

文書の作成は、もちろん貴重で有益なことであるが、それ自体を主目的とせず、文書そのものよりも、若者と年長者が、現実に即した司牧的選択に到達するために、傾聴と識別のもとに共に働くというやり方を広めることが、このシノドスにおいて最も重要なことであった、と述べた。

教皇は、シノドスの恵みを神に感謝すると共に、ここで体験したことを、恐れることなく、共同体の日常生活に導入できるよう、聖母の助けを願われた。

そして、全世界の若者たちと共に歩み続けることができるよう、聖霊が、その叡智ある想像力をもって、シノドスの実りを成長させてくださるようにと、祈られた。

29 10月 2018, 18:06
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「若者」テーマのシノドス:教皇と司教らによる閉会ミサ

2018年10月28日バチカン放送日本語課の記事より。

「若者」テーマのシノドス:教皇と司教らによる閉会ミサ

2018年10月3日よりバチカンで開かれていた「若者」をテーマにしたシノドスは、同月28日に終了。教皇フランシスコと参加司教らによる閉会ミサがとり行われた。

「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとした「世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会」の最終日、10月28日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、教皇フランシスコとシノドス参加司教らによって、閉会のミサが捧げられた。

このミサには、若者たちをはじめ、およそ7千人が参加した。

教皇はミサの説教で、この日の福音朗読箇所、マルコ福音書の、イエスがバルティマイという目の見えない人を癒すエピソード(10,46-52 )を取り上げ、その中に、「耳を傾ける」「寄り添う」「証しする」という、信仰の歩みにおける3つのステップを示された。

「耳を傾ける」

イエスは、道端で物乞いをしている目の見えないバルティマイの叫びを聞かれた。教皇は信仰の歩みを助ける第一のステップは、「耳を傾ける」こと、すなわち「耳の使徒職」にあると話された。

これに対し、弟子たちにとって、バルティマイは一行が進んで行く上で迷惑な存在であり、旅の計画を邪魔するものであったと教皇は指摘。弟子たちは、イエスの時間よりも、自分たちの時間を大事にし、他人に耳を貸すよりも、自分たちの言葉に重きを置き、イエスに従いながらも、実際には自分たちの計画を頭に描いていた、と話された。

教皇は、イエスのように愛をもって耳を傾ける心を恵みとして得ることを祈られた。

教皇は若者たちに対し、教会の大人たちが彼らに耳を傾けなかったこと、彼らの心を開く代わりに、自分たちの言葉で彼らの耳を塞いだことを謝られ、これからは「イエスの教会」として愛をもって若者たちに耳を傾けたいと述べられた。

「寄り添う」

イエスは、バルティマイに「何をしてほしいのか」と言われた。教皇は、耳を傾けることの次のステップは、「寄り添う」ことであると話された。

イエスは、固定観念にとらわれず、バルティマイの立場になり、「あなたは、わたしがあなたのために何をすることを望んでいるのか」と、彼のために、彼の状況に合わせて、寄り添われていると教皇は語られた。

「証しする」

教皇は3つ目のステップ「証しする」について、イエスがバルティマイを呼んでくるように言った際、弟子たちがバルティマイにかけた言葉、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」に注目。

イエスだけが心に安心を与え、立ち直らせることができ、イエスだけが心身を癒し、イエスだけが、従うように呼びかけた人の人生を変えることができると話された。

そして、キリスト者は兄弟たちが扉をたたくのを待っていてはいけない、わたしたちから彼らのもとに出向き、彼らをわたしたち自身にではなく、イエスのところに連れて行かなければならないと説かれた。

シノドスを振り返って

教皇はシノドスの日々を共に歩んだ司教らの証しに感謝を述べると共に、交わりのうちに、率直な態度で、神とその民に奉仕する熱意をもって取り組んだ、シノドスの作業を振り返られた。

教皇は、司教らが若者たちに耳を傾け、寄り添い、人生の喜びであるイエスを彼らに証しすることができるようにと、主の祝福を祈られた。

28 10月 2018, 18:25
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若者と共に、26日間にわたるシノドスの終了

2018年10月28日バチカン放送日本語課の記事より。

若者と共に、26日間にわたるシノドスの終了

「若者」をテーマとしたシノドスが、10月28日、教皇と司教らによる閉会ミサをもって終了した。

「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとした「世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会」は、10月3日から28日までバチカンで開催された。

26日間にわたる同シノドスには、各国の司教協議会や、東方典礼カトリック教会、教皇庁などから267人の司教が参加。日本からは、札幌教区の勝谷太治司教が参加した。

この他、協力者としての専門家、また、34人の若者たちをはじめ、世界各国から傍聴者が会議に招かれた。

「若者」をテーマとするこのシノドスに先立ち、今年3月には、青年たち自身による準備ミーティングがローマで開催された。このミーティングには300人が直接参加したほか、多くの若者がインターネットを介して意見を述べた。

また、シノドス準備のための、インターネットを通した質問書に、世界のおよそ10万人の青少年が回答を寄せた。

今年6月には、これらの結果などを基に、「討議要綱が」発表された。

10月3日の開会ミサで幕開けしたシノドスでは、「討議要綱」の全3部のテーマ(「第1部 認める:現実に耳を傾ける教会」、「第2部 判断する:信仰と召命の識別」、「第3部 選択する:司牧的・宣教的回心の歩み」)に沿って、連日、全体会議と、言語別の小会議が行われた。そして、閉会前日10月27日、司教らによって最終文書が採択された。

10月28日、教皇フランシスコと司教らは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で閉会ミサをとり行った。

このミサの終わりには、参加司教たちから若者たちに宛てた「手紙」が発表された。

28 10月 2018, 18:51
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司教たちから若者への手紙、シノドスの終了に

2018年10月28日バチカン放送日本語課の記事より。

司教たちから若者への手紙、シノドスの終了に

「若者、信仰そして召命の識別」をテーマとしたシノドス閉会にあたり、参加司教らは、世界の若者に宛て手紙を記した。

バチカンで10月3日(水)から開かれていた、世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会(テーマ:若者、信仰そして召命の識別)は、10月28日、教皇フランシスコと、参加司教らの閉会ミサをもって終了した。

シノドスの閉会に、司教らは世界の若者たちに宛て、次のような手紙を発表した。

**********

世界代表司教会議・第15回通常総会

シノドス参加司教たちから若者への手紙

「皆さん、世界の若者たちに、わたしたちシノドス参加司教は、希望と信頼と慰めの言葉をもって、話しかけたいと思います。ここ数日、わたしたちは「永遠に若いキリスト」イエスの声に耳を傾けるために集いました。そして、イエスの中に、皆さんの多くの声、皆さんの喜びの叫び、嘆き、沈黙を認めました。

皆さんの内的追求や、皆さんの不安定さを形作っている喜び、希望、悲しみ、苦悩をわたしたちは知っています。ここで皆さんにわたしたちの言葉を聞いて欲しいのです。それは、皆さんが、待ち望んでいることを、高い目標へと変容できるよう、そのためにわたしたちは皆さんの喜びの協力者となりたいということです。自分たちの夢を、生活や人類の歴史の中で具体化させるために、皆さんが生きることへの意欲をもって、努力しようとしていることを、わたしたちはよく知っています。

わたしたちの弱さが皆さんを失望させることがないように、脆さや罪が皆さんの信頼を妨げることがないようにと願っています。教会は皆さんにとってお母さんです。教会は皆さんを見捨てず、新しい道や、山道を一緒に歩んでくれます。高みにある細い道では、聖霊がより強く吹き、無関心や、軽薄さ、落胆を吹き飛ばしてくれます。

神が御子イエスを与えるほどに愛された世界が、物事や、たやすい成功、享楽に閉じこもり、最も弱い人々を押しつぶす時、皆さんは、世界が再び立ち上がり、その眼差しを愛と美と正義に再び向けることができるよう、助けてあげてください。

一か月にわたり、わたしたちはここで皆さんの何人かと一緒に、そしてわたしたちと結ばれた多くの皆さんは祈りと愛情をもって、共に歩んできました。今、わたしたちはそれぞれの地で、歩み続けたいと望んでいます。イエスはわたしたちをそこに弟子・宣教者として派遣されるのです。

教会と世界は皆さんの情熱を緊急に必要としています。より弱い人々、貧しい人々、人生に傷ついた人たちの道のりを、共に寄り添う人となってください。

皆さんは現在であり、そして、より輝ける未来です。

2018年10月28日 」

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「結婚は、神の忠実な愛を基礎とする」教皇一般謁見

2018年10月24日バチカン放送日本語課の記事より。

「結婚は、神の忠実な愛を基礎とする」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、結婚に必要な、神の愛に基づく忠実について語られた。

教皇フランシスコは、バチカンで10月24日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

秋晴れの下、聖ペトロ広場で開催された一般謁見には世界各国からの巡礼者が参加した。この中には、南島原市から訪れた学生たちの使節団の姿も見られた。

「十戒」の第6戒は、忠実を呼びかける掟

謁見中、教皇はカテケーシス(教会の教えの解説)で、モーセ「十戒」の第6戒「姦淫してはならない」を考察された。

教皇はこの戒を「忠実を呼びかけるもの」と説明。「実際、いかなる人間関係も、誠実と忠誠なしでは、本物とは言えない」と話された。

愛は無条件にすべてを与える

「都合がよい間だけ愛する、ということはできない。愛は無条件にすべてを与えてこそ、自分の利得を超えたものとなる」と教皇は強調。

「愛は決定的であるはずです。『とりあえず』ということはありえません」という、『カトリック教会のカテキズム』(n. 1646) の言葉を示された。

キリストの中にある真の愛の姿

「忠実さとは、自由で成熟した、責任ある関係に特徴づけられるもの」と教皇は述べ、たとえば友人についても、どのような状況でも変わらない誠実さがなければ、友人とは言えない、と指摘された。

「御父の無限の愛を生きるキリストは、その愛の力によって、わたしたちがたとえ過ちを犯しても見捨てず、たとえ我々がそれに値しない者であっても、わたしたちのためをいつも思ってくださる」と、教皇はキリストの中に真の愛の姿を見つめるよう招かれた。

未熟な関係を愛と呼ぶ危険

「人間は無条件に愛される体験を必要とし、それを得られない者は、無意識のうちにある種の欠如感を自分の中に抱え、その空虚さを埋めるために、妥協して安易な虚しい関係を受け入れてしまう。危険なのは、その早まった未熟な関係を『愛』と呼んでしまうこと」と教皇は語られた。

こうした中、時に肉体的な魅力が過大評価されることについて、教皇は、「それ自体は神の贈り物であるが、それは人との真の誠実な関係を築く道へと導くためのものでなくてはならない」と話された。

結婚に必要な十分な識別

教皇は、結婚生活への召命には、関係の質の十分な識別と、それを見極めるだけの婚約期間が必要と強調。

婚約者らは、結婚の秘跡にたどりつくまでに、「キリストの恵みによって、生涯、忠実を尽くすことを誓います」と言うことを可能とさせる、神の御手と導きが二人の間に存在しているという確信を育てなければならない、と説かれた。

「結婚は、神の忠実な愛という堅固な土壌を基礎とするべき」と述べた教皇は、そのためにも、結婚の秘跡の前に、単なる形式だけで終わらない、充実した結婚準備講座の必要と、それを与える責任を、司教や司祭らに訴えられた。

忠実さとは一つの生き方

教皇は、「忠実さとは一つの生き方」であるとし、忠実さで織りなされた生き方は、人生のあらゆる場面で、その人の誠実さと信頼性を浮き彫りにするだろうと話された。

しかし、このような素晴らしい人生に至るには、わたしたち人間の力では足りず、神の忠実さがわたしたちの人生にもたらされ、わたしたちを感化する必要があると教皇は述べた。

そして、「十戒」の第6戒は、わたしたちから不義の心を取り去り、忠実な心を与えてくださるキリストに眼差しを向けるよう招いている、と説かれた。

24 10月 2018, 18:17
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教皇、若者とお年寄りとの対話集会に参加

2018年10月23日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、若者とお年寄りとの対話集会に参加

教皇フランシスコは、若者とお年寄りとの出会いと対話に参加された。

教皇フランシスコは、10月23日、若者とお年寄りとの出会いと対話の集会に参加された。

「時の知恵」と名付けられた、若者と高齢者によるこの対話は、現在バチカンで開催中の「若者」をテーマとするシノドスの関連行事として行われた。

会場となった、バチカン近くのアウグスチノ教父学研究所の大ホールには、世界各国の若者たちとお年寄りが集い、同じキリスト教信仰のもとに、世代を超えた交流を行った。

集いの中で教皇は、若い人々とお年寄りの双方の代表から質問を受け、それぞれに答えられた。

教会系の支援施設でボランティアとして働く若い女性は、「偽物や作り物の関係があふれる今日、真の人間関係を築くにはどうしたらよいか」と質問。

教皇は、感情を消してしまう現代の文化に抗い、真の人間関係を築くには、「手をさし伸ばし、抱擁すること」「歩みながら、自分自身を開くこと」「奉仕すること」「リスクを冒すこと」が必要と述べた。競争心や利害関係、偽善や軽蔑など、自分をその場に留まらせてしまうものを捨てて、自ら進んで、相手に手を差し伸べ、腕を広げて受け入れることが人間関係を成熟させると話した。

結婚43年という夫婦は、これまで子どもや孫に熱心に信仰教育を施してきたが、それでも現在、若い人は信仰や教会から遠ざかる傾向があると、憂慮を伝えた。

教皇は、「家族の言語」というべきものを通して、生活上の具体的な態度の中で、子や孫に信仰の証しを伝えることが必要と語られた。多くの愛と、優しさ、理解、忍耐を持つよう勧められた教皇は、息子の回心を、涙の中に祈り求め続けた聖モニカを模範として示された。

この集いには、米国の映画監督マーティン・スコセッシ氏も参加。ニューヨークの下町で育った同監督は、両親や教会のおかげで信仰に接する傍ら、外では多くの悪を目の当たりにし、教会の説く真理と、道端の現実の相違に苦しんだと、青少年時代を振り返った。

スコセッシ監督は、様々なメディアを通して悪が氾濫する世界を見、善を信じることが難しい現代、この嵐の中で若い人たちが信仰を保つために、大人や教会は何ができるのか、と問いかけた。

教皇は、人間の尊厳を傷つける多くの悪や暴力の存在に触れつつ、これらを前に、残虐や暴力は間違っていると若者たちに伝える必要を説いた。

固くなった心を開くには、泣く恵みを求めなければならないと教皇は話し、イエスも人々のために涙を流されたように、人間として、キリスト者として、人間の尊厳を破壊する行為を前に、涙を流すことが必要と語られた。

 

23 10月 2018, 20:00
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「十字架という王座を選び、自らを与える神」教皇、日曜の集いで

2018年10月21日バチカン放送日本語課の記事より。

「十字架という王座を選び、自らを与える神」教皇、日曜の集いで

教皇フランシスコは、「奉仕の道は、出世を渇望する病に最も有効な薬」と話された。

教皇フランシスコは、バチカンで10月21日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。

祈りに先立つ説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、イエスが栄光を受ける時には自分たちをイエスの左右に座らせて欲しいと、弟子ヤコブとヨハネが師イエスに願い出る場面 (マルコ10,35-45)を取り上げられた。

教皇は、イエスはここでも大きな忍耐をもって、弟子たちをこの世のメンタリティーから、神のそれへと回心させようとしている、と話された。

イエスの最初の弟子たちであるヤコブとヨハネは、イエスとその御国への情熱に燃えていたが、彼らの熱心さはこの世の精神に染まっていた、と教皇は指摘。

そのため、イエスは「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」(同10, 38)と言われたが、特権を熱心に望むヤコブとヨハネは、「できます」(同10, 39)と答えるばかりであり、ここに至っても、彼らは自分たちの言っていることが分かっていなかった、と、その状況を説明された。

イエスのこの言葉は、ヤコブとヨハネも、他の弟子たちと同じく、その時が来れば、ご自身の十字架に加わることになるだろうという預言であったが、それは同時に「わたしに従い、犠牲における愛の道を学びなさい」という師の招きでもあったと教皇は述べた。

また、他の10人の弟子たちも、これを聞いてヤコブとヨハネのことで腹を立て始めたが、それは彼らも同様にこの世の精神に煩わされていることの証拠であった、と話された。

そこで、イエスは弟子たちに「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、一番上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(同10,42-44)と教えられた。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(同10,45)というイエスの言葉を教皇は観想。

地上の支配者たちがその権力のために「王座」を築く一方で、神は十字架という心地よくない王座を選び、自分の命を与えることで、その王国を治める、というイエスのメッセージをそこに示された。

「奉仕の道は、出世を渇望する病に最も有効な薬」と述べた教皇は、わたしたちがキリストの弟子として、この福音を受け入れ、貧しい人々に愛と単純さをもって奉仕できるようにと祈られた。

21 10月 2018, 17:00
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世界宣教の日:教皇「若者たちと共に、これこそが道」

2018年10月21日バチカン放送日本語課の記事より。

世界宣教の日:教皇「若者たちと共に、これこそが道」

10月21日、カトリック教会の「世界宣教の日」が記念された。

教皇フランシスコは、10月21日、バチカンで行われた日曜正午の集いで、この日記念された「世界宣教の日」に言及された。

カトリック教会の「世界宣教の日」は、すべての信者の宣教心を喚起すると共に、宣教のための霊的・物質的援助と、宣教者間の交流推進を目的とするもので、10月の最後から2番目の日曜日に記念される。

今年のテーマは、「若者たちと共に、福音をすべての人に伝えよう」。

「『若者たちと共に』、これこそが道です」と述べた教皇は、現在バチカンで開催中の「若者」をテーマとするシノドスにおいて、イエスの中に人生の意味と喜びを見出した青年たちの、たくさんの証しに接していると話された。

そして、これらの若者たちは、すでに教会活動に参加している同年代の人たちのおかげでイエスと出会ったという場合が多いと紹介された。

教皇は、新しい世代の人々に、宣教精神と、教会のミッションに協力するための召命が欠けることがないようにと願われた。

21 10月 2018, 18:00
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