月別アーカイブ: 2013年1月

沈められる洗礼

イエスは宣教を始めるにあたって洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたが、その意味がわたしにはずっとわからなかった。わたしたちの模範としてイエスも洗礼を受けた、と聞いてきたが、この説明では納得しがたい。洗礼は清めであると考えるかぎり理解できない。なぜなら、イエスは清められる必要はなかったから。イエスは罪を犯さなかったから。イエスは洗礼を受ける必要はなかったのではないか…。

イエスはなぜ洗礼を受けたのだろう。今、わたしたちが普通に考える洗礼とはじつは違っていたのではないか。わたしたちが考える洗礼、それは罪からの清めであり、キリスト教に入信する秘跡(ひせき:言葉としるしを通して実際に恵みを与える)である。あえて儀式といってもいいかもしれない。イエスには清めは必要ではなかったし、ましてやキリスト教に入るために洗礼を受ける必要もなかった。自分の無知をさらけ出すようだが、素直にこの疑問を呈したい。

今、行われている洗礼の多くは額に少量の水を注ぐことによって行われる。水の量は少しだが、その「しるし」によってすべての罪が赦され、清められるとされる。これが教会の教えであり、それに異論を唱えるつもりはない。だが、イエスが受けた洗礼はそのような洗礼だったのだろうか。正直いって、まだまだ疑問が残る。

「洗礼」と訳されているバプテスマというギリシャ語の言葉には、水の中に「身を沈める」という意味がある。イエスにとって水の中に沈められることは「正しいこと」であった。沈められて水の中から上がったそのとき、天が開いた。そして神の霊が彼に降った。そして「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声がした。イエスが水の中に沈められることは正しいこと、神のこころに適うことだったのだ。

身を沈めること、これがイエスの示した模範だった。身を沈める。低くなる。そうするとき、神が引き上げてくださり、神の霊に包まれる。これがキリスト者、キリストのものとなった者の生き方。

洗礼を受けるということは単に清められることではない。汚れを洗い流すことだけでもない。それはイエスが洗礼後に生きた生き方に倣うこと。イエスは底辺に這いつくばって生きている人と共に生きた。十字架の死にいたるまで。洗礼はそのように生きることを求める。

洗礼を受けたことで妙な優越感を感じる人がいるようだが、なぜだろうか。優越感など感じるはずはない。それは間違っている。洗礼を受けることは謙虚になること。低みに視点を移すこと。イエスのようにへりくだること。低くされたところで神の霊に包まれて生きること。洗礼のこの意味に気づくなら、教会(エクレシア)はもっと必然的に変わっていくのではないだろうか。

《そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(バプテスマ)を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて ”霊” が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。》マルコによる福音書1章9節〜11節:新共同訳

《その頃のことでござる。イェシューさまは[草深き]ガリラヤのナザレ村から[燃ゆるが如き志を抱いて]出で立ち、ヨルダン川のヨハネのもとでお水を潜らせてもらいなさった。イェシューさまが水から上がったそのとき、天が割れて、そこから神さまの息がソヨソヨと、まるで鳩の舞うがごとくにやさしく、おのが頭(こうべ)の上へ吹き下ろして来るのを感じなさった。そして、天にお声がござった。「そなたこそ我が愛しき倅(せがれ)。何にもまして気に入っているぞ。」》同上:山浦玄嗣訳

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わたしが愛したように

2006年の7月7日、知人から古い十字架を譲り受けた。検証はされていないが、言い伝えではアヘン戦争時代に英国から中国に持ち込まれたものらしい。その知人の知人が香港で手に入れたもの。

クリスチャンでない知人は、四五年は自分の元に置いていたが、自分が持っていても意味がないような気がして、母親が帰天されたのを機に、小さいときにお世話になったということで、知人が卒園したカトリック幼稚園に寄贈した。

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左のステンドグラスは九十九伸一作「天使の時空」(一部)行橋カトリック教会

祖末な板切れに釘付けにされたブロンズのキリスト像は精巧に造られたもので、見る者に感動さえ与える。よく見ると右腕は肘のところが折られ、修理した跡がある。心臓のところもペンチのようなもので傷つけられている。膝から下はゆがめられ、像の全体がねじれている。おそらく傷つけられて壊された後、どこかに棄てられていたものを誰かが拾い、板切れで丁寧に十字架を作り、それに釘付けにしたのであろう。十字架に付けられたといわれる「罪状書き」も失われている。打ち付けた釘は錆びていた。

その十字架が回り回ってわたしの元に来た。この十字架はこれからずっと神父が大切にしないといけない…知人からそう言われた。

この十字架は「さらなる苦しみの十字架」と呼ばれるようになった。

この十字架を指物師の方に頼んで、原型をとどめたまま典礼儀式の時に使う行列用の十字架に作り替えてもらった。ある機会にこの十字架は一度倒され、二回目に倒れた時、板切れの十字架が折れ、像が木から外れた。

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後ろの絵は九十九伸一作「聖霊降臨」(一部)行橋カトリック教会

その年の聖金曜日(イエスの受難と死を記念する復活祭直前の金曜日)に新しい十字架が作られ、このキリスト像は受難の典礼の中で三度釘付けにされた。

十字架磔

イエスは言う。

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」[ヨハネによる福音書13章34節]

山浦玄嗣訳《新しい掟をお前たちに与える。お前たち、互いに相手を大事にし続けろ。俺がそなたらを大事にしたように、そなたらも互いに相手を大事にし続けろ。》

べつに掟として与えられなくても、誰でも互いに愛し合うことを求めている。しかも、この望みは人のもっとも強いもの。誰でも愛し、愛されたいと望んでいる。人はそのために生きているといってもいい。愛し、愛されることを求め、努力するが、けっして満足することはできない。掟として与えられても自分の無力さを知るだけである。

しかし、イエスはこの掟を「新しい」ものとして与えた。新しさはどこにあるのか…。

イエスは「わたしがあなたがたを愛したように」という。イエスの愛は十字架に表されている。この掟は指示、命令ではなく、愛そのものである。この掟は、すでに愛し合おうとしているわたしたちへの励ましであり希望である。イエスがこのように愛してくださった。自分のすべてを与えるほどに。十字架に釘付けにされて民衆のさらしものになるほどに。こうしてイエスは神の愛を人々にさらした。自分のすべてを与え尽くす「愛」を。

十字架を見る者がこの愛に気づく時、互いに愛し合おうとしているわたしたちに神からの力が与えられる。自己中心的な愛が浄化され、他に向かう愛に変えられていく。

釘を打つ音が、こころの奥底で響く…。

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現在、小倉カトリック教会の祭壇横に立てられている《さらなる苦しみの十字架》

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十字架や聖像は偶像崇拝?

教会質問箱(キリスト新聞2011年3月5日号掲載:山元回答)より

Q. 十字架や聖像は偶像崇拝? 「十字架や聖像に向かってお祈りするのは偶像崇拝になりませんか?」(10代・女性)

A. 十字架や聖像そのものを神格化したりすることは、文字通り偶像を崇拝、礼拝することになるでしょう。木や石そのものを崇拝するのも同じことです。

キリスト教は天地万物の創造者を主として崇めます。この世界のすべてのものを通して働いておられる神を礼拝します。日常生活の中で生きておられる主キリストを礼拝します。それは、目に見えるもの、体験する事柄を通して、その向こうにある存在を崇めるのです。神から造られたもの、そのものを決して拝むことはしません。

コリントの教会に宛てて書いた手紙で、パウロは次のように言っています。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」(コリントの信徒への第二の手紙4章18節)。

見えるものを拝むことはありませんが、見えるものを通してその向こうにある方を礼拝し崇めます。十字架や聖像は礼拝を助けます。日常の生活や物質の中に、十字架や聖像を置くことによって、それを通して天地万物の創造者である主を讃え、今も復活して生きておられる主キリストに想いを向けることができます。それを可能にするなら、十字架や聖像はわたしたちの信仰に役に立ちます。

仏教や神道が社会の基盤になっている日本の社会では、「お守り」などのグッズに代わるものをキリスト教に求めるきらいがあります。それは偶像崇拝や迷信となるおそれがあります。ましてやそれらを商業的なものに変えてしまうのなら、エルサレムの神殿から商人を追い出したイエスの怒りをかうことになるでしょう。

十字架や聖像はその向こうにある方を思い起こし、礼拝へと導くものでなければなりません。真の芸術は真善美である神に導くものです。そのような「作品」であることをいつもわたしは望んでいます。

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一粒の麦

K君が死んだ。三十三歳。ダンスのレッスンをしている時に急に倒れ、救急車で病院に運ばれた。意識が次第に無くなり、七日目に逝った。優秀なダンサーだった。さまざまなダンスの形態を統合し、新しいダンスの世界を作り上げようとしていた。彼のその仕事は終わった。しかし、彼は死ぬことによって、人生、すなわち、「人が生きる」という仕事を成し遂げた。

人が人として最後にすること。それは、死ぬということ。人はひとたび死ねば、もはや何もしない。しかし、死ぬことによって後に多くの実を結ぶことができる。人は、そのために生まれ、そのために死ぬ。そして真の命に生き始める。

「一粒の麦は、地に落ちてしななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書12章24節)

通夜にも、そして葬儀ミサにもたくさんの人が集まった。教会堂に入りきれないほどに。神が、そしてK君が人々を集めた。一人の人が生きながらにして、これだけの多くの人を、神の元に集めることができるだろうか。神はK君の死の悲しみに会った人たちに心をかけてくださった。「人は死んでも生きる」という希望を。それは、わたしたち、生きている一人ひとりに与えられた大きな希望である。一人の人の死、一粒の麦の死、それが、多くの人々に希望を与えた。K君の死は、その死に立ち会った多くの人の心の中で、これから実を結ぶことだろう。永遠に生きるという実を。

神は、人が死によって別れる悲しみをよく知っておられる。それを知った上で、わたしたちに命を与えられた。それは、わたしたちが愛する喜びを知るため。生前、あまり教会に来ていなかったK君。神は彼の「人生」をこのように生かされた。神の想い、神の愛は計り知れない。[カトリック新聞「地の塩」2003年4月27日号掲載]

この記事に引用した新約聖書の「ヨハネによる福音書」12章24節と25節を山浦玄嗣氏は次のように翻訳している。

《小麦の種の一粒は/土に落ちて死なない限り、それはそのまま。だけれども、死ねばどっさり実を結ぶ。命にしがみつく者は/かえって命を落とすのだ。この世で命を棄てさる者は/いつでも明るく活き活きと/生きる力をその身に受ける。》

聖書には、とくにヨハネ福音書には「永遠の命」という言葉がよく使われている。多くの人はこの「永遠の命」を死後のことのように考えている。しかし、「永遠」ということであれば、死んでから始まるということではなく、それは、今から続いているということになる。

つまり「永遠の命」とは、山浦氏が訳しているように「いつでも明るく活き活きと生きる力」を表す。つまり…「時」というのは「今」の続きであり、わたしたちにとっては、実際に、現実に「在る」のは「今」だけということになる。「今」の「次の瞬間」さえ、わたしたちにはわからない。…だから、「今」を《明るく活き活きと生きる》ことが最も大切なことになる。

ただ「生きている」のではなく、「生かされて生きている」のだということを心に留め置くことは、人生(今日)を豊かに生きる「核」になる。

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問うこと・聴くこと

生きた対話

問うことから始めれば展望が開けてくる。問うてみて、返ってくる答えを見たり聴いたりすると新しいことに気づかされる。問わなければ答えがないし、答えがないと何をしていいか分からなくなる。つまり、生きた対話から展望、希望が生まれてくる。

ほとんどの教会には、教会委員会や運営委員会といった組織がある。これは、よく「諮問機関」といわれたりするが、それは正しい。宣教司牧評議会も司祭評議会も教区顧問会も、いってみれば「諮問機関」である。ときとして組織は冷たく感じるものだが、これらの機関は愛に基づく対話の機会であり、小教区の責任者である司祭も、教区の責任者である司教も、この愛に基づいた温かい対話がなければ司牧、宣教はできない。教会において、最終的な決定をし、責任をとるのは、司教、司祭であるが、より正しい決定をし、責任をとるために対話を欠かすことはできない。教会は神によって呼び集められた民であり、この民は相互の対話によって温かい交流をもつものとなる。対話がなければ、教会は冷たい独裁者に導かれることになる。

愛が最優先

あるとき、教会委員会で次のような発言があった。九時から始まる主日のミサにいつも走ってくる高齢者の夫婦がいる。バス停から教会まで走らなければミサの開始に間に合わない。ミサの開始を少し遅らせることができないだろうか、という意見である。長い時間討議することもなく、委員会の全員がミサを九時五分から始めることを求めた。

ある中学生が、高齢者や身体的に障がいのある人のためにトイレを改造しなければ、このような方は教会に来たくても来ることができない、と言った。この意見を受けて委員会で話し合いが行われた。さまざまな意見が出た。予算がない。来られないのは仕方がない。我慢してもらうしかない。障がい者用のトイレを作るにしても、一世帯あたりの出費の負担が大きすぎる…。ある方が意見を述べた。本当に必要なことであれば、そしてそれが愛に基づくものであれば是が非でも実行しなければいけない。みんなそのことを理解すればお金は何とかなる。リストラされたばかりのその人の意見に他の委員も賛同した。こうして始まった「トイレ献金」は割り当てではなく、無記名の自由献金で行われ、三か月で300万円が集まった。もちろん、子どもたちも協力した。

結婚を機に教会を訪れた青年が話してくれた。自分は中学生の時からずっと教会に来ていない。それには理由がある。教会建設の話が持ち上がり、その資金集めの方法として各世帯に一定の献金が割り当てられた。おかしいと思った。教会にはいろんな人がいる。全額払えない人もいるのに、そのようなこともよく考えずに、一律で割り当てるのはおかしい。教会は弱い人、貧しい人を大切にするはず。言っていることとすることが違うと思った。それから教会に来る気がしなくなった。

もっと信頼を

小教区においては、昔は主任司祭が一人で悩み、考えていろいろなことを決めていた。それで、うまくいっていたところもあったと思う。が今、この複雑な時代にあって、一人ひとりが福音の価値観をもって生きることは困難になっている。司祭も司教も、もはや一人でふさわしく判断し、決定することはできないと言っていいのではないか。幸いなことに、教会は先のような機関を設け、愛に基づく対話の中で、民として一丸となってこの世界に神の愛の国を建設することを望んでいる。この教会のこころを理解し、受け止めたいと思う。「問うこと・聴くこと」は祈りそのものでもある。祈りの中で神に「問い」、神に「聴く」だけでなく、互いに「問い」、互いに「聴く」ことによって教会はより豊かになるのではないだろうか。自分自身に対しては、もっと謙虚になり、他者に対してはより信頼することが今、求められている。小教区の委員会も、司祭の「取り巻き」としてではなく、信徒一人ひとりの、また、社会の声を代弁するものとなれば、教会はもっと素晴らしいものになる。[カトリック新聞「展望」2004年2月15日掲載]

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教会はシマ?

教会のホームページを見て、ある方からメールが来るようになった。「教会から徒歩五分の所に住んでおります。教会の前をよく行き来するのですが、正直申し上げて、なんとなく入りにくい気がします。自由に入ってもよろしいのでしょうか」。

それから一ヶ月ほど経って、土曜日の夜のミサに参加されるようになった。「このような安らぎの場が、この町にあるとは知りませんでした。これからもできるだけ来ます」というのが感想。

求道者の夜の集いが終わって、教会の庭で談笑していると、門の外を行き来する方がおられた。そのうち、中に入って来られ、「ここはカトリック教会ですか」と尋ねられた。メキシコからの研修生だった。あらためて聖堂を見つめてみると、教会だとはわかりにくい。

看板を設置し、聖堂内部の写真を掲示し、夜でも案内が読めるように蛍光灯を付ける。屋根の十字架はライトアップする。環境を整備するのは易しい。要は意識改革。これが難しい。

ローマ教皇(法王)は「世界宣教の日」のメッセージで「宣教はゆるしを告げ知らせること」と明言されている。そして、それが、「より大きな緊急課題」だと。しかし、現実は、まだまだ教会は裁きの場になっており、宣教は余裕があればする、という感覚。「対話」になってない、一方的な押しつけもある。このズレはどこから来るのか。

救いは、具体的には「ゆるし」というかたちでもたらされる。「ゆるし」には喜びが伴う。「ゆるされた者の集い」が教会であり、それは「喜び」に満ちた集いであるはず。ある司祭はいろんな教会に出入りする若者に「ウロウロするな」と言った。教会は「組」の「シマ」なのだろうか。自己中心的な狭い考えが、福音宣教を妨げている。改心が求められている、と思う。[カトリック新聞「地の塩」2002年10月20日掲載]

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五円玉が縁で

幼稚園が終わってもなかなか帰ろうとしなかった。そのころは、遊びたいだけ遊べる時代。園庭には門扉もなく、やかましい人(?)もいない平和な時代。フランス人の園長先生はいつもニコニコして園児たちの放課後につき合ってくださった。

遊びが一段落つくと、「マー坊!」と呼ぶ声。

「いつものタバコ買ってきてよ」とお使いを頼まれる。教会の近くにあったタバコ屋に走り、《しんせい》を買う。園児もタバコを買えた時代だった!

神父さまは、いつもおつりがくるようにお金を持たせた。正直なマコト少年は、おつりをごまかさずに返す。そのおつりが、お駄賃に変わることを知っていたから。果たして、神父さまはおつりのなかからいつも五円をくださった。そういうことが何度かあった。そのとき思った。

〈こんな優しい人になりたいなあ。スータン(踝まであるボタンがたくさんついた長くて黒いスカートのような神父の服〉も格好いいし…。神父さまになりたい〉

これが司祭職(神父)との《ご縁》の始まり。

子どものころには様々な夢を抱く。バスに乗れば、バスの運転手になりたい。家の近くに航空自衛隊の基地があった。飛行機が飛ぶのを見れば、パイロットになりたいし、音楽隊の演奏を聞けば、指揮者になりたい、と思った。神父さまを見るだけで、司祭になりたいとは思わなかったが、五円玉を何度かもらうと、神父さまになりたいと思うようになった。以来、数ある《夢》のなかに、司祭職が加わった。

いろいろな夢がひとつ一つ消えていったが、《五円》が《ご縁》で始まった司祭召命への夢は消えることがなかった。様々な人との出会いがこの夢を支え、必要なときには、いつも必要な人と出来事が与えられた。司祭職実現の「片棒」を担いだ人は数え切れない。

仲のよいたくさんの友だちと別れ、当然のように小神学校に入った。まったく新しい生活、環境。そこから市立の中学、私立の高校に通った。さらに大神学校へ進んだ。学んだことをひと言でいえば《忍》の一字。途中、何度か迷う。

〈何も自分が司祭にならなくても…。まだこんなにたくさんの神学生がいるのに…〉当時は神学生がたくさんいるように見えた。司祭に叙階されて十五年目になる。振り返って見れば、〈ああ、このために司祭にしていただいたのか〉ということがいくつもある。そのときはわからなくても後になってわかることが多い。というより、ほとんどのことは、後にならないとわからないことなのだ。そのことが最近、わかるようになってきた。

私の司祭召命は、ごく単純なことから始まったように思える。ほとんどの場合はそうなのではなかろうか。是が非でも、という気持ちはまったくと言っていいほどなかった。力まず、自然に、なるがままに…、そんな感じだった。

前任地の教会にいるとき、教会付属幼稚園の保護者に誘われて、ときどき(?)飲みに行くことがあった。スナックのママが尋ねることは決まっている。

「結婚できないの?」「そんなの自然じゃないわよ。絶対おかしい!」

今のところ、次のように答えることにしている。

「結婚できないんじゃなくて、結婚しないんだよ。自然じゃないかもね。でも、ぼくにとっては自然。こんな人間がいてもいいじゃない。あなたに神父になれって言ってるんじゃないんだから」

聖パウロのことばがよくわかるような気がする。

「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖い(あがない)となられたのです。『誇る者は主を誇れ』と書いてあるとおりになるためです。」(1コリント1章26~31節)

信徒に向けて書かれたこのことばは、司祭召命についてもそのまま当てはまる。私にとって、誇るものは何ひとつない。すべては恵みであり、神からいただいたもの。そのことを神に感謝したいし、その恵みの橋渡しをしてくださった多くの方々に感謝したい。そして、私もまた、人々への神の恵みの分配者となれれば幸いと思う。

五円玉がご縁で始まった司祭召命の道。五円ではとうてい、買うことのできない道。神の《やり方》は、まったく時宜にかなって美しい。こんな神さまを誇りに思います。[女子パウロ会発行「なぜこの道を? 17人の司祭の手記」1994年初版より一部加筆訂正]

上記の本の後ろ扉に次のように書かれている…

人はそれぞれ自分の人生の道としてある生き方を選択し、決断していく。そこには人の思いを超えた大いなるものの意志が働いているのではないだろうか? 司祭の道を志した17人の筆者も、思わぬ人との出会い、挫折、人生が織りなす悲喜こもごものなかで、一条の光に導かれるようにその道が開かれていったのである。

この本が出たときは神父になって15年目の頃だった。26歳のときに司祭(神父)になり、もうすぐ34年目に入る…。あれから、もう20年が経ったのか…。

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「みんな」という発想

これからの教会、21世紀の教会の理想の姿は、どのようなものだろうか。未来の教会を担っていく子どもたちや青年はどのように考えているのだろうか。彼らに聞いてみると、そこには福音に基づく教会の姿が見えてくる。

みんなの教会

「どんな教会だったらいい?」というテーマで小、中学生に作文を書いてもらった。「だれでも来れる教会」「友だちを誘える教会」「楽しい教会」「みんなが仲良しの教会」「車いすの人が来れる教会」「お年寄りが来れる教会」…。

彼らは、より具体的に提案する。「神父はもっと分かりやすく説教をする」「もっと短くだれでも分かるように神さまのことを話してほしい」「車いすの人のためにスロープはあるけど、トイレがないので来れない。トイレがあったらいい」「くつを脱いだり履いたりするのはお年寄りにはきつい。そのまま教会に入れたらいい」「教会に入るまでに段差があるので、それをなくさないと車いすの人が教会に入れない」「聖堂がもっと広かったらいいのに。そしたらもっとたくさんの人が来れる」「みんな、どうしてうれしそうな顔をしていないんだろう」…。

青年たちにも聞いてみた。「みんなが来れる教会がいい」「人の悪口を言ったり、非難するのはやめてほしい」「開かれた教会づくり、と言っているが、言うだけで全然開かれていない」「会議ばかりして、何も具体的に決まらない」「今の教会には若者は来にくい」「若者の悩みに答えるような話しを聞きたい」…。子どもたちも、青年たちも、教会がもっとみんなのものになることを望んでいる。

「みんな」は「みんな」

このところ、主日の第二朗読で聖パウロのコリントの教会への手紙が読まれている。教会にはいろいろな人がいて、各自にはさまざまな能力や役割が与えられている。それは、一つの霊によって、一つになるために与えられているもので、その違いが分裂の元となってはならない、とパウロは諭す。さらに、教会は「キリストの体」と言う。そしてその「体」では、弱く見える部分や格好が悪いと思われる部分、見苦しい部分がかえって必要だと言う。詩人金子みすゞが言うように「みんなちがって、みんないい」のである。

みんなが救われなければならない。自分だけ、私だけという「部分的な発想」は教会にふさわしくない。主日のミサに参加できる人だけが教会のメンバーではない。ミサに来れない人、来ない人でさえ教会の「みんな」なのだ。この発想に基づいていろいろなことが考えられるならば、教会は「みんなが平和で、喜びに満たされた集い」になるのではないだろうか。「みんな違っている」という当たり前の現実に目を留め、それを受け入れるところから教会づくりは始まると思う。

開かれた教会

「開かれた教会」という言葉、表現を嫌う人もいるようだが、教会は本来、開かれたものである。神は教会を通して人々を救いに招いている。そのために、私たちは洗礼の恵みを受け、人々に救いの喜びを告げ知らせるように、と呼ばれた。教会はこのように「呼ばれた」人たちの集いである。私一人が、私一人のために呼ばれたのではない。また、もう一人の人を呼ぶために呼ばれているのである。こうして救いの輪は教会を通して広がっていく。

子どもたちや青年が「みんなの教会」を望んでいることは、教会の本質をついている。彼らが彼らなりに感じている「救いの喜び」を他の人たちにも感じてほしいと思っているのだ。これが福音宣教の土台だと思う。教会にはだれでも来てよいし、だれでも神から呼ばれている。このことを今ある教会がよく理解し、だれでも受け入れる雰囲気があるならば、教会は「みんなの教会」になり、福音宣教の使命を喜びをもって果たしていくことができるだろう。

そのためには、神に呼ばれている私たちが、もっと、神と人々に心を開かなければならないと思う。[カトリック新聞「展望」欄2001年1月28日号掲載]

10年前…こんなことを考えていたんだ…。今も変わってない…。

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どのようにして伝わるのか

言葉の初め—真理

人は、その存在の初めには言葉を持っていなかったのではないか。人が人とかかわりを持ち始めたとき、互いにコミュニケーションをとるために人は何をしただろうか。表情、音(声)、態度で「思い」を伝えたのではなかろうか。次第に「音」が「声」になり、「言葉」が生まれてきたのではなかろうか。こうして言葉はコミュニケーションに欠かすことのできない手段となった。

人は言葉を使って自分の思いを表現し、それを聞く人は相手の考えや感情を理解することになる。人と人の間に言葉が存在し、その存在によって人と人のつながりができていく。人は言葉の使い方を学んでいった。

言葉は真実を伝えるものであった。人の「思い」と「言葉」は全く一致していた。人の思いが言葉によって伝わるようになった。言葉を使う人間はますます賢くなった。こうして、人と人とのかかわりは素晴らしいものになっていった。

人は、しかし、うそをつくようになった。「思い」と「言葉」が一致しない「うそ」が存在する。人はごまかすことを覚えた。こうして人と人とのコミュニケーションが乱れていった。こうして「真理」でない言葉が語られるようになった。

言葉の力—いのち

言葉は不思議なものである。一言で人は生きる勇気をもち、一言で人は奈落(ならく)の底まで落ち込むことを体験する。言葉は、人を活かすことも殺すこともできる。

人を生かす言葉が少なくなった。言葉が乱れ、人の心が言葉によって通じなくなった。言葉の乱れは単に表面的なものではなく、それは人の心の乱れを表している。

どうして言葉が乱れるのだろうか。それは言葉より、周りの物を大切にしてきたからではないか。大事なものが見えなくなってしまった。大事なもの、人の心が。言葉よりも物が、心より物が大切になってきた。

独り言であればそれは何を言おうと他人には関係がない。自分の中でその言葉が繰り返されるだけである。しかし、ひとたび言葉が人に対して発せられると、それはその人に大きな影響を与える。真理の言葉は、心から出た言葉は、人を「生かす」。

人として生きる—道

人は一人では生きていけない。人とのかかわり、コミュニケーションの中で生きていく。人はその「道—コミュニケーション」を歩む。

乱れた言葉を使っているうちに、人は真の言葉を失っていく。言葉を失うことは、心の交流がなくなることであり、その結果、人との関係を絶つことになる。こうして人は孤独になり、道を誤ることになる。そして、それは道をなくすことにつながる。

道があって迷い、間違った道を選ぶのはまだよい。それでもまだ道を歩んでいるのだから。しかし、道がなくなってしまったらどうなるのだろう。道に迷って袋小路に迷い込んでしまうより、道のない砂漠の中の一点にいることの方がずっと怖い。そこでは死ぬほどの「孤独」を感じるであろう。

神の子が言葉となった

人は真理の言葉に出合うと、生きる力がわき、孤独から解放され、人としての道(コミュニケーション)を歩むことができる。言葉そのもの、言葉自身が届くことは素晴らしい。

神が「言葉自身」を送って2000年。言葉は「物」ではない。言葉は「生き者」。言葉は「自体」ではなく、言葉「自身」が生きている。その言葉自身が人に届いたのである。こうして、人は真の言葉と出合い、真の人と出会い、真の神と出会うことになった。

イエス・キリストによる救いを記念する紀元2000年を迎えようとしている「今」という時代は、言葉を使う人間にとって、真理の言葉と再会するためのターニングポイントになるのではなかろうか。

「伝えよう—道・真理・いのちのイエスを」。言葉を「伝える」ためには、それがどのようにして「伝わる」かを考えることが優先する。真の言葉のみが人に「伝わる」。真に生きることによってのみ「伝える」ことができる。[カトリック新聞「展望」1997年5月4日号掲載]

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薬物依存症

薬物依存症という病気がある。シンナーや覚せい剤、大麻などの薬物に依存し、そこからなかなか抜け出せない。アルコール依存と違い、薬物依存症者は社会に出る前の若い世代に多い。覚せい剤などは刑事事件とも結びつくだけに、薬物依存への偏見が強いが、最近では、市販されているせき止めの薬や精神安定剤などに含まれている鎮痛剤や鎮静剤などの依存症も増えているという。症状がひどくなると幻覚症状が出たりして、家族や人間関係の絆が壊されてしまう。

依存症になるまでには、さまざまな要因がある。人間関係のひずみや孤独感、個人に対する正当な評価の欠如、人間に対する信頼の喪失などである。依存症から立ち直るためには新たな信頼関係が求められるが、そのための施設は皆無といってよい。かくして依存症者は精神病院で入退院を繰り返すか刑務所に隔離されることになり、回復の希望は少ない。

15年ほど前に九州で初めて薬物依存回復施設の「九州ダルク」が設立された。その開所に携わり、以来「仲間」との繋がりを持たせていただいている。彼らは、年中無休のミーティングに参加することによってリハビリをすすめていく。薬物に依存していた彼らが、今やハイヤーパワー(より高いところからの力:一人ひとりの心の中にいる神)に依存しようとしている。互いに病気であることを認めながら、仲間同士励まし合い、支援する人々の輪の中で回復を目指す。

「人が一人でいるのはよくない」と神は言う。神は人を仲間として創造された。カネやモノに依存する人がいる中で、ダルクのメンバーは今、神依存症者になろうとしている。彼らがミーティングを終わるときにする祈りがある…。

神さま、私にお与えください…。/自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。/変えられるものは、変えていく勇気を/そして二つのものを見分ける賢さを。

昨年の8月からがんと闘っていたダルクのメンバーが逝った。今日、福岡市の浄水通教会で、彼の葬儀を司式した。たくさんのダルクの仲間、支援してくださっている皆さんが集まった。

享年48歳。その人生の半分以上は薬物との闘いでもあった。葬儀ミサに続いて行われた告別式では、ダルクの仲間が次々と別れの言葉をのべた。「また会おうな…」。寝顔は輝いていた。その輝く寝顔を見たものは癒された。

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