月別アーカイブ: 2014年10月

教皇フランシスコの一般謁見演説(2014.10.29.)公式訳

早いっ! 一昨日の一般謁見での教皇メッセージがもう正式翻訳された。翻訳者に感謝いたします。カトリック中央協議会のホームページから。最終行をクリックするとpdfファイルで見る(印刷する)ことができます。

2014.10.29. PF.一般謁見演説_ページ_1 2014.10.29. PF.一般謁見演説_ページ_2 2014.10.29. PF.一般謁見演説_ページ_3

クリックすると pdf ファイルで読む(印刷する)ことができます。

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教皇フランシスコの(朝ミサ)説教

2014年1月17日のわたしのブログから…。2013年3月14日に教皇に選出されてから、ほとんど毎日教皇フランシスコの動向を追っている。毎日のミサの説教もインターネットで見聞きすることができる。その日のミサで読まれる聖書の言葉を元に話される。すべてではないが、時々は英語・フランス語・スペイン語やイタリア語、またドイツ語やアラブ語、ポーランド語でも「読む」ことができる。自分のブログを読み返していて以下のような「説教」に当たった。わたしは毎回イタリア語で聞いているが、すぐにでも日本語に訳して皆さんに紹介したいのだが、語学力の不足からそこまでには至っていないのが残念。時々(以前のものも含めて)紹介したいとは考えています。

スクリーンショット 2014-01-17 0.03.09

 

 

 

 

 

 

昨日(2014年1月15日)の説教も、今日(同16日)の説教も…フランシスコの説教の口調が厳しくなっています。厳しい表情で…説教台をトントン叩きながら…。貧しいひとや弱くされている人には満面の笑みをもって接する教皇も、こと司教や司祭に対しては(鬼のように?!)厳しく語られます…。

形だけで、「神の言葉」を聞いてないのではないか。神との関係をしっかり保っているか。教会のスキャンダルは、神と、そして神の言葉と生きたつながりを持っていないから起こってくる。堕落した司祭は聖なる教会の民に「いのちのパン」を与えるかわりに、毒を与えている。司教も、司祭も、そして信者も…神に聴かない、聴こうとしない。神を求めない。神を探さない。神の力に身を委ねようとはしない。神の言葉はわたしたちの心の中にまで入ってきて、そして、わたしたちの心を変えてくださるのに。そのようになっているだろうか? 形だけの関係、遠い関係ではないのか。

教会のスキャンダルについては、個人的には考えたくもないが、みんな知っていること。恥ずかしいと思わないのだろうか。恥ずかしいと思いましょう。どんなつまづき(スキャンダル)があるのか…みんな、しってる。お金をいっぱい持っている。これは恥ですよ。 このようなつまづきを与えている人の中に神の言葉があるのだろうか。神とかかわりを保っているのだろうか。教会の中で地位があるとか、力があるとか…そのようなことに心地よさを感じているとか…。「神の言葉」とはそんなことではない。ちがいます! わたしはメダイを身につけていますとか、十字架を掛けていますとか…そんなことじゃない。神と神の言葉と何のつながりも持ってない…。

かわいそうな人たち! わたしたちは食べるための「いのちのパン」を与えてはいない。「真理のパン」、本当のパンを与えないといけないのです。真実というパンを。しかし、多くの場合、わたしたちは「毒のパン」を与えているのです。目覚めないといけない!

「目覚めさせてください!」と祈りましょう。わたしたちを生かす神の言葉を決して忘れることがありませんように。神のみ言葉がわたしたちの心に届き、入り、わたしたちを育て、強めてくださいますように。

《バチカン放送英語版より》2014.1.16.Pope Francis: scandals happen when there is no true relationship with GodText from page http://en.radiovaticana.va/news/2014/01/16/pope_francis:__scandals_happen_when_there_is_no_true_relationship_with/en1-764583 of the Vatican Radio website

(Vatican Radio) Scandals in the Church happen because there is no living relationship with God and His Word. Thus, corrupt priests, instead of giving the Bread of Life, give a poisoned meal to the holy people of God: that’s what Pope Francis affirmed in his homily Thursday morning during the Mass celebrated in the Santa Marta guesthouse.

Commenting on the day ‘s reading and responsorial Psalm which recount the crushing defeat of the Israelites by the Philistines, the Pope notes that the people of God at that time had forsaken the Lord . It was said that the Word of God was “uncommon” at that time . The old priest Eli was “lukewarm” and his sons “corrupt; they frightened the people and beat them with sticks.” In their battle against the Philistines, the Israelites brought with them the Ark of the Covenant, but as something “magical,” “something external .” And they are defeated : the Ark is taken from them by their enemies. There is no true faith in God, in His real presence in life:

“This passage of Scripture,” the Pope says, “makes us think about what sort of relationship we have with God, with the Word of God: is it a formal relationship? Is it a distant relationship? The Word of God enters into our hearts, changes our hearts. Does it have this power or not? Is it a formal relationship? But the heart is closed to that Word! It leads us to think of the so many defeats of the Church, so many defeats of God’s people simply because they do not hear the Lord, do not seek the Lord, do not allow themselves to be sought by the Lord! And then after a tragedy, the prayer, this one: ‘ But, Lord , what happened ? You have made us the scorn of our neighbors. The scorn and derision of those around us. You have made us the laughing stock (it: favola) among nations! All the nations shake their heads about us. ‘”

And of the scandals in the Church, Pope Francis said:

“But are we ashamed? So many scandals that I do not want to mention individually, but all of us know…We know where they are! Scandals, some who charged a lot of money…. The shame of the Church! But are we all ashamed of those scandals, of those failings of priests, bishops, laity? Where was the Word of God in those scandals; where was the Word of God in those men and in those women? They did not have a relationship with God! They had a position in the Church, a position of power, even of comfort. But the Word of God, no! ‘But, I wear a medal,’ ‘I carry the Cross ‘ … Yes, just as those bore the Ark! Without the living relationship with God and the Word of God! I am reminded of the words of Jesus about those for whom scandals come … And here the scandal hit: bringing decay (it: decadenza) to the people of God, including (it: fino alla) the weakness and corruption of the priests.”

Francis Pope concluded his homily, turning his thoughts to the people of God, saying:

“Poor people! We do not give the Bread of Life to eat; we do give – in those cases – the bread of Truth! And many times, we even offer a poisoned meal! ‘Awaken! Why do you sleep, Lord?’ Let this be our prayer! ‘Awaken! Do not reject us forever! Why do you hide Your face? Why do You forget our affliction and oppression?’ We ask the Lord that we never forget the Word of God, which is alive, so that it enters into our hearts and never to forget the holy people faithful to God who ask us to nourish and strengthen them. ”

of the Vatican Radio website

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教皇一般謁見10月29日(バチカン放送記事)

バチカン放送局[日本語]記事より 教皇フランシスコ一般謁見でのメッセージ。謁見の様子はYouTubeで見ることができます。教皇のメッセージは[26:40〜38:00]。

《「目に見える教会と霊的な教会」を考える》

教皇フランシスコは、バチカンで29日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
謁見中のカテケーシスで教皇は、教会をめぐる考察として、「教会:目に見える現実と霊的な現実」をテーマに話された。
前回のカテケーシスで「キリストの体としての教会」をテーマに取り上げたことを思い出しつつ、教皇は、聖霊によって築かれたキリストの神秘体としての教会と、小教区や教区に見る現実の組織としての教会は、どちらも一つのものなのか、それは互いにどのような関係にあるのかを考えたいと話された。
目に見える教会について話す時、わたしたちはすぐに教皇や、司教や司祭、修道者らのことを考えがちだが、教会とは洗礼を受けた世界中の兄弟姉妹たち皆によって成り立っていることを忘れてはならないと教皇は指摘。「教会とはわたしたち皆のことです。洗礼を受けたすべての人こそがイエスの教会なのです」と強調された。
このように目に見える教会も実は測りがたい存在であると述べた教皇は、「キリストがわたしたちの人生や心を通してなさるすべての素晴らしいことを完全に知ることは難しい、それはわたしたちの力を超えた、神から来る神秘的な現実だからです」と話された。
「目に見える教会と、霊的な存在としての教会の関係を理解するには、イエスを見つめる他に道はありません。教会はイエスによって形作られ、イエスの無限の愛によって生まれたからです」「教会という神秘においては、目に見えることよりも、見えないことの方が重要で、それはただ信仰の目によってのみ見えるのです」と教皇は説明。
「目に見える教会が、霊的な教会に奉仕するにはどうしたらよいかを知るには、再びイエスを見つめなくてはなりません。キリストこそが教会の模範であり、教会はその体だからです。キリストはわたしたち信者すべての模範であり、キリストを見つめるならば、決して間違うことはありません」と話された。
「わたしたちすべては罪びとです。自分は罪びとではないと言える人がいるでしょうか」「わたしたちの弱さや限界にも関わらず、主が人類のために、わたしたちを恵みの道具、神の愛の目に見えるしるしとしてくださいますように」と教皇は祈られた。
また、「わたしたちキリスト者がつまづきのもとになることがありませんように」と願われた教皇は、「確かに、わたしたちはつまづきのもとになってしまうことがあるかもしれませんが、イエスがわたしたちに望まれることを人生を通して表すことで、証しのもとにもなれるのです」と信者らを励まされた。

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マララさん、ガザの学校再建を支援:朝日新聞

10月30日の朝日新聞夕刊の記事です。NPO「地球のステージ」を通して支援している小郡教会にとってもうれしいニュースです。できれば、また支援をしたいものです。桑山さんが小郡に来てくださればいいのですが…。幼稚園でも運動会のDVD販売の一部収益をガザに送るようにしています。

マララ記事ガザ支援

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10月26日のアンジェルス[公式訳]

カトリック中央協議会のホームページで読むことができます。

字を大きくし、読みがなを付けました。このページの最後の行をクリックすると、それを印刷することができます。知人の皆さんにコピーして渡していただければ幸いです。フランシスコ教皇のメッセージを一人でも多くの方に知っていただきたいです。

フランシスコ教皇の「お告げの祈り」でのことばは、その日(主日:日曜日)のミサで読まれた福音をもう一度振り返るためにとても役に立ちます。

2014.10.26. PF.「お告げの祈り」でのことば_ページ_1 2014.10.26. PF.「お告げの祈り」でのことば_ページ_2

 

ここをクリックしてpdfファイルで読む(印刷する)ことができます。

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教皇フランシスコの一般謁見演説(2014.10.22.)公式訳

毎週水曜日に行われている教皇の一般謁見のメッセージを紹介します。今回のテーマは「キリストのからだである教会」。

《…キリスト教共同体、小教区のことを考えましょう。わたしたちの間にどれほどの隔たり、嫉妬、陰口、誤解、差別が存在しているでしょうか。それによって何か生じるでしょうか。わたしたちの中の分裂です。そして戦争が始まります。戦争は戦場で始まるのではなく、誤解や分裂、うらやみ、敵意を抱いている心の中で始まります。…》

(カトリック中央協議会のホームページから)。

 陰口がなくなるだけで、教会はすばらしい共同体、魅力的な仲間になります…。

2014.10.22. PF.一般謁見演説_ページ_1 2014.10.22. PF.一般謁見演説_ページ_2 2014.10.22. PF.一般謁見演説_ページ_3

2014.10.22.の教皇一般謁見演説をpdfファイルで読む(印刷する)ことができます。

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貧しい人々に奉仕を:教皇メッセージ

 以下の記事はバチカン放送局(日本語)からのものです。

《「福音のもとに貧しい人々に奉仕を」教皇、民間運動関係者に》

教皇フランシスコは、28日、世界の民間運動関係者とお会いになった。

ローマでは、27日より教皇庁正義と平和評議会の主催のもと、不定期労働者や、インフォーマルセクター労働者、移民、先住民族、小作農業者、都市周辺の貧困地域住民らの生活を向上させるための様々な民間運動に携わる人々の国際集会が開かれた。

ブエノスアイレス大司教時代にも貧しい人々の司牧に熱心であった教皇と、民間運動関係者らとの出会いは、自然で活発な雰囲気のもとに行なわれた。

参加者への挨拶で教皇は、民主主義を実現し、飢えと戦争をなくし、貧しく疎外された人々をはじめ、すべての人に尊厳を保証することの大切さを説かれた。

土地・家・仕事を人々の「聖なる権利」として掲げられた教皇は、「こういうことを言うと、教皇は共産主義者ではないかと思う人がいるかもしれませんが、それは貧しい人々への愛が福音の中心であることがわかっていないからです」「これは教会の社会教説です」と強調。

多くの人々が飢えに苦しむ中、食料価格が投機目的で操作されていることを非難されると共に、農業に従事する家族の尊厳を守ることの重要性を示された。

また、教皇は、都市の華やかな発展の陰で、貧しく苦しむ人々が見棄てられている状況にも言及。すべての人が認められる都市づくりを願われた。

さらに、若い人をはじめとする多くの失業者の存在を憂慮された教皇は、人間より利益を優先する経済構造、人を消費物のように扱う「切捨ての文化」に警告を発せられた。

「世界は父なる神を忘れ、神を脇に押しやることで、孤児となりました」と教皇は述べながら、キリスト者はイエスの山上の垂訓に代表される福音の精神のもと、「出会いの文化」をもってすべての差別をなくしていくように、いっそうの努力を呼びかけられた。

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10月26日のアンジェルス

以下の記事はバチカン放送局(日本語)からのものです。

26日のアンジェルスの様子:YouTubeから

《切り離せない「神への愛」と「隣人への愛」、教皇、日曜の集いで》

教皇フランシスコは、バチカンで26日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。
集いの説教で教皇は、この日のミサ中の福音朗読箇所(マタイ22,34-40)を取り上げられた。
この箇所では、法律の専門家がイエスに、律法の中でどの掟が最も重要かと尋ねる。イエスは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と申命記を引用しながら答え、これをを第一の最も重要な掟として示された。しかし、イエスはこれに留まらず、レビ記を引きながら、「隣人を自分のように愛しなさい」を同様に重要なものとして加えられた。
イエスの新しさは、「神への愛」と「隣人への愛」という2つの掟を、互いに不可欠で補い合うものとして、硬貨の両面のように合わせて提示されたことにあると、教皇は述べられた。
実際、キリスト者が目に見えるしるしとして世に表すことができるのは、「神の愛とは隣人への愛」であるということ、と教皇は強調。イエスはこのことを掟のリストの「頂点」としてではなく、すべての「中心」として示されたと指摘された。
イエスの言葉に照らすならば、愛は信仰の物差し、信仰は愛の中心であり、信仰生活を兄弟たちへの愛と奉仕の生活と切り離すことはできないと述べた教皇は、「信仰とはいかに愛するか」ということと説かれた。
また、すべての兄弟たち、特に小さく弱く貧しい兄弟たちの顔に神の顔が映し出されていると教皇は話され、これらの兄弟に出会う時、わたしたちは彼らの中に神の御顔を認めることができるだろうかと問われた。
イエスはこうして生き方の基本となる規範を一人ひとりに与えると共に、聖霊をわたしたちに送ることで、イエスのように神と隣人を自由と寛大さをもって愛することができるようにしてくださったと説かれた。

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[小郡]年間第30主日ミサ説教(2014.10.26.)

エクレシア九州TVの動画Blog「こころのヒント!」で聴くことができます。

本日の福音から:マタイによる福音(22章34節〜40節)

《ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二もこれと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。》

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[小郡]ミサ時間と場所2014.10.25.〜11.9.

日曜日(主日)以外の平日のミサにも参加してみませんか? 修道院の静かな聖堂でシスターの皆さんと一緒に神の言葉を味わい、ご聖体をいただきます。短い説教(オミリア)をしています。一日が気持ちよくスタートできます。なお、10月から日曜日の朝7時の修道院でのミサはありません。シスターの皆さんは小教区共同体のミサに参加されます。

小郡ミサ時間と場所2014

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