月別アーカイブ: 2015年1月

ゆっくり…じっくり…。

昨年12月22日にバチカン官僚に向けて教皇フランシスコがされた降誕祭前のメッセージです。長いものですが、ゆっくり、じっくり読まれてください。反省の材料が山ほど…。

カトリック中央協議会の訳です。待ち望んでいました。翻訳の労に対して心から感謝いたします。

「15の病」の治療法は…自分が病んでいることを自覚し、個人や団体として、辛抱強く治療を受け、薬を飲むと決断することだそうです。まずは、病んでると自覚しないことには始まりません。

最後の行をクリックして印刷することができます。

PF.Curia2014.12.22._ページ_01 PF.Curia2014.12.22._ページ_02 PF.Curia2014.12.22._ページ_03 PF.Curia2014.12.22._ページ_04 PF.Curia2014.12.22._ページ_05 PF.Curia2014.12.22._ページ_06 PF.Curia2014.12.22._ページ_07 PF.Curia2014.12.22._ページ_08 PF.Curia2014.12.22._ページ_09 PF.Curia2014.12.22._ページ_10ここをクリックしてpdfファイルで見る(印刷する)ことができます。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[鳥栖]「年間第3主日」のミサ説教(2015.1.25.)

この日は「カトリック児童福祉の日」「キリスト教一致祈祷週間」の最終日でした。ミサの中で生後約五ヶ月の赤ちゃんの洗礼をしました。

エクレシア九州TVの動画Blog「こころのヒント!」で視聴することができます。 

本日の福音[マルコ1章14-20節] 

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。…

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]ミサ時間、場所と司式司祭2015.1.24.〜2.8.

日曜日(主日)以外の平日のミサにも参加してみませんか? 修道院の静かな聖堂でシスターの皆さんと一緒に神の言葉を味わい、ご聖体をいただきます。朝6時30分からです。短い説教(オミリア)をしています。一日が気持ちよくスタートできます。

小郡ミサ時間と場所2014

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

金、名誉、支配欲…

金、名誉、支配欲がすごい勢いで増殖している現代。このマスに立ち向かい、平和な世界を作るのは、一人ひとりが日常の中で、ひとつ一つの本当に大切なことを積み重ねていくこと。ゆるぎない信念をもって…。今日も、祈りの心で…。祈る気持ちで。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

フィリッピンの青年たちへの教皇メッセージ

ブログ「教皇フランシスコいろいろ」から…。★翻訳を感謝します★

2015年1月18日(日):フィリピンにて、青年たちへのメッセージ

1月18日の日曜日、サント・トマス大学で、14歳のジョン・チュラと12歳のグリゼレ・イリス・パロマールの証し、レアンドロ、リッキの話と問いを聞いた後に教皇のメッセージがありました。

チュラは教皇に自分のホームレスの子どもとしての生活について語り、子どもへの虐待、犯罪や麻薬を解決にしてその環境に反応した人たちの現実を証言しました。

パロマールは自分の番になって、どのようにして仲間のストリート・チルドレンが麻薬や売春に陥っているかを語り、メッセージを読んでいるときに、教皇に問いかけながら涙を流しました。「Bakit po pumapayag ang Diyos na ay ganitong nangyayari. Kahit walang kasalanan ang mga bata. At bakit kaunti lamang ang mga taong tumutulong sa amin.」(=どうして神さまはこんなことが起こることを望まれたのですか? 子どもには罪はないのに。それにどうしてわたしたちを助けてくれる人がこんなにも少ないのでしょう?)

《教皇のメッセージ》(英語の部分はイタリック体で表記)

わたしが即興で話す時には、スペイン語で話します。英語を知らないからです。これでもいいですか?(人々、「はい!」と返事)どうも、ありがとう。ここに、マーク神父さんがいます。いい通訳者です(受け笑い)

今日は、悲しいニュースがありました。ミサが始まろうとした時、足場がひとつ崩れてしまいました。崩れたうえに、そのあたりで働いていた若い女性に当たり、彼女はいのちを落としてしまいました。彼女の名前はクリスタルと言います。彼女はまさにそのミサの企画と準備のために働いていました。27歳でした。皆さんと同じように若い方です。彼女はボランティアとして、そういったカトリックの支援奉仕のために働いていました。

わたしはみなさんに、彼女のように若い皆さんに、一分間沈黙のうちに彼女のためにわたしとともに祈っていただきたいと思います。また、この祈りを天におられるわたしたちの聖母マリアに捧げましょう。(沈黙)「アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女の中で祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されました。神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、今も死を迎えるときもお祈りください。アーメン。」

また、彼女のパパとママのためにも祈りましょう。彼女は一人娘でした。彼女のお母さんは香港からこちらに向かっており、お父さんはマニラから妻を待つために来ています。「天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日毎の糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください、わたしたちも人を赦します。わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救い下さい。アーメン。」

 今日の朝、みなさんと一緒に居られることをうれしく思います。皆さん一人ひとりに愛情いっぱいのあいさつをします。また、この集いを可能にしてくれたすべての人に感謝します。わたしのフィリピン訪問において、わたしは皆さん、青年たちと集うことを望んでいました。皆さんに耳を傾け、皆さんとお話をするためです。教会が皆さんに対して持っている愛と希望を皆さんに伝えたいと思います。そしてこの国のキリスト者市民である皆さんが、情熱と誠実さを持って、皆さんの社会の刷新と言う大いなる務めに献身し、よりよい世界の建設を手伝うようにと励ましたいと思います。

 特別に、わたしのところに話に来てくれた青年たちに感謝したいと思います。ジュン・チュラ、レアンドロ、リッキ、どうもありがとう。

しかし皆さんの間では、女性の代表者がとても少ないですねぇ、あまりに少ない(人々:笑い)。現代社会において、女性たちにはわたしたちに語るべきことが多くあります(拍手)。しばしばわたしたちはあまりに「マチズム(男尊女卑)」に過ぎます。(人々の笑い)そしてわたしたちは女性たちにスペースを与えていません。けれど女性たちはわたしたち男性とは異なる角度で物事を見ることができます。別の眼差しからです。女性たちは、わたしたち男性が理解できない問いを立てることができます。(人々:「イェーーー」)よき注意を払ってごらんなさい。彼女は、グリゼレは、答えのないたった一つの問いをしてくれました。そして言葉では足らず、涙をもって語らざるを得ませんでした。ですから、次の教皇がマニラに来るときには、もっと多くの女の子たち、女性たちが含まれますように(応援、大拍手)

ジュン、実に勇気をもって自分の体験を語ってくれて、ありがとう。今さっきわたしが言ったように、あなたの質問の核には、ほぼ答えがありません。あなたが体験したことについて泣くことができるときのみ、わたしたちは何かを理解し、何か答えることができるのです。すべての人にとって大きな問いです。なぜ子供たちはそんなにも苦しまなければならないのか? なぜ子供たちは苦しむのか?

心が自分自身に問いかけ、泣くことができるときにやっと、わたしたちは何か理解することができるのです。世俗的な共感というものがありますが、それは何の役にも立ちません。君はこのことについて何か語ってくれました。(ジェスチャーとともに)わたしたちの手をポケットへと運び、そこから何かを出して、貧しい人に与えさせる共感です。キリストにそのような共感があったのなら、通りかかり、三人や四人を癒したのなら、御父へと返したのなら……。キリストは泣いたとき、泣くことができたときにのみ、彼にはわたしたちの人生ドラマを理解できたのです。

大好きな女の子たち、男の子たち、今の世界は泣く能力に欠けています。疎外された人が泣きます、脇に置き去りにされている人々が泣きます、見下されている人たちが泣きます。……けれどある程度何不自由なく生活しているわたしたちは、泣くとはどういうことか知りません。ある種の人生の現実が涙をもって清い目で見られるのみです。

皆さん一人ひとり自問してください。「自分は泣くことを学んだだろうか? 自分は空腹の子どもや、道で麻薬に使った子供、家のない子供、放置された子供、虐待を受けた子供、奴隷のように社会によって用いられた子供を見るときに泣くことを学んだだろうか? それとも自分の嘆きはもっと何か欲しいからということで泣く、気ままな嘆きなのだろうか?」これが、最初に皆さんに言いたかったことです。今日彼女(グリゼレ)がわたしたちに教えてくれたように泣くことを学びましょう。

この証しを忘れないようにしましょう。大きな問いです、なぜ子どもたちは苦しむのか? この問いを彼女は泣きながらしてくれました。わたしたち全員がすることのできる大きな答えは、泣くことを学ぶことです。イエスは、福音の中で、泣きました。死んだ友のために泣きました。娘を亡くした家族のために心の中で泣きました。貧しいやもめが息子を埋葬するために運んでいるのを見て心の中で泣きました。牧者のいない羊のような大衆を見たときに、心動かされ心の中で泣きました。もし君が泣くことを学ばないなら、よいキリスト者ではありません!

そしてこれは挑戦です。ジュン・チュラとその仲間(グリゼレ)は今日語ってくれましたが、この挑戦をわたしたちに突きつけています。「なぜ子供たちは苦しむのか、どうして生きていると悲劇的なこんなことやあんなことがあるのか?」という問いをわたしたちにするとき、わたしたちの答えは沈黙か、涙から生まれる言葉でしょう。勇気をもちなさい。泣くことを恐れてはなりません。

その後で二つ目の問いが来ました。レアンドロ・サントスが来てくれました。彼も問いをしてくれました。情報世界のことです。今日、実に多くのメディアがあり、情報を受けています。過剰に情報が入ります。これは悪いことでしょうか? いいえ! よいことだし、助けになります。けれど情報をため込んで生きる危険に陥ります。たくさんの情報を手にしながらも、多分これをどうしていいかわからないかもしれません。あらゆるものを持っているけれど、何をしたらいいかわからない「美術館青年」になってしまう危険性があるのです。わたしたちには美術館青年はいらず、知恵ある青年が必要なのです。

すると、こう質問してくるかもしれません。「神父さん、どうすれば知恵ある人になれますか?」これはまた別の挑戦です。愛の挑戦です。大学で学ばなければならない一番大切な科目は何ですか? 生活の中で学ばなければならない一番重要な科目は何ですか? それは愛することを学ぶことです。これが今日、人生が君に突きつける挑戦です。愛することを学びなさい。美術館のように情報をため込むだけではだめです。なぜならこれをどうしていいかわからなくなる時があるからです。それでは美術館です。そうではなく、愛を通れば、そうした情報は実りをもたらすものとなるでしょう。

このために福音書は静かで、落ち着いた道をわたしたちに提案しています。三つの言語があります。思考の言語、心の言語、そして手の言語です。そして三つの言語とも調和させて用いることです。あなたが考え、感じ、実現すること。あなたの情報が心まで届き、心を動かし、これを実現させる。そしてこれが調和のうちになされる。感じることと行うことを考え、考えることと行うことを感じ、考えることと感じることを行う。三つの言語です。この三つの言語を繰り返してみようと思いますか?どうですか? 考えること、感じること、行うこと、大きい声で!(英語で三回繰り返す)そしてすべてを調和のうちに。

本当の愛は、愛し愛されるに任せることです。愛することよりも愛されるに任せることの方が難しいです。だからこそ神の完璧な愛に到達することが困難なのです。なぜならわたしたちは神を愛することはできるけれど、大切なのは神の自分に対する愛しかたを受け入れることだからです。ほんとうの愛はまず最初にあり、わたしたちに驚きを引き起こすその愛に対して開かれることなのです。

もし君にあらゆる情報があるだけなら、あなたは驚きに対して閉ざされています。愛はあなたを驚きに対して開かせます。愛はいつも驚きです。なぜなら二人の間での対話であると考えられるからです。愛する人と愛される人の間での対話です。わたしたちは神について、驚きの神であると言うことができます。なぜならいつでも神がわたしたちよりも先に愛した人であり、驚きをもってわたしたちを待っているからです。神はわたしたちを驚かせます。神によって驚かされるに任せましょう。そして何でも知ることができると信じこむ「コンピューターの心理学」を持たないようにしましょう。何と言いますか? ちょっと待ってくださいね。(教皇、コンピューターを英語で何というか質問する)コンピューター、あらゆる答えを持っているとして、驚きが何一つない。

愛の挑戦において、神は驚きとともに自らを示します。聖マタイのことを考えてみましょう。そうです、彼はやり手の商人でした。しかも自分の国を裏切っていました。なぜならユダヤ人からローマに支払うための税金を取り立てていたからです。お金にまみれ、税金を取り立てていました。イエスが通りかかり、マタイを見つめこう言います。「来て、わたしに従いなさい」。マタイには信じられませんでした。もしあとで時間があったら、カラバッジョが描いたこのシーンの絵を見に行ってください。イエスがマタイを呼び、こうやって(指さすジェスチャー付)、他の人たちが(もう一つのジェスチャー)「こいつを? 裏切り者の、厚かましいこの男を?」と言うかのように指さします。そしてマタイは金をつかみ、手放そうとしません。けれど、愛されることの驚きがこれに勝ります。そうしてイエスについていきます。

その日の朝、マタイは仕事に行くために妻と分かれる際に、まさかお金を持たずに大急ぎで帰ってきて、急いで宴会を準備するように言いつけるとは思いもよらなかったでしょう。まず愛してくれた人のための宴会です。なにかとても大切なこと、持ち金全部よりも大切な何かをもって驚かせてくれた方のための宴会です。

神によって驚かされなさい。驚きに対して恐れてはなりません。床が揺れるようでしょう? わたしたちは不安定になります、けれど歩み出させます。本物の愛はあなたのいのちを燃やすように促します。たとえ手の中が空っぽになってしまう危険にさらされても。

聖フランシスコのことを考えましょう。すべてを手放しました。空の手で、けれど満ち足りた心で死にました。いいですか? 美術館青年ではなく、知恵ある青年! 知恵ある人になるための、三つの言語、よく考えること、よく感じること、よく行うこと! 知恵ある人になるために、神の愛によって驚かされるに任せることです。そして行き、いのちを燃やしなさい。今日のあなたの指摘、ありがとう。

人生をどう歩んでいくかをわたしたちが見ることができるためのよい計画を持ってきてくれたのは、リッキです。わたしたちの活動のすべて、わたしたちがするべきこと、青年たちがすること、わたしたちにできること、すべてをリッキは話してくれました。ありがとう、リッキ。あなたやその仲間たちがしていることに感謝します。けれど、わたしは君に一つの質問をしたい。君とその友達は与えます。与え、与え、助けます。けれど、君は人が与えることを受け入れますか?(言いたいですか? というジェスチャー)リッキ、心の中で答えてください。

ついさっき聞いた福音の中で、わたしにとって一番大事なフレーズがあります。福音は、イエスがその青年を見たと言っています。そして愛した、と。誰かがリッキの仲間たちのグループを見たら、その人はみんなのことを大好きになるでしょう。とても良いことをしていますから。けれどイエスが言っていることで一番重要なフレーズは、「あなたに欠けていることが一つある」です。それぞれこのイエスの言葉に耳を傾けましょう。沈黙のうちに。「あなたに欠けていることがたった一つある」。何がわたしに欠けているのだろう? 他の人たちにたくさん与えるということで、イエスがとても愛していることを体験している皆さん、あなたたちに尋ねます。皆さんは、あなたたちが持っていないその別の富を他の人たちがくれるとき、それを甘んじて受けていますか?

イエスの時代のサドカイ派の人たちや律法学者たちは民に多くのものを与えていました。法を授け、教えを授けていました。けれど民が自分たちになにかをくれるということには一度も開かれませんでした。イエスが来て、民によって心動かされるに任せる、ということをしなければなりませんでした。あなたたちのことを言っているわけではありませんが、どれほど多くの青年たちが、ここにいるあなたたちのように人に何かを与えることはできるけれど、まだ受けることを学んでいないことか! あなたに欠けていることがたった一つある。乞食になること、乞食になることです。これがあなたたちに欠けているのです。わたしたちが与えている人たちに物乞いをするのです。これは容易には理解できないものです。物乞いをすることを学ぶ。

助けている相手の乏しい状態からもらうことを学ぶことです。貧しい人たちから福音を伝えてもらうことを学ぶことです。わたしたちが助けている相手には、貧しい人や、病人、孤児などがいますが、彼らにはわたしたちに多くを与えるものがあります。自分は乞食になり、またそうなれるように願っているだろうか? それとも自分は満足しており、与えるだけなのだろうか? いつも与えて生活していて、なんの必要もないと感じている君、自分が哀れな奴であることを知っていますか? 自分には貧しさがあり、与えてもらう必要があることを知っていますか? 貧しい人たちや病人、援助している相手から福音を伝えてもらうに任せていますか?

この姿勢は、リッキのように他の人たちに与える仕事に献身しているすべての人が成熟するのを助けます。自分の悲惨な状態から手を伸ばすことを学ぶことです。

他に準備していた点がいくつかありました。最初は、もう言ったことですが愛することを学び、愛されるに任せることを学ぶことですね。ほかにも挑戦があります。それは統合性のための挑戦です。

 これは皆さんの国が他の国より気候の変化によって左右されやすいからだ、ということではありません。環境に関わる挑戦が存在します。そして、最終的に、貧しい人たちの挑戦です。

貧しい人たちを愛すること。司教のみなさんは、あなたたちが今年特別な仕方で貧しい人たちにまなざしを向けるようにと望んでいます。あなたは貧しい人たちの間で考えますか? 貧しい人たちと共に考えますか? 貧しい人たちが持っているその知恵を求めていますか? これが今日わたしが皆さんに言いたかったことです。準備してきたものをほとんど読まなかったことを赦してください。けれど、わたしをほんのちょっと慰めるフレーズがあります。「現実は概念よりも上位である」。彼らが持ち出してきた現実、皆さんの現実は、わたしが準備してきたどの概念よりも上位にあります。ありがとう、どうもありがとう、わたしのために祈ってください(拍手)。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[鳥栖]「年間第二主日」のミサ説教(2015.1.18.)

エクレシア九州TVの動画Blog「こころのヒント!」で視聴することができます。

本日の第一朗読[サムエル上3・3b-10、19]

 [その日、少年]サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、[祭司]エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。

 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」

 サムエルは成長していった。主は彼と共におられ、その言葉は一つたりとも地に落ちることはなかった。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

600万人参加のミサ!

600万人が一つの食卓を囲む! 桁違いではないかと目を疑った。何百万人集まっても、主は一人ひとりと共にいてくださる。これが奇跡。これが秘跡。映像で映し出される一人ひとり…手を延ばして聖体拝領する一人ひとりに「飢えた」わたしたちの姿を見る。そして拝領した一人ひとりの表情に喜びを見る。ここに信仰の原点がある。一人ひとりの平和が集まって世界の平和になっていく…。聖体拝領が終わって「沈黙の祈りの時をもちましょう」という呼びかけ。沈黙の中でさらに主との一致が深まる。これを忘れているんですね。もっと黙すれば…聞こえてくる…見えてくる…。小郡教会も鳥栖教会も小さな共同体ですが、ここからキリストと共に在る喜びが伝わっていきますように…。

バチカン放送局[日本語]の記事

《フィリピン訪問中の教皇フランシスコは、18日、マニラで市民参加のミサを捧げられた。

15日から始まった教皇のフィリピン滞在も、翌日の帰国まであとわずかを残すところとなった。

フィリピンのカトリック教会の暦で「サントニーニョ(聖なる幼きイエス)」を記念したこの日曜日、教皇の同国訪問における最後の公式行事としてのミサが盛大にとり行われた。

あいにくの悪天候となったが、マニラ市内には、会場のリザル公園を中心に、教皇ミサに参加しようと集ったおよそ600万人の信者たちの波が続いた。

この人出について、バチカン報道局長フェデリコ・ロンバルディ神父は、教皇ミサの参加者数としては、これまで知られる中では最大のものと思われると述べた。以前の記録としては、やはりマニラで、20年前、教皇ヨハネ・パウロ2世が世界青年の日のミサを司式した時の、400~500万人があるという。

ミサの説教で教皇は、フィリピンがアジアにおいて福音の推進者となり、神が創造した世界の美しさを不正や、腐敗、搾取で傷つけることがないようにと呼びかけられた。

また、皆の家庭はもとより、教会という神の家族、そして世界という人類の家族を守るよう、フィリピンの信者に願われた。

そして教皇は、フィリピン国民、特にすべての子どもたち、若者、家庭を、サントニーニョに託して祈られた。》

★ Paul Francis we love you! マラミ、マラミ、サラマッポ!★

★「わたしのために祈ってください。」といつも教皇さまは言われます。わたしたちは約束します。「教皇さまのために祈ります。」「わたしたちは教皇さまと共に歩み続けます。」「キリストの光を輝かせることができるように、わたしたちを送り出して(派遣して)ください」:ミサ後の枢機卿の挨拶。感動的な挨拶でした。

最後に一人ひとりがロウソクに火を灯し(雨の中で!)、高らかに賛美の歌を歌った。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

教皇フランシスコ、フィリッピン・レイテ島タクロバンでミサ

バチカン放送局[日本語]の記事

教皇フランシスコ \ 司牧訪問

フィリピン訪問:教皇、台風被災地のタクロバンでミサ

《教皇フランシスコは、17日、フィリピン・レイテ島タクロバンとパロを訪れ、台風の被災者たちを励まされた。

2013年11月の台風で壊滅的被害を受けた地域への訪問は、教皇の以前からの願いであり、このたびのフィリピン司牧訪問の重要な目的の一つとなっていた。

教皇は空路でタクロバンに到着、空港隣接の敷地で市民参加のミサをとり行われた。

折りしも台風1号のため、現地は強い雨と風に見舞われ、教皇をはじめ皆が雨具を身につけての参加となったが、およそ20万人の信者らは悪天候にも負けず、教皇の言葉に熱心に耳を傾けていた。

説教で教皇は、「あの台風から14ヶ月経ち、今日、ここにわたしたちがいるのは、わたしたちはイエスの信仰において失望しないという確信があるからです」「わたしは皆さんに、主であるイエスは決して皆さんを失望させないと言うために、ここに来たのです」と話された。

「皆さんの多くはすべてを失いました。わたしは皆さんに何と言葉をかけるべきかもわかりません。しかし、イエスはそれができます。イエスは皆さんに語りかけることができるのです。」

「皆さんはキリストを見つめながら、『主よ、なぜ』と尋ねるでしょう。そして、イエスは皆さんの一人ひとりの心にお答えになるでしょう。イエスを見つめましょう。イエスは主です。イエスにはわたしたちがわかります。わたしたちが体験したすべての試練をご自身が体験されたからです。」

「十字架につけられたイエスの下には、聖母マリアが立っていました。苦しみの時、悲しみの時、何もわからない時、わたしたちは手を伸ばして母につかまる子どものように、聖母につかまりながら、『お母さん』と叫ぶのです。」

このように話された教皇は、キリストを見つめ、聖母にゆだねながら、沈黙のうちに祈り、心の声に耳を傾けるよう招かれた。

そして、教皇はまた「わたしたちは一人ではありません。わたしたちにはイエスと母がいます。そしてわたしたちにはこの惨事の中にも助けに来てくれた多くの兄弟たちがいます。わたしたちも互いに助け合いながら、より兄弟の絆を深めることができるのです」と、連帯と助け合いを呼びかけられた。

ミサに続き、教皇はタクロバンの近郊で、同様に深刻な台風被害を受けたパロに向かわれた。

パロの大司教館に到着された教皇は、ここで台風の被災家族らとお会いになった。

この後、「教皇フランシスコ・センター」と名づけられた貧しい人々のための施設を教皇は祝別。

さらにパロのカテドラルで、現地の司教・司祭・修道者、そして台風の被災者らとの短い出会いを持たれた。

台風接近に伴い、風雨が強まり、空路の安全が心配されたため、教皇は人々との別れを惜しみながらも、予定を早めてマニラに戻られた。》

今日の第一朗読(サムエル上3章3節ー10節、19節)の少年サムエルのように「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いております。」…沈黙の中で主は語られます。祈りの基本です。台風の嵐の中での沈黙…嵐の中で主のみ声に耳を傾ける20万人の人々の姿に打たれました。

★フランシスコの説教は9分[9:00]〜23分30秒[23:30]まで

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]ミサ時間、場所と司式司祭2015.1.17.〜2.1.

日曜日(主日)以外の平日のミサにも参加してみませんか? 修道院の静かな聖堂でシスターの皆さんと一緒に神の言葉を味わい、ご聖体をいただきます。短い説教(オミリア)をしています。一日が気持ちよくスタートできます。

小郡ミサ依頼2014

Facebook にシェア
[`evernote` not found]