月別アーカイブ: 2015年3月

[聖クララ修道院]受難の火曜日オミリア(2015.3.31.)

小郡の聖クララ修道院でのオミリア(短い説教)[8分]2015 Tue. of Holy Week←をクリックして聴くことができます。「受難の火曜日」の福音は毎年、ユダとペトロの裏切りの予告が読まれます。

《今日の福音》ヨハネ13・21-33、36-38 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」

イエスはこう言いつつも、心底不安にかられ、次のように断言した。「はっきり言っておく。あなたたちのうちの一人が、わたしを売り渡す」。弟子たちは、だれのことを言っているのかいぶかしく思い、互いに顔を見合わせた。一人の弟子がイエスのわき近くの席についていた。イエスが大切にしていた弟子だった。シモン・ペトロはその弟子に合図して、だれのことを言っているのか、尋ねさせた。その弟子は席についたまま、イエスの胸もとに顔をよせて、「主よ、だれですか」と言った。イエスは、「わたしがパンきれを浸して渡す人だ」と言った。そして、イエスはパンきれを浸して、それを取り、イスカリオテのシモン・ユダに渡した。そのとき、そのパンきれといっしょに、サタンがかれの中に入った。イエスはユダに、「あなたがすることを、はやくしなさい」と言った。しかし、いっしょに食卓についていただれも、イエスがなんのためにユダにそう言ったのか、分からなかった。ある者は、ユダが金袋(かねぶくろ)をにぎっていたので、「祭りに必要なものを買え」とか「貧しい人たちに何か渡しなさい」と、イエスが言ったのだと思った。パンきれを受けとると、ユダはすぐに出ていった。夜であった。/ユダが出ていくと、イエスは言った。「今こそ、人の子は輝きを得た。神も人の子によって輝きを得られたのだ。神が人の子によって輝きを得られたのなら、神もご自分の内から人の子を輝かし出される。すぐにも、人の子を輝かし出される。かけがえのない仲間たち、わたしがあなたたちといっしょにいるのは、いま少しのあいだだけだ。あなたたちはわたしをさがし求めることになる。『あなたたちはわたしの行くところに来ることはできない』と、わたしはユダヤの人たちに言ったが、同じことを、今、あなたたちにも言っておく。//シモン・ペトロが、「主よ、どこへ行くのですか」と言うと、イエスは、「わたしが行くところに、今、あなたはついて来ることはできない。しかし、あとになってついて来る」と言った。ペトロが、「どうして、今、ついて行くことができないのですか。あなたのためなら、この身を投げ出します」と言うと、イエスは言った。「わたしのために自分を投げ出すと言うのか。はっきり言っておく。にわとりが時を告げるまえに、あなたは三度、わたしとは関わりがないと言うだろう」。

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聖週間が始まりました。

「聖週間」が始まりました。主イエスの受難を黙想し、イエスとともに十字架の道を歩みます。自分の「受難」を想うとき、苦しみ、悩みで地面にはいつくばっている自分の目先にその同じ目線にイエスの眼差しがあります。大丈夫だよ、わたしが一緒にいる…とイエスは言ってくださいます。

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       2015年初日の出

教皇フランシスコ、聖週間を前に、イラクのキリスト教家庭に励まし  バチカン放送[日本語]記事

聖週間と復活祭を前に、教皇フランシスコはイラクのキリスト教徒に連帯を表された。

バチカン広報局の声明では、教皇は、モスルやニネベ平野などイラク各地で住んでいた家や町を追われ、現在北部のクルド自治区で避難生活をおくるキリスト教徒や他の共同体の家族の状況を常に心にかけてこられた。

教皇はこれらの家族たちのために祈り、これまで何世紀もの間、すべての人々が良好な関係を築きながら暮らしていた地に彼らが戻り、そこで生活を取り戻すことを願っておられる。

不当な暴力の犠牲となったこれらの家族は、間もなく始まる聖週間において、キリストご自身と苦しみを分かち合うことになるが、これらの人々と共にいて、連帯と愛情のしるしとなり、彼らと共に祈るために、福音宣教省長官フェルディナンド・フィローニ枢機卿がイラクに赴く旨を、声明は述べている。

ローマ教区の家族たちは、彼らの司教である教皇と一致し、イラクの家族への連帯の気持ちとして復活祭の菓子を贈り、主の復活の喜びを共にすることを望んでいる。

教皇はまた、ナイジェリア北部の家族の苦しみにも同様の連帯を寄せられ、同国の司教協議会を通じて、そのしるしをもたらしたいとしている。

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[小郡]司祭からのてがみ「こんにちは!No.4」

4月5日(日)の復活祭のミサは10時からです。ミサの中で幼児洗礼式があります。ミサ後、復活祭と洗礼のお祝い会、そして大塚神父の送別会をします。*最終行をクリックするとpdf.ファイルで見る(印刷する)ことができます。 

司祭の手紙こんにちは!No_ページ_1 司祭の手紙こんにちは!No_ページ_2

*ここをクリックしてpdf.ファイルで読む(印刷する)ことができます。

 

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[小郡]結婚式(2015.3.28.)

今日は結婚式でした。桜も開いて、素晴らしい天気でした。お幸せに。

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IC_A_010n1←式中の説教[10分]*音声がこもっていて聞きにくいです。

《イエスのみ言葉》ヨハネ15・12-14、16-17 新共同訳

[イエスは弟子たちに言われた。]わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行なうならば、あなたがたはわたしの友である。…あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」

 

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[小郡]ミサ時間と場所(2015.3.28.〜4.12.)

今年の復活祭は4月5日です。明日は「受難の主日(枝の主日)」です。一年でもっとも大切な時期「聖週間」に入ります。

とくに「聖なる過越の三日間」の19時30分からの典礼にはぜひご参加ください。

なお、鳥栖教会での聖なる三日間の典礼は小郡教会と同じ19時30分から行われます。4月5日(日)復活の主日のミサは鳥栖教会が9時から。小郡教会は10時からです。それぞれのミサ後に復活祭のお祝い会をしますが、今回は大塚神父の送別会も兼ねます。

★4月12日から主日のミサ時間は、小郡教会では前晩19時30分からと日曜日11時から、鳥栖教会では日曜日8時30分からです。鳥栖教会での主日前晩のミサはありません。3ヶ月ごとに日曜日のミサ時間が入れ替わります。

日曜日(主日)以外の平日のミサにも参加してみませんか? 修道院の静かな聖堂でシスターの皆さんと一緒に神の言葉を味わい、ご聖体をいただきます。朝6時30分から7時05分です。短い説教(オミリア)をしています。一日が気持ちよくスタートできます。オミリアは時々このホームページでも録音をアップしています。

[小郡]ミサ時間と場所2014.3.28.〜4.12.

 

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今日のみ言葉 四旬節第5土曜日(2015.3.28.)

主はわたしたちの「真ん中」にいてくださる…のです。

《今日のミサの第一朗読から》エゼキエル37・21-28 新共同訳

主なる神はこう言われる。…わたしは彼らの住居を定め、彼らを増し加える。わたしはまた、永遠に彼らの真ん中にわたしの聖所を置く。わたしの住まいは彼らと共にあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。わたしの聖所が永遠に彼らの真ん中に置かれるとき、諸国民は、わたしがイスラエルを聖別する主であることを知るようになる。

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[聖クララ修道院]四旬節第5金曜日オミリア(2015.3.27.)

小郡の聖クララ修道院でのオミリア(短い説教)[3分]2015Lent 5th Fri.←をクリックして聴くことができます。

《今日の福音》ヨハネ10・31-42 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」

ユダヤの人たちは、イエスを石打ちにしようと、また、石を手にした。それに対してイエスは、「わたしは、父に属するほんとうの生き方を、たっぷりあなたたちに示した。そのどれのために、わたしを石打ちにしようというのか」と言った。ユダヤの人たちは言った。「ほんとうの生き方というのであれば、おまえを石打ちにするわけはない。神を侮(あなど)ったその言いぐさだ。おまえは人間なのに、自分を神としている」。するとイエスは言った。「あなたたちの律法に書いてあるではないか。『わたしは言った、あなたたちは神々ではないか』(詩編82・6)と。神を告げるできごとが人々のために起き、その人たちが『神々』と呼ばれているのだ。書かれていることが無効になることはありえない。それなら、父から聖なるものとして世につかわされたこのわたしに、わたしが『神の子だ』と言ったからといって、どうして神を侮(あなど)っていると言うのか。もし、わたしが父の生きざまを生きていないのであれば、わたしに信頼してあゆみを起こさなくてもいい。しかし、父の生きざまをわたしが生きているのであれば、わたしを信頼できないとしても、わたしの生き方に信頼してあゆみを起こしなさい。そうすれば、父がわたしの内におり、わたしが父の内にいることが、はっきりと分かるだろう」。ユダヤの人たちは、また、イエスを取り押さえようとしたが、イエスはかれらの手をのがれて出ていった。/イエスは、ふたたびヨルダン川の向こう側、ヨハネがさいしょに沈めの式を行なったところに行って、そこに滞在した。おおぜいの人たちがイエスのところにやって来ては、こう言った。「ヨハネはなにも奇跡は行なわなかったが、ヨハネがこの人について言ったことは、すべてほんとうだった」。そおでは、おおぜいの人たちがイエスに信頼してあゆみを起こすようになった。

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