月別アーカイブ: 2016年6月

教皇フランシスコの一般謁見演説(2016.6.22.)公式訳

6月22日の謁見のメッセージの公式訳です。特別聖年に関する連続講話。第24回。「心を清くするいつくしみ」(ルカ5・12-16参照)。カトリック中央協議会ホームページから。*カトリック中央協議会広報部から(文字を拡大し、読みがなを付けることを含めて)転載の許可を得ています。

*ここをクリックしてpdf.ファイルで読む(印刷する)ことができます。

2016.6.22. PF.一般謁見演説 _ページ_1 2016.6.22. PF.一般謁見演説 _ページ_2 2016.6.22. PF.一般謁見演説 _ページ_3

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人事:広島教区の司教に白浜満神父

2016年6月29日バチカン放送日本語課の記事より

人事:広島教区の司教に白浜満神父

教皇フランシスコは、6月28日、広島教区の司教として、日本カトリック神学院院長のアレキシオ白浜満神父を任命された。

広島教区は、2014年、同教区の司教を務めた前田万葉司教が大阪大司教区・大司教に任命されたことに伴い、以来、司教が空位となっていた。

白浜満神父は、1962年、長崎県の生まれ。54歳。1990年、長崎で司祭叙階。1993年、サン・スルピス司祭会に入会。2012年、日本カトリック神学院院長。

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前教皇ベネディクト16世、司祭叙階65周年

2016年6月29日バチカン放送日本語課の記事より

前教皇ベネディクト16世、司祭叙階65周年

ベネディクト16世(本名;ヨーゼフ・ラッツィンガー)が、兄ゲオルグ師と共に司祭に叙階されたのは、1951年6月29日、使徒聖ペトロ・聖パウロの大祝日のことであった。

6月28日、バチカン宮殿のクレメンスの間で行われた祝いの席には、教皇フランシスコをはじめ、枢機卿・司教らバチカン関係者が多数出席。前教皇の司祭叙階記念の喜びを共にした。

教皇フランシスコは、ベネディクト16世に祝辞を述べる中で、司祭職をテーマにした前教皇の著作集で特に印象的な箇所として、イエスによるペトロの最終的な召し出しについて述べている部分を引用。

イエスがペトロに求めることは、「わたしを愛しているか」という問いに集約されるのであり、主が司祭たちを通してご自分の羊を牧されるためには、この主への愛が基礎として不可欠であるという、ベネディクト16世の教えを紹介された。

そして、「主よ、あなたは何もかもご存知です。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」(ヨハネ21,15-19)というペトロの答えこそ、前教皇の司祭、神学者としての全人生を貫くものであり、実際、その「愛する方を探す」という生き方を前教皇は常に証しし、また今日も証ししていると話された。

神に向けて上げた眼差しと心をもって、前教皇が教会の成長を力強さと知恵をもって見守り続けていることを教皇フランシスコは賞賛。

アッシジの聖フランシスコの霊的歩みにも似て、ベネディクト16世がバチカンの小さな修道院で教会のために捧げる生活は、平和と、力、信頼、成熟、信仰、献身、忠実を生み、それらはご自分と全教会のための力となっていると述べられた。

そして、教皇フランシスコは教会全体を代表し、いつくしみ深い神が前教皇を支えてくださるようにと祈られた。

この後、教皇フランシスコに続いて、バチカンの教理省長官ゲルハルト・ミューラー枢機卿、枢機卿会主席アンジェロ・ソダノ枢機卿のお祝いの言葉が続いた。

これらの言葉を受けて、ベネディクト16世は、教皇フランシスコとすべての人々に深い感謝を表された。

65年前の司祭叙階の日に触れつつ、前教皇は、その時共に叙階を受けた一人の友人が初ミサの記念のカードに「eucharistomen」(感謝を捧げましょう)とだけ記したことを回想。この言葉があらゆる意味で今の自分のすべてを表していると述べられた。

前教皇は特に教皇フランシスコへの感謝において、教皇の優しさはその選出の時から、どのような時においても自分を常に深く感動させたと述べ、自分はバチカン庭園よりも、教皇のその優しさの中に住んでいるのであり、その中で自分は守られていると感じると話された。

前教皇は、教皇フランシスコが、イエスの道を示しながら、イエスに向け、神に向けて、神のいつくしみの道をわたしたちと共に歩み続けて欲しいと願われた。

キリストは十字架と苦しみを感謝と祝福に変容させたと述べながら、前教皇は、わたしたちもまたこの主の「感謝」の中に入っていくことで、新しい生を発見し、世界が、死ではなく命の世界に、死に対して愛がうち勝つ世界に、変っていくことを助けましょうと述べられた。

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心の中[2016.6.30.オミリア]

《年間第13木曜日のオミリア》サン=テグジュペリは「星の王子さま」[訳:内藤濯]のキツネとの対話の中で《「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」「かんじんなことは、目には見えない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。》と書いています。また、終わりのほうでも「たいせつなことはね、目に見えないんだよ…」と王子さまに言わせています。*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む、その方へのメッセージに気づくことができると思います。

聖クララ会の聖堂で行われたミサのオミリア[6分][クララ会]2016.6.30←をクリックして聴くことができます。

《答唱詩編》詩編19・8、9 新共同訳

主よ、あなたは永遠のいのちのことば。

 神の教えは完全で、魂を生き返らせ、そのさとしは変わらず、心に知恵をもたらす。/神の定めは正しく、心の喜びであり、そのみ旨は清く、目を開く。

《福音朗読》マタイ9・1-8 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

低みから立つ人には、罪をゆるす権威がある

 [そのとき、]イエスは舟にのって湖をわたり、自分の町にやって来た。すると、人々がからだの麻痺(まひ)した人を担架(たんか)に寝かせたまま、イエスのところに運んできた。イエスはその人たちの信頼にみちたふるまいを見て、からだの麻痺した人に言った。「さあ、元気を出しなさい。あなたが道をふみはずしたことはゆるしてもらえる」。すると、何人かの律法学者たちが仲間うちで、「こいつは、神を侮(あなど)ったもの言いをする」と言った。イエスはかれらの思いを知って、言った。「なぜ、あなたたちは腹の中で、人を威圧(いあつ)することを考えるのか。『あなたが道をふみはずしたことはゆるしてもらえる』と言うのと、『立ちあがって、歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で道のふみはずしをゆるす権威をもっていることを、分からせてやろう」。そして、からだの麻痺した人に向かって、「立ちあがって、担架をかついで、家に帰りなさい」と言った。すると、その人は立ちあがり、家に帰った。民衆はこれを見ておそれをいだき、人間にこれほどの権威を与えられた神をほめたたえた。

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信仰の原点[2016.6.29.オミリア]

《「聖ペトロ 聖パウロ使徒」のオミリア》6月29日は「聖ペトロ 聖パウロ使徒」の祭日です。

初代教会の中心的な指導者である二人の使徒を祝うこの祭日についての最古の記録は、258年に書かれたものである。使徒の頭であるペトロは、エルサレムをはじめ広く宣教活動を行った。また、初めはイエスの弟子たちを迫害していたパウロは復活したキリストと出会って回心し、異邦人の使徒としてキリストの教えを宣べ伝えた。二人は異なる使命を与えられていたが、「キリストのもとに人々を一つに集め、信仰のあかしのためにともにいのちをささげ」(きょうのミサの叙唱)、ネロ皇帝による迫害の時代(60年代半ば)にローマで殉教した。(『毎日の読書』より)

*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む、その方へのメッセージに気づくことができると思います。

聖クララ会の聖堂で行われたミサのオミリア[8分][クララ会]2016.6.29.聖ペトロ 聖パウロ使徒MP3←をクリックして聴くことができます。

《答唱詩編》詩編34・2+3、4+5、7+8 新共同訳

主を仰ぎ見て、光を受けよう。主が訪れる人の顔は輝く

 主をたたえよう、明け暮れ賛美をくちにして。主はわたしたちの口のほこり、苦しむときの心のよろこび。/心を合わせて主をあがめ、ともにその名をたたえよう。主はわたしたちの祈りに心を留め、すべての恐れを遠ざけてくださる。/主は貧しい者の叫びを聞き、悩みの中からすくい出し、主をおそれる者に使いをおくり、支えとなって守ってくださる。

《第二朗読》Ⅱテモテ4・6-8、17-18 新共同訳

 [愛する者よ、]わたしは、既(すで)にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおり、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。わたしを通して福音があまねる宣(の)べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子(しし)の口から救われました。主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

《福音朗読》マタイ16・13-19 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

ともに低みに立つペトロが、イエスに「キリスト」(油をそそがれた者)を見た

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方にやって来たとき、弟子たちにたずねた。「人々は、人の子のことを何と言っているのか」。弟子たちは言った。「沈めの式を行なうヨハネだと言う人もいれば、エリアだと言う人もいます。また、エレミアだとか預言者の一人だと言う人もいます」。イエスが弟子たちに、「あなたたちは、わたしをだれだと言うのか」とたずねると、シモン・ペトロがこたえて、「あなたは『キリスト』、生きておられる神の子です」と言った。すると、イエスはペトロに言った。「ヨナの子シモン、あなたは神からの力がある。あなたにこのことをあらわしたのは、血肉(ちにく)ではなく、天におられるわたしの父だからだ」。

教会は地下の岩盤(ペトラ)まで掘り下げたところに立つもの

 「わたしもあなたに言っておく。あなたはペトロ(岩)だ。この岩盤(がんばん)まで掘り下げてわたしの民の集い(教会)をきずく。そうすれば、地獄の力もこの民の集いには対抗できない。あなたに天の国の鍵をわたそう。あなたが地上でしばることは天においてもしばられることになり、あなたが地上で解くことは天においても解かれることになる」。

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教皇フランシスコ「お告げの祈り」メッセージ(2016.6.19.)公式訳

年間第12主日の「お告げの祈り」のことばです。カトリック中央協議会のホームページから。*カトリック中央協議会広報部から(文字を拡大し、読みがなを付けることを含めて)転載の許可を得ています。

*ここをクリックしてpdf.ファイルで読む(印刷する)ことができます。

2016.6.19. PF.「お告げの祈り」でのことば_ページ_1 2016.6.19. PF.「お告げの祈り」でのことば_ページ_2

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こころの嵐[2016.6.28.オミリア]

《年間第13火曜日のオミリア》嵐にさいなまれる時、主(神)は眠っておられるよう。主は人を通して嵐を静める…。*オミリア(み言葉を基にした短いお話し)と共に聖書の言葉やミサで使われる「言葉」を紹介しています。時間のある時にゆっくりと「言葉」を味わうことをお勧めします。読む方へのメッセージに気づくことができると思います。

聖クララ会の聖堂で行われたミサのオミリア[8分][クララ会]2016.6.28

←をクリックして聴くことができます。

《答唱詩編》詩編85・5a+7b+8a、9 新共同訳

神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください、手をさしのべて

 神よ、あなたはわたしたちを救うかた。わたしたちのいのちを新たにし、あなたのうちにあって民が喜ぶために、あなたのいつくしみを示してください。/神の語られることばを聞こう。神は平和を約束される、その民、神に従う民に、心を神に向ける人に。

《福音朗読》マタイ8・23-27 本田哲郎訳「小さくされた人々のための福音—四福音書および使徒言行録—」  新世社

嵐をこわがるな。小さくされた者たちとともに、イエスがいる

 [そのとき、]イエスが舟にのると、弟子たちがそれにつづいた。そのうちに湖は大しけとなり、舟は波におおわれるほどになった。イエスは眠っていた。弟子たちはそばに寄ってイエスを起こし、叫んだ。「主よ、助けてくれ。もう、だめだ」。イエスはかれらに、「何をこわがるのか。信頼の足りない者たちだ」と言いつつ、身を起こして、風と湖とをいましめると、大なぎとなった。人々は感銘を受けて、言った。「この人はいったい何者だろう。風や湖まで、言うことをきくとは」。

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教皇フランシスコの一般謁見演説(2016.6.15.)公式訳

6月15日の謁見のメッセージの公式訳です。特別聖年に関する連続講話。第23回。「いつくしみは光」(ルカ18・35-43参照)。カトリック中央協議会ホームページから。*カトリック中央協議会広報部から(文字を拡大し、読みがなを付けることを含めて)転載の許可を得ています。

*ここをクリックしてpdf.ファイルで読む(印刷する)ことができます。

2016.6.15. PF.一般謁見演説 :いつくしみは光_ページ_1 2016.6.15. PF.一般謁見演説 :いつくしみは光_ページ_2 2016.6.15. PF.一般謁見演説 :いつくしみは光_ページ_3

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教皇、ホルヴィラップ修道院へ、アルメニア訪問を終了

2016年6月26日バチカン放送日本語課の記事より←ぜひクリックしてみてください。すばらしい写真です。

教皇、ホルヴィラップ修道院へ、アルメニア訪問を終了

アルメニアを訪れていた教皇フランシスコは、6月26日、ホルヴィラップ修道院を訪問、これをもって同国での公式行事をすべて終えられた。

アルメニア東南部、トルコ国境に近く、雄大なアララト山を望むホルヴィラップ修道院は、アルメニア使徒教会にとって最も重要な聖域の一つである。

初期キリスト教時代、アルメニアで宣教していた啓蒙者・聖グレゴリウスは、キリスト教を迫害していた王ティリダテス3世によって、同地にあった城砦の深い井戸に13年間閉じ込められていた。

その後、王は重い病気にかかり、聖グレゴリウスの取次ぎによって治癒したことから、家族と共に洗礼を受け、301年、アルメニアをキリスト教国として宣言した。

5世紀、聖グレゴリウスが幽閉されていた井戸の上に修道院が建てられ、同国の宗教・文化上、重要な場所となっていった。

アルメニア使徒教会のカトリコス・ガレギン2世に案内され、同修道院を訪れた教皇は、「聖グレゴリウスの井戸」の前でろうそくに火を灯した。

続いて、修道院の礼拝堂で、ガレギン2世と教皇は交互に祈りを捧げた。教皇は、平和の与え主である神に、いつくしみの助けをもって、わたしたちを命と救いに導いてくださいと祈った。

この後、教皇はガレギン2世と並んで小高い修道院のテラスからアララト山を眺め、カトリコスと一緒に平和の象徴である鳩を空に放たれた。

こうして、3日間のアルメニア訪問を終えた教皇は、同日夕方、エレバン国際空港でサルキシャン大統領とガレギン2世の見送りを受け、ローマへの帰途につかれた。

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教皇、キリスト者の一致を強調、アルメニア使徒教会の信者たちに

2016年6月26日バチカン放送日本語課の記事より

教皇、キリスト者の一致を強調、アルメニア使徒教会の信者たちに

教皇フランシスコは、6月26日、アルメニア訪問最終日の午前、エチミアジンでアルメニア使徒教会の聖体礼儀に参列された。

この朝、教皇はアルメニアのカトリック教会の司教らとの出会いを持たれた。

次いで、教皇はエチミアジン市内の広場でとり行われたアルメニア使徒教会の聖体礼儀に参列。カトリコス・ガレギン2世の説教に続いて、カトリコスと信者たちに向け、挨拶をおくられた。

アルメニア使徒教会の聖体礼儀は東方諸教会の伝統に基づく荘厳な様式を持つ。聖堂内でとり行われることを通常とし、今回のように野外で司式されることはめずらしいという。

挨拶の中で、詩編133の一節「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」を引用しつつ、教皇はこの兄弟的出会いに大きな喜びと感謝を表された。

また、「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます」という聖パウロの言葉(エフェソ 4,4-6)を、わたしたちは喜びをもって自分たちのものとしましょうと呼びかけられた。

教皇はアルメニア教会が平和のうちに歩み、キリスト教徒間の一致を実現していくことができるようにと願われた。

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