月別アーカイブ: 2018年4月

[小郡]「復活節第5主日」ミサ説教(2018.4.29.)

《復活節第5主日》小郡教会聖堂で11時から行われたミサの説教[13分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

小郡教会聖堂玄関

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実をむすばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」(ヨハネ福音書15章)

 

 

 

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]「復活節第4主日」前晩ミサ説教(2018.4.21.)

《復活節第4主日前晩:世界召命祈願の日》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教、画像を観ることができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは言われた。]「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。—狼は羊を奪い、また追い散らす。—彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」(ヨハネ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡]「復活節第5主日」前晩ミサ説教(2018.4.28.)

《復活節第5主日前晩》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[10分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

小郡教会聖堂玄関

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実をむすばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」(ヨハネ福音書15章)

 

 

 

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.4.28.〜2018.5.13.)

★★★鳥栖カトリック幼稚園外構工事のため6月一杯は佐賀銀行の職員駐車場をご利用ください。幼稚園駐車場はまだ完成していませんが、日曜日7時〜14時までは使えます。*警備員に一言お願いします。

★4月〜6月は小郡教会11時〜、鳥栖教会8時30分からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

 

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[基山]もっと大きな業になる[2018.4.28.オミリア]

《復活節第4土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

 

 

神の恵みに対してオープンでいれば、不可能なことでさえ可能になります

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父(おんちち)をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。はっきり言っておく。わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとへ行くからである。わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によってわたしに何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネによる福音書第14章)

【本田哲郎訳】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを知った者は、父をも知る。(=真実)今、あなたたちはもう父を知っており、すでに父を見ているのだ」。フィリポが、「主よ、わたしたちに御父をはっきり見せてください。それで満足です」と言うと、イエスは言った。「フィリポ、こんなに長くいっしょにいるのに、あなたはわたしを知らないのか。わたしを見た者は父を見たのだ。なぜ、あなたは、御父をはっきり見せろと言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内にいるという、このことに、あなたは信頼してあゆみを起こせないのか。わたしがあなたたちに言っていることは、自分の思いで話しているわけではない。わたしの内におられる父が、その生きざまを示しておられるのだ。わたしが父の内におり、父がわたしの内にいるのだから、わたしに信頼してあゆみを起こしなさい。それができないなら、わたしの生き方を見て、信頼をもってあゆみを起こしなさい。はっきり言っておく。わたしに信頼してあゆみを起こす人は、わたしがしている生き方をするようになり、しかも、もっとすぐれた生き方をするようになる。わたしが父のもとに行くからである。だから、あなたたちがわたしを身に帯びて願うことはなんでも、わたしが実現させよう。こうして、父が子の内から輝き出るのである。あなたたちがわたしを身に帯びて何かを願うなら、わたしがそれを実現させよう」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[クララ]イエスの道を歩む[2018.4.27.オミリア]

《復活節第4金曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っている。」トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネによる福音書第13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

「洗礼が与える、悪と闘う力」教皇一般謁見

2018年4月25日バチカン放送日本語課の記事より

「洗礼が与える、悪と闘う力」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、バチカンで4月25日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は「洗礼の秘跡」について、巡礼者らと共に考察された。

洗礼志願者らを照らし、信仰に近づけるのは「福音」である。「洗礼は、信仰に入る秘跡的な入口であるために、まさに特別な意味で『信仰の秘跡』といえる」(参照:カトリック教会のカテキズム1236)と、教皇は話された。

そして、洗礼志願者らは、イエスを「永遠の命に至る水」(ヨハネ4,14)、「世の光」(同9,5)、「復活であり、命」(同11,25)と認めるこの信仰によって、主に自らを委ねる、と語られた。

イエスの言葉と、その教えと業に育まれ、洗礼志願者は生きた水に渇くサマリアの女や、光に目を開いた生まれつき目の見えない人、墓から出てきたラザロを、自ら体験することになる。教皇は、福音は信仰を受け入れる人を変容し、その人を悪の支配から引き離し、喜びと新たな生き方をもって主に仕えることを教えると述べられた。

洗礼志願者は一人ではなく、諸聖人の連祷が思い出させるように、全教会の祈りに伴われながら洗礼盤へと向かうと教皇は指摘。教会の祈りは志願者たちの悪との闘いを支え、善の道の歩みを見守り、神の恵みの王国へと移るために、罪の力からの解放を助ける、と説かれた。

教皇は、罪と悪からの解放のために、成人の洗礼志願者の上にはいくつかの解放を求める祈りが唱えられ(参照;カトリック教会のカテキズム1237)、幼児洗礼の場合にも、原罪からの解放を神に願い、聖霊の住まいとして奉献して祈ることを紹介。

洗礼は、聖霊の賜物によって悪霊と闘う力を受洗者に与えるものと話された。

また、新受洗者に聖油を塗布することについて、教皇は、古代の闘技者は筋肉を強壮にし、敵の攻撃から逃れやすいように油を塗っていたが、初代キリスト教教会も、救い主キリストの力が洗礼志願者を強め、悪と闘うことがで きるようにと、司教によって聖別された油を志願者に塗布するようになったと説明された。

悪と闘い、その欺瞞から逃れることは容易ではないが、キリスト者の全人生は一つの闘いであることを忘れてはならないと述べた教皇は、わたしたちは一人ぼっちではなく、母なる教会はその子らが洗礼を通して再び生まれ、復活のキリストの力をもって悪の罠に打ち勝つことを祈っていると語 られた。

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

[クララ]パンを食べても[2018.4.26.オミリア]

《復活節第4木曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[イエスは弟子たちの足をお洗いになった後、こう言われた。]「はっきり言っておく。僕(しもべ)は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(ヨハネによる福音書第13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

Facebook にシェア
[`evernote` not found]