月別アーカイブ: 2018年5月

[小郡]「三位一体の主日」前晩ミサ説教(2018.5.26.)

《三位一体の主日》小郡教会聖堂で19時30分から行われたミサの説教[8分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第二朗読】[皆さん、]神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。(ローマの教会への手紙8章)

【福音】[そのとき、]十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイによる福音書28章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2018.5.26.〜2018.6.10.)

★★★鳥栖カトリック幼稚園外構工事のため6月一杯は佐賀銀行の職員駐車場をご利用ください。幼稚園駐車場はまだ完成していませんが、日曜日7時〜14時までは使えます。*警備員に一言お願いします。

★4月〜6月は小郡教会11時〜、鳥栖教会8時30分からになります。前晩(土曜日)のミサは毎週小郡教会で19時30分〜です。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。

第二、第四土曜日は朝7時から基山教会で平日のミサが行われています。清々しい空気と早朝の光りの中でのミサは心が洗われるようです。一度参加してみてください。

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教皇、ローマ郊外の学校を訪問

2018年5月25日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、ローマ郊外の学校を訪問

教皇フランシスコは、ローマ郊外の学校を訪問された。

教皇は「いつくしみの金曜日」として、月に一度程度、金曜日の日に福祉施設や病院をはじめ、様々な場所を訪れ、人々と交流されている。

5月25日午後、教皇はローマ南東郊外フィノッキオ地区とボルゲジアーナ地区の間にある、小中一貫校「エリーザ・スカーラ」を訪問された。

同校は、1950年代に創立され、周辺地域の住宅化と共に、規模を拡大していった。白血病のために11歳で亡くなった少女エリーザの名を冠した同校は、「たくさんの本に囲まれたい」という少女のかつての夢を実現し、充実した図書館を備えている。

この日は同校の文化行事が開催されており、事前の予告なしに行われた教皇の訪問に、生徒たちは驚きと喜びに包まれた。

教皇は学校関係者の説明を受けながら、図書館をはじめとする施設や催しをご覧になり、生徒たちに励ましをおくられた。

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「家庭は、愛することを教え学ぶ場所」教皇、ローマの警察官と家族らに

2018年5月25日バチカン放送日本語課の記事より。

「家庭は、愛することを教え学ぶ場所」教皇、ローマの警察官と家族らに

教皇フランシスコは、ローマの警察官および衛生局職員らとお会いになった。

5月25日、バチカンのパウロ6世ホールには、ローマの中央警察署の警察官および衛生局職員、またその家族らが集った。

教皇はこの集いで、日ごろバチカン周辺の警備にあたるローマの警察官らに感謝を述べると共に、関係者の家族らに温かい歓迎を示された。

「家庭とは、愛することを最初に教え、最初に学ぶ場所です」と述べた教皇は、同時に家庭は信仰と、善を行うことを学ぶ場所でもあると話された。

そして、今日の社会の様々な挑戦と困難を考える時、健全な家庭の存在は、世界と教会の未来に決定的な役割を果たすものと指摘された。

「人生の道のりにおいて、イエスは決してわたしたちを見捨てることがありません。イエスはすべての人をいつくしみをもって見守り、特に家庭を愛のうちに聖化してくださいます。」

「イエスの現存は、お母さんや、お父さん、子どもたちの優しさや、いたわり、抱擁を通して表されます。家庭とは、優しさの場所です。」

教皇はこのように語られた。

また、信仰も家庭において受け継がれるものと教皇は述べ、人は家庭の中で謙遜で単純な、同時に希望と喜びに開いた祈りを学ぶことができると話された。

さらに、教皇は、健全な家庭は市民道徳を伝える場所でもあると述べ、家庭が市民道徳を教える義務を果たさないならば、国家は維持できないと強調された。

教皇は、関係者とその家族らを、ナザレの聖家族と、イタリア警察の保護者である大天使聖ミカエルに託して祈られた。

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[基山]病者の塗油と子供たちを受け入れること[2018.5.26.オミリア]

《年間第7土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[10分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[愛する皆さん、]あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。(使徒ヤコブの手紙第5章)

【福音】[そのとき、]イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤(いきどお)り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨(さまた)げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこの入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]頑固[2018.5.25.オミリア]

《年間第7金曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。忍耐した人たちは幸せだと、わたしたちは思います。あなたがたは、ヨブの忍耐について聞き、主が最後にどのようにしてくださったかを知っています。主は慈しみ深く、憐れみに満ちた方だからです。わたしの兄弟たち、何よりもまず、誓いを立ててはなりません。天や地を指して、あるいは、そのほかどんな誓い方によってであろうと、裁きを受けないようにするために、あなたがたは「然り」は「然り」とし、「否」は「否」としなさい。(使徒ヤコブの手紙第5章)

【福音】[そのとき、]イエスはユダヤ地方とヨルダン川の向こう側に行かれた。群衆がまた集まって来たので、イエスは再びいつものように教えておられた。ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」家に戻ってから、弟子たちがまたこのことについて尋ねた。イエスは言われた。「妻を離縁して他の女を妻にする者は、妻に対して姦通の罪を犯すことになる。夫を離縁して他の男を夫にする者も、姦通の罪を犯すことになる。(マルコ福音書10章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「堅信の秘跡」を考える、教皇一般謁見

2018年5月23日バチカン放送日本語課の記事より。

「堅信の秘跡」を考える、教皇一般謁見

教皇フランシスコは、バチカンで5月23日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシスで教皇は、復活節中に行った「洗礼の秘跡」の考察に続き、聖霊降臨後にふさわしいテーマとして、「堅信の秘跡」の考察に入られた。

教皇は、聖霊が受洗者に与える、キリストを証しさせる力に注目。

洗礼を受けた者を真に「地の塩、世の光」(参照:マタイ5,13-16)とするのは、キリストの霊だけであり、この聖霊の賜物を受けるのが「堅信の秘跡」であると述べられた。

また、教皇は、この秘跡を「堅信(コンフィルマティオ)」と呼ぶのは、洗礼をより強固にし、その恵みを強化するからであり、また「クレジマ」とも呼ぶのは、聖香油(クリスマ)の塗油によって聖霊を受けるからであると説明。

神のいのちにおいて再び生まれる「洗礼」が最初の一歩ならば、神の子としてふさわしく生き、聖なる教会の中で働かれるキリストに一致しながら、世におけるその使命に参与するために必要なのが、聖霊の注ぎであると話された。

聖霊の働きによっておとめマリアの胎に宿ったイエスは、ヨルダン川で洗礼を受け、水から上がると、天から霊がご自分に降ってくるのをご覧になった(参照:マルコ1,10;  ヨハネ1,32)。

教皇は、イエスがナザレの会堂で「主の霊がわたしの上におられる」(ルカ4,18)と宣言し、「貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」と告げた場面を観想。

このようにイエスは聖霊に満ちていると同時に、御父が約束された聖霊の源でもある(参照:ヨハネ 15,26; ルカ24,49; 使徒言行録 1,8; 2,33 )ことを指摘された。

実際、復活したキリストは弟子たちに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」(ヨハネ20,22)と言い、また聖霊降臨の日には、使徒たちの上に聖霊の力が特別な形で降っている。

「復活のキリストの息吹は、教会の肺をいのちで満たすもの」と述べた教皇は、ヨルダン川でイエスの上に聖霊が降った出来事のように、聖霊降臨は教会にとって、神の栄光のために、人々の聖化を願い、いのちを捧げて宣教する原動力を与えた重要な出来事であったと振り返られた。

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教皇、中国のカトリック信者らのために祈る

2018年5月23日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇、中国のカトリック信者らのために祈る

教皇フランシスコは、中国のカトリック信者らのために祈られた。

5月23日、教皇はバチカンで行われた一般謁見の席で、翌日24日は典礼暦で「キリスト信者の助け(扶助者)聖マリア」の祝日であることに言及。特に、扶助者聖母に捧げられた中国・上海の佘山(シェシャン)の巡礼聖堂を思い起こされた。

教皇は、これを機会に中国のすべてのカトリック信者らとの霊的な一致を全教会に呼びかけられた。

そして、中国の信者たちが信仰のうちに寛大さと平安をもって生き、教皇との完全な一致のもと、兄弟愛と、調和、和解を具体的に示すことができるよう、聖母に祈りましょうと皆を招いた。

教皇は中国の信者たちに向け、「普遍の教会は皆さんと共に、皆さんのために祈っています」と述べ、たとえ困難の中にあっても神の御旨に信頼し続けるよう励まし、「聖母は皆さんに助けを欠かすことなく、その母の愛をもって皆さんを守ってくださるでしょう」と勇気づけられた。

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[クララ]塩としてのイエスを内に[2018.5.24.オミリア]

《年間第7木曜日》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすことでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは万軍の主の耳に達しました。あなたがたは、地上でぜいたくに暮らして、快楽にふけり、屠(ほふ)られる日に備え、自分の心を太らせ、正しい人を罪に定めて殺した。その人は、あなたがたに抵抗していません。(使徒ヤコブの手紙第5章)

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もそい片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆(うじ)が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」(マルコ福音書9章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]「聖霊降臨の主日」ミサ動画(2018.5.20.)

《聖霊降臨の主日》鳥栖教会聖堂で8時30分から行われたミサの様子を動画で観ることができます。

[鳥栖]ここをクリックして観ることができます。

【第二朗読】[皆さん、]霊の導きに従って歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。しかし、霊に導かれているなら、あなたがたは、律法の下にはいません。肉の業は明らかです。それは、姦淫、わいせつ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、ねたみ、泥酔、酒宴、その他このたぐいのものです。以前言っておいたように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行なう者は、神の国を受け継ぐことはできません。これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情もろとも十字架につけてしまったのです。わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。(ガラティアの教会への手紙5章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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