月別アーカイブ: 2019年4月

[クララ][2019.4.24.オミリア]

《復活の水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内(けいだい)に入る人に施(ほどこ)しを乞(こ)うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍(おど)り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。(使徒言行録3章)

【福音】ちょうどこの日[は週の初めの日であったが、]二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮(さえぎ)られていて、イエスだとは分からなかった。イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。二人は暗い顔をして立ち止まった。その一人のクレオパという人が答えた。「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。それなのに、わたしたちの祭司長や議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚(おどろ)かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、遺体(いたい)をみつけずに戻って来ました。そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍(にぶ)く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行(いっこう)は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾(かたむ)いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現われたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。(ルカ福音書24章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]「わたしは主を見た」[2019.4.23.オミリア]

《復活の火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[9分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[五旬祭(ごじゅんさい)の日にペトロはユダヤ人たちに言った。]イスラエルの全家(ぜんか)は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と言った。すると、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物(たまもの)として聖霊を受けます。この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子供にも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです。」ペトロは、このほかにもいろいろ話をして、力強く証しをし、「邪悪(じゃあく)なこの時代から救われなさい」と勧(すす)めていた。ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。(使徒言行録2章)

【福音】[そのとき、]マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体(いたい)の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしにはわかりません。」こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜(さが)しているのか。」マリアは、園丁(えんてい)だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。(ヨハネ福音書20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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復活の月曜日:教皇「復活の主はわたしたちのそばを歩まれる」

2019年4月22日バチカン放送日本語課の記事より。

復活の月曜日:教皇「復活の主はわたしたちのそばを歩まれる」

教皇フランシスコは、「復活の月曜日」4月22日、正午の祈りの集いを持たれた。

「天使の月曜日」とも呼ばれる、復活祭翌日の月曜日(イースター・マンデー)、バチカン周辺は、大勢の巡礼者でにぎわった。

この日はあいにくの曇り空となったが、オランダから寄贈の花木で製作された春の庭園が大聖堂前に明るい色彩を添えていた。

祈りに先立つ説教で教皇は、キリストの復活は人類にとって最も驚くべき出来事であり、罪と死に対する神の愛の勝利を表し、わたしたちの人生の希望に岩のごとき確かな礎を与えるもの、と話された。

教皇は、この「天使の月曜日」の福音朗読箇所、マタイ福音書(28,8-15)の、安息日が終わた、週初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアがイエスの墓を見に行ったエピソードを観想された。

墓に行った婦人たちは、天使に「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」言われ、恐れながらも大いに喜び、弟子たちに知らせるために走って行く途中で、イエスと出会った。婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した(参照:マタイ28,9)。イエスは婦人たちに「恐れることはない」と言い、兄弟たちに伝えるよう励ました。

教皇は、すべての福音書は、マグダラのマリアや他の婦人たちのように、イエスの復活の最初の証人となった女性たちの役割に光を当てていると指摘。

これに対して、男性たちは恐れて家の中に閉じこもり、マグダラのマリアから報告を受けたペトロとヨハネも、空になった墓を急いで確認しただけであり、女性たちこそが最初に復活の主と出会い、イエスが生きておられることを告げる役割を果たした、と強調された。

「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちに…言いなさい」(28,10)とイエスが婦人たちに向けた言葉は、今日、わたしたちのためにも響いていると述べた教皇は、イエスとの出会いを個人的に体験し、イエスを告げ、証しする者となるよう呼びかけられた。

「復活されたイエスは、わたしたちのそばを歩いておられる。復活の主は、ご自身に祈りと愛を向ける者たちに、ご自分を現される」と説いた教皇は、生活の様々な場面で、またこの復活節に、イエスの現存を霊的に体験することができるようにと願われた。

説教に続き、教皇は復活節の聖母賛歌「レジナ・チェリ」(アレルヤの祈り)を、信者と共に唱えられた。

22 4月 2019, 12:39
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2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

2019年度復活祭:教皇フランシスコによるメッセージと祝福

2019年度の復活祭に当たり、教皇フランシスコは、ローマと全世界に向けメッセージと祝福をおくられた。

カトリック教会の典礼暦は、4月21日、2019年度の復活祭を迎えた。

4月20日夜、復活徹夜祭をバチカンの大聖堂でとり行われた教皇フランシスコは、明けた21日午前、復活の主日のミサを聖ペトロ広場で捧げられた。

これに続いて、教皇は、同日正午、大聖堂の中央バルコニーから、復活祭メッセージと、ローマと全世界に向けた教皇祝福、ウルビ・エト・オルビをおくられた。

教皇フランシスコの2019年度の復活祭メッセージは以下のとおり。

**********

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、復活祭おめでとうございます。

今日、教会は、最初の弟子たちが告げた言葉を新たにします。「イエスは復活されました!」そして、「アレルヤ…アレルヤ!」と神の賛美への招きが、口から口へ、心から心へと伝わって行きます。教会と全人類の永遠の若さである、主の復活の朝を迎え、わたしは皆さん一人ひとりに、最近発表された、特に若者に向けた「使徒的勧告」の冒頭の言葉をおくりたいと思います。

「キリストは生きておられます。キリストはわたしたちの希望であり、この世界の最も美しい若さです。キリストが触れるすべてのものは、若返り、新たにされ、いのちで満たされます。それゆえに、一人ひとりの若者、キリスト者に、わたしは最初にこう言いたいのです。キリストは生きておられ、あなたが生きることを望まれると!キリストはあなたの中に、あなたと共におられ、決して離れることはありません。たとえ、あなたが離れていっても、あなたのそばには復活したキリストが、新たにやり直すために、あなたを呼び、あなたを待っておられます。あなたが悲しみや、恨み、恐れ、疑い、失敗などのために、年老いたように感じても、キリストはあなたに力と希望を再び与えられるのです」(「クリストゥス・ヴィヴィト」1-2)。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、このメッセージは、同時に皆さんすべてと世界に向けられています。キリストの復活は、すべての人の新しい人生の基礎です。なぜなら、真の刷新は、常に心から、意識から始まるからです。また、キリストの復活は、罪と死の隷属から解放された、新しい世界の始まりでもあります。ようやく世界に神の王国、愛と平和と兄弟愛の王国が開けたのです。

キリストは生きておられ、わたしたちと一緒に留まります。キリストは復活された御顔の光を見せられ、試練や、苦しみ、悲嘆の中にある人々を見捨てることはありません。生きておられるキリストが、愛するシリアの人々の希望となりますように。長引く紛争の犠牲者であるシリアの人たちの状況に対し、わたしたちは諦めや無関心にさえ陥る危険があります。これに対して、今こそ自由と正義と平和への渇望に応える、政治的解決への努力を新たにすべきです。人道危機に立ち向かい、レバノンやヨルダンをはじめとする近隣国に逃れた、避難民の安全な帰還を促さなければなりません。

主の復活が、わたしたちの眼差しを、絶え間ない分裂と緊張に引き裂かれた中東に注がせますように。同地域のキリスト者たちが、深い忍耐をもって、主の復活と、死に対するいのちの勝利を証しすることができますように。イエメンの飢えと戦争に苦しむ人々、特に子どもたちに思いをはせます。主の復活の光が、イスラエルとパレスチナをはじめとする、中東のすべての治世者と国民を照らし、多くの苦しみを和らげ、平和で安定した未来の構築を励ましますように。

リビアの流血の武力闘争が停止されますように。同国ではここ数週間、無防備な人々が再び犠牲になり、多くの家族が避難せざるを得ない状況です。当事者双方に、暴力ではなく対話を選び、十年近くにわたる紛争と政治的不安定の傷を再び開くことがないよう呼びかけたいと思います。

生きておられるキリストが、ご自身の平和を、愛するアフリカ大陸全土に与えてくださいますように。ブルキナファソ、マリ、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンなどの国々では、いまだ社会的緊張や、紛争、暴力的原理主義が、治安の不安定と、破壊、死をもたらしています。わたしの思いはスーダンにも向かいます。政治不安の中にある同国で、すべての嘆願が声を持ち、長く切望される同国の自由と発展と幸福のために、皆が働くことができるよう願います。

復活の主が、数日前バチカンで黙想を行った、南スーダンの政治・宗教指導者らの努力を見守ってくださいますように。政治・社会・宗教界のすべての人々が、共通善と国内の和解のために積極的に取り組み、同国の歴史に新たなページを開くことができますように。

この復活祭において、現在も続く闘争に苦しむウクライナ東部の人々が、慰めを得ることができますように。主が人道支援と、恒久平和への道を励ましてくださいますように。

復活祭の喜びが、困難な政治・経済状況の影響を受けているアメリカ大陸の人々の心を満たしますように。特にベネズエラの人々を思います。同国では、長引き、深刻化する危機のために、多くの人が尊厳ある安全な生活を営むための最低限の条件にさえ事欠いています。主が政治責任者たちに、社会的不正、悪用、暴力を停止し、分裂を回復し、国民に必要な援助を与えるための、具体的なステップを踏む力を与えてくださいますように。

復活の主が、ニカラグアで行われている、すべての国民のための、一刻も早い平和的解決と和平への努力を照らしてくださいますように。

いのちの主が、今日の多くの苦しみを前に、冷たく無関心なわたしたちの姿をご覧になることがありませんように。わたしたちを、壁でなく、橋を築く者としてください。ご自身の平和を与えられる主よ、わたしたちの町はもとより、紛争地において、武器の響きを止めてください。特に、経済的により発展した国々において、武装への歩み、武力の拡大を止める努力を、国の指導者たちに促してください。

墓の扉を開け放った復活の主よ、わたしたちの心を、助けを必要とする人、弱い立場の人、貧しい人、仕事のない人、疎外された人、パンや身を寄せる場所を求め、尊厳を認めてもらうことを願って、わたしたちの扉をたたく人々に向けて開いてください。

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、キリストは生きておられます!キリストは、わたしたち一人ひとりのため、そして全世界のための、希望と若さです。キリストにわたしたちを新たにしていただきましょう。主のご復活、おめでとうございます!

21 4月 2019, 12:47
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スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

2019年4月21日バチカン放送日本語課の記事より。

スリランカで連続爆発:教皇、キリスト教共同体とすべての犠牲者に寄り添う

教皇フランシスコは、スリランカで起きた連続爆発の犠牲者と負傷者のために祈り、現地のキリスト教共同体に連帯を示された。

教皇フランシスコは、4月21日、バチカンで行われた「復活の主日」のメッセージと祝福の後、同日スリランカで起きた連続爆発のニュースに悲しみと苦悩を表明された。

教皇は、まさに復活祭の日にスリランカの教会や人々の集まる場所において起きたこれらの爆発が、死と苦しみを引き起こしたことを、深く悲しまれた。

祈りのために集う中、攻撃を受けたキリスト教共同体と、これほどにも残忍な暴力の犠牲になったすべての人々に、教皇は心から寄り添われた。

教皇は、この悲劇の犠牲者、負傷者、またこの事件によって苦しむすべての人々を神に託して祈られた。

21 4月 2019, 14:51
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[小郡]主の復活[2019.4.21.]

《主の復活》小郡教会で11時から行われた典礼における説教[13分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロは口を開きこう言った。「あなたがたは[このことを]ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後(のち)に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊(せいれい)と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡(めぐ)り歩いて人々を助け、悪魔(あくま)に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後(あと)、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者(しんぱんしゃ)として神から定められた者であることを、民に宣(の)べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦(ゆる)しが受けられる、と証ししています。」(使徒言行録10章)

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留(と)め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠(かく)されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包(つつ)まれて現われるでしょう。(コロサイ3章)

【福音】週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓(はか)に言った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布(あまぬの)が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆(おお)いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(ヨハネによる福音20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]主の復活[2019.4.21.]

《主の復活》鳥栖教会で8時30分から行われた典礼における説教[9分]を聴くことができます。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[その日、]ペトロは口を開きこう言った。「あなたがたは[このことを]ご存じでしょう。ヨハネが洗礼を宣べ伝えた後(のち)に、ガリラヤから始まってユダヤ全土に起きた出来事です。つまり、ナザレのイエスのことです。神は、聖霊(せいれい)と力によってこの方を油注がれた者となさいました。イエスは方々を巡(めぐ)り歩いて人々を助け、悪魔(あくま)に苦しめられている人たちをすべていやされたのですが、それは、神が御一緒だったからです。わたしたちは、イエスがユダヤ人の住む地方、特にエルサレムでなさったことすべての証人です。人々はイエスを木にかけて殺してしまいましたが、神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後(あと)、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです。そしてイエスは、御自分が生きている者と死んだ者との審判者(しんぱんしゃ)として神から定められた者であることを、民に宣(の)べ伝え、力強く証しするようにと、わたしたちにお命じになりました。また預言者も皆、イエスについて、この方を信じる者はだれでもその名によって罪の赦(ゆる)しが受けられる、と証ししています。」(使徒言行録10章)

【第二朗読】[皆さん、]あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留(と)め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠(かく)されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包(つつ)まれて現われるでしょう。(コロサイ3章)

【福音】週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓(はか)に言った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布(あまぬの)が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆(おお)いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(ヨハネによる福音20章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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聖金曜日:コロッセオで十字架の道行、キリストの受難に人々の苦しみ重ねる

2019年4月20日バチカン放送日本語課の記事より。

聖金曜日:コロッセオで十字架の道行、キリストの受難に人々の苦しみ重ねる

教皇フランシスコは、「聖金曜日」の夜、ローマ市内のコロッセオで「十字架の道行」をとり行われた。

典礼暦で、復活祭を前にした「聖金曜日」には、イエス・キリストの受難と死を記念する。

「聖金曜日」、4月19日の夕方、バチカンの聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」を行った教皇フランシスコは、夜からローマ市内のコロッセオで、信者たちと共に「十字架の道行」をとり行われた。

「十字架の道行」は、キリストの受難を黙想しつつ行う信心業。イエスが死刑宣告を受けてから、十字架上で息を引き取り、墓に葬られるまでを、14の場面(留)に分け、各留ごとを黙想し、祈る。

教皇と共に行う十字架の道行には、毎年、参加者の黙想を助けるテキストが用意される。今年は、慰めの聖母宣教女会のSr.エウジェニア・ボネッティによって、「キリストと共に十字架の道をたどる女性たちと一緒に」をテーマに、黙想が書き下ろされた。14留において、キリストの受難に、人身取引の犠牲となった女性や子どもたち、移民たちの苦しみが重ねられた。

ここ数日のローマは晴れて気温も上がり、「十字架の道行」が行われた「聖金曜日」は、穏やかな夜を迎えた。会場となった遺跡地区には、人々の手にするろうそくの火が広がり、静粛の中に祈りが響いた。

コロッセオの中から出発した「十字架の道行」は、各場面の朗読と黙想を続けながら、教皇が待つパラティーノ遺跡側へと向かった。

教皇は、十字架の道行終了後の説教で、「主イエスよ、あなたの十字架の中に、世界の様々な十字架を見つめることができるよう助けてください」と祈った。

そして、教皇は、食べ物や愛に飢えた人々、見捨てられた人々、正義と平和を求める人々、信仰の慰めを持たない人々、孤独なお年寄りたち、扉を閉ざされた移民たち、傷つけられた子どもたち、絆を失った家族たちの十字架を見つめられた。

また、キリストの光をもたらすために尽くしながらも拒絶され嘲笑される奉献者たち、福音に忠実に生きながらも世間から疎外される信者たち、キリストの愛を伝えることに困難を経験し、内外から絶え間なく攻撃される教会の十字架を示すと共に、人々の利己主義や強欲、権力によって疲弊させられた「わたしたちの共通の家」である地球が抱える十字架のためにも祈られた。

20 4月 2019, 12:08
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