月別アーカイブ: 2019年5月

[クララ]神が目をとめるのは[2019.5.31.オミリア]

《[祝]聖母の訪問》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[3分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶(あいさつ)した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」そこで、マリアは言った。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も わたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名(みな)は尊(とうと)く、その憐(あわ)れみは代々に限りなく、主を畏(おそ)れる者に及びます。主はその腕で力を振(ふ)るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢(う)えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕(しもべ)イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在(たいざい)してから、自分の家に帰った。(ルカ福音書1章)

*本田哲郎訳 数日後、マリアは心を決め、急いで山路(やまじ)をたどり、ユダの町に向かった。そして、ザカリヤの家に入ると、エリサベトにあいさつのことばをかけた。エリサベトがマリアのあいさつのことばを耳にするや、その腹の子がおどった。そして、エリサベトは聖霊にみたされて、声高く叫んで言った。「おまえは、女たちのだれよりも祝福されています。おまえのおなかの子も祝福されています。どうしたことでしょう、主の母が、わたしのところへ来てくださるとは。おまえのあいさつの声がわたしの耳にとどいたとき、わたしのおなかの子が喜んでおどりました。神から告げられたことを、そのとおりになると信頼(しんらい)して受け止めた人は、神からの力があるのです」。そこで、マリアは言った。「わたしは心から主をあがめます。わたしを救ってくださる神に対して心の底から喜びでいっぱいです。神は、身分のいやしいこの主のはしために、目をとめてくださったのです。今からのち、世のすべての人が 神からの力がわたしにあると言うでしょう。力ある神は、大いなることをわたしになさいました。この神は聖なる方、人の痛みを知るその心は 代々(だいだい)、神をおそれ敬う人たちに向けられます。かみはその腕の力を現わし、思い上がる人たちを打ち散らしました。すなわち、権力者をその座から引き下ろして 身分のいやしい人たちを引き上げ、飢えた人たちを良いもので満たして 金持ちたちを手ぶらで追い返したのです。神は、人の痛みを知るその心をあらたにし、『仕える者』イスラエルを、受け入れました。アブラハムとその子孫に語られたとおりでした」。マリアは三ヵ月ほどエリサベトといっしょにいて、それから自分の家に帰って行った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]使徒言行録を読む[2019.5.30.オミリア]

《復活節第6木曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

一般謁見:教皇、「使徒言行録」を介した考察を開始

2019年5月29日バチカン放送日本語課の記事より。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」イエスは、彼らが尋(たず)ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆(ひたん)に暮(く)れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」(ヨハネ福音書16章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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一般謁見:教皇、「使徒言行録」を介した考察を開始

2019年5月29日バチカン放送日本語課の記事より。

一般謁見:教皇、「使徒言行録」を介した考察を開始

教皇フランシスコは、一般謁見で、「使徒言行録」を介した一連のカテケーシスを開始された。

教皇フランシスコは、バチカンで5月29日、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、先週「主の祈り」をめぐる考察を終了された教皇は、この日から「使徒言行録」を介した考察を始められた。

教皇は、福音書記者・聖ルカによって記された「使徒言行録」は、「旅」について語っており、その「旅」とは、「世における福音の旅」であると話された。

この旅の中で御言葉と聖霊は素晴らしい結びつきを示しているが、実際「使徒言行録の」主役は、御言葉と聖霊である、と述べられた。

「主は仰せを地に遣わされる。御言葉は速やかに走る」と「詩編」(147,15)にあるように、神の御言葉は走り、その御言葉が降りたすべての地を潤す、と教皇は語り、御言葉を伝えるそのダイナミックな力は、人間の雄弁さではなく、言葉を清いものとし、それに命を与える神の力、聖霊の力によるものである、と強調された。

聖霊のおかげで使徒たちは選ばれ、聖霊は彼らの福音宣教における忍耐と実りを保証した。それは、聖霊が今日もわたしたちの宣教を支えているのと同様である、と教皇は説かれた。

福音書はイエスの復活と昇天を結末とするが、「使徒言行録」の物語は、まさにここから、復活の主の命があふれるほどに教会に注ぎ込まれたところから始まる、と教皇は解説。

復活の主がご自身の弟子たちを派遣したのは、現在を不安のうちに生きるためではなく、時代と結びつきながら、聖なる歴史が広がるのを待ち、時間と空間の主である神の歩みに備えるためであった、と話した。

使徒たちは、最後の晩餐でイエスが聖体を与えてくださった出来事を証しするその高間で、主の家族のように共に生き、忍耐をもって祈り、一つになって、神の力の訪れを待っていたが、彼らのこの体験を豊かにしていたのは、愛に忠実であることを主から最初に学んだマリアと女性たちの存在であった、と指摘された。

主の歩みを待つ忍耐、主の業を自分たちで作り出すという誘惑に屈せず、祈りのうちに従順に生き、聖霊を呼び求めつつ教会の一致を育む忍耐を、わたしたちも主に祈りましょうと、教皇は信者らを招かれた。

29 5月 2019, 17:55
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教皇「世界移民難民の日」に向けメッセージ、「移民問題は、わたしたち皆の問題」

2019年5月27日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「世界移民難民の日」に向けメッセージ、「移民問題は、わたしたち皆の問題」

教皇フランシスコは、カトリック教会の世界移民・難民の日に向け、メッセージをおくられた。

教皇フランシスコは、カトリック教会の2019年度の「世界移民・難民の日」に向け、メッセージをおくられた。

2019年度の「世界移民・難民の日」は、9月29日に記念される。

これに先立ち、教皇は、「移民だけの問題ではない」をテーマに、メッセージを発表された。

このメッセージで教皇は、経済発展した社会はその内部に個人主義・功利主義的傾向を広げ、それがメディアによって増殖された結果、「無関心のグローバル化」を生んでいる、と指摘。

こうした中、移民や難民たちが社会で疎外され、社会悪の原因のように見なされることに懸念を表された。

移民や難民のように、一般的に弱い立場にある人々の存在は、今日、快適な生活の中で眠り込んでいるわたしたちに、キリスト者としての、また人類としての本質を取り戻すよう招いている、と教皇は記している。

そして、この問題が、「移民だけの問題ではない」という意味は、移民たちに関心を注ぐことで、自分たちや皆にも関心を持ち、彼らを世話することで、皆も成長する、ということを指していると説明された。

教皇は、現代の移民問題への挑戦への答えを、「受け入れる」「保護する」「推進する」「統合する」という4つの動詞に集約。

しかし、これらの動詞は移民たちのためだけでなく、社会で疎外されたすべての人たちに対する教会のミッションをも表すもの、と述べている。

教皇は、わたしたちがこれらの動詞を実行に移すならば、神と人の町を構築し、人間の統合的発展を促し、世界共同体の持続可能な発展目標に近づくことを助けるだろう、と期待された。

今問題となっているものは、移民だけではない、わたしたち皆、人類家族の現在と未来なのである、と、教皇はこのメッセージを通し強調された。

27 5月 2019, 17:47
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[クララ]足元から平和を[2019.5.29.オミリア]

《復活節第6水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

*今日の第一朗読、ゆっくり読まれたらいいと思います。

【第一朗読】[その日、]パウロに付き添った人々は、彼をアテネまで連れて行った。そしてできるだけ早く来るようにという、シラスとテモテに対するパウロの指示を受けて帰って行った。パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝(おが)むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻(きざ)まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物(ばんぶつ)とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕(つか)えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至(いた)るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちにある詩人たちも、『我らは神の中に生き、動き、存在する』『我らもその子孫である』と、言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。(使徒言行録17章・1、22〜18章1

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ福音書16章)

*本田哲郎訳 「言っておきたいことは、まだたくさんある。しかし、今あなたたちはそれに耐(た)えられない。真実の霊であるその方が来て、まったき真実をもってあなたたちを導いてくださる。その方は自分の思いで語るのではなく、わたしから聞いたことを語り、これから起こることをあなたたちに告げるのだ。その方はわたしを輝かし出すことになる。わたしのものを受けて、それをあなたたちに告げるからである。父のものはすべて、わたしのものである。だから、わたしのものを受けて、あなたたちに告げると言ったのだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[クララ]聖霊はすでに[2019.5.28.オミリア]

《復活節第6火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[5分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋(たず)ねない。むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされたいる。しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪(だんざい)されることである。」(ヨハネ福音書16章)

*本田哲郎訳 「今わたしは、わたしをつかわした方のところへ行く。それなのに、『どこへ行くのか』と、あなたたちはだれも尋(たず)ねようとしない。それは、こういうことをわたしが話したので、悲しみで胸がいっぱいだからだ」。「しかし、わたしはあなたたちに真実を言おう。わたしが去るのは、あなたたちにはいいことなのだ。わたしが去らなければ、協力者はあなたたちのところに来ない。わたしが行ってはじめて、協力者をあなたたちのところへ送れるのだ。その方は来て、道のふみはずしについて、解放(正義)について、裁きについて、世の誤った考え方を指摘(してき)する。道のふみはずしについて言えば、それは、わたしに信頼してあゆみをおこさないということであり、解放(正義)について言えば、それは、わたしが父のもとに行くことであり、そのため、あなたたちはわたしが見えなくなるのだ。裁きについて言えば、それは、裁かれているのはこの世の支配者だということである」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「イエスの教えをわたしたちに思い出させる聖霊の力」教皇、日曜の集い

2019年5月26日バチカン放送日本語課の記事より。

「イエスの教えをわたしたちに思い出させる聖霊の力」教皇、日曜の集い

教皇フランシスコは、5月26日、日曜正午の祈りの集いを行われた。

教皇フランシスコは、5月26日(日)正午、レジーナ・チェリの祈りを信者と共に唱えられた。

祈りに先立つ説教で、教皇は、この日の福音朗読箇所、ヨハネ福音書の、イエスが最後の晩餐で弟子たちに聖霊を与える約束をされる場面(14,23-29)を取り上げられた。

ここで、イエスは「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い出させる」(ヨハネ14,26)と弟子たちに約束されている。

イエスは十字架の時が近づくのを前に、弟子たちが取り残されることなく、常に聖霊が共にいて、世に福音を告げる使命において、彼らを支えるであろうことを保証された、と教皇は話された。

イエスはその公生活において、弟子たちに託すべきすべてを伝えられたが、聖霊の役割は、それをことごとく思い出させ、イエスの教えを具体的な行動に移すよう導くことにある、と教皇は説くと共に、それはまさに「教会の使命」でもあると指摘。

主への信仰と御言葉の遵守、聖霊への従順をもって、主の平和を受け入れ証ししながら、復活の主を常に生き生きともたらし続ける、この使命の実現のために、教会は留まったままでいることなく、すべてを新たにする聖霊の光と力に支えられながら、歩み続けるように招かれている、と語られた。

今日、主はわたしたちに心を聖霊に開くよう呼びかけられる、と述べた教皇は、聖霊は毎日、わたしたちに福音の論理、受容的な愛の論理を学ばせ、「主がわたしたちに教え、話されたすべてのことを、ことごとく思い出させるだろう」と話された。

26 5月 2019, 15:54
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[鳥栖]復活節第6主日[2019.5.26.]

《復活節第6主日》鳥栖教会で8時30分から行われた典礼における説教[15分]を聴くことができます。*子どもとともにささげるミサ

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]復活節第6主日[2019.5.26.]

《復活節第6主日小郡教会で11時から行われた典礼における説教[10分]を聴くことができます。*子どもとともにささげるミサ

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]復活節第6主日前晩[2019.5.25.]

《復活節第6主日前晩》小郡教会で19時30分から行われた典礼における説教[3分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣(つか)わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者(べんごしゃ)、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒(さわ)がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネによる福音14章)

*本田哲郎訳* [それについてイエスはこう言った。]「だれであれ、わたしを大切に思うのであれば、わたしが身をもって示したことをふみ行なうはずだ。そうすれば、父もその人を大切にし、わたしたちはその人のところへ行って、いっしょに住むようにする。わたしを大切に思わない者は、わたしが身をもって示したことをふみ行なおうとしない。しかも、あなたたちが聞き分けているそのことは、わたしのものではなく、わたしをつかわした父のものなのだ」。「わたしは、あなたたちのところにいるあいだにと思って、これらのことを話してきた。父がわたしと一つになってつかわす『協力者』、すなわち聖霊が、あなたたちにすべてをときあかしてくださるだろう、また、わたしがあなたたちに言ったことをみな、思い出させてくださるのだ」。「わたしは、平和をあなたたちにさし向ける。わたしの平和を、あなたたちに与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を不安にしてはならない。おびえてはならない。『わたしは行って、また帰ってくる』と言ったのを、あなたたちは聞いたはずだ。あなたたちがわたしを大切に思うのなら、わたしが父のもとに行くのをよろこびなさい。父はわたしよりもすぐれた方だからである」。「ことが起こるまえに、今、あなたたちに話した。いざ、ことが起こったときに、あなたたちが信頼をもってあゆみを起こさせるためである。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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