月別アーカイブ: 2019年7月

[鳥栖]「天の国」はここに[2019.7.31.オミリア]

《年間第17水曜日》鳥栖教会聖堂で10時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

*聖イグナチオ(ロヨラ)司祭[記]:一九四一年、スペイン北東部のロヨラに生まれる。宮廷と軍隊での生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、パリで神学を学んで最初の同志を集め、やがてローマで正式にイエズス会を創立した。著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。一五五六年にローマで死去。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは人々に言われた。]「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されたいる。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「人身取引から女性たちを解放しよう」

2019年7月29日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「人身取引から女性たちを解放しよう」

教皇フランシスコは、人身取引被害者の女性たちについて記した本に、序文を寄せられた。

教皇フランシスコは、人身取引の被害者である女性たちの過酷な現実をレポートする本に、序文を寄せられた。

教皇が序文をおくられたこの本は、アルド・ブオナイウト神父著「十字架につけられた女性たち」。同神父は、1970年代にオレステ・ベンツィ神父によってイタリアで創立された、社会的弱者への司牧・支援を主な目的とするカトリック系組織「教皇ヨハネ23世共同体」に所属している。

教皇は同書への序文で、「いつくしみの特別聖年」に行われた「教皇ヨハネ23世共同体」への訪問を回想。

同共同体に保護された女性たちとの出会いで、これらの人々が受けてきた苦しみと不正義に触れたことは、キリストの傷を再び体験することであった、と記されている。   

そして、この出会いは、強制と暴力により人身取引の犠牲となった人々の保護を願う自身の祈りを強めることになった、と述べている。    

「一人の人間が商品となることは、決してあってはならない」と教皇は述べつつ、この腐敗を止めるために、個人はもとより、教会など共同体での問題意識を高め、世界の不平等の結果をこれらの弱く無防備な人々に負わせないよう努力していかなければならない、と説いている。                   

教皇は、女性を搾取し、商品のように使い捨てにするメンタリティーは人類の病であり、社会の誤った考え方であると強調。

隷属下に置かれたこれらの人々を解放することは、いつくしみの業であり、義務であると述べた教皇は、人身取引被害者の女性たちの叫びに無関心でいてはならないと呼びかけられた。

29 7月 2019, 17:28
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[クララ]「天の国」はここに[2019.7.31.オミリア]

《年間第17水曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

*聖イグナチオ(ロヨラ)司祭[記]:一九四一年、スペイン北東部のロヨラに生まれる。宮廷と軍隊での生活を送っていたが、後に神に立ち帰り、パリで神学を学んで最初の同志を集め、やがてローマで正式にイエズス会を創立した。著作と会員の教育によって実り豊かな使徒的活動を行い、その会員たちは教会の刷新のために多くの業績を残した。一五五六年にローマで死去。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは人々に言われた。]「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されたいる。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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「すべての人々の安全と尊厳の保証を」教皇、移民船の悲劇に

2019年7月28日バチカン放送日本語課の記事より。

「すべての人々の安全と尊厳の保証を」教皇、移民船の悲劇に

教皇フランシスコは、地中海で遭難死した移民たちのために祈られた。

教皇フランシスコは、7月28日、バチカンでの日曜正午の集いで、地中海で命を落とした移民らに心を留められた。

数日前、地中海リビア沖で移民らを乗せた船が沈没し、女性や子どもたちを含む多くの犠牲者を出したことに、教皇は深い悲しみを表された。

教皇は、このような悲劇が繰り返されることなく、すべての人々の安全と尊厳が保証されるように、国際社会の迅速で決然とした行動を呼びかけられた。

そして、教皇は、犠牲者と遺族のために祈るよう、信者らを招かれた。

28 7月 2019, 16:50
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教皇「キリスト教の祈りは愛と信頼の対話」

2019年7月28日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「キリスト教の祈りは愛と信頼の対話」

教皇フランシスコは、日曜正午の集いで、イエスが弟子たちに「主の祈り」を教える場面を観想された。

教皇フランシスコは、バチカンで7月28日(日)、正午の祈りの集いを持たれた。

猛暑が続いていたローマも、この日は久しぶりに雨が降り、比較的涼しい日曜日となった。変わりやすい空模様の下にも、多くの巡礼者が集い、教皇の言葉に耳を傾けた。

教皇は説教で、この日の福音朗読箇所、ルカ福音書中のイエスが弟子たちに「主の祈り」を教える場面(ルカ11,1-13)を取り上げられた。

教皇は、弟子たちは、師イエスにとって祈りは本質的なものであることを認めており、その深い祈りに魅了され、イエスのように祈りたいと願っていた、と述べられた。

「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」(ルカ11,1)という弟子の願いに対し、イエスが教えたことは、祈りの抽象的な定義でも、祈りによって何かを「手に入れる」ための技術でもなく、それは直接御父と向き合うという体験である、と教皇は強調。キリスト教の祈りとは、愛と信頼に基づく対話である、と語られた。

イエスは「主の祈り」を通して、わたしたちに御父の父性の中に入り、子としての信頼をもって直接対話することを教えている、と教皇は説かれた。

そして、わたしたちが「主の祈り」を通して願うことはすべて、御子を通してすでに実現したことであり、わたしたちはそれを手を広げ受け取ることを祈るのである、と話された。

教皇は、イエスが粘り強く祈り求めることの大切さを教えていることを指摘しつつ、わたしたちも、「なぜ、なぜ」と問い父親の関心を引く子どものように、御父に話しかけることで、御父はわたしたちにその眼差しを向けられるだろう、と語られた。

28 7月 2019, 17:11
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[クララ]毒気に染まらないように[2019.7.30.オミリア]

《年間第17火曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。イエスはお答えになった。「良い種を蒔(ま)く者は人の子、畑は世界、良い種は御国(みくに)の子ら、毒麦は悪い者の子らである。毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。人の子は天使たちを遣(つか)わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ福音書13章)

本田哲郎訳:さて、イエスは民衆をのこして家に入った。すると、弟子たちがそばに寄って来て、イエスに言った。「畑の毒麦のたとえを説明してください」。そこで、イエスはこう言った。「ふさわしい種をまく人は『人の子』、畑は世界、ふさわしい種とは天の国の仲間たち、毒麦は『威圧(いあつ)する者』の仲間たち、毒麦をまいた敵意をもつ者とは『惑(まど)わす霊』、刈り入れは世の終わり、刈り手はみ使いたちである。毒麦がぬき集められて火で焼かれるように、世の終わりにはそのようになる。人の子は自分の使いの者たちをつかわして、自分の国からつまずきとなるすべてのものと、したいほうだいにふるまう者たちを集めさせ、燃えさかる炉(ろ)に投げこませる。そこには嘆(なげ)きと歯ぎしりがあるだろう。そのとき、抑圧(よくあつ)からの解放をこころざす人たちは、父の国で太陽のように輝くのだ。聞く気のある者は聞きなさい」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[鳥栖]年間第17主日[2019.7.28.]

《年間第17主日》鳥栖教会で11時から行われた典礼における説教[16分]を聴くことができます。

*先週予定されていた鳥栖カトリック幼稚園の「アート教室」が今日に延期になり、幼稚園児と卒園児、関係者の皆さん約20名がミサに参加されました。ほとんど洗礼を受けていない皆さんです。一緒に「主の祈り」について考え、平和を祈りました。

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはある所でお祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。わたしたちに必要な糧(かて)を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑(ゆうわく)に遭(あ)わせないでください。』」また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒(めんどう)をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇(へび)を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカによる福音11章)

*本田哲郎訳: イエスが、とある場所で祈っていたときのことである。祈りをおえたとき、弟子の一人が、「主よ、ヨハネが自分の弟子たちにしたように、わたしたちに祈りの手ほどきをしてください」と言った。イエスは弟子たちに言った。「あなたたちは祈るとき、こう言いなさい。父よ、わたしたちみんながあなたを聖なる方と認めますように。み国が来ますように。わたしたちに必要な食べものを、毎日与えてください。わたしたちが道をふみはずしたことをゆるしてください。わたしたちに「借り」のある人をみな、わたしたちもゆるします。わたしたちが試みにはまらないようにしてください」。そして、弟子たちに言った。「あなたちのだれでもいい、その人に友人がいて、夜ふけにその友人のところに行って、こう言ったとしよう。『わるいけど、パンを三つかしてくれ。友だちが旅をしてうちに来てくれたけど、出すものがないのだ』。すると、その友人は家の中から返事をして、『めんどうなことをさせないでくれ。もう戸じまりをして、子どもらといっしょに寝床の中だ。起きてわたすというのは、むりだ』と言うだろう。言っておくが、たとえ、友人だからということで起きてわたしてくれることはないにしても、そのしつこさにまけて、起き上がって、必要なものはみな、わたしてくれるはずだ。だから、言っておく。願いつづけなさい。そうすれば、与えられる。さがし求めなさい。そうすれば、見つける。戸をたたきつづけなさい。そうすれば、開けてもらえる。だれでも、願いつづける人は手に入れ、さがし求める人は見つけ、戸をたたきつづける人は開けてもらえるのだ」。「あなたたちの中に、息子が干し魚をほしがっているのに、干し魚のかわりに蛇をあてがう父親がいるか。たまごをほしがっているのに、さそりをあてがうようなことをするか。「わる」であるあなたたちでも、自分の子どもには良いものを与えることを知っている。それならなおさら、天の父は、願いつづける人に聖霊を与えてくださるはずだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第17主日[2019.7.28.]

《年間第17主日》小郡教会で8時30分から行われた典礼における説教[8分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはある所でお祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。わたしたちに必要な糧(かて)を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑(ゆうわく)に遭(あ)わせないでください。』」また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒(めんどう)をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇(へび)を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカによる福音11章)

*本田哲郎訳: イエスが、とある場所で祈っていたときのことである。祈りをおえたとき、弟子の一人が、「主よ、ヨハネが自分の弟子たちにしたように、わたしたちに祈りの手ほどきをしてください」と言った。イエスは弟子たちに言った。「あなたたちは祈るとき、こう言いなさい。父よ、わたしたちみんながあなたを聖なる方と認めますように。み国が来ますように。わたしたちに必要な食べものを、毎日与えてください。わたしたちが道をふみはずしたことをゆるしてください。わたしたちに「借り」のある人をみな、わたしたちもゆるします。わたしたちが試みにはまらないようにしてください」。そして、弟子たちに言った。「あなたちのだれでもいい、その人に友人がいて、夜ふけにその友人のところに行って、こう言ったとしよう。『わるいけど、パンを三つかしてくれ。友だちが旅をしてうちに来てくれたけど、出すものがないのだ』。すると、その友人は家の中から返事をして、『めんどうなことをさせないでくれ。もう戸じまりをして、子どもらといっしょに寝床の中だ。起きてわたすというのは、むりだ』と言うだろう。言っておくが、たとえ、友人だからということで起きてわたしてくれることはないにしても、そのしつこさにまけて、起き上がって、必要なものはみな、わたしてくれるはずだ。だから、言っておく。願いつづけなさい。そうすれば、与えられる。さがし求めなさい。そうすれば、見つける。戸をたたきつづけなさい。そうすれば、開けてもらえる。だれでも、願いつづける人は手に入れ、さがし求める人は見つけ、戸をたたきつづける人は開けてもらえるのだ」。「あなたたちの中に、息子が干し魚をほしがっているのに、干し魚のかわりに蛇をあてがう父親がいるか。たまごをほしがっているのに、さそりをあてがうようなことをするか。「わる」であるあなたたちでも、自分の子どもには良いものを与えることを知っている。それならなおさら、天の父は、願いつづける人に聖霊を与えてくださるはずだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第17主日前晩[2019.7.27.]

《年間第17主日前晩》小郡教会で19時30分から行われた典礼における説教[6分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】イエスはある所でお祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名(みな)が崇(あが)められますように。御国(みくに)が来ますように。わたしたちに必要な糧(かて)を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑(ゆうわく)に遭(あ)わせないでください。』」また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒(めんどう)をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇(へび)を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカによる福音11章)

*本田哲郎訳: イエスが、とある場所で祈っていたときのことである。祈りをおえたとき、弟子の一人が、「主よ、ヨハネが自分の弟子たちにしたように、わたしたちに祈りの手ほどきをしてください」と言った。イエスは弟子たちに言った。「あなたたちは祈るとき、こう言いなさい。父よ、わたしたちみんながあなたを聖なる方と認めますように。み国が来ますように。わたしたちに必要な食べものを、毎日与えてください。わたしたちが道をふみはずしたことをゆるしてください。わたしたちに「借り」のある人をみな、わたしたちもゆるします。わたしたちが試みにはまらないようにしてください」。そして、弟子たちに言った。「あなたちのだれでもいい、その人に友人がいて、夜ふけにその友人のところに行って、こう言ったとしよう。『わるいけど、パンを三つかしてくれ。友だちが旅をしてうちに来てくれたけど、出すものがないのだ』。すると、その友人は家の中から返事をして、『めんどうなことをさせないでくれ。もう戸じまりをして、子どもらといっしょに寝床の中だ。起きてわたすというのは、むりだ』と言うだろう。言っておくが、たとえ、友人だからということで起きてわたしてくれることはないにしても、そのしつこさにまけて、起き上がって、必要なものはみな、わたしてくれるはずだ。だから、言っておく。願いつづけなさい。そうすれば、与えられる。さがし求めなさい。そうすれば、見つける。戸をたたきつづけなさい。そうすれば、開けてもらえる。だれでも、願いつづける人は手に入れ、さがし求める人は見つけ、戸をたたきつづける人は開けてもらえるのだ」。「あなたたちの中に、息子が干し魚をほしがっているのに、干し魚のかわりに蛇をあてがう父親がいるか。たまごをほしがっているのに、さそりをあてがうようなことをするか。「わる」であるあなたたちでも、自分の子どもには良いものを与えることを知っている。それならなおさら、天の父は、願いつづける人に聖霊を与えてくださるはずだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2019.7.27.〜2019.8.11.)

★7月から9月までの主日ミサ時間は以下のとおりです。前晩(土曜日の夜)の主日ミサは毎週、小郡教会19時30分からです。

★小郡教会8時30分〜  ★鳥栖教会11時〜

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

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