「祈り、宣べ伝え、キリストにおいて人々と共にある人、となれ」-新任司教たちに

「祈り、宣べ伝え、キリストにおいて人々と共にある人、となれ」-新任司教たちに

「カトリック・あい」http://catholic-i.net/auasaeae/ 「教皇のことば」より

(2018.9.8 VaticanNews)

 教皇フランシスコは8日、最近叙階されたアフリカ、アジア、南米、オセアニアなどの34カ国の司教をバチカンに集め、「『祈り、宣べ伝え、共にある人』として、よき羊飼いのように、自分の羊の群れを世話するように」と”新人”としての心構えを説かれた。司教たちは、福音宣教省が彼らの司牧支援のために企画し3日から15日まで行われるセミナーに参加するためバチカンに集まった。

 教皇は彼らとの会見で、「司教は良き牧者であり司祭であるキリストとなるよう定められており、自分自身のために生きるのではなく、自分の羊たち、とくに危機にさらされた最も弱い者のために命を捧げる存在であり、癒しの振る舞いと言葉を通して主の思いを感じるようにされる存在です」と強調された。

 そして、「祈りの人」として、「司教は日々、信徒たちと自己の場を神の前に置き、イエスのように、自分の羊の群れの救いのための生贄と聖餐台になる」。司教の二つ目の仕事は「外に出て、主が知られていないか、貶められ、迫害されている場所で、福音を宣べ伝えること、そして、会社の部長や王子のように自分の執務室にじっと座っていないこと」とされた。

 また、司教としての任務を果たす際に、「イエスのように福音の謙虚な証人でなければならず、権力、自己満足、俗念、自己主張の誘惑に傾くことなく、十字架につけられ、復活したイエスを台無しにしないようにしなければなりません。謙虚に自分を関わらせることで、人々をまとめ、一致を強固なものにしなければなりません」と努力を求められた。

 さらに、「自分の配属された教区に根を下ろし、自分自身の名誉を求めて頻繁に教区外に出る誘惑に勝たねばならず、教区の信徒たち、司祭たちの声を聴くことに倦んではならない」としたうえで、「司教は威信や経歴、野望を満たすのではなく、神の羊の群れを養う司牧者であることを示しながら、主人としてではなく、模範として、兄弟愛を育てる者」と心構えを重ねて説いた。

 世俗主義に対しても用心するように、と述べ、それは「性的虐待、権力、良心の問題と共に教会共同体において、極めて一般的な問題」になっており、教会共同体をむしばみ、文れるを引き起こし、多くの今日的な悪を助長している、と指摘。「虐待に『ノー』と言うことは、あらゆる世俗主義の形に対して、力を込めて『ノー』と言うことを意味するのです」とされた。

 避けねばならないもうひとつの傾向として、教皇は「指導者主義-他者を意のままにしようとする振る舞い」を挙げ、「それは自分には都合がよく、魅力のあるものかもしれないが、福音にかなうものでは絶対にありません」と注意を促された。

 一方、司牧者の果たすべき役割として、教皇は司教たちに、家族、神学生、若者、貧しい人々に特段のケアをするように強く求められた。

 そして、家庭は社会の最小単位であり、第一番の教会であり、なぜなら、それは家庭教会であるから、としたうえで、結婚の準備と家庭への寄り添いに特に注意を払うように要請された。「お年寄りや妊婦を守り、それぞれの役割を果たそうとする父母や祖父母を支えなさい」と促された。

 神学生たちについては、彼らが健全で、開放的、正しく、誠実な人間として育っていくように、召命の識別について特別の配慮をするように、とされ、若者全般についても、「より良い世界の実現は若い人々にかかっています」として、彼らに心を配り、彼らの言葉に耳を傾け、彼らが消費主義と快楽主義に影響された場合でも、彼らを受け入れるように、勇気をもって福音を説くように、求められた。

 そして、最後に、教皇は、精神的、物質的な貧困と戦い、「手を汚すこと」を恐れずに、最も小さい人々のために時間とエネルギーを費やすよう促された。犠牲を払うのを避け、不寛容、福音を傷つける、ぬるま湯的で平凡な、怠惰な傾向に陥らないように司教たちを注意された。「悪しきものは、ボケっとを通して入ってくる。福音をもとめる聖なる焦燥感、平和をもたらすただ一つの焦燥感を抱くように」と締めくくられた。

(VaticanNewsの英文報道を、「カトリック・あい」が編集・翻訳しました)

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