「自我の束縛から解放され、愛することができる人に」教皇一般謁見

2018年9月12日バチカン放送日本語課の記事より。

「自我の束縛から解放され、愛することができる人に」教皇一般謁見

教皇フランシスコは、一般謁見で、「十戒」中の、安息日をめぐる掟の考察を続けられた。

教皇フランシスコは、9月12日バチカンで、水曜恒例の一般謁見を行われた。

謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、教皇は先週に続き、「十戒」中の、安息日をめぐる掟の考察を行われた。

教皇は、旧約聖書の「出エジプト記」に記された「十戒」は、「申命記」の中でもほとんど同じ形で繰り返されているが、安息日を扱う3つ目の戒の説明においては相違する部分があると指摘。

「出エジプト記」では、安息日の理由として、天地創造を完成された主が七日目に休まれたことを挙げているのに対し、「申命記」ではその理由を、イスラエルの人々がエジプトでの隷属状態から主の御腕によって導き出されたことを記念するものとし、それゆえ、この日は奴隷も主人と同じように休むことができると記している点を示された。

奴隷は休むことができない状態にあるが、世の中には外的・内的な様々な形の隷属状態があると教皇は述べ、迫害や拉致など、様々な形の外的な強制がある一方で、心理的なブロックや、コンプレックス、性格上の限界など、内的自由がない状態があると話された。

教皇は、こうした外的、内的な隷属状態に置かれた人間は、自由でいることができるだろうかと問いつつ、聖マキシミリアノ・コルベ神父(1894-1941)や、グェン・ヴァン・トゥアン枢機卿(1928-2002)のように、迫害の闇を光の場所へと変えた人々や、内的な弱さに苦しみながらも、神のいつくしみの中に安らぐことのできる人々の存在を思い起こされた。

「牢に入れられるよりも、心理的脅迫観念よりも、最も人を束縛するものは、自我(エゴ)の束縛である」と教皇は話し、「愛することができない人は、安らぎを知らない」と語られた。

「十戒」の安息日に関する3つ目の掟は、わたしたちが休日を守る中で罪からの解放を祝うようにと招いていると述べた教皇は、「主イエスはわたしたちを罪の内的隷属から解き放ち、愛することができる人間へと変えてくださる。真の愛こそ、真の自由である」と説かれた。

 

12 9月 2018, 15:09
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