[クララ]福音を生きる[2018.12.3.オミリア]聖フランシスコ・ザビエル

《日本宣教の保護者聖フランシスコ・ザビエル司祭》聖クララ修道会聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[8分]を聴くことができます。

聖フランシスコ・ザビエル:一五〇六年、スペインで生まれる。パリ大学で勉強したちきロヨラの聖イグナチオと出会い、最初のイエズス会員たちの一人となる。一五三七年にベネチアで司祭に叙階され、慈善行為に献身。一五四一年に東洋を目指して旅立ち、インド、日本などで十年間、福音宣教に専念し、多くの人をキリスト教信仰に導いた。一五五二年、中国の上川島で死去。(『毎日の読書』より)

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[皆さん、]わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられてる務めなのです。では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。/わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。…弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。(使徒パウロのコリントの教会への手紙1:9章)

本田哲郎訳:じっさい、わたしが福音を告げ知らせるとしても、それはわたしにとって誇らしいことではなく、そうせずにはいられないだけのことです。わたしにとって福音を告げ知らせないということは、嘆かわしいことなのです。わたしが進んでこうしているかぎり、わたしには見返りがあります。気が進まないところがあるとしたら、それは管理のつとめを委ねられてしまったことです。わたしにとって見返りとは何でしょうか。福音を告げ知らせるのに、手数料をとらずに福音を提供し、しかも、福音にまつわる特権をいっさい使わずに済んでいるという、このことです。わたしはだれからも束縛されない自由市民の身ですが、だれに対しても仕える側に身を置きました。…確信のもてない人に対しては確信のもてない者になりました。確信のもてない人を得るためです。わたしはだれに対しても、その人の側に身を置きました。どんなときでも、だれかを救いたいためです。福音を告げ知らせるためには、わたしはなんでもします。汚れまでも分け合う福音の中間に、わたしはなりたいからです。

【福音】イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。(マタイ福音書4章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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