[基山]神の御心にかなうこと[2019.1.12.オミリア]

《降誕節土曜日(主の公現後》基山聖堂で7時から行われたミサのオミリア[6分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[基山]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[愛する皆さん、]何事でも神の御心(みこころ)に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何で聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既(すで)にかなえられていることも分かります。死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、その人のために神に願いなさい。そうすれば、神はその人に命をお与えになります。これは、死に至らない罪を犯している人々の場合です。死に至る罪があります。これについては、神に願うようにとは言いません。不義はすべて罪です。しかし、罪に至らない罪もあります。わたしたちは知っています。すべて神から生まれた者は罪を犯しません。神からお生まれになった方が、その人を守ってくださり、悪い者は手を触れることができません。わたしたちは知っています。わたしたちは神に属する者ですが、この世全体が悪い者の支配下にあるのです。わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子(おんこ)イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です。子たちよ、偶像を避けなさい。(1ヨハネの手紙5章)

【福音】[そのとき、]イエスは弟子たちとユダヤ地方に行って、そこに一緒に滞在し、洗礼を授けておられた。他方、ヨハネは、サリムの近くのアイノンで洗礼を授けていた。そこは水が豊かであったからである。人々は来て、洗礼を受けていた。ヨハネはまだ投獄されていなかったのである。ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」ヨハネは答えて言った。「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされたいる。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ福音書3章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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