[小郡]「四旬節第3主日」ミサ説教(2019.3.24.)

《四旬節第3主日》小郡教会聖堂で8時30分から行われたミサの説教[11分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[そのころ、]モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使(みつか)いが現われた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」/主は、モーセが道をそれて見に来るのを御覧になった。神は柴の間から声をかけられ、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼が、「はい」と答えると、神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物(はきもの)を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」神は続けて言われた。「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆(おお)った。/主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、わたしは降(くだ)って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と密の流れる土地へ彼らを導き上る。」/モーセは神に尋ねた。「わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、『あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣(つか)わされたのです』と言えば、彼らは、『その名は一体何か』と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。」/神はモーセに、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言われ、また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣(つか)わされのだと。」神は、更に続けてモーセに命じられた。/「イスラエルの人々にこう言うがよい。あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主がわたしをあなたたちのもとに遣(つか)わされた。これこそ、とこしえにわたしの名 これこそ、世々にわたしの呼び名。」(出エジプト3章)

【答唱詩編】心を尽くして神をたたえ、すべての恵みを心に留めよう。

神はわたしの罪をゆるし、痛みをいやされる。わたしのいのちを危機から救い、いつくしみ深く祝福される。/神は正義のわざを行い、しいたげられている人を守られる。神はその道をモーセに示し、そのわざをイスラエルの子らに告げられた。/神は恵み豊かに、あわれみ深く、怒(いか)るにおそくいつくしみ深い。父が子どもをいつくしむように、神の愛は、神をおそれる人の上にある。(詩編103)

【第二朗読】兄弟たち、次のことはぜひ知っておいてほしい。わたしたちの先祖は皆、雲の下におり、皆、海を通り抜け、皆、雲の中、海の中で、モーセに属するものとなる洗礼を授(さず)けられ、皆、同じ霊的な食物(しょくもつ)を食べ、皆が同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らが飲んだのは、自分たちに離れずについて来た霊的な岩からでしたが、この岩こそキリストだったのです。しかし、彼らの大部分は神の御心(みこころ)に適(かな)わず、荒野で滅(ほろ)ぼされてしまいました。これらの出来事は、わたしたちを戒(いまし)める前例として起こったのです。彼らが悪をむさぼったように、わたしたちが悪をむさぼることのないために。彼らの中には不平を言う者がいたが、あなたがたはそのように不平を言ってはいけない。不平を言った者は、滅ぼす者に滅ぼされました。これらのことは前例として彼らに起こったのです。それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告(けいこく)するためなのです。だから、立っていると思う者は、倒(たお)れないように気をつけ[なさい。](1コリ10章)

【詠唱】「神に立ちもどりなさい。神の国は来ている」と主はおおせになる。(マタイ福音書4章)

【福音】ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混(ま)ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭(あ)ったのは、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔(く)い改(あらた)めなければ、皆同じように滅(ほろ)びる。また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」そして、イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁(えんてい)に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁(えんてい)は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周(まわ)りを掘って、肥(こ)やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ福音書13章)

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

Facebook にシェア
[`evernote` not found]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA