[クララ]父の望みを行なうときに十字架がある[2019.8.9.オミリア]

《年間第18金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[11分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは弟子たちに言われた。]「わたしについて来たい者は、自分を捨(す)て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得(とく)があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」(マタイ福音書16章)

*本田哲郎訳:そのとき、イエスは弟子たちに言った。「わたしのあとからついて来たいと思う人は、自分のことはかえりみず、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。自分自身を救おうとばかり思う人は、自分をほろぼし、わたしのために自分自身を使いほろぼす人は、自分を得る。人は、たとえ世界ぜんぶを味方にひき入れても、自分自身をだめにしてしまったら、何の意味があろうか。人には、自分自身に代わる値打ちのものが、何かあるのか。人の子は、やがて父の栄光を帯びて神の使いたちとともに来るが、そのとき、それぞれの行いに応じてむくいるのである。はっきり言っておく。ここにいる人たちの中に、人の子が自分の国に来るのを見るまで、死を味わおうとしない人たちがいる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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