[鳥栖]永遠の命は今から始まっている[2019.8.10.オミリア]

《死者のためのミサ》鳥栖教会納骨堂で8時から行われたミサのオミリア[7分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[鳥栖]ここをクリックして聴くことができます。

【第一朗読】[神に従う人の魂は神の手で守られ、もはやいかなる責め苦も受けることはない。愚か者たちの目には彼らは死んだ者と映(うつ)り、この世からの旅立ちは災い、自分たちからの離別は破滅(はめつ)に見えた。ところが彼らは平和のうちにいる。人間の目には懲(こ)らしめを受けたように見えても、不滅への大いなる希望が彼らにはある。わずかな試練を受けた後、豊かな恵みを得る。神が彼らを試し、御自分にふさわしい者と判断されたからである。るつぼの中の金のように神は彼らをえり分け、焼き尽くすいけにえの献げ物として受け入れられた。主に依(よ)り頼む人は真理を悟(さと)り、信じる人は主の愛のうちに主と共に生きる。主に清められた人々には恵みと憐(あわ)れみがあり、主に選ばれた人は主の訪(おとず)れを受けるからである。(知恵の書第3章)

【福音】[そのとき、イエスは人々に言われた。]「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降(くだ)って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣(つか)わしになった方の御心(みこころ)を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ福音書6章)

*本田哲郎訳:そのとき、イエスは弟子たちに言った。「わたしのあとからついて来たいと思う人は、自分のことはかえりみず、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。自分自身を救おうとばかり思う人は、自分をほろぼし、わたしのために自分自身を使いほろぼす人は、自分を得る。人は、たとえ世界ぜんぶを味方にひき入れても、自分自身をだめにしてしまったら、何の意味があろうか。人には、自分自身に代わる値打ちのものが、何かあるのか。人の子は、やがて父の栄光を帯びて神の使いたちとともに来るが、そのとき、それぞれの行いに応じてむくいるのである。はっきり言っておく。ここにいる人たちの中に、人の子が自分の国に来るのを見るまで、死を味わおうとしない人たちがいる」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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