[小郡]年間第23主日前晩[2019.9.7.]

《年間第23主日前晩》小郡教会で19時30分から行われたミサ典礼における説教[10分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

 

 

 

【第一朗読】「神の計画を知りうる者がいるでしょうか。主の御旨(みむね)を悟りうる者がいるでしょうか。死すべき人間の考えは浅はかで、わたしたちの思いは不確かです。朽(く)ちるべき体は魂の重荷となり、地上の幕屋(まくや)が、悩む心を圧迫します。地上のことでさえかろうじて推(お)し量り、手中(しゅちゅう)にあることさえ見いだすのに苦労するなら、まして天上にあることをだれが探(さぐ)り出せましょう。あなたが知恵をお与えにならなかったなら、天の高みから聖なる霊を遣(つか)わされなかったなら、だれが御旨(みむね)を知ることができたでしょうか。こうして地に住む人間の道はまっすぐにされ、人はあなたの望まれることを学ぶようになり、知恵によって救われたのです。」(知恵の書9章)

【福音】[そのとき、]大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎(にく)まないなら、わたしの弟子ではありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率(ひき)いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃(う)つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。もしできないと分かれば、敵がまだ遠方(えんぽう)にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。だから、同じように、自分の持ち物を一切捨(す)てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」(ルカによる福音14章)

本田哲郎訳:おおぜいの民衆が、イエスといっしょに道をすすんでいた。イエスはふり返ってその人たちに言った。「わたしのもとに来ても、もし、自分の父親と母親、妻や子ども、兄弟姉妹、それに自分自身さえもあとまわしにする腹がなければ、わたしの弟子でいることはできないのだ」。「自分の十字架をせおって、わたしのあとについて来る人でなければ、わたしの弟子でいることはできないのだ」。「あなたたちのだれであれ、見張りやぐらを建てようとするときには、まず座って費用を計算し、完成させることができるかどうかを見るものだろう。そうせずに、土台は置いたが完成出来なかったとなれば、注目していた人たちはみなあざわらって、『あの人は、建てはじめたけれど、仕上げられなかった』と言うだろう。また、どこかの王がほかの王と戦いにでようとするときには、まず座って、こちらの一万の兵で、攻めてくる二万の兵にたちうちできるかどうか、作戦をねるものだろう。もし、だめだとなれば、あいてが遠くにいるうちに、使者を送って講和を求めるものだ。同じように、あなたたちもみな、所有するものすべてに対して見切りがつけられなければ、わたしの弟子でいることはできないのだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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