ベネズエラ情勢:教皇「国民の苦しみを止めるため、一刻も早い合意を」

2019年7月14日バチカン放送日本語課の記事より。

ベネズエラ情勢:教皇「国民の苦しみを止めるため、一刻も早い合意を」

教皇フランシスコは、日曜正午の集いで、ベネズエラ国内の合意を呼びかけられた。

教皇フランシスコは、7月14日、日曜正午の祈りの集いで、ベネズエラ情勢に言及し、同国民に精神的一致を示された。

この席で教皇は、長く続く危機のために疲弊したベネズエラ国民に寄り添うメッセージをおくられた。

教皇は、ベネズエラと地域全体の善のため、人々の苦しみを止める合意に一刻も早く到達できるよう、双方の関係者の上に主の啓示と照らしを祈られた。

ベネズエラの司教協議会は、今月11日、第112回定例総会で採択された司牧的勧告を発表。この中で、不法に権力を行使する人々が退き、国際機関の監視のもと、新大統領選出のための選挙が可能な限り早期に行われることを要求している。

また司教団は、人道危機に対する憂慮を表明。特に食料と医療品が、国際的な監視によって、収賄の構造に妨げられることなく、速やかに国内に届けられ、人々に配給されることを希望している。

14 7月 2019, 13:34
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教皇「利己的な無関心に引きずられてはならない」日曜正午の集い

2019年7月14日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「利己的な無関心に引きずられてはならない」日曜正午の集い

教皇フランシスコは、日曜正午の集いで、「善いサマリア人のたとえ」を観想された。

教皇フランシスコは、7月14日、日曜正午の祈りを信者と共に唱えられた。

先月末から今月初めにかけてイタリア半島を覆った猛暑も一段落し、7月中旬のローマでは、比較的過ごしやすい気温が続いている。教皇との祈りの集いが行われたこの日曜日、バチカンの広場は、多くの巡礼者で活気づいた。

祈りに先立つ説教で、教皇は、この日の福音朗読箇所、「善いサマリア人のたとえ」(参照:ルカ10,25-37)を取り上げられた。

ある律法の専門家が「何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるか」とイエスに尋ねると、イエスは律法の中に答えを見つけるよう招いた。

この人が「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とある」と答えると、イエスはそれを実行するようにと言った。

「では、わたしの隣人とは誰か」という、この律法の専門家のさらなる質問に対し、イエスが答えとして用いたものが、この「善いサマリア人のたとえ」である。

たとえの主人公であるサマリア人は、道の途中に、追いはぎに襲われ半殺しのままにおかれた人を見つけ、その人を介抱した。

教皇は、当時ユダヤ人は、サマリア人を選ばれた民とは異なる人々として蔑視していたが、イエスはあえてサマリア人を善い人物として登場させることで、その民族的・宗教的偏見を超えさせようとした、と説明された。

サマリア人が通ったのと同じ道を、先に祭司とレビ人も通ったが、この気の毒な人を見ても、止まらずに行ってしまった。

これについて教皇は、神に仕えるこの人たちは、おそらく血に触れることを避けたと思われるが、彼等は不浄を避けるという、宗教的慣習から来る人間的律法を、何よりもいつくしみを求める、神の偉大な掟に優先させてしまった、と話された。

このたとえを語った後、イエスは「この三人の中で、誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と尋ねることで、「わたしの隣人とは誰か」という律法の専門家の問いを、「追いはぎに襲われた人にとっての隣人とは誰か」という問いに逆転させていることを教皇は指摘。

イエスは、わたしたちが自分の基準で、誰が隣人で、誰がそうでないかを定義するのではなく、助けを必要としている人自身が、誰が隣人であるかを認めることができる、と教えている、と語られた。

追いはぎに襲われた人にとっての隣人とは、「その人を助けた人です」と律法の専門家が答えると、イエスは「行って、あなたも同じようにしなさい」と言われた。

このたとえにおいて重要な鍵は、「憐みを感じることができるか」ということ、と教皇は説き、わたしたちは利己的な無関心に引きずられてはならない、と諭された。

憐みを持てるかどうかは、キリスト者の物差し、いわばイエスの教えの基準であると述べた教皇は、イエスご自身が御父のわたしたちに対する憐みそのものであることを、忘れないよう強調された。

14 7月 2019, 16:52
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[鳥栖]年間第15主日[2019.7.14.]

《年間第15主日》鳥栖教会で11時から行われた典礼における説教を聴くことができます。↓下へ

【福音】[そのとき、]ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽(つ)くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲(おそ)われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴(なぐ)りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐(あわ)れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯(ほうたい)をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱(かいほう)した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲(おそ)われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音10章)

*本田哲郎訳: そのとき、一人の律法家が立って、イエスを試そうとして、「導師、なにをしたら、永遠のいのちをいただけるのだろうか」と言った。イエスはその人に、「律法にはなんと書いてあるのか。あなたはどう理解しているか」と言った。その人はこう言った。「『心の底から、自分のすべてをかけ、力のかぎり、判断力を駆使(くし)して、あなたの神、主を大切にせよ』(申命記6・5)また、『あなたの隣人を、自分自身のように大切にせよ』(レビ記19・18)とある」。イエスは、「そのとおりだ。それを実行すれば、人は生きる」と言った。すると、その人は、自分が実践(じっせん)していることを示そうとして、イエスに、「それでは、わたしの隣人とは、だれだろう」と言った。この問いを受けて、イエスはつぎのように語った。「ある人がエルサレムからエリコに下っていくときに、追いはぎにあった。追いはぎはこの人の服をはぎとり、傷をおわせ、半殺しにして去った。たまたま、一人の祭司が同じ道を下ってきたが、その人を見ると、道の反対側をとおって行った。同じように一人のレビ人もその場所にさしかかったが、その人を見て、道の反対側をとおって行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、同じようにそこにさしかかると、その人を見て、はらわたをつき動かされ、近よって、傷口にぶどう酒とオリーブ油をそそいで包帯をし、自分のろばにのせて宿屋につれていって、介抱(かいほう)した。そして、つぎの日、五千円の銀貨二枚をとりだし、宿屋の主人にわたして、『この人を介抱してください。もし、費用がかさんだら、帰りにわたしが払います』と言った。ところで、この三人のうち、追いはぎにあった人の隣人になったのは、だれだとあなたは思うのか」。すると律法の専門家は、「その人の痛みを分かって、行動に移した人」と言った。そこで、イエスは、「あなたも行って、同じようにしなさい」と言った。

[鳥栖:前半6分]ここをクリックして説教前半を聴くことができます。

説教使用動画(BBC News Japan)ギリシャ海岸にまた幼児の溺死体2015.10.13.[2:23]

[鳥栖:後半2分]ここをクリックして説教後半を聴くことができます。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

 

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[小郡]年間第15主日[2019.7.14.]

《年間第15主日》小郡教会で8時30分から行われた典礼における説教[11分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽(つ)くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲(おそ)われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴(なぐ)りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐(あわ)れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯(ほうたい)をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱(かいほう)した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲(おそ)われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音10章)

*本田哲郎訳: そのとき、一人の律法家が立って、イエスを試そうとして、「導師、なにをしたら、永遠のいのちをいただけるのだろうか」と言った。イエスはその人に、「律法にはなんと書いてあるのか。あなたはどう理解しているか」と言った。その人はこう言った。「『心の底から、自分のすべてをかけ、力のかぎり、判断力を駆使(くし)して、あなたの神、主を大切にせよ』(申命記6・5)また、『あなたの隣人を、自分自身のように大切にせよ』(レビ記19・18)とある」。イエスは、「そのとおりだ。それを実行すれば、人は生きる」と言った。すると、その人は、自分が実践(じっせん)していることを示そうとして、イエスに、「それでは、わたしの隣人とは、だれだろう」と言った。この問いを受けて、イエスはつぎのように語った。「ある人がエルサレムからエリコに下っていくときに、追いはぎにあった。追いはぎはこの人の服をはぎとり、傷をおわせ、半殺しにして去った。たまたま、一人の祭司が同じ道を下ってきたが、その人を見ると、道の反対側をとおって行った。同じように一人のレビ人もその場所にさしかかったが、その人を見て、道の反対側をとおって行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、同じようにそこにさしかかると、その人を見て、はらわたをつき動かされ、近よって、傷口にぶどう酒とオリーブ油をそそいで包帯をし、自分のろばにのせて宿屋につれていって、介抱(かいほう)した。そして、つぎの日、五千円の銀貨二枚をとりだし、宿屋の主人にわたして、『この人を介抱してください。もし、費用がかさんだら、帰りにわたしが払います』と言った。ところで、この三人のうち、追いはぎにあった人の隣人になったのは、だれだとあなたは思うのか」。すると律法の専門家は、「その人の痛みを分かって、行動に移した人」と言った。そこで、イエスは、「あなたも行って、同じようにしなさい」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[小郡]年間第15主日前晩[2019.7.13.]

《年間第15主日前晩》小郡教会で19時30分から行われた典礼における説教[10分]を聴くことができます。

[小郡]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、]ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽(つ)くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲(おそ)われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴(なぐ)りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐(あわ)れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯(ほうたい)をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱(かいほう)した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲(おそ)われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカによる福音10章)

*本田哲郎訳: そのとき、一人の律法家が立って、イエスを試そうとして、「導師、なにをしたら、永遠のいのちをいただけるのだろうか」と言った。イエスはその人に、「律法にはなんと書いてあるのか。あなたはどう理解しているか」と言った。その人はこう言った。「『心の底から、自分のすべてをかけ、力のかぎり、判断力を駆使(くし)して、あなたの神、主を大切にせよ』(申命記6・5)また、『あなたの隣人を、自分自身のように大切にせよ』(レビ記19・18)とある」。イエスは、「そのとおりだ。それを実行すれば、人は生きる」と言った。すると、その人は、自分が実践(じっせん)していることを示そうとして、イエスに、「それでは、わたしの隣人とは、だれだろう」と言った。この問いを受けて、イエスはつぎのように語った。「ある人がエルサレムからエリコに下っていくときに、追いはぎにあった。追いはぎはこの人の服をはぎとり、傷をおわせ、半殺しにして去った。たまたま、一人の祭司が同じ道を下ってきたが、その人を見ると、道の反対側をとおって行った。同じように一人のレビ人もその場所にさしかかったが、その人を見て、道の反対側をとおって行った。ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、同じようにそこにさしかかると、その人を見て、はらわたをつき動かされ、近よって、傷口にぶどう酒とオリーブ油をそそいで包帯をし、自分のろばにのせて宿屋につれていって、介抱(かいほう)した。そして、つぎの日、五千円の銀貨二枚をとりだし、宿屋の主人にわたして、『この人を介抱してください。もし、費用がかさんだら、帰りにわたしが払います』と言った。ところで、この三人のうち、追いはぎにあった人の隣人になったのは、だれだとあなたは思うのか」。すると律法の専門家は、「その人の痛みを分かって、行動に移した人」と言った。そこで、イエスは、「あなたも行って、同じようにしなさい」と言った。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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[基山]髪の毛一本までも[2019.7.13.オミリア]

《年間第14土曜日》基山教会聖堂で7時から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「弟子は師にまさるものではなく、僕(しもべ)は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼベルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。人々を恐れてはならない。覆(おお)われているもので現されないものはなく、隠(かく)されているもので知られずに済(す)むものはないからである。わたしが暗闇(くらやみ)であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅(ほろ)ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀(すずめ)が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前でその人を知らないと言う。」(マタイ福音書10章)

本田哲郎訳: 「師の上をいく弟子はなく、主人の上をいくしもべもない。弟子は師のように、しもべは主人のようになれば、十分である。人々が家の主人をベルゼベルと呼ぶのなら、その家族の者はどれほどひどく言われることだろう」。「だから、そのような人たちを、恐れるな。覆(おお)われているもので明らかにされないものはなく、隠(かく)されているもので知られずにおわるものはないからである。わたしが暗がりであなたたちに言うことを、明るみで言いなさい。耳もとで聞いたことを屋根の上から告げ知らせなさい。人のからだは殺しても、人そのものを殺す力のない者を、恐れるな。むしろ、人そのものもからだも地獄でほろぼす力のある方を、恐れなさい。二羽のすずめが三百円で売られているではないか。その一羽さえ、あなたたちの父のゆるしなしに、地に落ちることはない。あなたたちの髪の毛までも、一本のこらず数えられているのだ。だから、恐れるな。あなたたちは、多くのすずめよりもはるかに大事なのだ」。「だれでも、わたしの側(がわ)に立つことを人々の前で表明する人は、わたしも天の父の前で、その人の側に立つことを表明する。しかし、人々の前でわたしを知らないという者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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教皇「神にとって、平和はわたしたちの権利であり、義務」

2019年7月12日バチカン放送日本語課の記事より。

教皇「神にとって、平和はわたしたちの権利であり、義務」

アルゼンチン・イスラエル共済組合爆破事件から25年にあたり、教皇フランシスコは書簡をおくられた。

教皇フランシスコは、アルゼンチン・イスラエル共済組合爆破事件から25年にあたり、この悲劇の犠牲者らへの祈りを新たにし、兄弟愛と平和を呼びかける書簡を、同組合宛てにおくられた。

1994年7月18日、ブエノスアイレスで起きた、アルゼンチン・イスラエル共済組合本部への爆破テロは、犠牲者85人、負傷者200人以上を出した。

教皇は書簡の中で、毎年7月18日が訪れるたび、この悲劇を思い起こし、狂気の行為の犠牲となったユダヤ教徒とキリスト教徒たちの冥福を祈り、遺族たちに思いを寄せ続けてきた、と述べられた。

また、教皇は、この事件に巻き込まれ、心と体に傷を負って生きてきた人々のためにも祈られている。

こうした常軌を逸した行為は、アルゼンチンだけでなく東西の世界に広がり、その残忍な顔を露わにし、神の名を冒涜しながら、多くの人々の命を奪い続けている、と述べた教皇は、これらの暴力をもたらすのは、宗教ではなく、人々の心の闇である、と指摘されている。

神は、わたしたちに兄弟として共に生きるようにと招いておられ、この兄弟愛は、地理的、イデオロギー的限界を超えて、わたしたちを抱擁し、一つにするものである、と教皇は記された。

神にとって、平和はわたしたちの権利であるだけでなく、その構築はわたしたちの義務でもあると、教皇は平和への思いと祈りを改めて表された。

12 7月 2019, 17:38
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[小郡][鳥栖]ミサ時間と場所(2019.7.13.〜2019.8.4.)

★7月から9月までの主日ミサ時間は以下のとおりです。前晩(土曜日の夜)の主日ミサは毎週、小郡教会19時30分からです。

★小郡教会8時30分〜  ★鳥栖教会11時〜

7月20日(土)は6時30分から小郡教会聖堂でミサをします。前日から「お泊まり会」をしている年長児と幼稚園職員とともにささげるミサです。子どもたちに説明をしながらささげます。一般の方も参加可能です。子どもたちと一緒に祈りませんか。保護者は自由参加で二階でミサに参加します。

主日のミサは生活の力になります。月に一度でも参加できるようにスケジュールを調整してください。み言葉とご聖体の食卓に神が呼んでくださってます。

平日のミサは通常、火曜日から金曜日まで聖クララ修道院で6時30分からしています。ゆっくり静かに捧げられるミサです。自由に参加できます。ミサが無い場合も時としてあります。毎週のお知らせを参照してください。

 

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[鳥栖]子どもとともにささげるミサ[2019.7.7.]

《年間第14主日》この日は〈子どもとともにささげるミサ〉でした。鳥栖教会のこども会は今年度の年間テーマを《わたしたちの家、ちきゅうは今》とし、環境問題を考え、何ができるかを模索しています。今日のミサはこのテーマに基づき9月1日の《被造物を大切にする世界祈願日》からアシジの聖フランシスコの記念日10月4日までの《被造物の季節》の準備として行われました。今後の計画として7月29日(月)に、みやき町の「リサイクルプラザ」を見学して資源のリサイクルについて考えます。また9月1日(日)に「子どもとともにささげるミサ」を行い、その後でエコバックを作って皆さんに買ってもらい、使ってもらうことを計画しています。皆さんご協力ください。一緒に環境にやさしい行動を起こしたいと思っています。

*入祭、開祭の儀、アレルヤ唱、説教、主の祈り、閉祭の様子を動画で観ることができます。説教は動画を観る前後のものです。(撮影・編集:九州テレビ http://kyushu.tv)動画の後に当日配付したメッセージ、説教で使用した動画を掲載しています。

*今日配付したメッセージです。

 

 

 

説教使用動画1(教皇メッセージ)Care for Creation-The Pope Video-February2016[1:25]

動画2(Nスタ)プラスチック汚染 年間100万羽の海鳥が餓死[2018.3.4:53]

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[クララ]蛇のように[2019.7.12.オミリア]

《年間第14金曜日》聖クララ会修道院聖堂で6時30分から行われたミサのオミリア[4分]を聴くことができます。

当日の聖書朗読箇所をぜひお読みになってください。あなたへのメッセージに気づかれると思います。少しずつ慣れて来られると「み言葉」があなたの中で生きていることを感じられるでしょう

[クララ]ここをクリックして聴くことができます。

【福音】[そのとき、イエスは使徒たちに言われた。]「わたしはあなたがたを遣(つか)わす。それは、狼(おおかみ)の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇(へび)のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭(むち)打たれるからである。また、わたしのために総督(そうとく)や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎(にく)まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。」(マタイ福音書10章)

本田哲郎訳: 「わたしはあなたたちを、狼(おおかみ)とは対照的な羊として、派遣(はけん)するのだ。だから、蛇(へび)のように感性するどく、鳩のように率直に行動しなさい」。「人々に心を向けていなさい。人々があなたたちを地方法院に引きわたし、会堂であなたたちをむち打つのである。また、あなたたちは、わたしのために総督(そうとく)や王の前に引き出されるが、その人たちをはじめ、世の民に証しをすることになるのだ。人々があなたたちを引きわたすとき、あなたたちは、何を、どう、言おうかと心配するな。言うべきことは、その時に示される。じつに、話すのはあなたたちではなく、あなたたちの内で語られる、あなたたちの父の霊なのだ」。「兄弟が兄弟を、父が子を死に売りわたし、子が親に反抗して親を死に追いやるような時が来る。あなたたちは、わたしと一体のものだということで、みんなから憎(にく)まれるだろう。しかし、さいごまでめげずに立ちつづける者は、救われる」。「一つの町で迫害されたなら、ほかの町に逃げなさい。はっきり言っておく。人の子が来るまでは、あなたたちがイスラエルの町々を完全なものにすることはできないのだ」。

***ミサで読まれる聖書の言葉は「イエスのカリタス修道女会」のホームページを参照してください。主日のミサに参加される方はぜひ「聖書と典礼」を持ち帰り、もう一度読み返すと、自分に響く言葉に触れることができるでしょう。聖書をお持ちであれば、ご自分の聖書を開いて読むことをお勧めします。さらにできれば、新共同訳だけでなく、他の訳(本田哲郎訳、山浦玄嗣訳など)を参照すると内容がより深まると思います***

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